豪華な浴室
この連載小説は未完結のまま約2ヶ月以上の……
「し、神啓文字ぃ?」
絶対に宗教関連だ。
今までその手の人間が来たことはなかった。この世界での宗教の位置付けがどうなっているのかは分らないが、有力商会の重鎮が慎重にならざるを得ないほど影響力を持った組織であるということは間違いないのだろう。
「それってアレよね? 聖女様が神懸かりした時の? 誰でも読めるってやつ?」
神懸かり……神の降霊とか憑依とかそんな意味でいいのか?
「その通りです。お嬢様はまだ見た事がなかったはずですな。聖女の身に神が降臨した時のみ記される神聖なる文字。言語の祝福を受けし民を導く神の啓示。……などと言われています。その実態は分りませんがな。本当に神々の文字なのか、隠された秘術やら魔術やらで読解を補助する技巧が施されているのか」
「えぇ? 神啓文字って神様じゃなくても書けるんだ?」
「少なくとも私はその方法を知りません。ですが、裏では様々な憶測が飛び交っているのです。教会の権威や信仰を疎ましく思う輩も少なからず存在しますからな」
「うっわ……面倒臭そ。うちはそう言うのに巻き込まれてないわよね?」
「これまでは上手く立ち回って来ましたからな」
「んーそれでさ、つまりダンジョンの裏には教会が関わっているってことなの? だからダンジョンマスターと親しくなりたくないってこと?」
「いえ、おそらく教会は無関係でしょう。このような大規模なことが出来るならば他にもやりようは幾らでもありますからな。……教会以外が神啓文字を扱えるという事実は教会の権威を揺るがしかねないのです。あるいは神の存在、教義のあり方すら変えてしまいかねない程に。ダンジョンの神啓文字が露見した時には教会とダンジョンは敵対する可能性は十分にあります」
教会を敵に回す……か。今更対策の立てようがあるのだろうか。今までは野心的な部分を勘ぐられたくなかったから必要以上に外の世界の情報を聞き出そうとしなかったけど、そうもいかなくなってしまったかもしれない。でも僕が突然『教会』とか『信仰』なんて言葉を言い始めたら不自然だし、自然な流れでそういう話に持っていくのは難しい気もするな。取りあえずアーク辺りと雑談をしながら様子見だな。
「もしそうなったら私達もなにか言掛かり付けられたりするのかな?」
「間違いないでしょうな。教会に限らず、我々の弱みを握りたいと思っている輩は多いのです」
「……あのさ、チコ達はどうなっちゃうの? 結構不味い状況なんじゃない?」
「……今のままではどのような扱いを受けるものやら分ったものではありませんな。教会に洩れる前に別の拠り所を見つけるか、不用意に手を出せないほどにダンジョンが成長するか」
二人の間に沈黙が降りる。
バンロールはどうなるかまでは明言しなかった。それ程なのか。
「だっ、第一、バンロールはどうして神啓文字だなんて分ったのよ? 勘違いじゃないの?」
願望が声になって漏れ落ちるような、そんな声音だ。
「……私にはこの文字がバリドナード語に見えるのです。はじめは気付きませんでしたが、ダンジョンから来訪者へのメッセージはすべて同様でした」
最近はギルド発行の張り紙やら注意書きが多くなって来たから目につき難かったのだろう。それにしてもバンロールは外国人か?
「バリドナードって何処よ?」
サラも知らなかった。
「ここからですと西に進んで国境を2度越えた先に30年ほど前に存在した国です。当時はまだ私も子供でしたが多少の読み書きが出来ましたので、終戦直後に商機を見出して私の故郷を訪れていたサラ様の曾御爺様に雇っていただいたのです」
「バンロールの子供時代なんて想像できないわ」
「お嬢様」
「分かってるってば。ごめんなさい。でもそんな話全然聞いたことないわよ?」
「滅んだ国の出身だと言うのは知られると不味いこともあるのです。商会内でも知っているのは極僅かです。他言してはなりませんぞ」
「はーい」
「神啓文字については明かされていない部分も多いのですが、一般には『最初に読み書き出来る様になった言語』として見えると言われています。つまり私にはバリドナード語となります」
「……そっか。じゃあやっぱりこれは神啓文字で間違いないのね」
「残念ながら」
「教会はダンジョンを潰そうとするかな……」
「さて。教義を取るか、金をとるか……。少なくとも今のダンジョンの状況では異教崇拝で圧力を掛かるなり、神を冒涜した等の理由で僧兵を動かすなりするでしょうな」
再び沈黙。
でも希望はまだありそうか。エリシー達の独立……というか社会復帰の支援をしつつ、ダンジョンと人間経済の金の縁を深く強固にすること。……うーん中々の難題かもしれない。
二人のいるドアがノックされた。今期の店番だ。
「どうした」
返事をしたのはバンロールだ。
ドアを開けた彼は少し緊張した様子だ。まあ勤め先の重要人物二人の会話に割ってはいるのはキツイかも知れない。
「失礼いたします。お嬢様にお客様です。ダンジョンの、チコ様とチヤ様です」
「え、本当? どんな用だったか聞いてる?」
「ダンジョンマスター様から何かお金のようなものを貰った様で、少し前に出来た新しいお風呂にサラ様とご一緒したいと」
「えぇ! 行く! すぐ行くわ! バンロール、貴方もお風呂入ってきたら? すごいわよ?」
サラは素早く着替えを持ち出して、バンロールの返事を待たずに部屋から飛び出した。
そしてバンロールはと言うと……なにやら驚愕している。確かに商会との専属取引を持ちかけておいて従業員にはポンと渡してしまうのもどうかと思うけど、掃除のための入室とかあるから渡さないわけには行かないし、一応売ったりあげたりすることは禁止しておいたから大丈夫だと思いたい。拗れる様ならまた何か考えないとな。
「……馬鹿な。一体何を。……まさか王国貨幣を締め出すつもりか。いやしかしそれは……」
……なにかまたとんでもない勘違いをされている気がする。
バンロールも黙って考え込んでしまったし、サラ達の動向を追うとしようか。勿論視界offで。……どこでどんなボロがでるか分らないし、無意味かもしれないけど僕なりの誠意のつもりとして。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「わぁっ! すごいすごい! サラさ……サラさん?」
「え、ああごめん。ちょっとビックリして」
「すっごく綺麗ですよね。普通に暮らしてたら一生見ることも出来ないですよね。こんなの見たことないです」
「つるつるすべすべ」
「これ、たぶん大理石ってやつよ? 産地は国が管理してるから大きな商会でも滅多に扱えないわ。普通、神殿とか王宮とか大貴族の邸宅とかそういう所にしか使われないの」
創造コストはそれなりだったけど感覚としては決して高すぎるという程ではなかった。だから大したものでもないと思っていたが。しかも神殿と来たか。その辺りでも教会と一悶着ありそうな……いや王族とかも面倒そうだ。何もないことを祈る。
「なんだか凄いです。きっとお姫様みたいな気分になれますね!」
「王族だってこんな贅沢な使い方しないわよ。床も壁も天井も色合い変えて全部だし。見てみてよ、継ぎ目が全然目立たないし隙間も開いてないわ。あ、ここなんて丸く滑らかに削ってあるでしょ? こういうのって凄く難しいって聞いたことあるわ」
「わぁ、ここってあの鉄のお金があれば誰でも使えるんですよね。あんなの作らないでも普通のお金を払って貰うようにすれば大儲けできるんじゃないですか? マスターは何でそうしないんですかね」
「……分らないわ。バンロールは色々分ってるみたいだけど」
鉄貨を作った理由は、鉄貨に込めた魔力を識別する方式を取ったほうがダンジョンのシステムを利用し易かっただけで経営戦略的に利益を求める意図は殆ど無いのだ。皆無というわけではないけれど、バンロールやエリザみたいな人達を相手に渡り合っていけるとは思っていない。
「やっぱりマスターって凄い人だったんですね。あ、ここを回すと上からお湯が出るみたっ、きゃっ、あ、あったかーい。チヤ来てごらん。暖かい雨みたいだよ」
チコからの評価が高い。少しプレッシャーだ。
シャワーもお気に召したようで良かった。常時沸かし状態の掛け流しだからシャワーの出始めは冷たいなんてこともないのだ。
「これ何かしら? シャンプー? 聞いたこと無いわ」
「あ、自由に使っていいってマスターが言ってました」
「へぇ。なになに……髪の汚れを落とす……泡立てて?……ふぅん、使い方も細かく書いてあるのね。……え? 皮膚に異常を感じたら使用を控えること?」
「マスターにも始めての挑戦だから体に悪いかもしれないって言ってました。痒くなったり荒れたりしたら必ず知らせて欲しいって。怖かったら使わなくてもいいって言ってましたよ?」
今回は完全に成分の得体が知れないものなのだ。創造目的を外れる性質を持つことは無いはずではあるけれど、ダンジョンマスター暦の浅い僕の経験則を信じて客に害を与える様なことはしたくない。それに思った通りのものを作り出せる能力……希少性やオーバーテクノロジーであることも魔力さえかければ解決してしまう不可思議な能力だ。慎重に扱わないとその内に手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。もしも健康被害が出たら出来る限りの賠償なりなんなりをするつもりだが、利用客には自己責任だと思って使って貰った方が気が楽だ。
「ふぅん。でも折角だし使ってみるわ。水は飲むなって言ってるのにこっちは気をつけて使えって言うんだもの、ダンジョンマスター的には大丈夫だと思ってるってことでしょ。……えぇと、髪を湿らせてシャンプーと適量、適量ってこれ位かな。ほら、二人も取って取って!」
ちなみにシャンプーは中々にハイコストだから使用量制限を設けてある。入り口で鉄貨投入が確認されると少量だけ取り出せるようになっているのだ。それでも三人分くらいなら足りるだろう。
「頭に塗って爪を立てないようにマッサージ……わぁ、なんか泡立ってきた。それにいい香りね。花の香りかな」
「気持ちいいですね。なにで出来てるんでしょう」
それは僕も知りたい。
「……ぬるぬる……にがいよ」
「た、食べちゃダメだって! ほら、口ゆすいで……あぁでも水は飲んじゃダメって……どうしよ。とにかく吐いて。ぺってして……あぃたたた! めっ目に入っちゃった! どうしよ!?」
「チコ落ち着いて。目や口に入ったら水で良く洗い流せって書いてあるから、たぶん飲まなきゃ大丈夫よ」
本当は口に入れたりするのも問題ないと断言は出来ないのだけれども、シャンプーを飲み込むよりはマシだと思いたい。それに皮膚からだって少しずつ水分は吸収されるのだろうから、ほんの少しダンジョン産の水を吸収した位では健康に害は無いと考えていいのかも知れない。そろそろその辺りも調査するべきなんだろうな。
「……いい匂いなのに、不味かった。マスターに言わないとね」
チヤよ……味まで凝れと言うのか。いや美味しくしてしまうと食べちゃう人が出そうだし、いじるにしてももっと不味くする方向性で行こう。
「そんなこと言ってダンジョンマスター、さんは怒らないの?」
「たぶん大丈夫だと思いますよ。お掃除道具壊しちゃったり、お寝坊しちゃったりしても、怒られたことなんてありませんし」
「ふぅん。……ねぇ、もう洗い流していいのかな?」
「うーんどうでしょう。体に悪いかも知れないなら早めに流しちゃった方がいいんでしょうか?」
「それもそうね。えーと? シャンプーを髪に残さないようにしっかり洗い落とすっと」
「うー。チヤぁ。目に入るととっても痛いからね。目を瞑って、口も閉じるんだよ」
「大丈夫」
……しばらくシャワーの音だけが聞こえる。
「……こんなものかしら。良く洗うってのも加減が分らないわよね」
「なんだか頭がさっぱりしたみたいな気がしますよ? でも少しゴワゴワ? かもです」
「うーん。確かにそんな感じね。私はそこまで気にならないけど、髪が痛んじゃったのかな? そういうときは花油でお手入れするといいのよ。後で貸してあげるわ。……む、ひょっとして売れるかしら?」
ほう。リンスはなぜかコストが高すぎて断念していたのだが、そういう代用品もあるのか。まあサラもボソッと最後に呟いていたように、ハーディング家の収入源になるかも知れないのだから彼女達が販売に踏み切らなかった場合にはこちらで準備してみるのもいいかもしれない。すでに存在するものならコストも低そうだし。
花油って椿油とか杏油みたいなものでいいのだろうか。香りのバリエーションを増やせば女性人気が更に上昇するかもしれない。
「でも、そういうのって高いんじゃないですか?」
「売り方次第だと思うけどねぇ。一回分なら手に馴染む程度の量で済むから、小分けにして売れば値段も目立たないんじゃないかしら」
「サラさん凄いです。流石商人さんの娘さんですね」
「バンロールに鍛えられてるからね。なんか、なんでもお金に絡めて考える癖がついちゃって……我ながら可愛くない娘になっちゃったなー」
「そんなこと無いですよ。サラさんとってもキレイで可愛いです」
「そっ、そう? ありがと。さあ、もう十分シャンプー落ちたわ。いよいよお待ちかね、早く湯船に浸かりましょう」
「うふふ。はい。チヤは……うん。もう大丈夫そうだね」
「それじゃ、入りましょう。少し狭くなっちゃうかも知れないけど、三人ぐらい入れるわ」
「よいしょ。ぁっ、くっ、ふぅ。あーあったかーい。私この、お湯に入る時のゾワゾワって感覚、慣れなくて」
「もう数え切れないほど入ってるんでしょ? 慣れないものなのかしら」
「サラさんもチヤもへっちゃらなんですね。でもこのゾワゾワを我慢して肩まで浸かったときの気持ち良さが癖になっちゃうっていいますか……」
「……なんか、あれね。ちょっと変態チックね」
「えぇっ! そ、そんなこと無いですよ! 冒険者のお姉さん達も言ってますし」
「いや、よく分らないけど」
「うぅ~。私、変じゃないですよぉ」
「はいはい変じゃない変じゃない。冗談よ」
「……」
「もーそんなに不貞腐れてないでよー。あ、ほらほら、ここにも何かスイッチがあるわ。わーなんだろーなー」
「……」
「チヤぁ~。お姉ちゃんが虐めるよぉ~」
「……虐められてるのは私じゃないですか」
「二人とも仲直りするの。じゃないとマスターに言いつけるもん」
「えっ! け、喧嘩してた訳じゃないわよ? ただちょっと可愛かったから弄りたくなっただけで」
「……うん。喧嘩じゃないよ」
チコは少し不満がありそうだ。それとも、ばつが悪いだけかな。
それにしても仲裁に僕を持ち出すあたり、チヤも子供ながらに僕と商会の関係が互いに望まれている物だと理解しているのだろう。
「だからわるい娘はボタンに触っちゃだめ」
そして僕の知覚がジェットバスの起動を感知する。
チヤ……脈絡が無さ過ぎだ。間の会話を飛ばさないで欲しい。
「きゃぁ!」
「わっ」
「何っ!? あっ! あはははははっ! ちょ、くすぐったい! 止めてぇ!」
しばらく三人は黄色い声を上げながら騒いでいたが、ボタンをもう一度押せたようでジェットバスは止まった。
風のエレメントで作ったジェットバスは大人が体を伸ばせば足の裏、ふくらはぎ、腰、肩に向かって細かい泡交じりの水流が当たるように設計しのだが、子供が三人で入ったから上手く機能しなかったみたいだ。それに若い子供には肩こりとか無縁なのか。
「ふぅ。ビックリした。もう、説明読まないで押さないでよー」
「ごめんなさい」
「それにしても凄かったですね」
「面白かった。もう一回やろう?」
「うん。それに最初はビックリしましたけど、なんだか気持ちよかったですし」
「えっ、気持ちよかった……?」
「え? そ、そんな目で見ないで下さいよ! 違いますから! そういうのじゃないですから! もうそのくだりはいいですからぁ!」
楽しそうで何よりである。




