後編
「人間に接触したんだな。お前は注意深い奴
だと思っていたが、油断したな。」
「油断か・・。」
俺はアノンにそっけなく答える。自分が見つかるはずがないと慢心していた。
「それでもまた行くんだな。忠告は最初からしている。もうこれ以上は言わない。言う時は最後だ。」
アノンはいつになく真剣な顔だ。オレはそれでも一度会っただけの男の顔を思い浮かべる。会えるのか、会えないのかもわからないまま。
「よっ!」
男は立っていた。
「お前まさか、ここにずっといた訳じゃないよな?」
「まさか、偶然、偶然。」
やけにさわやかな笑顔だ。本当に偶然か勘繰るがまあ気にしない事にした。
「釣りしないか?」
「釣り?」
「もしかして知らないのか?」
「知ってるさ。」
川や海で人間達が竿に糸を垂らし針に餌をつけて、魚が釣れるまで待っている作業だ。何が楽しいのかいまいち分からない。それを2人でやって何が楽しいのか。
「あ、楽しくないとか思ってるだろ?」
無表情なオレに対してよく分かるな。
「いいから、いいから。これをこうしてさあ。」
すでに用意してある道具を淡々と組み立て餌を針に刺しオレに手渡してくる。
「どうぞ。」
「川に糸を投げて待てばいいんだろ?」
「そう。」
岩に腰掛け隣で並びながら魚がかかるのを待つ。
「無駄な時間だ。」
オレはこれのどこが楽しいのか見出せない。
「無駄な時間なんてないよ。これも楽しい時間だ。釣れるか釣れないかのハラハラドキドキ時間。」
無駄じゃないのか、こんなの。人間なんて短い命なのに、他にやる事あるんじゃないのか。むしろオレに会ってる時間なんて特に。
「生きてる中で無駄な時間なんてないよ。一生懸命みんな生きてる。」
見透かされた様だった。クラルテはまだ会って2回目なのに、こんなに気になる。
「あ、引いてる!」
オレの竿が大きく揺れている。力を込めて引く。
バシャバシャ
「きっと大物だ!ほらヴェント頑張れ!」
グイッ!
糸が水しぶきと共に宙を舞う。引き揚げた先に大きな魚がいた。
「すごいな!大きいぞ。これで今夜のご飯ができたな。」
「オレは食べないからやるよ。」
「くれるのか、ありがたい。」
その後オレは全く釣れなかった。クラルテは一匹も釣れずにうな垂れていた。
無駄な作業かと思ってた釣りに夢中になってしまった。楽しい時間確かにそうだったかもしれない。
「もう帰る。」
「そうか。じゃあまたな。今日はありがとな、魚。」
「ああ。」
不確定な約束。
そんな感じでクラルテと会ったり会わなかったり、時が過ぎていた。アノンは本当に何も言ってこなかった。だがやはりリミットは近づいていた。
「ヴェント、我が君が流石に黙っていられなくなったようだ。今会ってる人間に情が移り過ぎている。今回で最後にしろと。」
「そうか。今回で、ね。」
「いいか。これが最後の忠告だ。」
その言葉を受けてオレは今日会えなければこれで最後にしようと思った。人間界に行く事もなく、また長いつまらない化け物作りの時間に戻ろうと。
だが、やはり無理だった。
「どうした?今日は元気がないようだ。」
「そんな事はない。」
よく分かるんだな。表情があまり出ない顔なのに。感情も乏しいのに。
「明日オレはこの国から出る。」
クラルテの表情が一瞬硬くなったかと思ったらまたいつもの笑顔に戻り、ため息交じりでこちらを見た。
「急だよなぁ。俺はちゃんとお前を笑わせれなかった。負けかな。」
負けじゃない楽しかったんだ。
「クラルテ、最後にお前の家に案内してくれないか?」
クラルテは驚いた顔をした。そうだよな、今まで誘われてもいかなかったし、こちらの事情も一切聞かなかったしな。
「ああ、急だが最後だからおもてなしするよ。」
森の一角にあるこじんまりした家。ここに一人で住んでいたのか。
「任されていたんだ、ここの森の見張りを。
化け物との戦いの前線には出なくてよかったからな、楽してる様なもんだ。」
確かに前線に出てなかった。それは確認していた。クラルテが心配だったから。
「何か簡単な物でも作るよ。」
時間がもったいない。二人で入れる時間がもうない。思いだけでも伝えておきたい。
「クラルテ、オレは・・。」
言いかけた時、急に腕を引っ張られて胸に抱かれていた。
「言わせてよ、俺から。初めて見た時から男だと分かっているのにこの感情がおかしいのかもしれないとおもいながら悩んでた。きっとこれが恋なのだと。」
オレは見上げた。恋、この感情が恋。苦しい胸の内を言おうと思った、別れる前にせめてこの感情が何か知りたかったから。
「好きだ。」
オレはもはやとめられない湧き上がる思いをとめられなかった。これが感情。人間と一緒の。嬉しい、嬉しい。
「オレも好き。」
目から何か出てくる、これが涙。信じられない、我が君に創られたオレが人間みたいに。
自然にお互いの唇を合わせ、ベットになだれ込む。肌を見せるのはとても恥ずかしかったが、相手の熱が伝わって心地良い。こんなに幸せな時間があるなんて思わなかった。長い間生きてきて何一つ楽しくなかった、クラルテと会って楽しかった。たった短い時間だったけど、きっと忘れない。
「また、この国に帰って来てくれるよな。」
「約束はできない。でもこの幸せな時間は決して忘れない。ありがとう、オレを好きになってくれて。」
今彼の目に映っている自分、これがきっと笑顔だ。
「あ、笑ってくれた。俺の勝ちかな。」
クラルテも笑顔で答えてくれた。二人ベットで抱き合いながら笑い合う。
もう時間だ。寝ているクラルテの頬にキスをした。
「愛してる。」
この顔を忘れない。温もりを忘れない。
オレのたった一人の愛しい人。
「戻ったか。ヴェント。人間と体を重ね、感情を持った。我が君はお怒りだ。」
「覚悟は出来ている。この幸せな思いの内に消されるなら本望だ。」
「俺はお前の事を気に入っていたのに。残念だ。この手で消す羽目になるとは。」
「そうか、お前が今まで違反した仲間を消していたんだな。だから、消されるのを見てきたって言ってたんだな。」
「ヴェント本当に残念だ。」
「いいよ、オレは幸せだ。ごめん辛い事させてアノン。」
アノンが手をオレにかざす、オレは目を閉じた、体が消えていく感覚になる。
「俺は・・私はこんな事したくないのに・・でも・・お前はなにものでもないもの・・」
何かアノンが言っているがもう聞き取れない。でもこんな晴れ晴れした気持ちで消えれるなら、この先長く生きているより幸せだ。きっと先にクラルテは死んでしまう。オレは同じ姿で結局悲しい思いをし絶望の中で長い間生きていくよりは・・・。
クラルテ・・
風が吹いた。呼ばれた気がした、ヴェントに。朝起きたら彼はすでにいなかった。ベットに温もりだけ残して。ここに来てももう会えないのに。ただまた会える気だけはしていた。確信はない。
「この国に戻ってこいよ。」
答えたかの様にさっきより強い風が吹く。クラルテはただそこに立ち尽くした。
End