脱出
俺はカバンを置いたまま、1階へ駆け下りた。
玄関の扉を開けるとき、ふと俺の心に迷いが生まれた。本当にこの扉を開けてもいいのだろうか。外には得体の知れない化け物がいる。家に居た方が安全なのではないか?ここで踏みとどまる事も可能だ。俺は固く目をつむり唇をかみ締めた。
その時!
「サクト!!助けてくれ!」
タクマが俺を呼ぶ声が聞こえた。その声は絶叫に近かった。俺は力強く目を開けた。タクマが俺の助けを求めている。俺は扉を開けた。さっきまでの臆病な自分が可笑しく思えた。そして、急に「やってやるぞ」という思いがこみ上げてきた。
声のした方向へ走って行くと、目に飛び込んだのは死体の群れに囲まれ、追いつめられる友人の姿だった。
「タクマ!」
俺は思わず叫んでいた。すると、彼は笑顔で応えた。
「やあ、呼んでも来ないからてっきり見捨てられたのかと思ったよ!」
俺は苦笑いした。見慣れた現実とはかけ離れた景色の中で、唯一普段と変わらない友人の言動はなんだかホッとする。
「おい!何ひたってんだよ。とにかく助けてくれないか?」
タクマの悲鳴に俺はハッと我にかえった。どうしよう?状況は最悪だ。しかも、考える時間もあまりないときている。
そうこうしているうち、1人の死体がタクマにつかみかかった。タクマは悲鳴をあげ、それを振り払った。しかし、その悲鳴に刺激されたのか、死体たちはいっせいに襲いかかってきた。もうだめだとばかりタクマが目を堅く閉じたその時、一台のスプリンターが死体の群れに突っ込んできた。死体たちを次々にひき殺し、フロント部分が音をたてて凹んでいく。
やがてスプリンターが群れの中心に躍り出ると、俺は勢いよくドアを蹴りあけた。
「早く乗れ!」
すると、タクマは何も言わず、しゅっと車内に身をすべりこませ、素早くドアを閉めた。
俺はそれを確認すると、力いっぱいアクセルを踏んだ。タイヤが地面でかすれ、ものすごい音をたてる。次の瞬間、車が急発進したため、2人はシートに後頭部をぶつけた。
車を取り囲んでいた死体たちはドカドカと弾き飛ばされ、時々ボンネットに乗り上げた。しかし、車を止める事はできなかった。二人を乗せたスプリンターは、バス通りを南に向かって疾走していった。
俺はがむしゃらに車を走らせた。しかし、どこの景色も期待を裏切る有り様だった。 行く先あちこちで黒い煙が上がっていたり、たまに死体がうろついていた。
やがて、ずっと黙っていたタクマが口をひらいた。
「どこもかしこも酷い有様だ。この街にはもう生きている人間はいないよ。」
そう言うとタクマはうなだれた。俺は未だに残る疑問を聞いてみる事にした。
「何が起こってる?俺の寝てる間にいったい何が‥‥」
言い終わらないうちにタクマが口を挟んだ。
「寝てた?」
「ああ。昨日の夜からな。」
すると、タクマは顔をしかめた。
「え・・それじゃあ一週間何も異変に気づかなかったってこと?」
今度は俺自身が顔をしかめた。
「何言ってるんだ?昨日まではこんな事になっていなかったじゃないか?お前とだって遊んだし。」
すると、タクマは急に真剣な顔をした。
「ねえ、今日は何日だかわかる?」
あまりにくだらない質問に俺は拍子抜けした。
「それがどうかしたのか?」
「いいから言ってみろ!」
命令口調。どうやらタクマは大真面目らしい。俺はしぶしぶ答えた。
「はぁ・・。今日は11月7日だろ?」
するとタクマはいきなりつかみかかってきた。
「ど、どうしたんだよ!?今日は11月16日だろ?」
「え!?何で?」
タクマはポケットから携帯を取り出すと、画面をこちらに見せてきた。
俺は言葉を失った。そこには…はっきり“11月16日”と表示されていたのだ。信じられなかった。自分には一週間の記憶がない。これはいったい何を意味するのだろう・・。
タクマは静かに話し始めた。
「事情は知らないけど、サクトが一週間寝てたってのは本当みたいだね。」
タクマはまだ半信半疑の様子だった。
「嘘だろ、一体どうなってんだよ・・。」
俺はもう限界だった。何もかもが変わってしまった。俺は確かに寝ていた。でも一週間なんていくらなんでもあり得ない。でも、それを証明してくれるヤツなんて居ないのだ。どこにも・・・。
「サクト・・」
タクマが心配そうに声をかけてきた。そうだ。考えてみれば、タクマを助けるために玄関から外に出たとき覚悟を決めたじゃないか。こんな状況なんだ、いつまでも沈んでいられない。俺はハンドルをギュッと握り締めた。
「・・状況を説明してくれないか?」
「え?」
俺はタクマの顔をしっかり見据えた。
「今この街で何が起こっているのか、お前が知ってる限りで良いから俺に教えてくれ。」
とにかく自分が知らない間の出来事を知っておきたかった。
タクマは小さくうなずき、静かに話し始めた。
タクマが異変に気づいたのは今から5日前。何の前ぶれもなく街のあちこちでで悲鳴が上がった。全身に深い傷を負い、半分腐りかけたおびただしい数の動く死体が現れたのだ。彼らは人間や動物など、動くものや音に反応してそれらを追いかける。彼らに捕まった者は捕食され、体のほとんどを食われていなければしばらくして彼らと同じように歩きはじめる。彼らはダメージを受けても怯まず、立ち向かったものは全員食い殺された。かろうじてヒトのような姿はしているが、ただ獲物を求めてひたすら追いかけてくる動作は野生的というよりは機械的で、おそらく感情を持っていないと思われた。タクマの通っている高校では、職員や生徒が協力して即席バリケードを設けて体育館に立て篭もっていたそうだが、彼は自分の家族の安否を確かめるために抜け出してきたのだという。そして、その道中、サクトの家に立ち寄ったというわけだ。
「僕の知っていることはこれくらいだ。電話もメールも通じないし、情報が全く無いんだ。何が起こっているのかなんて、詳しいところは僕にもわからないんだ。信じてくれるかい?」
説明し終えるとタクマがボソッとつぶやいた。
「お前が言うなら信じるしかないな。第一、こんな状況でそれだけ事態を観察してたのはすごいよ。」
こうは言ったが、やはりもう少し情報が欲しかった。これからどうするべきかわからない。しかし、こんな状況でこいつと合流できたのは不幸中の幸いだ。
「とりあえずどうする?街から出るか?」
「いや、もし死体の群れが外から来たものだったらどうする?まずは食料を探そう。」
俺は同意した。なるほど。ここは彼の言うことに従ったほうがいいかもしれない。
「お前さ、いつもと全然雰囲気違うのな。」
「え、そう?」
タクマは目を丸くした。
「ああ。言ってること正しいし、なんか頼もしいじゃん。いつもと違って。」
「最後のは余計だよ。」
そう言ってタクマは笑った。俺も自然に顔がにやける。なんだか少し安心した。問題は山積みだけど、こいつと一緒ならなんとかやって行けそうな気がしてきた。
「こうやって僕たちで組んで何かするのって小学生ぶりかな?」
タクマが尋ねた。
「そうか・・そういえば・・。」
俺が小学生の頃の記憶を思い出そうとした時だった。
「ぐ・・!!」
突然、激しい頭痛が俺を襲った。たまらず、俺は前かがみに倒れこんだ。ハンドルを握る手が緩み、車体がぐらぐらと揺れた。
俺は痛みを堪えながら、必死の思いでブレーキを踏んだ。