― 第一章 ― hop, step and dive!
木目の壁、風情ある暖炉、そして小さな窓。
ひと目でここが民家だということが分かる。
だが情緒溢れる暖色に包まれた室内に、一か所だけ違和感を際立たせる姿見が置かれていた。
金の装飾に、色とりどりの石が幾つもちりばめられており、この部屋と比べてもお釣りがくるぐらいには場違いであるさまを醸し出していた。
間もなくしてその姿見が、不意にオレンジ色へと発光しはじめ、室内を映していた鏡面が徐々に歪みを帯びていく。大きく波紋を広げて中心がちゃぷんと水音を立てた刹那、そこから人の手と思しきものが、突き出された。
水面下から空気を求めるかのように手は宙を彷徨いゆっくりと鏡の外側へとその姿を現す。
トン。
床についた片足が軽い音を立てた。
キャラメル色の編み上げショートブーツに、黒地の赤いラインが入ったニーハイソックス、ふわりと舞う黒のプリーツスカートの上は、白いブラウスに黒のベスト。その上から、ばさりと靡いた長いマンとは、黒から赤のローブへ変わる瞬間であった。サファイアを湛えた瞳は威勢のいい猫のようなつり目で、愛らしい薄紅色の唇がにぃっと弧を描く。左右対称にちょんっと覗いたツインテールの色は栗色からミルクティーゴールドへと変化していたが、まさしくどこかで耳にしたことのあるようでないようなフレーズを詠唱していたあの少女である。
鏡を潜り終えるとまるで別人のような容姿となっていた。
少女は胸元のポケットから懐中時計を取りだすと口元にはあの負けん気な笑みを浮かべて呟いた。
「一番はあたしなんじゃないの!」
――が、
「……あら、遅かったですね」
奥の扉が開いた。
中からティーセットを乗せたトレーを両手に、女神のような慈悲深き微笑を浮かべる白いケープの少女が歩み寄って来る。どうやら一番は彼女のようで、ツインテールの少女はばつが悪そうに頬を掻いた。
「………早いね…えりか」
「まあ、その呼び方は止してくださいな、未来ちゃん」
えりかと呼ばれた白いケープの少女はどこか不服そうに眉尻を下げて、ツインテールの少女の名を紡ぐ。その意図が分かり、未来と呼ばれた少女もまた、自身の行いを改めるように頷いて、たははと苦笑した。
「……うむ、いかんね。気をつけるよ、ルイス」
ルイスは、持っていたトレーをキッチンの食洗機へかけて振り返る。
アプリコット色のゆるやかなウェーブヘアが頬を隠して卵型の輪郭はそのせいかさらに小顔を描き、大きなくりくりとしたエメラルドの瞳が愛らしく細められ、桜色の唇が微笑んでいる。その小柄な身体は、白と赤を基調とした白装束で包み、ケープをふわりと靡かせた。
「気を取り直して…エア、そろそろ行きましょうか」
「ずるいぞ…自分だけ茶をいただいて……」
だが、エアは不満そうだ。
切り株で造られた椅子にまたがり、唇を尖らせている。
「でしたら、次はもうしばし早めにいらっしゃいませ」
慈悲の慈の字も無い笑みを浮かべて、ルイスは外を繋ぐ扉の前に立つ。エアもしぶしぶと腰を上げて後を追った。
扉に鍵穴はない。
ルイスがドアノブを捻ると、ガチャリと金属質な音を立てて木造りの扉が開かれた。眼前は真っ暗闇。地上も、空も、何もかもを黒に塗りつぶされ、足場の境界すら失った闇が広がっている。
ルイスは背後のエアに向き直った。そしてその足を一歩、闇へ進めた。
「では、のちほどまたお会いしましょう、エア」
「おう、どこに出ても恨みっこなしな」
ルイスが先に飛び込んだ。
その顔には恐れもなく、エアに手を振る余裕すらあるようで、崩れぬ笑みを浮かべたまま闇のなかへ身を投じた白は、底のない暗闇へと落ちていく。
ルイスの姿はもう見えない。
静寂が鼓膜を埋めた頃、それを見計らって彼女が投じた先を覗きこむ。
「さて、あたしも行くかなー」
腕を回し、コキコキと小粋に肩の関節を鳴らす。期待に満ちた笑みを浮かべてエアは闇の淵に立った。
一歩、前に出された足。
踏みしめるように下ろした先には、やはり底なしの闇が待っていた。
ひゅんと風をきる音がエアの鼓膜をくすぐった。蹴る床はない。上手く身体を回転させてエアは先程まで立っていた扉へと向き直る。背から落下していくかたちとなった華奢な身体をローブが包み、落下の速度でばたばたと威勢よくはためくツインテールとローブの裾。無人となった部屋の扉は新たな来客者を待つかのように自動で閉じた。
「どうか水辺じゃありませんようにー!」
その声は、次第に小さくなり、エアもまた闇の底へと消えた。
――――――――――――――――――――――――――
「どわぁっ!?」
情けない悲鳴が衝撃と共に呻きとして飛び出した。
思っていたよりも痛くない。身体は打たずに済んだが、ぶらぶらと宙に浮いてる感覚である。見上げれば眩しい太陽の紫外線から守るように茂る緑。身体に幾つもの葉がくっ付いている。俺を支えているのは、蔦?枝?とにかく長いものが幾重にも身体を支えてブランコのように、ぶらぶらと地上1mを泳いでいた。――どうやら、木の上に落ちたようだ。絡まる蔦らしきものを解いて、ゆっくりと地面に降り立つ。
辺りは草原でひとっこ一人見当たらない。
清々しい。嗚呼、凄く清々しい。
空気がおいしいとか、天気がいいという例えでは無く、俺が清々しい。清々しすぎてなんかもう心許ない。そんな自分を恐る恐る見下ろした。
「……なんで、全裸?」
前を隠す。というなけなしの配慮のもと、風が吹いて踊る草に脚を撫でられるくすぐったさと、外気にさらされた肌から心細さが次第に募ってゆく。どうしたもんか。着ていた服はどこへ行ってしまったんだろう。と、思考を回しながら代わりになるものはないかと辺りを見回すが、先程も言ったようにひとっこ一人見当たらない草原だ。自分がなんでこんな所に立っているのか。そんなことは今どうだっていい。いや、よくはないが、今はいい。今は服が先だ。
こんがらがる頭を整理する暇もなく、回収されないままのフラグを抱えたまま、突っ立っていると上空から悲鳴らしき声が降ってくる。
「水辺じゃないけど、痛いのは嫌あああああ!!」
どしん。大樹が大きく揺れて、鳥が羽ばたく。俺はあんな感じで落ちてきたんだろうか?そもそも俺の落下で鳥は全部飛んだはずだろう。戻ってきたとか?早いだろう。――などと幾つものどうでもいい疑問を浮上させては自問自答で沈める思考を繰り返して大樹を見上げていた。
「あ、あ、ああ、っあ、……っ!!」
呑気に大樹を見上げていた俺の耳にどもり声が届く。気付くと少女は俺を見て頬を紅潮させていた。あ、やばい。と、思ったのも束の間、こちらを指さした少女が先程俺と同じ状況に合いながら、うつ伏せで金切り声を上げた。
「きゃああああああああ!!全裸あああああああ!!へ、変態よ!!だ、誰か!誰か来て!変態がいる…っ!誰かぁーーーーーーーーーッ!!」
遅かった。今から弁解出来るだろうか。少女に背を向けてみるが、尻が丸出しとなっただけだった。嗚呼、どうしたって全裸である事実を隠せない。隠すことを諦めかけたそのときだ、暴れ出した少女が蔦に絡まり、軋む音と共に地面へ受身も取れず顔から落ちた。
「いっ…たぁ……」
痛いだろうな。俺も取り乱していたら、ああなっていたんだろう。などと悠長に内心で呟く。四つん這いになって呻きながら起き上がる最中の少女に、恐縮しながら一歩進めて声をかけた。
「あの、……だ、大丈夫ですか?」
「近寄んないで…ッ変態!!」
嫌われたな。決定的だ。
少女は両手で顔を覆い、地面に伏せてしまった。
だがここで諦めてなるものか。全裸でこの訳の分らぬ草原を彷徨うなんて真っ平御免被る事態である。俺は諦めず、紳士的に前を隠した状態で再び少女へ声をかけた。
「ごめんなさい、俺もなんでこうなっちゃったのか…分からなくって……もしよかったら、着るもの分けてもらえませんか?」
「はぁ?」
指の間から目が覗く。
「日本語でOK」という顔をされてしまった。
いや、だが救いもあった。少女は見た目に異なり日本語が使えるようだ。
「ですから、気付いたらここにいまして……服は着ていたんですけど、いつのまにか着てなくて……できれば何か、」
無理だ。俺でさえこの状況について行けてないのに、少女にそれを説明するなど出来る訳がない。――諦めようと言葉の飲む。だが思わぬ助け舟とでも言うべきか、運が俺に味方したか、今度は俺を変態扱いしていた少女から問いかけて来た。
「……あんた、もしかして正装できなかったの?」
少女は両手で顔を覆ったまま疑問符を浮かべている。
なんのことやら。俺も疑問符を返す。
「正装?」
どうやらそれがビンゴだったようだ。少女は立ちあがると顔を背けたまま人差し指を振って早口で何か捲し立てるように唱えた。
「彼の者にこの世で最もあるべき姿を与えたまえ」
首を傾げた刹那、赤い光が足元から柱のように伸びてくる。まるで炎が噴き出たかのような現象に驚いて反射的に後ずさってしまう。
だが、そんな俺に少女が静止を要求した。
「動かないでっ!」
「は、はい…」
フラフープ程の大きさの円光柱が頭上に達して今度は足元から徐々に消えていく。するとどういう原理か、光が消えると同時にそれは衣服へ変わっていた。全裸だった俺の身体に服が与えられた。黒い編み上げブーツに、同系色のズボンとロングコートだ。どういう仕組みだろうか。両手は手袋に包まれていた。まじまじと自分の姿をあらゆる角度から眺めてみると、どことなく見覚えがあった。はて。どこで見たかこんなコスプレ。あれでもないこれでもないと記憶の扉を覗いてゆけば、先程までプレイしていたオンラインゲーム、FTOでクロウが身に着けていた初期装備にそっくりかもしれない。いやいやまさか。やれやれと首を横に振ると困惑する俺の心中を察してか否か少女が声をかけた。
「そ、れ、が、正装よ」
「あ、ありがとう。助かったよ。ところで、」
礼を紡ぐと少女はふふんと得意げに鼻を鳴らす。だが、俺の歯切れが悪い紡ぎに眉を顰めた。
今度は少女が首を傾げる。
全裸という混乱の呪縛から解放された俺は改めて辺りを見回す。そして今もっとも問いたい質問を口にしていた。
「ここ、どこですか?」
(第一章 hop, step and dive!)