第一章 霊獣の親子
「……う〜ん」
岩にもたれたカリューが唸っている。自分が獣に戻ってしまった悪夢を見ているに違いない。しかし今のカリューの姿は戦闘前と同じ、少しもみあげが豪快なだけのただの人間の姿だ。
「人間にはよくある事なのか?」
『無い無い』
マッハの質問に俺達人間は全力で答える。……ジェットは純粋な人間ではないが。
「……う〜ん」
まだ唸っている。余程悲惨な悪夢に違いないが、現実もあまり変わらないぞ。戻って来い、カリュー。
「う、うぅぅ……」
そろそろ唸り声が気になり始めた。暑っ苦しい男の唸り声など聞きたくないぞ。
「こら! カリュー! いい加減起きろ!」
堪忍袋の緒が切れやすいクリアが叫んだ。
かつてのご主人様の命令により、カリューが飛び起きた。ついでにグッスリ眠っていた犬の紅蓮までもがシャキッとお座りのポーズを取っている。
……カリューもお座りをしている。
「! お、俺の身体は!」
そう言ってお座りの体勢のまま手足や顔、尻尾が無い事を確認する。
「……はぁ〜、夢だったのかぁ」
安心しているカリューに投げ針を見せる。
「ああああああ!」
カリューが立ち上がってそのまま逃げようとする。
「カリュー!」
クリアが叫ぶと同時にカリューの身体がその場で硬直した。
「ブレイブもあんまりカリューをいじめないように」
秋留に注意をされて大人しく投げ針を鞄に戻す。カリューは生気が抜けた顔を俺達の方へと戻した。
「俺は人間に戻ったんじゃないのか?」
その場にドサッと座り込む。
確かに人間に戻ったと思って今日まで約一週間……カリューは人間の姿をどんなに喜んでいたことか。最近では落ち着いたが、戻ってすぐは手鏡を常に携帯して自分の顔を眺めていたからなぁ。
一緒に聖都を歩いている時は少し恥ずかしかったが。
「興奮し過ぎると一時的に獣人化する体質になったみたいなの」
秋留が申し訳無さそうに言った。
秋留が罪悪感を感じる必要はないのだ。実はカリューの体質を変えた根本的な原因は、俺が起こしたと言っても過言ではないのかもしれないのだが……過去は忘れよう。
「そ、そんなの人間じゃねぇ!」
「そうだな」
優しい俺の一言にカリューが激怒して殴りかかってくる。俺はそれを冷静にヒラリと避けた。
『ブレイブ!』
秋留とクリアが同時に叫んだ。ちょっとふざけすぎたようだ。
「もう駄目だ……生きていく気力が無い」
カリューの身体の回りにドンヨリと重い空気が見える。
「カリュー!」
秋留が叫んだ。その声は聞き流す事が出来ない、物凄く威圧感のある声だ。
沈んでいたカリューも秋留の方を見上げる。
「この世界にはまだ沢山の悪が存在するわ!」
カリューと秋留を除く全員が思わずコケそうになった。
しかしカリューは秋留の台詞で少し気力が沸いてきたようだ。
「その悪を放っておいてカリューは平気なの?」
カリューがスクッと立ち上がった。その両目には生気が蘇ってきている。後一息か!
「それにね」
トドメの一押しか?
「獣人化すると身体能力が増大するでしょ? 上手く制御出来れば悪を滅ぼすための大きな力となると思うけど?」
カリューの両目から炎が上がった……ように見えた。それ程の闘志を感じる。
「獣人化をコントロールか……ふっふっふ」
両拳を見つめカリューが笑い始めた。とうとう精神崩壊を引き起こしたか?
「ブレイブ!」
カリューが俺を指差して叫んだ。何だ? 精神崩壊したとかいう思考をカリューにまで読まれたか?
「獣人を勝手に馬鹿にするが良い! 俺はこの力を制御して、この世に平和を取り戻してみせるぞ!」
……なんだよ、そんな宣言かよ……と言いかけたのだが、余計な事は言うな、という目で秋留が俺を睨みつけているのが分かった。
「アア、オマエナラヤレルサ」
「けっ! 白々しくて気のない返事だ!」
カリューはすっかり自分を取り戻したようだ。冗談も通じるほどに回復してくれたらしい。
「……さて、それじゃあ当面の悪である研究所についてマッハから話を聞こうかな!」
俄然やる気の出てきたカリューが端っこで仲間ハズレにされていたマッハの方を向いた。
「やっと俺の出番か。いつまで茶番を続けるのかと思ったぜ」
こいつはヒーローを目指している癖に口が悪すぎる。……いや、ヒーローを目指しているというのは俺が勝手に決めた事だが。
「ちゃ……茶番……ま、まぁ良い。その研究所ってのはどこにあるんだ?」
いきなり場所を聞くとはカリューらしい。場所さえ分かれば後先の事を考えずに施設を破壊しまくって、捕まっている霊獣達を逃がそうとするに違いない。
「場所までは知らねえよ」
マッハの回答にカリューが落ち込む。場所が分からないという事は情報収集が必要になる。面倒臭がりなカリューは情報収集などの地味な作業を嫌がるからな。
「奴らの組織の名前はユスティム。以前奴らの施設から逃げ出せた霊獣が言っていたんだが、酷い場所みたいだぜ?」
霊獣の力を利用して対魔族兵器の製造を行っているユスティム研究所。
結局マッハから聞けた情報はこれだけだったが、聖都に戻って情報収集すればもう少し正体が掴める事だろう。
それにしてもマッハの奴、出番を待ってた割りに少ない情報だ。
俺達は美味しい真水などを振舞ってくれたマッハに礼を言うと聖都を目指す為に帰り支度を始めた。
「ああ、そうだ」
俺達を谷の入り口近くまで見送ったマッハが別れ際に突然言った。ちなみにマッハは霊獣っぽい見た目ではないが、限られた環境でしか生きられないという制約には当てはまっているらしい。何があってもマッハはこの地を離れる事は出来ないのだ。
「以前知り合った霊獣親子を最近見かけないんだ」
マッハの話では、この谷に時々訪れてきて一緒に遊んでいた猿の霊獣親子が最近来ないらしい……。
いや、霊獣って一体何なんだ? 子供とか普通にいるのか? 一緒に遊ぶものなのか? 同じ猿同士気が合うのか?
……俺は巻き起こる疑問を頭の片隅に閉じ込めて冷静を保った。しかしカリューは今にも思った事を全て口に出してしまいそうな顔をしている。
「とりあえず色々疑問はあるだろうけど、話が長くなるから我慢してね」
秋留が優しく諭す。
「母親の名前が炎燐、娘の名前が煉蘭だ。クァン平野の中央辺りにある巨木にいるはずなんだが……」
俺達は地図を広げてクァン平野を確認した。どうやらこの谷自体がクァン平野の外れに位置しているらしかった。そういえば水平線まで見渡せる平野の遠くの方に、薄っすらと大きな木があったような気がする。
「聖都に戻る途中で寄り道してみましょう」
全大陸を旅した事があるジェットが俺達のマップ担当だ。ジェットの指は聖都に帰る道を少し外れた場所を指していた。
谷を脱出した俺達はクァン平原中央にある巨木を目指して馬車を進めている最中だ。
ちなみに馬車に乗り込んですぐに秋留から霊獣に関する説明を聞いた。
霊獣は力が強い程、ある程度の環境の違いでも生きていけるらしい。つまり、クァン平原を自由に移動出来る霊獣親子は谷に閉じ込められていたマッハよりは力が強いという事になる。
親子に関しては秋留も頭を悩ませていた。
霊獣の親子なんていう話は聞いた事が無いらしい。色々と雑学から魔法の事まで詳しい秋留が言うんだから相当珍しい事なのだろう。
「そろそろ暗くなってきたな。ジェット、適当な場所で今夜は泊まろう」
リーダーカリューの号令の元、俺達は何もない平原のど真ん中で野営の準備を始めた。
本来はテント設営や馬を繋ぐためにも大きめの木などがある場所で野営をするのが普通なのだが、この平原には障害物すら探すのが困難な程……何も無い!
こういう時は馬車に積んである杭を地面に刺して、テントや馬を繋げる事になる。まぁ、馬については賢い銀星がいるので逃げ出したりする事はないだろうけど。
『いっただっきまーす!』
俺達は仲良く声を合わせて夕食を食べ始めた。近くで狩った猪のようなモンスターの肉とコーンスープだ。
「ふ〜! 身体があったまるな」
とろみのあるコーンスープのお陰で身体の芯から温まる事が出来た。目の前の焚き火も暖を取るには十分だ。
今はもう十二月に入っている。
北の大陸であるこのアステカ大陸は一年を通して寒いのだが冬は更に寒い。十分に防寒対策をして眠りに付かないと一生冷めない眠りになりかねない。
……十二月か。そういえばカリューの誕生日は十二月だった気がするぞ? 何日だったかな?
……とにかく、人間として迎えられそうで良かったな、カリュー。
「なんだ、その目は?」
「変な目をしてたか?」
「何かに安心した親のような眼つきをしていた」
カリューもなかなか感覚が鋭くなってきたようだ。何もかも顔に出やすい俺の心を読もうとした結果に違いないな。そう、俺のお陰だ。
「薪を拾ってきましたぞ」
ゾンビのジェットが寒そうに焚き火に近づいて来た。死人のジェットにも寒さがあるのだろうか。しっかりと防寒着を着ているのだが…・・・。ちなみに一緒に薪を探しに行った死馬の銀星の鼻からは豪快に鼻水が垂れている。
……。
……いやいや、さすがに死人でカラカラなはずのジェットでも薪の代わりにするのはマズイだろ!
「……」
秋留が無言で俺の事を睨んでいる。まさか薪の代わりにするという発想まで読まれていたのだろうか?
「細かい発想までは読めないけど変な事考えてたでしょ?」
「ああ、さすがに酷すぎる事を考えてた。ゴメン」
秋留に指摘された俺はジェットの方を向いて正直に謝った。
「?」
突然謝られたジェットは顔をかしげながら焚き火に薪を放り込んでいく。
「ご苦労さん、じゃあいつも通りジェットは睡眠に入ってくれ」
火に近づいてきたカリューが言った。
夜の早いジェットは野営の時でも真っ先に寝てしまう。お子様のクリアも焚き火の傍でコックリコックリと舟を漕ぎ始めている。
「クリア、寝るよ」
秋留がクリアの手を引いてテントに入っていく。
俺も秋留の後を付いていったが、テントの前で突き飛ばされてしまった。
テントは男用と女用で分かれているのだ。それはクリアがパーティーに加わる前でも一緒だった。
「じゃあ、カリュー頼んだぞ」
「おお」
俺はその後カリューと数回会話を交わすと眠気に負けてテントへと入っていった。
テントの中には陶器の入れ物に灰が詰められた簡易暖炉が用意されている。
この辺の設備もこの大陸に来てから購入したものだ。今まで北方面の大陸には来た事が無かったからなぁ。冬がこんなに厳しいものとは知らなかった。
俺はスヤスヤと死人のように寝ているジェットの隣で眠りについた。
「皆さん、朝ですぞー!」
ジェットの声で目が覚める。ジェットは最後の見張り当番なので、ついでに朝食を作ってくれる事が多い。
今朝もテントを出ると中央の焚き火ではスープがグツグツと煮えていた。
「ジェット風キムチスープですじゃ」
ジェットは朝から良い笑顔で自信作のスープを指差した。……ジェット風って何風だよ! という突っ込みは早朝なので元気が無くて出来ない。
俺達は各々ダルそうな顔をしながらジェットの作ってくれたスープで朝食を済ませた。
身体が物凄く熱くなったぞ。凄い効果だ。
「んじゃ! 出発するぞ!」
ジェットが作ったスープのお陰で元気になったカリューが叫んだ。俺達は号令の元、精力的に準備を進めて日が昇る頃には野営地を出発した。
「モンスターが後方から近づいてきてるな」
出発してすぐに俺は後方から近づいてくるモンスターの気配を察知した。
「まだ少し遠いね」
クリアの台詞の通り確かにまだ遠いのだが、放っておくのは危険そうだ。体長は四メートル位はありそうな大型モンスターだからだ。
「馬車を止めて迎え撃つか?」
戦闘大好きカリューが言ったが、危険過ぎるという事で作戦担当の秋留に速攻で却下された。
「荒れ狂う空を縦横無尽に闊歩する雷帝ヴォルトよ、汝の力を大地の民に知らしめ、全ての者に滅びの恐怖を……スプラッシュサンダー!」
秋留が呪文を発動したと同時に、モンスターの上空に発生した真っ黒な雲から雷が落ちた。
「ぎゃおおおおおおん」
モンスターの断末魔。
そして大爆発。
「え?」
馬車が大きく揺れた。ジェットが必死に手綱を捌いて馬車を操る。
「……」
暫く馬車が進んだ頃にようやく爆発が収まった。
「あの魔法ってモンスターを爆発させるんだっけか?」
「そんな効果はないわ」
という事はあのモンスターは死と同時に爆発するような特徴を持っていたのだろうか。
「気をつけないといけませんな。世の中には危険なモンスターが沢山いますぞ!」
「特に馬車を止めて迎え撃とうなんていうのは言語道断だよな」
「うるせえ!」
カリューが俺の頭をポカリと叩く。
「それにしても……ジェットはよく全大陸を冒険出来たよな」
俺がボソリと呟く。
「ふぉっふぉっふぉ。今と同じですじゃ。良い仲間に恵まれたんですじゃ〜」
そう言って遠い目をしている。
ジェットの過去のパーティーか。一体どういうパーティーだったのだろう。そもそもジェットの若い頃はどんな感じだったのだろうか。
「奴ら、今頃は何をしているんじゃろうなぁ」
……何も言うのはよそう。
「見えてきたぞ!」
遠くに大木が見えてきた。この辺りは大岩や小高い丘が多いために大木に気付くのが遅かったが……。これは相当なデカさだぞ。
「この木……ワシも見た記憶がありますぞ!」
どうやらジェットはこの場所に来た事があるらしい。何年前の記憶だろう。
「……心なしか少し暖かくなったんじゃないか?」
カリューが呟いた。
確かに今までよりは寒さが和らいだように思える。あの大木のお陰だろうか?
「キキッキイイイイィィィィ!」
大気を揺らして突然モンスターの叫び声が辺りに響いた。まるで俺達を威嚇しているかのようだ。
「もしかして霊獣親子のどっちかかな?」
秋留が心配そうに辺りを見渡している。獣の叫び声は前方の大木の方から聞こえてきたものだ。俺は御者席のジェットの隣に座って前方を確認した。
「大気が……赤い?」
遠くに生える巨大な木が赤い霧に阻まれて鮮明に観察する事が出来なくなってきた。しかも辺りの温度は巨木に近づく程に確実に上がっている。今では厚手のコートが必要なくなるまでに暖かくなってきていた。
「危険そうだね。そろそろ馬車を降りた方が良いかも」
頭脳担当の秋留の意見に俺達は馬車を降りて徒歩用の装備に切り替えた。念のため防寒着はいつも通り厚手の物を装備していく。
「銀星、留守番頼んだぞ」
「ヒヒーン!」
ジェットが銀星の頭を撫でている。いくらエロ馬でも本当のご主人様は分かっているようだ。
「準備は良いな?」
前回、蜂モンスターの大群にやられてからは一人で突っ走ることはしなくなったようだ。
……クリアのお叱りが効いたのかも知れないが。
俺を先頭にしてパーティーのメンバーは大木を目指して進み始めた。ちなみに索敵が得意な俺が先頭、魔法の援護が可能な秋留、金魚のフンのクリアと下僕その一とその二、その隣にジェット、殿を勤めるのはカリューだ。
「あ、暑いな……」
俺は首元のマフラーを肩にかけるように外した。大木が大分近くに見える所まで近づいて来ている。今では真夏のような暑さを感じるまでになってしまった。
一年を通して寒いはずのアステカ大陸だが、この辺は常に暑い空気に触れているせいか、地面の植物も色とりどりなものが多い。
「キイイィッ!」
雄叫びと共に突然遠くから人間大の岩が放り投げられた。俺は両手に構えたネカーとネマーを乱射して岩を砕く。
パーティー全員が一斉に戦闘体勢に入る。
「五十メートル位先から放り投げてるみたいだぞ!」
俺達は大木の中央目指して走り始めた。
その間大岩や普通サイズの地面から引っこ抜いたばかりの新鮮な木が、空から際限なく降ってくる。それを俺が銃で打ち砕いたり、カリューが剣で切り裂いたりしながら攻撃地点を目指す。
「ウウウウウ……」
まるで火山口にいるかのように辺りは真っ赤になっているがその中心に身長三メートルはありそうな獣が俺達の事を威嚇していた。
いや、実際の身長は二メートル位に違いない。全身を真っ赤な炎で覆っているために大きく見えるのだろう。
炎に包まれた本体は猿のように見える。
「え〜っと……マッハの言っていた霊獣親子のどっちかかなぁ?」
あまりの暑さに秋留の顔からも大粒の汗が垂れている。頭も朦朧としているようだ。
「マ、マッハ……お前ら、マッハに何をしたぁあああ!」
『喋った!』
マッハに引き続き突然喋った事に少し驚いたが、それどころでは無かった。
火炎猿の叫びで開かれた口が何かを放出するかのように俺達の方に向けられている。
「避けろ!」
叫ぶまでもなく、冒険者の中では中堅レベルである他のメンバーは目の前の火炎猿の行動で危険を察知してその場を離れる。クリアとシープットはジェットが両脇に抱えてその場を離脱した。
その一瞬後に俺達の立っていた場所に火炎猿の吐いた火球が炸裂した。
猿の放った火球はどういう仕組みか地面の草花などを焼かずに辺りに四散する。そういえば火炎猿の全身は激しく燃えているのに両足の下の草花も無事なようだ。
「キイイイイッ」
火炎猿がジェットに飛び掛る。
「ぬううう!」
何とか炎の拳を避けたジェットだったがその身体が一気に燃え上がった。
……やっぱり良く燃える。
俺は雑念を速攻で捨ててネカーとネマーで火炎猿の足元を狙った。そう、傷付けに来た訳では無いのだ。
しかし火炎猿の身体に届く前に硬貨が燃え尽きてしまった。
「ちっ、普通の硬貨じゃ熱に弱いか!」
火炎猿が俺の方を睨み付ける。
ヤバイッ!
俺は火炎猿の飛び出す瞬間、脚の運びなどに意識を集中して、距離を大きく保つように回避行動を取った。
「うあっ!」
何とか火炎猿の突進の直撃は避けたが、攻撃に一番近かった左足が燃え上がった。
俺は咄嗟にコートを脱ぎ去り左足の炎を叩いて消した。しかしこの足ではもう素早い動きは出来そうにない。
「ウキャアアアア!」
「え?」
火炎猿の口から俺に向かって今にも火球が飛び出してきそうだ。
だ、駄目だ! この足じゃ避けられない!
『ブレイブ!』
残りのメンバーが叫んだ。
俺の視界には火炎猿が放った火球がスローモーションのように近づいてきているのが見えた。
「ブレイブ〜!」
秋留の二回目の叫び声が聞こえる。
俺は自分の身体を包み込む炎の中から薄っすらと秋留の姿を確認した。
まだ生きている。
咄嗟に脱いでいたコートで火球を防いだのだ。身体のあちこちは重度の火傷を負ってしまったようだが、このコートのお陰で何とか即死は免れたようだ。このコートを売ってくれた怪しい男に感謝しないとな。
俺はコートを振り回して身体にまとわり付いた炎を吹き飛ばした。
「カリュー、少しで良いから時間稼いで! でも相手を傷付けちゃ駄目だよ!」
火傷によりその場に倒れ込んだ俺の元に秋留が駆け寄ってきて片膝を付く。
「この者の中を流れる生命力を司る精霊よ……」
秋留は数種類の魔法系職業に就いた事があるのだが、回復魔法が得意な司祭の素質は無いらしい。今唱え始めた魔法は攻撃魔法主体のラーズ魔法のうち、数少ない傷を癒す事が可能な……。
「その力を集結させ傷を癒したまえ、ライフスパイラル!」
俺の身体から痛みが引いていくと同時に体力がドッと吸い取られた感じがする。
ライフスパイラルは身体に残っている生命力を傷の治療に回す手荒な魔法だ。お陰で俺は指一本動かす事が出来なくなってしまった。
「ちっ! 傷付けずに時間稼ぎなんてっ!」
カリューが火炎猿の前をチョロチョロとしている。避ける事に全神経を注いでいるようだが、少しでも近づかれる度に火傷を負っているようだ。
「こらっ!」
俺の回復を終えた秋留がその場にスクッと立ち上がった叫んだ。
目の前で戦っていた火炎猿が思わずビクッとする。
「何で攻撃してくるのよ! 私達はマッハから炎燐と煉蘭の様子を見てきて欲しいって頼まれただけよ!」
お、秋留にしてはよく火炎猿親子の名前を覚えていたな。
……手のひらを見ている。どうやら火炎猿親子の名前を忘れないように手のひらにペンで書いていたようだ。
「キッキー! 人間なんて信用出来ないぃぃぃぃいいい!」
火炎猿が右手を地面に付きたてて、土の塊を秋留に投げつけた。
「! 避けろ! 秋留!」
秋留は飛んできた土の塊を全く避けもせず、頭にダメージを負ってしまった。額から血が吹き出たが全く気にする素振りをみせない。
秋留は何をやっているんだ!
俺は地面に身体を横たえながらもネカーとネマーを構えて火炎猿を攻撃しようとした。
「駄目ッ!」
「? 何でだ! ちょっとでも反撃しないと!」
秋留が俺の事を睨み付ける。
……何か考えがあるに違いない。ここは秋留に任せるしかないな。
「私は何もしないわ。信じて……」
火炎猿に秋留は優しく語り掛ける。
「うっききぃぃぃいい! うるさああああい!」
再び火炎猿が土の塊を秋留に投げつける。今度は秋留の左足にぶち当たった。
「うっ」
秋留が地面に膝をついた。
「うきうっききききき! 反撃して来い! 人間なんて皆ブチ殺してやるぅうう!」
苦しそうなうめき声を挙げながら秋留が火炎猿の方に顔を向ける。
その顔には一方的に攻撃してきている火炎猿への怒りは全く無い。
ああ、慈愛の天使秋留……。
どうしてそんな優しい顔が出来るんだ。その顔、俺にもしてくれないか?
「う……うきき……」
心なしか火炎猿の纏っていた炎が小さくなってきたようだ。あの炎は感情を表しているのだろうか?
「様子を見に来ただけだから……大丈夫なら良いんだ。もう帰るからさ」
痛む足を庇いながら秋留が何とか立ち上がった。
そして俺達の方を向く。
「帰ろう。後ろで暑さでバテてているクリアと紅蓮とシープットのためにも」
あ、存在忘れていたぞ。
俺は顔を反対側に向けた。確かに大きめの岩の陰でバテている二人と一匹が見えた。
「ま、待って!」
火炎猿が言った。その身体からは炎はほとんど放出されていない。
しかし辺りの気温はそれ程下がっていないようだ。
「マッハ様と出会ったのでしょう? 貴方は召喚士では無いのですか?」
今までとは違って随分と喋り方も落ち着いたものだ。
同一人物? とは思えない。
「幻想士だけど召喚魔法も使えるんだけど……。マッハも呼び出せるわよ?」
そう言うと目の前の火炎猿は大きな目をキラキラとして喜び出した。
「うきゃきゃきゃきゃ! 呼んで! 呼んで!」
うう!
喜び過ぎて火炎猿を包む炎がまた勢いを増したようだ。もう少しの辛抱だ。
そしたらこの心身ともにホットな猿ともオサラバ出来る。
「不可視な超人マッハよ、我が前にその姿を現せ!」
呪文の詠唱が終わると秋留の目の前の空間が歪んで、昨日出会ったばかりのマッハが姿を現した。
「……お? れ、煉蘭殿ではないですか……」
マッハが少しビビッているのが分かった。
そして煉蘭と呼ばれた火炎猿がマッハに抱きつく。
「マッハ様ぁ! 会いたかったよ〜!」
「うおおおおおおお! 暑い! 煉蘭! それは勘弁してくれ〜!」
マッハは叫ぶと同時にその場から姿を消してしまった。
高速で移動したのだろうか。
「マッハ? マッハどこぉぉ!」
煉蘭が辺りをキョロキョロとしている。見つけ次第殺してしまいそうな剣幕に見える。
「召喚魔法だから……あんまり長い間呼び出しておく事は出来ないの。ごめんなさい」
秋留が申し訳無さそうに言っている。
もしかしたらもう少し長く呼び出せるのかもしれないが、マッハの事を心配して返した可能性が大きい。
「……少しの間だけど安心した。まだお互い無事だったんだ……」
煉蘭は安心したのか、その場にドスンと腰を下ろした。
「無事? じゃあ貴方の所にも赤い制服の男達が?」
秋留が言うと煉蘭の纏う炎が大きく膨れ上がった。
「キキッキイイイイィィイ! やっぱりお前たちもぉぉぉぉおお!」
俺達は咄嗟に煉蘭から離れた。こいつの情緒不安定な所はどうにかならないのか!
「煉蘭や……」
巨木の方から近づいてきていた別の火炎猿が優しい声で問いかけた。煉蘭よりは一回り大きいように見える。……という事は目の前の煉蘭の親である炎燐か?
「お母さん! 動いちゃ駄目だって言ったのに!」
煉蘭は怒鳴りながら親の方へ慌てて走っていってしまった。
暫くすると煉蘭に付き添われるようにして大きな火炎猿が俺達の前まで進んできた。親の方は身体が不自由なのだろうか。全身から発せられる炎もどこか弱々しい。
「煉蘭がご迷惑をおかけしました……」
「取り乱してごめんなさい」
親子揃って俺達の方に頭を下げている。
「マッハ様と契約なさったのなら、悪い人達では無いのでしょう?」
隙の無い鋭い目つきで親、母親だろう、が俺達の姿を観察している。娘と思われる煉蘭とは性格が正反対なようだ。
ちなみにマッハを霊獣として操っていた魔法剣士は良い奴とは言えなかったが……。あいつは元々悪い妖精 のせいで道を踏み外してしまっただけだからかな。
「マッハが心配していたので様子を見に来たのですが……体調を崩しているのですか?」
心配そうに秋留が炎燐の身体を確かめている。炎が弱い事に秋留も気付いたのだろう。
「……赤い制服の人間達に捕まりかけて……」
そう言って炎燐が俺達に背中を見せる。その背中には大きな刀傷が付けられていた。
『酷いっ!』
秋留とクリアが同時に叫んだ。
「同じ人間として恥ずかしいぜ……」
悪を嫌うカリューは目に炎を浮かべて拳を握り締めている。あんまり興奮すると獣になるぞ。
「ピシッ」
「パシッ」
赤い制服の奴ら、ユスティム研究所は亡霊カップルにまで罵られているようだ。
「俺達は捕まっている霊獣達を解放する! 奴らの施設も破壊する!」
勿論正義感たっぷりに言ったのはカリューだ。
「……」
炎燐と煉蘭が俺達の事を見つめて黙り込んでしまった。急にどうしたのだろう。
「貴方達の強さは煉蘭との戦闘で見させて頂きましたが……危険過ぎます」
『!』
決して自分達の力を過信している訳ではないのだが……ユスティム研究所の奴らはそんなに強いのだろうか?でも、マッハをさらおうとした赤制服の奴らは俺達の、いや主にカリューの力で追い返したけどなぁ。
「赤い制服の男達の中には特殊な能力を持っている者がいます……」
特殊な能力? 強力な魔法が使える奴がいるという事だろうか?
「奴らは、人間を辞めてしまっています」
……。
…………。
俺達は無言でカリューを見つめてしまった。
「お前ら皆殺しにされたいか?」
カリューがプルプルと両拳を握って怒りを抑えている。
思わず秋留も釣られてカリューを見つめてしまった失態をセキで誤魔化して炎燐に向き直った。
「ゴホンッ。人間を辞めてしまったというのは、例えば獣人化するとか?」
「秋留、その例えは露骨過ぎるだろ!」
カリューのツッコミを無視して秋留は真剣に炎燐と煉蘭を見つめる。その真剣さに火炎猿の親子もカリューが騒いでいるのを無視する事にしたようだ。
「獣人化する人間など聞いた事はありません。奴らはもっと人間らしい姿のまま……」
「獣人化する人間はここにいるぞ!」
カリューが秋留と火炎猿の親子の間に割って入ろうとする。自分の存在を認めてもらいたくてしょうがないようだ。
俺は黙ってカリューをその場から引きずり出した。
これ以上、話の邪魔をすると内容が理解出来なくなる。
「続けて下さい」
俺は睡眠薬も兼ねている獣人化抑制用の針を突き刺して大人しくなったカリューをロープでグルグル巻きにしながら先を促した。
「奴らは人間と他種族との合成を行っています」
「なっ!」
炎燐の台詞に大声を上げたのはジェットだった。穏便な方のジェットは突然立ち上がり今にも爆発してしまいそうな形相で炎燐を睨み付けた。
「ワシら人間は己でバサク種を作っていると言う事か!」
バサク種という言葉を知っている者、俺や秋留はその叫びに思わずドキリとした。勿論、スヤスヤと眠っているカリューもバサク種については当然知っている事だろう。
冒険者になって最初にブチ当たる大きな壁……それがバサク種と言われるモンスターだ。いや、モンスターと言うのもはばかれる。
……バサク種とは魔族に改造された人間を指す。
魔族は襲った村などから活きの良い人間を攫い、モンスターとして改造してしまう事があるのだ。
魔族は人間を食らう。
その時、抵抗の激しい人間や味の悪い人間はバサク種に改造されると言われている。
そのバサク種の外見はまだ人間としての面影を残し、バサク種によっては人語がそのまま残っている場合もあると言う。
「……これは大事になって来ましたな」
「……」
さすがの秋留も苦悶の表情を浮かべて言葉が出なくなっている。
「これは俺達冒険者だけじゃ解決出来ないな。治安維持協会の協力が必要じゃないのか?」
対モンスターや魔族を相手にしている組織が、魔族討伐組合。
対人間を相手にしている組織が、治安維持協会と一般的には相場が決まっているのだ。
それに、このままユスティム研究所に攻め入ったのでは、何も見返りが期待出来ない。一番簡単に金を稼ぐには冒険者組合からのクエストとして仕事を行う事なのだが……。
「とりあえず、ユスティム研究所の場所も分からないし、アームステルに戻って情報収集しよう」
秋留の言う通り、色々悩んでも解決はしそうにない。
アームステルの魔族討伐組合に行けば、ユスティム研究所に関するクエストが見つかるかもしれないしな。
「……そうですね。他の人間達と協力すればあるいは……」
そうだった。
俺達の力だけではユスティム研究所の奴らには勝てないと炎燐に言われていたのだった。
「なぁ? 単なるバサク種のようなものじゃないのか?」
俺の質問に炎燐が黙り込む。
「ブレイブ、何で奴らが霊獣をターゲットにしているか分からないの?」
炎燐の変わりに秋留が答える。
なぜ、霊獣を捕まえようとしているか? バサク種のような奴を作るためじゃないのか?
「そうか! バサク種とはモンスターと人間の合成や、魔族の遺伝子が組み込まれた人間を指す……、奴らは霊獣との合成を狙っているのか!」
霊獣は一般的に強大な力を秘めている場合が多い。その霊獣の力を人間が得る事が出来れば……。出来れば?
「奴らは何を目的に、人間と霊獣の合成など行っているんだ?」
「……対魔族への力とするためじゃないかなぁ」
秋留が言った。やはりそうなのだろうか。
しかし……。
「魔族に勝つために魔族と同じ事をするなぞ! 愚行にも程がありますぞ!」
再びジェットが叫んだ。
そうだ。
一刻も早くこんな事は止めさせなくてはならない。いくら金が大事だからと言って俺にも善い事と悪い事の違いは十分に分かっている。
俺達は火炎猿親子に別れを告げると、元気を取り戻したクリアとシープット、それに未だに寝ているカリューを引きずりながら馬車の元に戻り始めた。
「もう一回、マッハ様を呼べない?」
すっかり秋留に懐いた煉蘭が俺達の隣を歩いている。今は気持ちが落ち着いているせいか、傍に煉蘭が居ても少し暑い位で済んでいる。
逆にこの寒さから俺達の事を守ってくれていた。
「う〜ん、魔力があんまり回復してないから、ちょっと無理かなぁ……」
嘘だろうな。
秋留の強大な魔力があればマッハの十人や二十人なら簡単に召喚出来るだろう。まぁ、あの暑苦しいヒーロー猿が十人も二十人も居たら相当にウザいだろうが。
「……秋留さん、私のこの力、是非役立てて下さい」
そう言った煉蘭の身体から光が秋留の中へと入っていった。
これで秋留はマッハと煉蘭を召喚出来るようになったという事か。戦力的には大幅なアップが出来たと言って良いだろう。
「ありがとう、煉蘭」
暫く進み、俺達は馬車の元へと帰ってきた。
「う、う〜ん」
カリューの事を縛ったロープがブチブチといいながら千切れた。一応、モンスター捕獲用に購入した鉄線入りのロープだったんだけどな。
ま、カリューはある意味、モンスター以上だしな。
「よく寝たぜぇ! ってブレイブ! 俺に何かしただろ!」
「話を進める上でしょうがなかったんだ」
俺の即答にカリューが思わず言葉を呑む。自分でもしつこかったと思ったのだろう。
「皆さん、出発しますぞ。少しでも早く奴らを止めないと、罪の無い霊獣が襲われる危険が増しますしな!」
ジェットが既に御者席に座って手綱を握っている。
「カリュー! ブレイブと遊んでなくて良いから早く馬車に乗って!」
クリアの叫びにカリューが勢い良く馬車に飛び乗る。
「ぷぷっ」
笑いをかみ殺した俺の顔をカリューが睨み付ける。俺はそれをシカトして同じく馬車へと飛び乗った。
「それでは、皆さん、お気をつけて〜」
進みだした馬車を手を振って煉蘭が見送る。クァン平原の終わりまで見送りたかったようなのだが、あまり母親である炎燐を一人にしておくのは危険だ、という秋留の意見を煉蘭は素直に聞き入れた。
「必ず、こんな事は止めさせる……」
寂しそうな煉蘭の姿を見ながら秋留が呟く。
煉蘭と別れた俺達の馬車を囲む空気が一気に寒くなってきた。ユスティム研究所……必ず奴らの組織を壊滅させて、たんまりと金を稼がせてもらおうぞ!
俺は身体からの熱気が逃げないようにコートの襟元を閉めると、揺れる馬車の上で眠りについた。