掌返し
「脱衣所? ここで服を脱いでから進めということか?」
「そのようですね、こちらの掲示板には細かい使い方が書いてありますよ。棚に服や私物を入れて脇に刺さっている鍵を引き抜くと小さな結界が張られて荷物を守ってくれるそうです。入浴中は自分で鍵を管理しておいて、もう一度鍵をさせば結界が解除されるとのことです」
「ここの棚全てに結界の魔法がかかっているというのか…」
「あとは使用済みのタオルは出口近くの箱に返却するようにと書いてありました。ダンジョン内のものを持ち出しても暫くすると消えてしまいますし、わざわざ盗む者もいないと思うのですが……」
「2人とも! 早く進んでみましょうよ。この分なら本当にお風呂があるかも知れないし、こんなに沢山棚があるってことはきっと湯船もすごく大きいわよ!」
「サラ様。興奮するのも分かりますが、少し落ち着いて下さい。まずはこの部屋の安全を確認してからです」
「はいはい、分かったわよぅ」
彼女達がいる脱衣所には、いくつかの掲示板と棚がある。
掲示板には風呂や備品の使い方、盗難注意の張り紙などがはってあり、これらはすでに読んでくれたようだ。
棚は、飲食店にたまにある鍵付きの下駄箱を参考に作った。日本のホテルや銭湯の脱衣所みたいに棚においておくだけでは盗んでくださいと言っているようなものだと思ったからだ。鍵を引き抜くこと自体が『罠』としての結界を発動させるスイッチとなっていて、発動および解除の条件が容易であることから、比較的低コストで設置できた。
あと、鎧や剣が収められるように大きな棚もいくつか設置してある。
使用済みタオルは回収して再生産するつもりだ。衛生面とか気をつけないと、感染症とか怖いし。
どうやら三人は浴室に入ったようだ。
しかし彼女達の声は聞こえてこない。
どうしたのかと訝しんでいると、サラがポツリと呟いた。
「……すごいわ」
小さな声に、護衛2人が続く。
「本当に……このような光景は初めて見ました」
「これほどのものを維持しようとしたら莫大なお金がかかることでしょう。王宮にあると言われる浴場もコレには及ばないと思います」
三人の感想に思わず頬が緩む。
彼女達の前には、バレーボールコートほどの広さの巨大な木製の浴槽が見えているはずだ。そして奥の壁から伸びる太い管の先端からは滝のように温水が流れ落ちている。彼女達の言うように、かけ流しの風呂などこの世界にはまず存在しないだろう。あったとしても、余程立地のよい家か天然の温泉くらいだろう。
湯船からこぼれるお湯は微妙に傾斜をつけた床を伝って部屋の隅に集まり水のエレメントに吸収されるため、常に新しい湯が供給されているのだ。
自分でも完成した浴室を見た時は感動したし、一番風呂は僕が心行くまで堪能した。
「ねぇ…。本当に入っちゃだめなの?」
「うぅ…だ、だめですよ。未知のダンジョンで…危険すぎます」
「大丈夫だって! それに此処のことが知られたら絶対流行るって! そうなったらもう誰に気兼ねすることなく入ることなんて出来ないわよ」
おお! 金持ちのお嬢様のお墨付きが貰えたようだ。
「そうは言ってもですね……えぇと、マリーナもなんとか言ってくださいよ」
「……お嬢様、何はともあれ安全確認が先です」
「先っ!? あなた、問題がなかったら入るつもりなんですか!?」
「さすが話が分かるわね! さぁ早く調べるわよ」
彼女が入浴に賛成するとは思っていなかったので驚きだった。今までの言動を見るに硬そうな印象を受けていたからだ。
もちろん浴場には妙な仕掛けは施してないし、多数決的にも彼女らがお客第一号になってくれそうだ。
「見て。きっとこっちにあるのが洗い場なのよ。桶も沢山おいてあるし…看板にもあったけど、湯船に入る前にここで体を洗えってことよね」
「湯気で少し視界が悪いですが、一応部屋全体を見通すことは出来ます。お湯もきれいで、濁りや匂いもありません。手元にあるもので調べられる限りは、毒もないようです」
「ですが入浴中にいきなり魔物に襲われたらひとたまりもありませんよ。装備もありませんし」
「全員で同時に入る必要はない。一人が入っている時は残りの2人は警戒に当たればいい」
「マリーナ! いったいどうしてしまったんですか!? 危ない橋は渡らないのが私達のルールだったじゃないですか!?」
風呂に入ってもらう上で一番の障害になると思っていたマリーナさんがここまで見事に意見を変えたのは嬉しくはあるけど、こうも上手く行ってしまうと逆に何かあるのではないかと不安になってしまう。
だが、
「すまない。なんというか…冒険者心を刺激されたというか、世界一の風呂に一番乗りしてみたいという欲求が…な?」
「な? じゃないですよ! ダンジョンですよ此処は! どうしたらこの短時間にダンジョンマスターを信じる気になれるのですか!?」
「そうだな…、ここまでくるのに悪意ある地形や罠は一切無かったし、張り紙の文章も丁寧で真摯な態度が伺える」
「それでもそれが冒険者を油断させる罠かも知れませんよ?」
「たしかにな。だが、ダンジョンに入ってから時折感じていた監視するような気配が脱衣所に入ってからは一切無くなった。冒険者を騙そうとしているなら一番無防備になる場所で監視を解くはずない」
「監視などされていたのですか!? なぜすぐに言わなかったのですか?」
「こちらが監視に気付いていることを知られたく無かった。もっとも、私も半信半疑で周囲を探ったりしているときに視線が合ったような気がするから、ばれている可能性もあるが…。ともかく、ダンジョンマスターは人の心を気遣うことが出来て、脱衣所やこの風呂の様な無駄に技術水準が高くて且つ馬鹿げた施設を真面目に作ってしまうような人物だと判断した」
何時の間にやら凄く評価されている。そして目が合った気がしたのは間違いでは無かったらしい。風呂を覗こうなんて思わなくて本当に良かった。ここで信用を失っていたらすぐにダンジョン攻略のための冒険者パーティが編成されてしまっていたかもしれない。そうなったら、風呂に魔力の大部分を割いてしまったこのダンジョンでは直ぐに制覇されてしまっていただろう。
「……ですが……えーとですね」
ナデアさんが言葉に困っていると、いままで全くしゃべらなかったサラが口をあける。
「もういいじゃない! マリーナと私だけで入るからナデアは警戒していてよ」
いい加減焦れて来たのだろう。だがサラの提案を却下したのは以外にもマリーナさんだった。
「いいえ。最初はナデアに入ってもらいます。サラ様が一番に入るなど問題外ですし、一番心配される魔物の不意打ちには私が対応するのが最良です。そして風呂に入った時の体調や魔力の変化・毒の有無などは魔術に精通しているナデアが調べるのが一番です。彼女には一番に入ってもらいます」
「私が一番反対しているのに一番危険な仕事ですか!?」
「適材適所だ。いくらAランクとはいえ魔術師が不意打ちに弱いのは常識だ。魔物への対処は私が当たる方がいい。それに私が風呂に入って魔術的な罠が作動した場合はナデアに比べて致命的である可能性が高い。ナデアなら自分の体なのだから最速で対処できるだろう。外から見て不審な点があったら直ぐに引っ張りだしてやる」
「それ以前に風呂に入らなければ何の危険も無いじゃないですか」
「心配するな。もし大怪我しても私が養ってやるし、雇い主からたんまり金が出るだろう」
「そういう問題ではありません。ついさっきまで、自信満々な冒険者は信用ならないみたいなこと言ってたじゃないですか! 君子危うきに近づかずで行きましょうよ」
「そもそもサラ様の望みは余程の危険が無い限り叶えるという契約だ。そして私はこの風呂にはそれほど危険は無いと判断している。安全確認の最後の詰めは仕事内容に含まれていると思うが?」
「……屁理屈です。そもそもさっき冒険者心がどうとか言っていましたし」
ナデアの元気がなくなってきた。このまま押し切れるか?
「もちろんそれもある。これほどの浴場を貸切で使う機会などおそらく二度と訪れないだろうし、そもそも世界中探してもこの規模の風呂を維持する程の金持ちなどいないだろう。王族も含めてな」
「ナデアお願い。こんな我侭はコレっきりにするから……。私は2人とは違ってもう二度と来れないかも知れないの」
「……はぁ。負けました。マリーナはしっかり警戒しておいてくださいよ」
なんといきなり風呂に入ってくれるようだ。
二組目の冒険者パーティで此処まで順調に進むと怖いくらいだ。だが地下に潜ろうなんて言い出さない限り彼女達に危険はない。たっぷり堪能してもらって、外に宣伝してもらうとしよう。
「本当に……どうしてこんな事に……」
ナデアさんは少々不憫だが、風呂でしっかりとリフレッシュできることだろう。