黒いサンタクロース
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
どこからか鈴の音が聞こえる。
「黒いサンタクロースはね、赤いコートと赤い帽子じゃなくて、真っ黒なコートと黒い帽子に身を包んでいるの、空っぽの黒い袋を持ってやってくるけど、帰るときは袋ははちきれんばかりに膨らんでいるの。その中から子供達の声が聞こえるの。お母さんの言う事を聞かない悪い子は黒いサンタが連れていってしまうのよ」
今日はクリスマスイブ。六畳の和室の布団にくるまりながら私は息子の凛に話をする。
「寝ない子の所には黒いサンタクロースがやってくるんだよ~」
そういうと、凛はギュッと目をつむる。もちろん黒いサンタクロースなどいない。クリスマス前に思いついたものだが、うれしいことに思った以上の効果があった。今の彼は鬼よりもお化けよりも黒いサンタクロースが怖いらしい。
「ねえ、僕のところには本物のサンタさんがくるよね」
布団から目だけを出しながら長男がそっとつぶやく。
「大丈夫よ。凛ちゃんはいい子だから、きっと本物のサンタさんがやってくるよ。だから早く寝ようね」
「うん!」
私は彼の身体をトントンとたたく。
「ねぇ……」
暗闇の中、凛の声が聞こえる。
「晴くんも黒いサンタさんが連れてったのかなぁ」
小さな声に、私の動きはピタリと止まる。
「凛は大丈夫よ。だってこんなに良い子なんだもの」
「うん。おやすみなさい」
しばらくすると、凛の寝息だけが暗闇に響き始めた。
おやすみなさい。私の天使。
そうだ。
今やもうこの子を守ってやれるのは私だけしかいないのだ。
そう、私だけ、私だけ、私だけ。
この子を立派な大人に育てあげる。それが私の役目。
私は、凛を起こさないよう、そっと枕元にプレゼントを置いた。欲しがっていた絵本。幼いながらに我が家の状況を把握しているのだろう。こんな物しかあげられないママでごめんね。小さな頭をそっとなでると、音を立てないように部屋を出て、着替えを始める。
ヴー
ヴー
机の上のスマホが鳴動をはじめ、わたしはあわてて画面を確認し、返信をする。時刻はもう十時。少し遅くなってしまった。急がなければ。
赤いコートを羽織り、外で待つBMWに乗り込む。
「メリークリスマス!!」
明るい声で運転席の男に声をかける。
「ああ」
いつものように康文がぶっきらぼうに答え、包みをポンと投げる。いつも黒いスーツに身をつつみ、無口で何を考えているか分からない。そんな謎めいたところに惹かれた。
包みの中には前から欲しかったネックレスが入っていた。
「ありがとう。康文は私のサンタさんだね」
彼は何も答えないまま車のスピードを上げ、住宅街からネオン街へと進み、ラブホテルへと入った。
無言で部屋に入り、私たちはいつものように薬を飲む。
いつから続いているのかはもう忘れてしまった。彼の住所も知らない。結婚しているのかどうかもしらない。彼のせいで私の人生はすっかり狂ってしまった。でもこの関係だけは止められない。ただの寂しさの穴埋め。
そんな風に思いこもうとしている自分も惨めに感じる。身体が……、本能が彼を求めているというのに。
彼の前では今までの人生など霞んでしまう。彼に見つめられるだけで何も考えられなくなる。
これから少しの間だけが女に戻れる時間。
身体がぼうっと熱くなり、頭の中が真っ白になる。
あぁ……
私の身体を快楽が支配する。彼の指が私に触れるだけで、体中を電流が流れるかのように痺れてしまう。
堕ちていく私。でも、自分を止められない。子供のことも、自分のアッ、未来のことも、何も考えたくない。アッ、今はこうして快楽の渦に身を委ねていたい。プレゼントのアッ、お礼に今日はとびっきりの……、あっ、ダメぇ~~!!
アァ〜!イッちゃう!!
まだ身体がジンジンと痺れている。
足に力が入らない。
「もう、終わりにしよう」
火照った身体を冷やし、ようやく真っ白だった世界に色がつきはじめた時、いつもの康文とは思えないほどに冷たい声が聞こえた。驚いて彼の方を向くと、既に着替えを済ませた彼の背中だけが見えた。
まだ頭がぼうっとして言っている意味が理解できない。ぼんやりした視界の中で薄暗く光る電球の周りに輪ができている。
「バイバイ、オバさん」
小さくつぶやく彼の声を私は他人事のように聞いていた。
あぁ、私はまた悪い夢を見ているんだ。だって、私はこんなに満ち足りているんだもの……。
少し眠ろう。
起きたらきっと隣に康文が寝ていて、私が寝顔をじっと見て、急に目を開けて、恥ずかしそうな顔で私を抱きしめてくれたり。優しくキスをしてくれたりするんだ。
そして……、
いつの間にか眠っていた私は目を覚ました。
となりに彼の姿はない。彼の姿を探した。バスルーム、トイレ、そしてクローゼットの中も。しかし、気配はどこにもない。まるで最初から部屋にいるのは私だけだったかのようにヒッソリと静まりかえっている。電話もラインもつながらない。私は火照っていた頭と身体が急速に冷たくなっていくのを感じていた。そして記憶を反芻し、泣いた。
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
薄暗い照明の下、すすり泣く私の耳に鈴の音が聞こえた。
クリスマスの朝。外はもう明るくなっており、朝帰りのカップル達が幸せそうに道路を闊歩している。私はまるでこの世にいてはいけない存在かのように、道の端っこを歩き続けた。
クリスマスの朝にボサボサの髪で化粧も落ちた一人で歩く女を見てどう思うだろうか?
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
鈴の音が大きくなる。
私の頭の中に凛の笑顔が思い浮かんだ。
そうだ。
早く帰らなきゃ。
まだ私にはあの子がいる。
私は疲れた身体に鞭を打ち、歩き続けた。
あの子には私しかいない。
私がいなければ生きていけない。
そうよ。私のこれからの人生はあの子のため、そのためだけに生きよう。
「ママ〜!お帰りなさ〜い!」
「お腹すいたよ〜。ご飯はな〜に?」
なんていつもの風景を想像しながら我が家のドアを開ける。
えっ!
鍵が空いている。確かに閉めたはずなのに。
次の瞬間、ドアの横の窓に黒い影が映った。私の背中に寒いものが走り抜けた。
天使が危ない。私は意を決してドアを開けた。
薄暗い電灯の下で、黒い服を着た男たちが子供の服を脱がせている。
まさか
「黒いサンタクロース」
本当にいたなんて。
叫びたいのに声が出ない。
子供の所に駆け出したいのに身体が動かない。サンタたちはまるでいつもの作業でもおこなうかのように淡々と服を脱がし、写真を撮る。
ダメ!
ダメ!
私の天使を連れて行かないで!
ママの言うことを聞かないこともあるけど、私がちゃんと躾けるから!
ちゃんと立派な大人にするから!
これまでもちゃんと躾けてきたじゃない。
コレでもマダタリナイノ?
まだ薬が切れていないのか、朦朧とした頭に男たちの声が鳴り響く。
「虐待痕を確認しました。どうやらネグレクトの可能性もあるようです。はい、すぐに保護に入ります」
「ヤメテー!!」
私は金縛りが溶けたかのように叫びながらそばにあったゴミ袋をメチャクチャに振り回す。
中に入っていたカップラーメンの容器とその中に残っていた汁が男たちにかかった。
もう、
私には、
この子しか。
「大丈夫ですか?」
騒ぎを聞きつけたのか警官がやってきた。しかし、なぜか取り押さえられたのは私だった。
「ハナセ!チクショウ!!」
私はまるで犯罪者のように床に組み伏せられたまま、天使が連れ去られるのを見ている事しかできなかった。
そして次は私の手に冷たい輪がかけられた。
無理矢理立ち上がらせられ、数人の警官たちに囲まれながら外へと連行された。
違う。
これは何かの間違いだ。私はまだ悪い夢をみているんだ。
「何みてんのよ!見せもんじゃねーぞ!ゴラァ!!」
騒ぎに集まってきた馬鹿どもに吠える。
その中に、元夫と女がいるのに気づいた。女はサンタにでもなったつもりか赤いコートを着て、しゃあしゃあと私から奪った晴斗を抱いている。その瞬間、私は全てを理解し、叫んだ。
「この泥棒猫とイ◯ポ野郎!!てめえらなんでなんでいつも私の大事なモノを奪うのよ!!」
二人は何も言わず、黒いコートの警官に連れていかれる私を見ている。
また、あの時のような見下したような目で。
その目でみるんじゃねえよ!虫酸が走る。
「ああん?なんとか言ってみろよクソ野郎ども!!死ね死ね死ね!!お前らみんな死んでしまえー!!」
なんでよ……、
なんで私ばっかりこんな目に!
ズルいよ、ズルいよ。
なんでよ?なんでよ?
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
鈴の音がますます大きく響いている。まるで私の頭の中で直接響いているようだ。
私は頭を掻き毟り、この耳障りな音をかき消すように叫んだ。
「クソが!クソが!どいつもこいつも死んじまえーー!!!」
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
クリスマスに思いついたにも関わらず、こんな時期に投稿となってしまいました。
時季外れでごめんなさい。