言語的知性
ミカの処刑のあとも、僕はただ独りでこの四畳一間の椅子に座り続けていた。
手錠はあの日以来ずっと僕の両手を縛っている。
自由のきかない手は彼女が僕を見続けている証であるのだ。
ミカの処刑の後はとにかく、ただ1日が過ぎるのを繰り返すだけだった。
朝日がさしこみ、昼になり、そして日がおちて暗くなる。
単順なサイクルだった。世界はなんてシンプルな原理で動いているのだろうと思った。
そして日が経つにつれて、僕の意識は次第に言語的な営みを行わなくなっていった。思考や概念のようなものが原始的な感情と直につながっているような、脳みそがなかば溶けてきているような、そんな具合だった。
この混沌とした意識の中に僕がほとんど埋没していた時になって、一人の客が僕の部屋を訪れた。
その人は僕の様子を見ると、優しい、とてものどかな声でこう話しかけてくれた。
「つまらない眼になってしまったのね」
「……」
僕は、黙っていた。
「こんな所で、一人でいて……。独りで手錠なんかして」
その人は僕の手元の方を見ている感じがした。
「申し訳ないけど…、どちら…さん…ですか」
僕には見覚えが無かった。こんな優しそうな人が僕の知り合いなはずはないと思った。僕に優しかったのはミカだけだったんだから。
「私はね…そうね、君のお姉さん。まずはそれで良いわ。君の、お姉さん。」
「僕の…?」
「そうういう事にしましょう。君と私の関係性なんて、ここではどうでもよいことよ。私はあなたを助けに来たんだから。関係性はそれ以上でも、以下でもないの」
「僕を助けに…?不思議なことを言うね。僕は、別に助けなんか、いらないんだよ。大体、助けられるような境地にいやしないんだ。」
「君がどう言おうとも、あるいは、どう思おうとも、私は君を助けるわ。私はそのためにきたんだもの…。ただ、助けるだけ。」
僕はこの女の人が何を言っているのかわからなかった。
僕は下を向いたまま、埃がすっかりかぶってしまったフローリングをただひだすら見ていた。
そうしていると、女の人が僕に近づいてきて、僕の手にかけられた手錠をそっと持ち上げた。つられて僕の両手はだらんとした形で女の人の手に追随していった。
「不思議な手錠ね。手錠なのに、細かなレリーフが掘ってあるわ。なんの花かしら」
「…」
「ねぇ…、この部屋から、出ましょう…。ね?」
女の人の声は、僕の、原始的な、感情に訴えかけてくるものだった。
僕が依然として黙っていると、女の人は僕の耳の近くに口を寄せて、温かい息をもらしながら甘い声でまたいった。
「ここを出ましょう」