困惑
<どうした?>
少女がこちらを怪訝そうに見ている。しかし、俺たちは何も言えずに呆然としていた。
俺にはまだ信じられなかった。目の前に横たわる少女の顔は、たしかに幼馴染みのレナだ。しかし、印象はだいぶ違う。綺麗だった黒髪にはところどころ白髪がまじり、汚れてボサボサしているし、体の線も病的に細い。
そしてもう一つ、信じられないことに、彼女の姿は小学生の頃の姿と変わっていなかったのだ。面影が残っているとか、そんなレベルではない。身長も、顔立ちも、腕も、脚も、体のすべてのパーツが幼く未成熟なのだ。
<いま言った単語の意味は何だ?>
少女が聞く。口は動かしていない。頭に直接語りかけてきている。
「おまえ・・レナか?宮城レナか?」
俺は我慢できずにそう言っていた。少女は微かに首を傾げると、
<意味がわからない。何を言っているんだ?>
やはり別人なのだろうか。年齢もぜんぜん違う。彼女は俺たちと同い年だ。普通に考えて、同一人物とは思えない。でも、そんなはずは無い。なぜか俺は心の中でそう思った。理由は自分でも解らないのだが、なぜか強くそう思える。
<レナとは何のことだ?>
またも少女が聞く。不意に頭がぼうっと熱を帯びたような気がした。
「何って・・。それは・・・」
そう言いかけた時だった。
「ふっ・・!!」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。目の前の景色がぐらんぐらんと揺れる。続いて、頭に鋭い痛みが走った。
俺は思わず目を瞑った。両手で頭を強く抱え、痛みに悶えた。無闇やたらと激しく頭を振ると、まる脳内で無数の針が転がっているかのような痛みが襲う。
「どうしたんだ!?サクト!?」
タクマの声が遠くから聞こえてくる。何なんだこの頭痛は。さっきも同じようなことがなかったか?車に乗っていたときだ。あの時も突然・・
右肩に強い衝撃が伝わった。そして、頭の右側面にもそれが伝わる。転倒してしまったのだろうが、俺にはもう上下左右もわからなくなっていた。
意識が遠のく・・・・。
やがて、目の前が真っ暗になった。
蝉の鳴き声が聞こえる。
夕刻を告げるチャイムが鳴り響くなか、夕焼け空に照らされて橙色に染まった丘の斜面の草むらの中を、数人の子供達が走っているのが見える。
「●●●●●●●」
真っ黒に日焼けした、麦わら帽子の少年が言った。俺は瞬時にそれが誰だかわかった。
カイだ!ニヤリと笑いながら、ボサボサ頭が揺れる。あの髪としわくちゃTシャツは間違いなく彼だ。しかし、何て言ったんだろう。よく聞き取れなかったけど、あれはどこの国の言葉だろう。
「のぞむところよ!先に着いた人がリーダーね!」
少女の声だ。風に黒髪をなびかせ、黄色いワンピース姿の少女がカイを追い越した。間違いない。レナだ。彼女は細い腕を力いっぱい振って、みるみるうちにカイとの差を広げていく。
その後ろから、メガネの少年が息を切らしてついて来る。
「待ってよ、レナ!カイ!速すぎるってば・・・。」
彼はデンタクだった。華奢な体でなんとか追いつこうとしているが、遅い。
なんか懐かしい。俺はぼんやりとそう思った。季節は夏。おそらく、俺が小学校四年生の頃の夏休みだろう。はっきりとは覚えていないが、何故だかそんな気がした。あの頃はこうやってどこでも走り回っていた。あの頃は何もかもがただただ自由だったなあ・・・。
「じゃあな、リーダーは俺だぜ。」
突然、カイとレナの近くの草むらがガサガサと揺れた。2人はギョッとして思わず足を止める。
草の揺れは勢いよく丘を駆け上がっていく。
「●●●●」
カイが何か叫んだ。草むらから1人の少年が飛び出した。その姿に俺は目を見張った。
それは俺自身だった。サラリとして、ところどころ茶色い毛が混じった黒髪。泥だらけの赤いTシャツ。
幼い姿の俺は、勝ち誇った表情で丘の頂上を目指す。その後ろから、レナ、カイ、デンタクと続く。4人の子共達は楽しそうにきゃあきゃあ喚きながら、丘の斜面を登っていた。
俺はゆっくりと視線を上の方へ移した。
丘の頂上。幻想的な夕焼け空と、大きく膨らんだ夏の入道雲をバックに、それは子供達を見守るように立っていた。太くてたくましい幹には苔が生え、何匹もの蝉がとまっている。青々と美しい葉をつけた枝が風に揺れる。幾重にも重なった葉が擦れ、ざわぁざわぁと波のような音をたてる。
大きな、ケヤキの木。
目を開けると、まず飛び込んできたのはタクマの顔だった。
「サクト!大丈夫かい?」
彼は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。俺は静かに頷くと、ゆっくり上体を起こした。
ぼんやりしながら、俺は何度かまばたきをした。
辺りを見回して、俺はようやく我に返った。狭くて薄暗い部屋。積まれたダンボール箱や書類。
思い出した。俺はいまマルカ堂にいるんだ。それで、俺は頭痛がして・・・。俺は頭を撫でてみると、倒れた時にできたタンコブはあったが、さっきの痛みは嘘のように消えていた。あれはいったい何だったんだろう。
「ふーっ。俺、どのくらい寝てた?」
俺はタクマに聞いた。
「そうだな、10分くらいだと思うよ。」
俺は溜め息をついた。こんな非常時に俺はなんて呑気なんだ。
「悪い。下の階のヤツらが来たらヤバいのに、俺のせいで・・。」
すると、タクマは笑った。
「大丈夫だよ。サクトを見捨てたりはしないさ。それに、アイツらはまだ一階でうろついてるし。」
俺は顔をしかめた。
「まだ一階にいるだって?何でわかるんだよ?」
「この子がそう言うんだよ。」
タクマは部屋の隅を示した。そちらを向くと、レナに似たあの少女が横たわっているのにきづいた。
「うわあっ!」
俺は思わず飛び上がってしまった。そういえば存在を忘れていた。はっきりとは見えないが、少女はムッとした表情でこちらを睨んだ。
<何を驚いている?私はさっきからずっとここにいるぞ。>
頭に声が響く。
「ああ、ごめん。ぼんやりしてたんだ。すまんすまん。」
俺は慌てて謝った。眠りから覚めた後は頭がよく回転していないから困る。
「なんだかな・・夢を見てたんだが。」
「夢?」
タクマが聞いた。
「ああ。なんか懐かしい夢だった気はするんだけど・・あれぇ?」
俺は首を傾げた。
「どうしたんだい?」
「うーん・・忘れちまった。」
「これからどうするんだ?」
俺は聞いた。
「そうだったそうだった、それを今2人で話してたんだよ。」
タクマは少女に目をやった。少女はもぞもぞとして、体をわずかに起こした。
「その前にさ、結局こいつはどこの子なんだ?」
俺はかねてからのモヤモヤをぶつけた。
「この子は・・。」
タクマが言う前に、頭に声が響てきた。
<その呼び方はあまり好かないな。私がお前たちに見下される理由は無い。>
「別に見下してるわけじゃ・・・。」
<私は変種第7号。お前たちのような名前は無い。>
それきり、少女は黙ってしまった。“変種第7号”なんて、いくらなんでも長すぎだ。
<長いだと?>
少女が言った。俺は一瞬驚いたが、すぐに苦笑した。そういえば、こいつは俺たちが思った事を読み取るんだったっけ。
「ああそうだよ。こっちだって呼びにくいぞ、7号ちゃん。」
「うん、もっとちゃんとした名前がいいよ。」
タクマが考え込む。
<そんな事はどうでもいい!今はそんな呑気なことをしている場合じゃないんだ!>
「アアァウワァア!!」
少女が自分の口から喋った。しかし、言葉にならない吼え声のような声だ。俺はビックリして思わず飛びのいた。彼女は口を閉じると、やがて苦しそうに咳き込み始めた。
「おまえ・・喋れなかったのか・・?」
「ごめん!今は一刻も早くここから脱出しなければならないんだったね。」
タクマは少女の肩を優しく抱きかかえ、背中をさすった。俺も何かしようと思ったが、とりあえず手を握ることにした。
俺は少女の手に触れてみてギョッとした。少女の指はゴツゴツと骨ばっていて、関節の感触が不気味だった。俺はだんだん彼女の体が心配になってきた。どうしてこんなになってしまったんだろう。病気?あるいは、ケガをしているとか・・?
<この体は生まれつきだ。>
少女が言った。まだ息は荒いが、さっきに比べて幾分落ち着いている。
「生まれつき、病弱なのか?」
俺はぼそっとそう呟いた。
<さっきも言ったとおり、私は変種だ。おそらくは通常種が変異して生まれた存在だ。肉体に欠陥があってもおかしくない。代わりに精神感応能力が備わっているがな。>
俺がキョトンとしていると、タクマが説明した。
「この子・・じゃなくて7号は、広い意味で言ってしまえば追跡者の兄弟みたいなものなんだ。つまり、ヒトが何らかの方法で感染して、本来は通常種になるはずが原因不明の現象によって彼女のように意思を持ったタイプの種が生まれたという事らしい。」
「それじゃあ、こいつはヤツらと一緒って事か?」
「まあ・・広い意味ではね・・・。」
俺は首をすくめた。
「なんじゃそりゃ、あまりにも突拍子無さ過ぎねえか?」
「確かに。僕だって初めは信じられなかったよ。でも、7号の言っていることは正しい。僕らだって、彼女の助けが無かったら死んでいたじゃないか。」
「それはまた別の話だろ・・。つーか・・・。」
俺は俯いた。ダメだ・・。
「何なんだよ・・もうワケわかんねえよ。」
実際、今日一日に起きたことはあまりに多すぎて頭が混乱していた。すべてが非現実的すぎて、ただただ戸惑うばかりだ。はっきり言って、俺はもう限界だった。
「そうだよね・・いきなり理解しろって言われたって難しいよね。ごめん。」
いや、タクマは何も悪くない。俺の頭が現実について行ってないだけだ。俺は首を振った。
「悪い・・今の取り消す。」
「え?」
タクマが目を丸くした。
「元はと言えば、俺が巻き込んだ件だ。馬鹿な事言って良い立場じゃない。」
タクマは微笑んだ。そして、説明を続けた。
7号は、もともとはヒトだった。しかし、この異変のさなかに通常種かあるいは変種に噛まれ、その時にあるウイルスに感染した。身体を変異させてしまう恐ろしいウイルス、それが今回の異変を引き起こしたと考えられる。そして、彼女は誕生した。本来、変異したら生前の記憶や意思は消えてしまうが、彼女の場合は意思だけが残っていた。
それともう一つ、彼女には特殊な能力が身につけられていた。精神感応能力だ。彼女は一般的に言う視・聴・味・嗅・触の五感以外に、周囲のあらゆる情報を収集するための第六感覚が備わっている。それは、生物の精神や思考、建物や地形などの情報も細かに読み取ることが出来、目をつぶっていても脳内に立体的な映像が浮かぶらしい。
しかし、その代償なのかは定かでないが、彼女の体は非常に脆く弱い。最近では歩く事は愚か、自力で立ち上がる事すら出来ないという。無理に動けば、生命を脅かす危険もだろう。
この数日間、彼女は能力を駆使して様々な情報を収集し、言語をはじめとする基本的な情報から、この異変に関する事まで調べ上げているという。
「彼女は今までたった一人でこの異変の中を生き延びてきたんだ。すごいよ。」
説明を一通り終えてタクマが言った。
「しかし、この異変の原因がウイルスだなんて・・そんなことまでわかるのか。」
俺は感心していた。まるでファンタジーのような話だったが、彼女の言うとおりにしていれば自分たちも生き残る事が出来るかもしれない。これは単純に心強かった。
<それはあくまで仮説だ。こんな大規模な生態系の異常災害が自然に起きる事は珍しいし、原因があるとしたら新種のウイルス兵器か何かであるとも考えられるが・・。>
「はっきりとはわからない・・と?」
<・・そうだ。>
少女は少し間を置いて答えた。俺は頭を掻いた。
「そうか・・そうか。なんかやっぱりまだ信じられない気分だけど、君が敵じゃない事はわかった。」
少女はふん、と鼻を鳴らした。
「問題は、これからどうするか、だ。」
俺は切り出した。
「ああ、さっき少し相談してたんだけど、とにかくまずは建物の外に出よう。ここに居ても下の通常種が来るのは時間の問題だろうし・・。」
<逃走経路は把握している。ここへ来るときにお前たちが使った階段を上って4階の駐車場から車用の通路を通って外に出る。しかし、見張りが3体いる事が厄介だ。>
「見張り!?」
俺は聞き返した。
<通常種が3体、4階の駐車スペースに配置されている。それらと接触することは避けられない。>
俺は顔をしかめた。
「おいおい・・!接触ってまずいじゃないか!喰われちまうよ。」
<捕まる前に外に出ればいい事だ。>
「外に出たって追いかけてくるじゃないか!」
少女はやれやれといった様子で首を振った。俺はわけがわからずタクマに助けを求める。
「ここの通常種は外には出ないんだ。飼われているからね。」
タクマは静かに言った。俺は耳を疑った。
「飼われてるだって・・?」
<そうだ。1階の通常種を含め、この建物内にいる通常種はすべてが組織化され、それぞれ役割を持って動いている。>
「なんだって!?通常種は間抜けな下等生物とか言ってなかったっけ?」
<そこまでは言っていないが、確かに通常種は群れで行動したりしない。あくまで単独行動をとる。しかし、この建物の連中は違う。操られているのだ。>
少女は苦笑いした。
「そんな・・誰が操ってるって言うんだよ?」
俺が恐る恐る聞くと、
<変種第3号だ。>
俺は絶句した。また変種だ・・。という事は、彼女が自分の事を7号と言っていたのだから・・少なくともこの世界に変種は7種類以上存在しているということになるのだろうか。あの追跡者のようなヤツらがたくさん・・恐ろしい。俺は身震いした。
<あれこれ想像しているな?しかしそれほど心配しなくてもいいかもしれないぞ。変種第3号はこの建物全体に根を張り巡らしている巨大な植物だ。>
「・・え?」
俺は少女の方を見た。少女は相変わらず笑っている。
<だがなかなか厄介だぞ。変種第3号は特殊なフェロモンで通常種をおびき寄せ、養分を与える代わりに自分を守るように洗脳するのだ。根の表面から分泌される養分には依存性の強い薬物が混じっていて、その味を知ったが最後、永遠に奴隷となるのだ。>
「・・結構怖いじゃねえか。で、そんなヤツどうやってあしらうんだ?」
<変種第3号は自分の縄張りを守るために私たちを排除しようとしているだけだ。この建物から出てしまえば、あとはもう興味を示さない。>
「そんな事くらい俺にもわかるよ!」
俺は反論した。
「問題は、どうやって出るか、だろ?」
少女とタクマは頷いた。
<ここからはただの脱出作戦なんかじゃない。例えるなら、兵士をどう動かすか。そういう、れっきとした知能戦になってくる。>
俺は武者震いがするのを感じた。とても怖いが、同時になんだかワクワクする。全身の血液が滾るような、そんな感覚だ。
「やるっきゃないね。」
タクマが俺の方を見て言う。俺はニヤリとした。額には一筋の汗が流れる。
「ああ。やるっきゃない。」
絶対に生き残ってやる。俺はそう、固く決意した。