表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/27

外へ

「なんかすげぇよな。」

 4階へと続く階段を上りながら、俺は無意識に呟いた。

「何が?」

 7号を負ぶさっているタクマが聞いた。高校では運動部に入っているという彼だが、さすがに今はしんどそうだ。

 俺たちは事務室から出た後、建物の北側にあるという階段に向かった。駐車場のある4階に行くにはエスカレーターやエレベーターは使えない。エレベーターは動いていないし、エスカレーターはそもそも3階以上には設置されていないのだ。

 蛍光灯はおろか非常灯すら点いていない階段は暗く、上るのに苦労した。俺は、四つん這いになって両手で段の位置を探りながら上った。すぐに運動不足の体が悲鳴を上げかけたが、そこは横のタクマの存在もあり、耐えた。こいつはあの少女は担ぎながらこの階段を上っているのだ。手を付けられず、踏み込む足先で段を探っているが、恐らくかなりキツいだろう。それに比べたら俺の疲労感なんて可愛いもんだ。弱音を吐くわけにはいかなかった。

「すごいっていうか、なんか俺ら今、日常じゃ考えられないような事やろうとしてるんだなァ~って思うと感動的っていうか・・。よくわからんけど、武者震いがする。」

 俺は笑いながら言った。周りではとんでもない大惨事が起きていて、当たり前のように凄惨で非日常的な光景が広がっているわけだが、その中に自分たちも少しずつ順応していっているように思えた。退屈しのぎばかり探していた日常生活とは全てが違う。生きるか死ぬか、みたいに漫画染みた言葉が相応しい世界。でもまだやっぱり現実離れして見えるな、と俺は思った。

「まあ、まだ完全に状況を理解できてはいないんだけどな、実際。」

「そんなの僕だって同じだよ。こんなの悪い夢かもしれないって思う事はよくある。」

 荒い息遣いでタクマが言った。彼は「よいしょ」と言って7号を背負い直した。

「サクトにとって、この異変はかなり突然起こったように見えるだろうけど、それは僕も同じだよ。」

 そこでタクマは少し暗い顔をした。

「僕が被災した・・って言うのかな、この異変を目の当たりにしたのは学校で授業を受けてた時だった。」

 俺は何を言ったらいいのかわからなかった。タクマが見てきた光景は、俺なんかの想像を絶するだろう。最初に会った時の彼は、常に何かに怯え、表情が引きつっていた。おそらく、俺に会う前に地獄のような恐ろしい体験を幾つも味わったのだろう。それでも、タクマは俺を助けに来た。

「俺たちは生き残るぞ。」

 俺はボソッと言った。

「うん。」

 タクマは前を向いたまま答えた。




 階段を上り終え、俺たち3人は4階駐車場フロアに来た。

 物陰に身を隠しながら壁ごしに様子を窺う。エレベーターの前に黒い人影が見えた。

〈エレベーター前に通常種が1体。もう2体は駐車場の奥にいる。ヤツらの能力では暗闇で私たちを発見する事は不可能だろうが、物音は立てるな。〉

(言われなくてもわかってるよ。)

〈サクト、これからの作戦はお前に懸かっている。雑念を振り払って集中しろ。〉

 俺は顔をしかめた。どんな小さな音も立ててはいけないからといっても、頭の中で会話するのは面倒くさい。タクマと会話する場合は7号を中継しないといけないし、いろいろとややこしい。

〈例の物はちゃんと持っているな?〉

 俺はポケットの中身を探った。7号の言う通りに集めた道具の感触を確かめる。よし、どれも落としてない。

(あるぜ。大丈夫だ。)

〈では、打ち合わせ通りに実行するぞ。私たちは非常階段へ向かう。その間に、お前はヤツらを陽動しろ。ヤツらの配置に変化は無いから、全て上手くいく。〉

(オーケー!)

 俺は駆け出した。




 階段から物音がして、その通常種は振り返った。背の高い女性型の通常種はうろうろと音の方向へ歩き出した。

 闇の中に、微かに赤い光の点が見える。それは地面に転がっているらしかった。通常種は本能に従ってその点に近づいた。

 通常種が冷水機の横を通り過ぎようとしたその時、俺は物陰から飛び出した。持っていた自転車用チェーン錠で通常種の胴を囲むと、そのままそれを壁面に取り付けられたパイプに通し、鍵をかけた。

不意を突かれた通常種は、噛み付こうとしてバタバタと暴れ出したが、拘束状態から抜け出す事はできなかった。

 俺はすぐにそこから飛び退き、そのままへなへなと座り込んでしまった。全身から冷たい脂汗がだらだら流れ落ちているのがわかる。呼吸が荒い。心臓が早鐘のように打っているのを感じる。

 とてつもなく危険な賭けだった。2階のスポーツ用品売り場で7号が見つけたチェーン錠とLEDライトを使ったほぼ捨て身の作戦。一歩間違えていたらと思うと震えが止まらない。

〈何休んでる。さあ、次に進むぞ。〉

 頭に例の指令が届いて俺はうんざりした。ちょっと待ってくれよ。上手くいったのが当然かのように言いやがる。レナに似てさえいなかったら殺してるところだ。

 俺は稼働しない自動ドアのガラスを無理やり蹴り壊し、駐車場に出た。

 肌に当たる外気が冷たい。なんだか久しぶりに外に出た気がする。日の光が眩しく感じたのと同時に、急に安心感が溢れた。

〈不用意に動くな。奥にもう2体、下の階にはもっといる。とはいえ、今は休眠状態のようだがな。〉

(休眠状態?)

〈変種第3号から養分を与えられているという事だ。今のヤツらは何らかの刺激が来ない限り動かない。しかし、気づかれたら終わりだ。〉

 俺は唇を噛んだ。「終わり」・・・試合に負けるとか、受験に落ちるとか、そんな終わりとはレベルが違う。ここで終わったら、待つのは人生の「終わり」。死だ。

(瀬戸際ってやつか・・。)

〈タクマはもう覚悟を決めているぞ。お前はいつまで狼狽しているつもりだ。〉

 俺はさっき階段で見たタクマを思い出した。タクマは口をへの字に曲げ、鋭い眼差しで辺りの様子に目を光らせていた。額は青ざめて汗だくではあるが、力強く地に立っていた。

 それを見て俺は焦った。タクマのこんな表情を見たのは初めてだった。あいつはいつも気が小さいように見えるけど、必ず何か上手い手段を知っている。しかし、さっきはそんな普段とは対照的で、ある種追い詰められているような気迫があった。タクマでさえ今は何も策がない。その事が俺を不安にさせた。

〈今はそんな馬鹿な事は考えるな。必要なのは集中力だ。〉

(あんたがもっとマシな指揮官だったら安心できるんだろうか。)

 俺は溜め息をついた。

〈私の言う事は信じろと何度言えばわかるのだ。私の命令は絶対だ。お前はそれに従えばいい。〉

(どっちにしろ、この状況じゃもう後には退けないじゃないか。ずる賢いやつだよ。)

 そう言うが早いか、俺は走り出した。目指すは正面、駐車場を真っ直ぐ走る。

(かなり臭うな・・どこで漏れてるのか知らんが。)

 ガソリンの臭いが漂ってきた。このフロアに十数台停まっている車両のどれかから漏れ出したのだろうか。だとすると、これはかなり広範囲に流れていると思われる。俺はポケットを探った。100円ライターの感触を確認して、気を引き締める。万が一、通常種に見つかった場合にはこいつを使えと言われた。正直、それだけは避けたかった。

〈それはあくまで最終手段だ。私の指示があるまでは絶対に点火するな。〉

(そんな簡単に使えるかよ。こんなの使って下手したら俺が死ぬんだぞ?)

〈ガソリンは気化しやすい。点火するポイントを間違えれば爆発に巻き込まれる危険もある。注意しろ。〉

(おいおいマジかよ・・。なんだって俺がこんな危険な役を・・・ん?)

 俺は思わず立ち止まった。地上に続く道路の両側、緑色をした巨大な葡萄の房のような物体が天井から垂れ下がっている。それは時折ピクピクと脈打ち、生きているように思えた。

(なあ、なんか変なのがぶら下がってるけど?)

 よく見ると、その奥にもおびただしい数の葡萄が列になって垂れ下がっていた。巨大な葡萄の房は道に沿って下の階へと無数に続いていた。南国の植物のように気持ち悪いほど鮮やかな黄緑色の葡萄が等間隔に配置されている異様な光景を前に、俺は恐怖を覚えた。

〈それは変種第3号だ。正確に言えば、その一部に過ぎないがな。〉

 俺は全身に鳥肌が立ったような感覚を覚えた。これが、変種第3号だというのか。植物であるらしいが、全然そうは見えない。むしろ、何かのオブジェに近い。こんな巨大で不気味な形状の植物は見た事がない。いったい、これは何のための器官なのだろう。

〈あれは変種第3号の栄養タンク・・とでも言ったところだ。葉で合成した栄養分の一部を蓄えている。〉

(栄養タンク・・って事は、あれをぶっ壊しちまえば第3号を倒せるとか?)

〈馬鹿な事を言うな、あれはヤツのための養分ではない。通常種を餌付けするための養分だ。〉

 意味がわからなくなった俺は、なんとなく栄養タンクに近づいてみた。

〈それ以上それに近寄るな!〉

 7号の叫び声が俺の頭を軋ませた。俺は踏み出そうとした足を慌てて引っ込めた。

(なんだよ!?)

〈見ろ、変種第3号の感覚毛の生えた根が地面に張り巡らされている。〉

 俺は足下の地面を見た。タンクの下から、黄緑色をしたゴボウのような根っこが、網の目のように地面に伸びていた。よく見ると、根の表面からアンテナのように細長い毛が伸びている。これが感覚毛だろうか。

(これ触るとどうなんの?)

〈触れた所から電気信号が伝わり、私たちの存在が母体に認識されてしまう。〉

(じゃあ踏まずに歩けばいいんだな?)

 俺はタンクとは反対側の端に移動した。

〈それだけじゃない。栄養タンクの中を見てみろ。〉

 俺は言われるがままにタンクを見た。ぷくぷくした房の表面には血管のような細い管のようなものが無数に浮き出ている。それらが一定のリズムに従って震動している。その中、何か影が見えるような・・いや、気のせいじゃない。何か黒くて大きなものがタンクの中にいる。しかし、微動だにしない。

(これは・・いやしかし、まさか・・・!)

〈そうだ。それは通常種だ。〉

 俺はもう一度影を凝視した。言われてみると、確かに人間の形をしている。房の中で、通常種は胎児のような姿勢をしたまま眠っていた。こちらに気づいている様子は無い。

 その時、タンクの下の方がグニャグニャと動き出した。

(おい、なんだこれ!)

 タンクは奇妙な動きを繰り返し、やがて、下の方から変な液体が漏れ出てきた。茶色いその液体は、鼻が曲がるような臭いを撒き散らしながら流れてきた。

〈3号に気づかれたのだ!通常種がタンクから出てくる、下へ走れ!〉

 俺は駆け出した。タンクの横を通り過ぎる時、次々に中身を解放していくタンクが横目で見えた。まずい、どんどん開いていく。何故気づかれた?さっきエレベーター前で拘束した通常種の情報が漏れたのかもしれない。

 後ろの方でボトボトと重い物が落ちる音が聞こえ、やがて恐ろしい唸り声がした。ついに解き放たれた通常種の群れが、大群となって追いかけてくる。俺は後ろを気にしながらも螺旋状に曲がった道を懸命に走った。

 壁に“二階”の表示がある。よし!あともう少しで一階に着く。地上に着いてすぐにこの建物から離れれば、あの通常種は追って来ない。走る脚がさらに速さを増す。

 後ろを振り向くと、通常種がもうすぐそこまで迫っていた。街で見た通常種と違う。ヤツらはこんなに速く走れはしなかった。だが、背後の通常種の走りは速く、普通の人間と変わらなかった。

「聞いてねえ・・こんなの聞いてねえぞ!!」

 俺は絶叫した。それに刺激されたのか、通常種は一斉に吼え出した。怖い。死ぬほど怖い!喰われたくない!俺の脳裏に、通常種に喰われた追跡者が浮かんだ。嗚咽がこみ上げてくる。吐息に混じって絶望的な喘ぎが漏れる。恐怖に押し潰されそうになる。俺は逃げ切れるのか?

〈サクト!ライターを点火しろ!右側の側溝にガソリンが流れている!〉

 7号の声が聞こえ、俺の脳は覚醒した。道路が終わり、俺は迷わずポケットからライターを取り出し、上体を低くして側溝に火を近づけた。

 ボッ!一瞬、青い炎が上がり、側溝が火を噴いた。炎は恐ろしい速さで上に向かって道路を遡っていく。

 通常種は両側を炎に挟まれて少し怯んだように見えた。

 次の瞬間、背後から空気の衝撃波が到達した。それに続いて、物凄い轟音と共に炎の濁流が通常種の大群を飲み込んだ。

 道路から出た俺は覚悟を決め、正面にダイブして避けようとした。

〈まだだ!走って正面の建物の裏に回り込め!!〉

 すんでのところで7号が叫ぶのが聞こえた。目の前には宝くじ売り場の小さな建物がある。俺は歯を食いしばり、そこの裏に転がり込んだ。

 その瞬間、炎が背後に激突した。窓ガラスがガタガタと揺れ、せき止められた炎が隙間から噴き出し、やがて消えた。俺は力尽きてその場に倒れ伏した。生き残った。その事実が重く心に響いた。

 建物の角から少し顔を出してみる。マルカ堂の側面からは灰色の煙が立ち上っていた。俺が通った道は倒壊していて見るも無残だった。僅かに残ったコンクリートにはヒビが入り、鉄骨が露出している。辺りには建物の残骸が散乱し、腐乱した肉の焼け焦げる嫌な臭いが漂っている。恐らく、逃げ遅れた通常種たちが焼けているのだ。

 不意に、タクマと7号を俺は思い出した。彼らは非常階段から逃げると言っていたが、上手く逃げられたのだろうか。もし爆発に巻き込まれたとしたら・・。

「おーい!大丈夫か、サクト!」

 遠くの方でタクマの声が聞こえた。振り返ると、7号を負ぶさったタクマがこちらに歩いてくるのが見えた。俺は胸の内側が熱くなるのを感じた。良かった。みんな無事に脱出する事ができたのだ。

「おう!お前らも大丈夫か?」

 タクマは右手を振り上げ、親指を立てて“大丈夫”のサインを返した。7号は日光の眩しさに慣れていない様子で、目を半分閉じていた。しかし、二人とも無傷のようで、俺はほっとした。

「7号!あんたの言うとおりにしたぜ?」

 俺は言った。すると、7号はわずかに口元で笑った。

〈いいや、お前はまだ私の事を信用しちゃいない。私にはわかる。〉

「な、なんだと~!」

 すると、タクマが慌てて止める。

「や、やめなよ。無事に脱出できたんだし、もっと仲良くしなきゃ。」 

 俺はにやりと笑った。

「そうだな・・俺たち、案外チームワーク良かったかもな。」

〈馴れ合いはしない。こうしている今も一瞬で非常に危険な状況に変わり得る。〉

 また7号が妙な事を言った。俺たちは若干気まずい雰囲気になる。

「でもよ、あんたが居れば大丈夫なんだろ?」

 俺は聞いた。

〈ふ・・。答える必要は無い。〉

 7号は欠伸をした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ