Mission1:迷子猫を攻略せよ【前編】
探偵社の業務は、鉄が来てしばらくは彼がここに早く慣れるようにと、書類整理や下調べ等の準備が中心となっていた。彼は案外飲み込みが早く、すでに仕事自体はそこそここなせるようになっている。優秀な部下を持つと、此方も作業がはかどるというものである。だが、慎重な性格のクイーンは、あるいは所長の方針なのかもしれないが、鉄が完璧に一人で出来るようになるまで見守るつもりらしかった。
それにいい加減飽きてきて、そろそろまともな任務が欲しいなぁと全員が思うようになった頃だった。
「クイーン、今日も雑務ですか?」
俺も毎日来ている訳ではないので、というよりもこの事務所自体がやる気が無いのか、二日に一日しか営業をしないので、今日も、というのは案外間違っているのかもしれない。だがそれでも、ここ数週間にわたって業務内容が同じである事には変わらない。尋ねる口調も、つい嫌味になってしまう。
けれどもそんな無礼な物言いに返ってきた答えは、
「いいえ」
ノー。つまりは、ようやく俺達はまともな仕事にありつけるという事だ。これには姫や雨、更には鉄も喜びを隠せず、手を止めてクイーンの方を向く。しかしその彼女はと言えば、心なし浮かない顔をしていた。いつもなら仕事の時に、こんな顔を見せる事は無いのに。少し疑問に思ったが、その謎は間もなく、明らかにされる事となる。
クイーンは居住まいを正し、真剣な面持ちで言った。
「今日は、このメンバーでの初任務よ」
『おおー』
「依頼内容は?」
「別れさせ工作、ですか?」
「それとも浮気調査?」
「いやいや、ここは意表をついて……。素行調査とか」
「それ、浮気調査と似たようなもんじゃない」
矢継ぎ早に投げかけられる質問。クイーンの陰った眼差しとは異なり、皆は久々の仕事に心を躍らせていた。その期待を裏切るのは辛い事だったろうが、彼女はきっぱり否定する。
「いいえ、違うわ……。場合によっては、もっと厄介かも」
「なんですか……?」
やっとこさ俺達にも事の重大さが伝わり、嫌な予感を覚えつつも指令を待つ。クイーンも意を決し、今回の依頼内容を告げた。
「……あー坊の、捜索よ」
『!?』
聞いた瞬間、鉄以外の三人の顔が引きつる。通りで、あのクイーンが暗い表情をするはずだ。
その恐ろしさを知っている俺達は各々震えだし、そして口々に呟きだす。
「そ、そんな」
「なんてこった……」
「また逃げ出すなんて……。あんた、説得に失敗したのね?」
「一回は、分かり合えると思ったんだけどねぇ」
「え、えっと、あの」
ただ一人、状況が飲み込めない鉄。嗚呼、知らないという事は何と幸せな事か。けれどもそれでは仕事にならないので、無知で無垢な新入りの為に、クイーンが状況を説明する。
「本名、レイブンダーク・ドゥ・ノワール・オゥ・アッシュ。通称あー坊。灰色の毛に黒の縞模様が入っている猫の事よ」
補足すると、無駄に格好良い名前が付いているのに、短縮系しか広まっていないのが残念な猫である。それが原因で脱走を繰り返しているのではないかと、俺はひそかに思っている。
「それが脱走したのよ。よりにもよってあー坊だなんて……。あのトラ丸に次ぐナンバー二じゃない」
「なんばーつー?」
再び首を傾げる鉄。まぁ突然ランク付けが出てきても、訳が分からないだろう。
「この業界では、迷子猫の番付けがあるんだ。それの、あー坊はナンバー二、つまりは二番目に難易度が高いって事さ」
迷子猫には、金融会社で言う所のブラックリストならぬ、探偵達の間にはエスにゃんリストというものが存在するのである。ちなみにエスにゃんのエスはエスケープのエスなので、誤解しないように。
その点については納得したらしいが、まだ疑問があるらしく、鉄は尚も問いかける。
「先程の説得、というのは」
嗚呼、そこにきてしまったかと、クイーンは勿論、俺も雨も渋い顔をする。さてどうやって説明しようかと頭を悩ませていたら、姫がさらっと率直に言ってしまった。遠慮や配慮が履けている訳では無く、ただ単に性格の問題であろう。
「クイーンはね、猫と会話が出来るのよ」
「ええー!?」
これだけはっきり暴露されてしまえば、もはや隠しだては無用だ。クイーンも苦笑いしながら説明を付け加える。
「私に猫語を教えてくれた師匠がいてね。今回も、もしかしたらお力をお借りする事になってしまうかもしれないけど、出来れば私達でなんとかしたいものね」
俺も一度しかお目にかかった事は無いが、あの方は本当に紛れも無く最終兵器である。あの方が登場すれば、全てのパワーバランスが崩れる。それだけは阻止しなければならない。俺達は決意を新たにした。
一方の鉄は、開いた口が塞がらないようだった。そりゃあ驚きもする。俺も、最初に聞いた時は信じられなかったし、今でも完全に信じている訳では無い。だが、重要なのもそこでは無いのだ。
「え、えっと、じゃあ、その師匠は日本語が……?」
「うーん、というよりはー。なんだろうなー。説明するの難しいんだよね」
「まぁ言っても納得なんて出来ないだろうから、クイーンは猫と喋れるという事実だけ覚えてなさい」
姫の言う通り。仕組みは謎だが、実際クイーンはそれで何匹ものお猫様を説得している。その実績と、何よりも彼女への信頼。それだけあれば十分だ。
こほんと咳払いをして、クイーンは話を戻した。
「と、い・う・わ・け・で、配布資料を。姫」
「はーい♪」
「やけに機嫌良いな、姫」
いつもならクイーンの下で、しかも資料配布等という雑用中の雑用なんて絶対にやらないのに。
「そりゃあ、久々の大仕事だからね。腕が鳴るわー」
成程。おそらくここで一番仕事が好きなのが姫だ。次点はクイーン。多分、そこだけが唯一、姫がクイーンに勝っている部分だと思う。……まぁ、そんな事を言った所でいずれにせよ怒られるだけだから、言わないけど。
「あら?」
だが、珍しくご機嫌な姫の機嫌を損ねるのが、クイーンという女性である。
「ここの道、今無いわよ?」
「え?」
「正確には、今工事中で通れないのよね」
「なん、ですと……」
姫が絶対の自信を持つ“情報”という領域。それさえも易々と侵していくのが、彼女が妃と、そして女王と呼ばれる由縁である。
「まだまだ詰めが甘いわね、小栗鼠ちゃん」
「ふん、いつかあんたを追い抜いてやるわ。氷の女王」
良い意味で猪突猛進、どこまでもまっすぐで正々堂々な姫と、物事を裏の裏まで読み切り、事の本質を見抜く事に長けたクイーン。年こそ十以上離れているが、この二人は完全に好敵手なのである。
その関係を、俺と雨は新入りに説明する。全く、うちの女性陣はどうしてこうも多くを語ってくれない人達なのだか。
「えーっと、小栗鼠ってのは、姫のもう一つの渾名である所の“火喰い栗鼠”からで、氷の女王はクイーンの二つ名だよ」
「姫の方は、その小柄な体格からは想像もし得ないぐらいにずば抜けた情報処理と、クイーンに鍛えられた戦闘能力を表して付けられた渾名。クイーンの方は、その冷酷なまでの仕事に対する姿勢から、だったかな。任務遂行の為なら、どんな手間もかける。そして例えそれが知り合いであろうと、情けや容赦はかけてくれない」
「そして、火と氷は相対するもの。よって、この二人が対立するのは自然な成り行きって訳さ」
「成程……」
しかしこれだけではまだ適切では無くて、実際の所、姫はクイーンの背中を見て日々成長中である。元々情報処理能力は卓越していたが、それにしたって来た当初はこの僕と互角ぐらい。それでも彼女の年齢を考えれば大したものだが、それよりも特筆すべきはその成長率である。たったひと月ほどで俺を追い抜き、二年が経った今では其方側の世界でも有名人になった。戦闘能力だって、来た時は普通のか弱い女の子だったのに。今では何一つ、俺が敵う物なんて無い。
まぁそんな泥臭い話を姫はされたくないだろうし、何より鉄が覚えきれないだろう。だから今は伏せておく。これが事件の引き金になるだなんて、この時の俺には知る由も無かったけれど。
とまぁ、こぼれ話はこれくらいにして。話がようやく、本題に入る。
「もう、なんであなた達と喋ってると、話が脱線するんだか……。いい加減、説明に入るわよ?」
『らじゃー』
「作戦は簡単。まず、配布資料の三ページ目を見て。それまでのページは対象に関する詳細なデータが載ってるから、身体的特徴、癖、全部頭の中に叩き込んでちょうだい」
その言葉の意味を知っている我々は、クイーンの指示に従って資料を隅から隅まで読み始める。こういう時、一つ情報を見逃しただけで命取りになるからだ。一方、何も知らない鉄に、姫がにやりと笑いかける。
「ちなみに、これ読み終わったら燃やすとはいかないけどシュレッダー行きだから」
「え!? 本当に!?」
残念な事ではあるが、本当の事である。呆然とする鉄を、雨が諭す。
「たかが猫探し。されど猫探し。甘く見るなよ? ペットってのは、飼い主を反映する。依頼人の個人情報を守り、依頼内容は絶対に口外しない。それが探偵ってもんよ」
どうでも良いが、何故こいつはこんなにも素でイケメンなのか。男から見ても格好良いというのは、もはや罪なレベルだと思う。
「という訳で、ちゃっちゃと覚えなさい」
クイーンにも促され、こくりとうなづいて、彼は目を皿のようにして情報を吸いこみ始める。何というか従順、そして真面目だ……。
鉄が本気を出し始めた所で、クイーンは話を続ける。
「で、三ページ目。これがこの辺りの地図ね。先程の訂正個所は、各自修正しておく事。ちなみに、赤線が前回逃走時のルート、他色付きの線は以前に逃走した時のルートよ。もっとも、こちらの推測だけどね。黒の太線で示されているのは、普段の彼の行動範囲。いわゆる縄張り(テリトリー)って奴」
「こうして見ると、意外と偏りがありますね」
「そう。今回我々はこのデータを元に、とりあえず網を張るわ」
「とりあえず、って事は……」
「……最悪を、想定してる」
『あぁ……』
まさかそんな事は無いと思う。というかあってはならないと思う。そんな事がもし現実となってしまったら、歴史が変わりかねない。だが……。あー坊なら、その先駆者になりかねない所が、不安の種だった。
我々が気を落としている中、先に先にと読み進めていた鉄が、疑問の声を上げる。
「あれ? 四ページ目も地図? しかも先程より広範囲のものですね」
「それが、最悪のパターン、よ」
「まぁそれも、起こるかどうか分からないし」
「実際に見ないと信用しないだろうから、とりあえずこの地図の範囲、それからこの辺りに走っている鉄道なんかを頭に留めておいて頂戴。片隅で良いわ」
彼も飲み込みが良くなってきたのか、あるいはいずれ分かる事だと思ったのか、はたまた自分のすべきことが与えられたからかは分からないが、一つ返事で応じた。
「さー」
「五ページ目には今回の役割分担ね。一応口でも説明すると、まずここに残るのは姫だけ。後は現地に向かってもらうわ。三ページ目の地図に、ポイントがしてあったでしょう? 最初、各自そのポイントに向かってもらう。そこからくまなく辺りを捜索してもらうわ。発見し次第、無線に連絡を入れる事。独断専行は禁止。良い?」
迷子猫探しは一筋縄ではいかない事が多い。その為、出来るだけ捜索に人員を充てるのがセオリーだ。特に今回は、あのあー坊を相手取るのである。異論は無かった。
「あと、皆にこれを渡しておくわ」
「これは……。携帯端末と、イヤホン?」
「そう。まぁ、無線だと思ってくれて構わないわ。作戦実行中は常にこれの電源を入れたままにしておく事。会話はイヤホンのこの部分がマイクになってるから、これで行う事」
所謂、イヤホンマイクという奴だ。携帯電話でも良いのだが、それだと全員に、しかもいっぺんに知らせるというのが難しくなってしまう。やはり捜査には無線が便利なのだ。
「また、これは発信機になってるから、ここで待機している姫には皆の位置が丸分かり」
「だから、あたしがここから、皆をナビゲートするからね」
俺も決して、裏道まで熟知しているような慣れた土地という訳ではない。心強いバックアップである。
「行動開始は三十分後。本日一七○○より、作戦を実行する。その間に各自資料を読み込み、準備をしておく事」
何故ここで突然司令官風になるのか。つっこんではいけない。時には侍風になったり、武将風になったりもするのだ。それを考えたら、いちいち気にしていては負けである。
『了解』
資料を読み込み、服装を整え、装備を確認しているうちに、あっという間に三十分が経過した。
「皆、揃ったわね?」
そう言って俺達を見回すクイーンの瞳には、いつになく気合いが入っている。
「今回の目的はあくまでも迷子猫、あー坊の捜索とその保護。間違っても捕獲では無いという事を、しっかりと胸に刻み込んでおくように。クライアントの大切な家族に、怪我なんてさせるんじゃないわよ」
『はい』
「じゃあ、このメンバーでの初任務、気合い入れていくわよ!」
『さー!』
凛とした声で、賽は投げられた。
「では、作戦開始!」
いよいよ初任務。果たして彼らは無事、にゃんこを発見する事が出来るのか!?
ツッコミ不在でお送りする、ボケのミルフィーユの結末はいかに。
次回、「Mission1:迷子猫を攻略せよ【後編】」
頑張れ、僕らの非リア戦隊お邪魔虫レンジャー!