完全複写マシン
ここは大きな町にデンと構えるとある研究所。
目つきの鋭い中年の男が訪れる場面からその物語は始まる。
「連絡したSです」
「S様ですね? 中へどうぞ」
インターホンでのやり取りを終えるが同時、自動で研究所の門が開く。
そこを通り抜けたS氏が五分ほど道に沿って進むと、ようやく研究所の扉が見えて来た。
「やたらと広い場所にあるのですなぁ」
「近隣住民への苦情対策です。無駄に広くて申し訳ありませんね」
応接間に通されたS氏に応対するのは、研究所の所長である。
立派な髭を蓄えてはいるが、老人と呼ぶほどの年齢ではない。自分より少し上くらいか? S氏は彼にそんな印象を持った。
「早速本題に入らせて頂きますが、こちらの研究所に『完全複写マシン』があると聞いて参上致しました。それは事実ですかな?」
「ええ。ございますよ」
鋭い目つきを更に鋭くしたS氏の問いに、所長は実に呆気無く肯定する。
それに少しの驚きを感じつつも、S氏は話を先へと進ませた。
「それはどういったマシンなのですか? 私が聞いた話では、とても素晴らしいものだとか……」
「素晴らしいかどうかはともかく、その性能には自信があります。ではこちらへ」
所長に案内されるがままS氏が訪れたのは、大きな機械が置かれた広い一室。
「これが完全複写マシンです」
「ほぉ……コレが? 何やら病院のCTスキャナーを連想させますね」
「そう言って頂けると有り難い。ある研究員は死体安置所みたい……なんて感想を洩らしましたので」
「ああ……」
大きな機械には二つの穴が開いており、それぞれから長い台座が伸びている。
確かにそれは死体安置所のように見えなくもない。
「問題なのは見た目ではなく性能です。どういったマシンなのか、所長である貴方の口からお聞きしたいのですが。構いませんか?」
「ええ勿論。完全複写マシン――まあ名前の通り、複写をするマシンですな。右の穴に入れた物を、左に入れた物と同じように作り変えるマシンです。例えば、左に林檎を入れて、右に梨を入れる。すると、梨が林檎に変わる。というワケですな」
「それは素晴らしい!」
S氏が知人から聞いた通りの性能である。
褒められた所長は機嫌を良くし、饒舌に説明を続けた。
「このマシンの自慢な部分はですな、複写加減を調整出来るというコトです」
「ほぅ!」
その性能こそ、S氏がこの場へ赴いた最大の理由であった。
彼は高鳴る胸を必死に押さえながら、所長の説明に耳を傾ける。
「先程の例えで言いますと……。外見は林檎、中身は梨。といった新しい果物を作り出す事も可能なのです」
「その言葉を待っていました! 金なら幾らでも出すので、このマシンを使用させて頂きたい!!」
身をズイッと所長に寄せ、S氏は興奮した声を出す。
「え、ええ。資金を出して頂けるなら、使用するのは構いませんが……」
「ありがとうございます!」
あまりの勢いに、所長は体を引きつつも首を縦に振る。
そして次に誰でもそうするように、彼はS氏に質問をした。
「いったい貴方は……、何を複写するつもりなのですかな?」
「それは――――――」
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それから数日後。
研究所の同じ場所には、三人の男の姿があった。
「こちらがそうです」
部屋へと案内したのは所長。
「凄いだろう?」
自分の作った物でもないのに、鼻を高くするS氏。
「ほほぅ。コレは凄いな!」
そう零したのは、初めて見る顔。
温厚そうな表情をしている、身なりの良い紳士である。
「最新式のCTスキャナーで、あっという間に体の悪い部分が判明する。何処に癌があるのかも簡単に見つかる優れものだよ」
S氏は喜色満面で装置について語るが、このマシンの性能を忘れてしまったワケではない。勿論これが完全複写マシンである事を理解した上で、紳士に嘘の説明をしているのだ。
「そんな物を無料で使わせてくれるのかい? いやぁ、君は本当に良い友人だ!」
「では、Nさんでしたかな? 下着姿でこの台の上に仰向けに寝て下さい」
それが嘘である事など露知らず、S氏の友人のN氏は無邪気に喜んだ。
その姿に若干の罪悪感を感じながら、所長は彼を完全複写マシンの上へと誘導する。
「ええ。よろしくお願い致します!」
所長がN氏を誘導したのは、マシンの左の台の上。
つまりは、コピー元の方である。
「ん? 君は検査をしないのかい?」
「試作品なので一日に一度しか使用出来ないらしい。僕は後日やる事にするよ」
「私に先を譲ってくれるのかい? 何だか悪いなぁ」
N氏は申し訳なさそうに頬を掻いた。
「構わないよ。今晩飲みに付き合ってくれればな」
「そんな事ならお安い御用さ!」
会話をそこで切り上げ、所長とS氏は透明なガラス板に遮られた場所へと移動する。少し離れたその場所の機械で、完全複写マシンは操作できるのである。
「所長。ご協力感謝します。最後の確認ですが、データを保存してしまえば、いつでも私は彼になる事が出来るのですよね?」
「ええ。今回Nさんの細胞データを一つ残さず記録させて頂きますので、いつでも彼の姿になる事は可能です」
「分かりました。では始めて下さい」
S氏の言葉に後押しされた所長が機械の操作をすると、N氏の体はゆっくりとマシンの中へと吸い込まれていく。そして、時間にして数分後。N氏の体が戻って来る。
「あっと言う間だったね。所長さん。これで本当に体の中身が分かるんですか?」
「勿論だとも。しかし所長さんは今から人と会う予定らしい。説明は明日以降になるが構わないかい?」
「そういう事なら仕方が無いな。また後日来所する事にしよう」
S氏が所長の代わりに嘘の説明をするが、N氏は全く疑う姿勢を見せない。
そして二人はそのまま研究所を後にした。
事件が起きたのは、その夜の事である。
「いやぁ~。今日は本当にありがとう。君のお陰でまだまだ長生き出来そうだよ」
「それは良かった」
S氏の自宅に招かれたN氏は、酒を酌み交わしながら今日の出来事について語っていた。満面の笑みを浮かべるN氏とは違い、S氏の目の鋭さは増すばかり。そんな彼はタイミングを見計らって、ふとこんな疑問をN氏に投げ掛ける。
「君は最初あのマシンが何に見えた?」
「唐突な質問だなぁ。しかし本当の事を言うと、私にはコインランドリーの乾燥機に見えたよ」
「ははは。脳天気な、実に君らしい答えだ」
笑い声を上げるS氏だが、その瞳は全く笑ってはいない。
それに何処か違和感を覚えたN氏は、不思議に思いながらも愛想笑いを返した。
「あれを見た研究所の職員は、死体安置所みたいだと言ったらしいよ」
「……なるほど。そこに入ったのだと考えると、何だかゾッとしないなぁ」
「しかし、僕はあながち間違いでも無いと思うんだ。だって――――」
そこまで言ったS氏は立ち上がり、酒瓶を並べた大きな棚の方へと足を運ぶ。
友人が何を言っているのか理解できないN氏は、首を傾げるばかりだ。しかし彼のそんな疑問は、最悪の形で判明する事となる。
「だって君は――――今日ここで死ぬのだから」
「な、何を!?」
棚からS氏が取り出したのは、小型の拳銃。
いくら脳天気なN氏でも、流石に椅子から飛び上がり、震えた声を上げた。
「実は今日君が入った装置は完全複写マシンと言ってね? コピーを取る物なんだ。そしてそのコピー先は――――」
「き、君だと言うのか? なぜ? なぜ君が私になろうだなんて……」
顔色を青くするN氏に銃口を向けながら、S氏は憎々しげに語った。
「君が結婚した女性は、かつて僕が死ぬほど愛した人だったんだよ。僕はずっと復讐のチャンスを窺っていたんだ」
「そんなのただの逆恨みじゃないか!」
「なんとでも言うが良い。金も名誉も手に入れた僕が持っていないのは愛だけ……。僕はこれから君として生きるのだ」
「や、やめ…………!?」
その夜。
S氏の邸宅で一発の銃声が響いた。
そして次の日。
研究所に訪れたS氏は所長に願い出て、遂に容姿をN氏と全く同じにしてしまう。
鋭かった目つきは、今では影も形もない。
「本当に大丈夫なのですかな? 同じになったのは外見だけですので、誰かにバレると混乱を招きます。悪戯程度なら構いませんが、悪用は止めて下さいよ?」
「ええ、勿論ですとも。それでは、いずれまた」
N氏の外見になったS氏は、喜色満面で研究所を去って行く。
残された所長は、彼が犯罪に手を染めない事を切に願いながら、彼を見送る事しか出来ないでいた。
それから数日が経過したある日のこと。
研究所に駆け込む一人の男性の姿があった。
「所長! 頼みがある!!」
「おや? Nさんですかな?」
「違う! Sだ! 助けてくれ!!」
「いったい、どうなされたので?」
N氏の姿をしたS氏に所長が何があったのか問い掛けると、彼は息も絶え絶えに事情を説明した。
「Nの奥さんにバレそうなんだ! どうやら癖が違うらしい!! なんとかしてくれ!!」
「彼の奥様に会われたのですか!? そしてこれからも会うと? いったい貴方は何を――――」
「あ、あいつが蒸発したんで、ちょっと代わりを務めているだけだ! そんな事よりなんとかしてくれ!! 金なら払う!!」
「はぁ……。仕方ありませんなぁ。では彼の癖に関する記憶を貴方の脳に移す事になりますが、構いませんか? 逆に貴方の癖に関する記憶は無くなります」
「構わない! 早くやってくれ!!」
S氏の真剣な願いに、所長も折れざるを得ない。
またもS氏に複写処理を施す。
「いやぁ、助かったよ所長。また何かあった時は頼む」
「あまり無茶はされなさんな」
そう言って申し訳なさそうに頬を掻いたS氏に、所長はため息を吐きながら忠告するが、彼の耳には届いていないようだった。そしてまたも喜色満面で帰るS氏。
そんな彼が再び訪れたのは三日後の事だった。
「所長! 助けてくれ!! 付き合い出した頃の記憶で、奥さんにバレそうなんだ!! 何とかしてくれ!!」
「またですか……。では、過去の記憶を書き換えましょう。代わりにその頃の貴方の記憶は無くなります」
三度目の複写処理をS氏に施す所長。
あまり関わりたくないのだが、金払いは悪くない。後の研究の為、と彼は自分に言い聞かせた。
「いやぁ。助かったよ。あいつめ、こんな恋愛をしていたのか。居なくなった後でも迷惑な奴だ」
「あまり無茶はされなさんな」
「分かっているとも。それではまた」
笑いながら帰っていったS氏が最後に訪れたのは、それから二日後の事だった。
「所長! 助けてくれ!!」
「……今度はなんですか?」
うんざりしながら返事をする所長に、S氏は涙目になりながら懇願する。
「何処とは言えないがNとは違う。と奥さんに言われたんだ!! 頼む!! 何とかしてくれ!!」
「なんとか出来なくは無いですが、しかしそれは――――」
「構わない! 何でも良いから!! 誰であれ僕をNだと疑わないようにしてくれ!!」
「…………仕方ありませんな」
もういい加減このやり取りも嫌になった所長は、半ばヤケになって引き受ける。
完全複写マシンの右の穴に入っていくS氏を見届けた後で、所長が勢い良く押したのは『ALL』と書かれているボタンだ。
十分ほど経過して出てきたS氏の顔は喜色満面。
そして、何処かで聞いたような言葉を放った。
「あっと言う間だったね。所長さん。これで本当に体の中身が分かるんですか?」
「ええ。貴方の体は健康そのものでしたよ」
「それは良かった! おや? Sの姿が見えませんが?」
「あの方は用事があるとかで、先に帰られました」
「そうですか。飲みに行く約束をしたんだが……。後で連絡してみるか。所長、今日はありがとうございました!」
帰って行くS氏を見送った後で、所長は見えなくなったその背中へと話し掛ける。
「誰であれ、という事でしたので“貴方自身”ですら気付け無いほどN氏にさせて頂きました」
所長だって馬鹿ではない。
S氏がN氏に何か良からぬ事をして、成り代わろうとしているのには何となく気付いていた。
「もしかしたらNさんは死んでいるのかも……」
ぽつりと呟いた彼だが――
それは果たして真実なのだろうか?
細胞一つ残さずN氏を複写したS氏は、本当にS氏と呼べるのだろうか?
そんな疑問が彼の脳裏をよぎる。
「本当の意味で死んだのは、S氏の方なのかも知れない」
今笑顔で帰って行ったのは、果たしてS氏なのか? それともN氏なのか?
完全複写マシンを作り出した所長にさえ、その答えは出せそうになかった。