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引き金を引け

何がどうなったーー俺は一番根本的な疑問の答えを保留して、とにかく歩いてみる事にした。といっても、両腕で身体をずり動かして前進するこの行為が「歩く」と言えるのかどうかは分からないが。

この身体では重力の影響を強く意識する。やはり俺はこの奇怪な変種になってしまったという事なのか。馬鹿な、信じられない。あの時、俺はこいつに飲み込まれたのではなかったか。歯で噛み潰された記憶は無いが、生きているにしてもこの状況は説明のしようがない。

俺は重くて不自由な身体を無理やりずり動かして前へ進んだ。雨は弱まりつつあり、いずれは止むだろうと予想出来た。皮膚を伝う雨粒の感覚がおぼろげでーー恐らくは皮膚が硬く分厚いためだろうがーーその事が俺の不安を煽った。

三十メートルほど歩いた所で、俺は立ち止まった。闇雲に進んでいたが、ここはどこだろう。意識を失う以前、変種から逃げて随分と遠くまで走った。夜で視界が悪かった事もあるかもしれないが、場所の感覚はほとんど無いと言っていい。

適当に頭を動かすと、大きな工場のような建物が目に入った。壁面に大きく表示されている社名は大手食品会社のものだ。道路は細く、近くの家々の様子から察するに郊外の静かな街といった感じだろう。信号機の横に付いている道案内の道路看板には、いくつか知っている地名が記されていた。

それほどトンチンカンな場所に来てしまった訳ではなさそうだと思った。ユイちゃんと南部はどこにいるだろう、無事に逃げ延びてくれているといいが……。

離れてしまった仲間たちに思いを馳せた矢先、俺は背後から忍び寄る何者かの気配を感じ取った。

振り向こうとしたが、首が思ったように回らず、中途半端な姿勢になってしまった。何だ、何か来るーー。

一瞬頭がじんわりと熱を帯びた。そして、白昼夢でも見ているかのような、非常に微かな映像が頭の中に浮かんだ。色調がめちゃくちゃになった、ほとんどノイズのような不鮮明な映像だったが、恐ろしく現実味を帯びていた。

舗装道路の真ん中を、全身が白い毛に覆われたヒトの形をした何かが走ってくる。両足は全体的に細くしなやかで、しかし大腿は太くがっしりとしていた。それらで交互に地面を蹴り、跳躍に似た軽やかな動きでこちらへやって来る。映像からは正確な距離感までは判然としなかったが、直感的にそれがおよそ百メートル圏内にいるという事が分かった。

かつて覚えた恐怖が再び蘇る。あれはタクマと一緒にスプリンターに乗っていた時に遭遇した追跡者だ。しかし、やつは通常種に食い殺されたはずではなかったか。

逃げろーー逃げろーー! 声に出さずにそう唱えるように繰り返す。頭の中はいよいよ真っ白の混乱状態になる。

後方で叫び声が上がった。恐らくそれは追跡者のものだろう、音の響きからして距離はかなり近い。

俺は腕と脚を目一杯に伸ばし、腹を支点として身体を回転させた。皮膚がアスファルトに擦れて痛むかと懸念していたが、この皮膚は俺の想像よりもずっと丈夫に出来ているらしい。全くと言っていいほど痛みは無い。

肉眼で追跡者を確認する。以前見た時とは体格が違うーー一回りほど大きいような気がする。別の個体だろうか、ともかくマルカ堂で死んだものとは異なる。

近くに隠れる場所は無いだろうかと目で探すが、すぐに思い直す。この身体ではやつから逃げる事も身を隠す事も出来やしない。捕まって噛み殺されるに決まっている。

追跡者はもう十余メートルほどの所まで迫っている。ダメだ、頭がさっぱり働かない。

どうするーー。追跡者は二、三度吠えて俺に飛びかかってきた。唾液が滴る鋭利な歯がびっしりと並ぶ口が見える。

あの時にも見た。あの時、俺はどうしただろうーーいや。

俺は何もしていない。やつに銃弾を打ち込んだのはタクマ、今はもう居ないタクマだ。今ここには俺一人。非力で馬鹿な俺一人だ。

あの時、俺はただ運転席に座ってハンドルを潰れるほど強く握りしめていただけだった。そんな俺に何が出来る……?

俺は右の腕に渾身の力を込めた。それはむしろ前脚と言っていい、不恰好で短い無用の長物だった。何でもいい、やつから身を守る。この糞使えない腕で頭を守る。


原因は何だったのかーー追跡者から逃げたい怖いと思うあまりに身体を仰け反り、そのために胴体の肉がほんの僅かに引き上げられたからだろうかーーともかく右腕は解き放たれた。全体重を受けてその一部しか外側に出せていなかった右腕は、押さえつけるものが無くなった瞬間、蓄積された力が一気に解放されて前方に飛んだ。

そこには奇しくも追跡者の頭部があった。やつの頭はこの激烈な衝撃を受けて果実のように破裂し、頸部は断裂。頭蓋は明後日の方向に飛散した。


「立ち上がれひかりのゆうしゃよ!」

カイの声が聞こえたような気がする。勘違いかもしれない。

恐怖の対象が一瞬のうちに失われた事で行き場に困った歪な心が静かに震えていた。その感覚は高揚感にも似ていた。

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