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ひかりのゆうしゃ

歩き続けて、俺はとある場所まで来ていた。

それはかつて小さい頃に友達と遊んだ場所だった。そこには昔、ブランコと砂場だけの小さな公園があったはずなのだが、今ではマンションが建っている。

どんよりと曇った空から灰色の陽光が差している。

街にはもはや変種の影はなく、死体が累々と転がっているだけだった。ここに来るまでにどれほどの時間を費やしたか知らない。一時間だったような気もするし、千年だったような気もする。

そんな頼りない時間感覚が俺にはあった。

辿り着いたマンションの前には、一体の男の通常種が門番でもしているかのようにぽつんと立っていた。ピクリとも動かなかった。俺ははじめ、そいつが立ったまま絶命しているのかと思ったが、近づいてみると微かに呼吸する音がした。

深緑のシャツに、ボロボロのジーンズ。よく見るとところどころ負傷していた。

するとそいつは俺の姿に気がついたらしく、関節をポキポキ鳴らせて踵を返した。誘っているらしかった。

なぜそう思ったか……それは、そいつが俺に語りかけてきたからだ。脳内に直接響く無機質な声。七号の声と同じ性質の声だと直感した。

〈ここは安全な場所です。どうぞお入りください〉

妙に礼儀正しい言葉選びだ。

対する俺は乾いた喉を無理やり揺するようにして呻き声を絞り出した。

〈ええ、ええ、私はあなた方が考えておられる通常種というものではありません。噛みやしません、食べもしません。ですからついて来てください、さあ〉

通常種ではないとはどういう事だろうか。彼の朽ち果てた体は不気味に変色していて、まるで生気がない。虚ろな目は俺を捉えているのかどうかも疑わしいくらいだ。

だが、まあこうして一応は意思疎通が出来ているわけだし、単純な意味で通常種とは言い難いのは確かだ。

男はかくかくとした足運びで建物の中に入っていく。俺もあとを追おうとしたが、純粋に体が大き過ぎて入れないのでは、と思った。

しかし彼は俺を置いてねじまき式のロボットのように淡々と進んでいく。

こうなったら行けるところまで行ってやる……俺はそう思い、地面に腹をずるずる擦りながら這った。

マンションの中庭には、かさかさに枯れた芝が薄く残っていて、その上を這うのはアスファルトとは違って心地よかった。

中庭を通り過ぎると、マンションの正面玄関に着いた。ガラス張りの扉は内側から閉ざされていた。板やロープ、そして重そうな家具によって。

そこには今はなき人々の生きた証のようなものが刻まれている気がして、思わず胸の奥がすっと冷えた。

急にめまいに襲われた。まるで頭から血が引いていく感じだ。

くらくらと首が揺れる。それでも倒れるような事はなく、というかそもそもうつ伏せに倒れているようなものなので、俺はそのまま地面に顎をついて目を閉じた。

ゆっくりと体の安定が回復していく。そして目を開けると……

「あれ……?」

いつの間にか男の姿が見えなくなっていた。さっきまで俺の前を歩いていたはずなのに、そこには誰もいなかった。

不思議に思って後ろを振り返ると、そこにはあの巨大なワニの変種が佇んでいた。

「あっ!」

驚きのあまり声が出てしまった。

逃げようとしたが、足がもつれて尻餅をつく。めちゃくちゃに足を動かしてとにかく後ろへ進もうとした。

だが、ここで俺はある事に気づいた。

足が動く。いや、それだけじゃない、足がある。人間の足がある。ボロボロのジーンズを履いた細い足がある。

俺は自分の体を見た。上半身には深緑のシャツ、それから脇腹と右太ももには傷があった。

もう何が何だか分からない。俺の体はさっきの男の体と入れ替わっているようだった。

〈驚かせてすまないね、ひかりのゆうしゃよ〉

声が聞こえた。前にどこかで耳にしたような声だ。どこからともなく、それは頭に直接響いてきた。

さっきの男と口調が違う。俺は身を強張らせた。ここにいるのはどんな生物だろう、七号のように友好的であるとは限らない。そして、そいつらが何人いるのかも分からない。

〈驚かせるつもりはなかったんだ、許してくれ。だがその姿でなければ後々困ると思ったのでな〉

そいつの口調には余裕があった。まるで自分は安全な場所にでもいるかのような……。

「お前たちは何だ、何のために俺を……」

〈その質問に答えるのは後ででもいいか、今はとにかくこのマンションの中に入ってくれ〉

「話を逸らすなよ。お前は誰なんだ」

その時、まためまいのようなものが起こり、すうっと気が遠くなった。

俺はいつの間にか建物の中にいた。体を確認すると、今度はパーカーを着た小さい男の子になっていた。

〈その器はまだ劣化していないから扱いやすいだろう。そのままこちらまで歩いてきてくれ〉

声は誘うように言った。

足を動かしてみると、たしかに関節が滑らかに動いた。俺は言われた通りに歩いてみた。

電気が消えて薄暗い建物の中には、外の光がところどころ差しているだけだった。物が散乱しているかとばかり思っていたが、そこには雑然と組み上げられたバリケードの他に特に変わったものもなく、異変の起こる前の姿のまま残されているかのようだった。

「どこにいるんだ?」

〈階段を上って最上階まで来てくれ〉

階段と言われ、くるりと体の向きを変えた。さっき立っていた所にガラス張りの扉があったのだ。

扉を開け、暗くて薄気味の悪い階段をコツコツ音を立てて上った。

何の疑いもなくそうしている自分が不思議だ。この先で待っているやつは変種であると推測できるのに、どうして俺はこんなに落ち着いていられるのだろう。

〈ひかりのゆうしゃよ、それは必然だ。君は私を信じるように仕組まれているのだから〉

また訳の分からない事を言う。それに、今のはこちらの心を読んだと解釈していいだろう。まるで七号の幻影と話しているような心地さえする。

俺は階段を上りながら尋ねる事にした。

「その、ひかりのゆうしゃってのは何なんだ?」

〈君の名前だ〉

「俺は九瀬サクトだ」

〈そう、君は九瀬サクトとして解き放たれた。だが今となっては違う。君は、私たちが待ち望んでいたひかりのゆうしゃなのだ〉

「何を言っているのか分からないな」

〈無理もない。だが、君はここに来た。それはひかりのゆうしゃの使命だからだ〉

「使命だって?俺はお前の事なんか知らないぞ」

〈いいや、知っているとも。私もじゅもっこの元に生まれた存在だからな〉

「何……?」

俺は足を止めた。

「今、じゅもっこと言ったか?どういう意味だ?」

〈いずれ分かる。だが今はその時ではない〉

「ふざけてるのか」

〈まさか。私にはそれを教えてやれないだけだ。じゅもっこには、君自身の力で辿り着かなければならない〉

「もういい……話すのも疲れた」

俺は既に最上階に着いていた。そこには一階のものと同じ扉があり、ガラスの面には黒いインクで「ここで止まれ」と書いてある。

何だろうと思って立ち止まると、またしてもあのめまいが起こった。

「くそ……いちいちこうなるのかよ」

次の瞬間、俺は暗闇の中に倒れていた。かび臭く埃っぽい空気が部屋に満ちていて、床には細かい砂利のようなものが散らばっていた。

体を起こそうとしたが、腕や足が縛られていて上手く動かす事ができなかった。

「くそっ……これは、何でこんな!」

「悪いが私は慎重なのだ。万が一に君が妙な行動に及ぶ事のないよう、予防策を取らせてもらった」

そいつの声はすぐ近くから聞こえた。

顔を上げると、暗い部屋の奥に人影が見えた。背丈からして子供のようだ。

「俺に何をする気だ!」

俺は威嚇するように声を荒らげた。しかしそいつは少しも怯んだ様子を見せず、ゆっくりとこちらへ歩み寄った。

「何もしないさ。警戒する事はない、私は君の味方だ。ひかりのゆうしゃ、いや、九瀬サクトと呼んだ方がいいか?ともかく私は君を歓迎する。よくここに来てくれた」

そいつは腰を折って屈み込み、俺の顔を覗き込むように近づいてきた。

見開いた目が暗闇に慣れ、そしてそいつの姿をしっかりと捉えた。

「そんな……」

そこにいたのはカイだった。

幼い頃に一緒に遊んだ少年、カイ。タクマやレナと、四人でよく町を走り回ったものだから、その顔は見紛うはずがない。

「おかえり、ひかりのゆうしゃ。私は君を待っていたんだよ」

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