真実は露顕して
ほどなくして、仮設住宅から一人の屈強な男が出てきた。さっき中で女と抱き合ってたヤツだ。冬だというのに上着も羽織らず、着ているのは泥まみれの作業服のみだ。顎には見事な無精ひげを蓄え、首には派手なデザインのゴールドのネックレスをしている。俺はあまり良い印象を持てなかった。
続いて、同じ作業服を着た数人の男性が出てきた。いずれも目つきが悪く、こちらを威圧するかのように周りに立ち並んだ。
「俺は金原。お前が新入り?」
ネックレスの男が言った。
「はい、九瀬です。あの・・・先ほどは失礼しました」
いちおう丁寧に謝ったつもりだったが、金原は俺を無視して話を続けた。
「あんま勝手な事したら許さねえから。あと、ここ住みたいんなら、俺らのルール守ってもらうんで」
金原は幾つかの義務と規則を提示した。
・個人的理由での外出は禁止
・毎日深夜3時に南部と外に食料品を調達しに行く事
・外で得た食料は全てを一旦仮設住宅に保管する事
・昼間は団地屋上から常に見張りを行う事
この時点で既に不当なものばかりだが、最後のはもっと酷かった。
「携帯あったら出して。俺らで預かるから」
俺は一瞬耳を疑った。しかし、彼らの威圧感に負けてポケットからタクマの携帯を取り出してしまった。金原はそれを乱暴に引ったくり、操作し始めた。
「うわ、ロックかかってないし。あー、でもバッテリーまだ微妙にあるな」
「お前ら何人で来たって言ったっけ?」
別の男が尋ねた。色黒でくたびれた様子の中年男性だ。
「3人です」
「他にガキいるんだろ?たしか女の子だったよな。どこにいるんだよ」
男は卑猥な笑みを浮かべた。
「むこうの団地で眠ってます。でも、2人とも肉親と離れてショックを受けてるんで今はそっとしといてやって下さい」
俺が冷ややかに言うと、男は舌打ちしてどこかへ行ってしまった。
他の男たちも口々に文句を言ったりヘラヘラ笑ったりしながらバラバラに動き出した。
「じゃ、俺たちもう少し寝てるからお前らテキトーに見張りやっといて」
タクマの携帯を取り上げたまま金原は仮設住宅に引き上げようとしたので、俺は慌てて呼び止めた。
「ちょっと待って下さい!あの・・・食べ物とか、飲み物でもいいんで分けてもらえませんか?もう何日も飲まず食わずなんですよ」
すると、金原はバカにしたように笑った。
「お前らにやる食い物なんてあるわけないじゃん。早く失せろよ」
「そんな・・・せめて飲み水だけでもありませんか?」
しかし、俺の懇願は聞き入れられなかった。金原をはじめ取り巻きの男たちは俺を鼻で笑い、すぐに立ち去ってしまった。
「携帯は仕方ないよ。俺のだってだいぶ前に先輩に取られちゃったし。連絡手段は唯一の希望だからねぇ」
横にいた南部が見当違いな慰めをくれた。
「それも問題だけど、水も貰えないなんて聞いてないぞ」
俺は南部を睨んだ。何もかも最悪だ。こんな状況だと知っていたらここには来なかった。
「仕方ないだろ・・・。ここにいるためには規則を守らなきゃならねえんだから。外にいるより安全じゃんか」
「その外にも毎日行くんだろ!?しかも俺たちだけがだ!こんなのどう考えたってイカレてるじゃないか!」
俺は南部に背を向けた。
駄目だ。これ以上こいつの顔を見ていたら、平常心を保っていられるかわからない。
「そりゃあ俺だって外に出るのは怖いけどさぁ・・・九瀬もちょっとワガママ過ぎねぇか?」
南部が困ったように言った。こいつは何一つ解ってない!俺はもう我慢ならなかった。
「俺が万が一外で死んだらあいつらはどうなるんだ!?こんな所で独力で生きていけるわけないだろ!」
「・・・でも、どうするってんだよ?来たいって言ったのはお前だろ」
「クソッ・・!」
こいつには何を言っても無駄だ。それに、今後どうするかなんて俺にもまだわからない。とりあえず今は7号とユイちゃんに事実を説明しよう。
俺はくるりと踵を返し、2人の待つ棟へ向かった。
「43号棟の屋上で見張ってるから、後で来いよー」
後ろで南部が言った。
<それで、お前はここに留まりたいのか?>
一通り説明を終えた時、7号が言った。
俺はユイちゃんの方を見た。ユイちゃんは体育座りのままで7号にぴったり寄り添っている。
「しばらくはな。正直、外で独力で生活していくのは無理だと思う。さすがにこの状況で残ってる避難所はもう無いだろうし。でもどのみちこのままここに長く留まるつもりはない」
誤算だった。考えてみれば、ここは正規の避難所ではない。状況的にはやむを得ないけど、立派な不法侵入に当たるはずだ。・・・まだ警察がいればの話だけど。
それに、勝手に外出する事さえ禁じられているのだ。おそらく外部からの敵の侵入を極力防ぐためなのだろうが、どのみち毎日外出するのだから同じだと思う。昨日だって南部は自力で壁の中に入った。門番の類も居ないみたいだし、不徹底にもほどがある。そのくせ俺たちには無理な規則を押し付けやがる。
<しかし食料が手に入らないのは論外だ。私たち自身が生きるためにもその調達とやらに行くべきではないか?>
「何言ってんだよ、冗談じゃない!命がいくつあったって足りねえよ。もしも食料を取って来れたとしてもあいつらに全部奪われちまうかもしれないんだぞ」
<じゃあ他に良い案でもあるのか?>
俺は口をつぐむ。
<いいか、サクト。今回の問題に関してはお前の軽はずみな行動が原因だ>
7号の言葉が胸にグサリと突き刺さる。確かに軽率だったかもしれないけど、俺はお前らの身を案じてここに来ようと思ったのだ。そう頭ごなしに言われるとカチンとくる。
「俺だってこうなるとは思ってなかったんだって、何度言ったら分かるんだ!」
つい感情的になってしまう。こんな事言っても仕方ないのに。
<少しは考えて行動したらどうだ?今のままでは自分の首を絞める事になるどころか、私たち2人の命まで脅かす事に・・>
「考えてるよ!そんな事くらい俺にだって分かってるさ!」
俺が喚くと、7号は急に穏やかな口調になった。
<とにかく今は今後の策を練るぞ。最優先課題は食料と水の確保だ>
「・・・・そうだな」
俺はいささか言い足りない事もあったが、今はぐっとこらえる事にした。
<リュックには何が残っている?>
7号が言うと、ユイちゃんが抱えていたタクマのリュックサックからそっと手を放した。
「ごめんね、ちょっと中を見せてくれるかな」
ユイちゃんは小さく頷いた。
リュックサックの中にはめぼしい物は入っていなかった。追跡者に出くわす前に俺が少し飲んだペットボトル飲料はもうとっくに飲みきってしまっていた。あとはマルカ堂で見つけたものだけだが、これももう半分も残っていない。他には菓子類が少々あるのみだ。
「これじゃあ2日も持たないな」
状況は絶望的だった。これは本当に7号の言うとおり、外に行くしかないかもしれない。
<私は水が飲めれば食料はほんの僅かでいい。お前たちで分けろ>
7号が言った。
「そういえば、お前モデルハウスでも全然食わなかったよな。気使ってくれてるのか?」
<いや。ただ食欲というものが無いだけだ。どうやら私はそういう特徴を持った変種らしい>
「・・・ふーん」
7号は大した事ではないといった雰囲気で言っていたので、俺はそれほど気にしなかった。
俺は壁に立てかけてあるレミントンに触れた。こいつのお陰で俺とタクマは追跡者から逃げおおせる事が出来たんだ。リュックサックの中には親切にも予備の競技用BB弾のボトルと補充用フロンガスが入っていた。きっとまた何かの役に立ってくれるだろう。
あいつが残した物は今大いに俺たちの助けになっている。何としてでも生き抜かねばならないと気づかせてくれる。
さらにリュックの中身を探っていた時、俺は奥の方に小さな黒っぽい袋状の物が引っかかっているのを見つけた。
指を伸ばして引っ張ろうとしたが、どうやらリュックサックの内側の布地に縫い合わせてあるらしく、簡単には取れなかった。
何とか糸を引きちぎってようやく取り出すと、それは紺色のポーチだった。
「何だろう・・?」
好奇心のままに開けると、中には一台の小型デジタルカメラが入っていた。
<それは何だ?>
7号が聞く。俺は首を傾げ、そのままカメラの電源を入れてみた。
まず表示されたのは、炎上する建物の画像だった。燃え盛る炎の中に取り残された数人の人々が窓から飛び降りようとしている。
俺は右上の数字に注目した。
「今から一週間前・・・って事は、タクマが言ってた日だ!」
たしか、この異変が初めて確認されたという。
さらに画像を見ていくと、そこにはまさに地獄のような光景が映し出された。
皮膚が焼けただれた通常種から逃げ惑う子供、電柱に激突して大破したワゴン車。破壊される寸前のバリケード。ブレてしまって何が写っているのか判然としない写真。泣きじゃくる少女。頭部を粉砕された男性の遺体。そして、見たことも無い奇妙な巨大生物が人間を食らっている姿・・・これは変種だろうか。
デジタルカメラにはありとあらゆる悲惨な光景の数々が記録してあった。そのほとんどが何か建物の上から撮影したと見られるようなアングルだった。タクマが通常種から逃げながらもシャッターを切り続けたのだろう。
「これが現実か・・・・・」
俺は改めて苦い思いを噛みしめた。この世界にはもう何も残っていないのではないだろうか。だとしたら、俺たちは一体どこへ行けばいい?ただ生き延びると言っても、いつまで生き延びればいいんだ?
この写真を撮影しながら、タクマは何を思っていただろう。目の前でたくさんの人が死んでいって、おそらく自分自身も何度となく危険な瞬間に遭遇して、それでも誰かを助けるために走って・・・・・。
どうしたらそんな事ができるんだろう。
<余計な事は考えるな。私たちは変種第1号を見つけなければならない。この世界に起きた異変の真実を見極めなければならない。それまでは・・・・・死ねない>
7号の言葉には力があったが、俺には前ほどリアルに聞こえなかった。
そんな事を知ってどうするんだろう。たしかに、俺だってこの世界が今どうなっているのか知りたい。でも、その先には果たして何があるのか分からない。
<私たちの行く道は果てしなく長い。先の事を心配している余裕など無い>
確かにそうかもしれない。現に、俺たちには今日1日生きるのも大変なのだから。
でも、つい未来の希望にすがりたくなる。そうでもしなければ、不安に押し潰されそうになる。
<気持ちは分かるが、現在から逃避していては始まらないだろう。いいか、少なくともお前たちには未来がある>
そう言った7号の表情には違和感があった。
それを彼女に尋ねようと思った時、何者かが階段を上ってくる足音がした。
俺は咄嗟にに2人を背後に庇い、身構えた。
誰だろう。まさか、さっき仮設住宅の前でしつこく絡んできた男ではないだろうか。
俺はもしもの事態に備えてレミントンを構えた。銃身が長いレミントンはこの狭い空間での発砲が難しいが、脅しくらいには使えるはずだ。
<武器を下ろせ、サクト。奴だ>
「えっ?」
俺が驚いていると、下の階から南部がひょっこり顔を出した。
「よう!食い物と水持ってきたから食いなよ」
南部の服が不自然に膨らんでいるのに気が付いた。すると彼は服の中からいくつかの菓子類の箱とポリタンクを取り出し、どんと下に置いた。
「こんなもんしか無くてごめんな~。この水は一応水道水使ってるから、普通に飲めると思う。あ~でも味の保証はできんけどね」
そう言って彼はにぃーっと微笑んだ。俺は信じられずに尋ねる。
「これって・・・・まさか金原が俺たちに渡せって?」
「いやいや・・・あんましデカい声じゃ言えないけどさ、まぁ早い話がパクってきた!」
南部は照れくさそうに笑った。
「ば、バレたらマズいんじゃないの?」
「ははは・・・・バレなきゃいいんよ」
南部は親指を立てて見せた。
「わざわざありがとな」
素直な言葉が出た。さっきは何もかも先輩連中の言いなりの意気地無し野郎かと思ったが、どうやら俺は勘違いしていたようだ。
「お互い様だよ。九瀬には昨日の夜の借りもあるしな」
すると南部はユイちゃんと7号にも明るく喋りかけた。
「これ全部食っていいからな。あと、トイレ行きたくなったら仮設住宅の方に簡易トイレあるから遠慮なく使いなよ」
ユイちゃんは7号の方を見やってから頷いた。この2人の間にはもう何かしらの信頼関係が形成されているようだ。俺は少し安心した。
「九瀬、さっきは悪かったな。もとはと言えば巻き込んだのは俺だってのに変な事言っちまって・・」
南部は決まり悪そうに言った。俺は静かに首を振る。
「悪いのは先輩だろ。仕方ないじゃん。あいつ、後輩の意見なんか聞かなさそうだし」
南部はニヤリとした。
それから、俺たちは見張り役について話し合う事にした。
南部によると、金原たちは命令するだけでそれほどちゃんとした見張りを義務づけてはいないらしく、完全に放任状態との事だった。そこで、俺たちは交代で棟の屋上に立つ事にした。夕方から夜にかけて冷え込む時間帯は金原たちがめったに外出しないため見張りには出ないが、昼間に片方が見張っている時にはもう片方がユイちゃんと7号の側にいるといった具合だ。
そして、話題は今夜の食料調達の話になった。
「実はさ、すぐ近くにまだ探索してないコンビニエンスストアがあるんだ。2人で動くと目立つし、今夜はひとまずそこに行こうぜ」
「近いってだけじゃあそんなに気乗りしないな」
俺は7号をチラッと見た。
<安心しろ。昨日のように、第6感覚を使って最大限の支援はするつもりだ>
言うと思ったよ。
「俺はその“昨日のように”ならない方がいいんだがな。もうあんな怖い思いはたくさんだ」
俺は吐き捨てるように言った。変種を倒せたとはいえ、そもそも遭遇しないに越したことはない。
「え?え?」
南部がきょとんとしているので、俺は慌ててごまかした。そうだ、こいつには聞こえていないんだった。
話し合いも一通り済んだので、南部は見張りに行くと言った。
俺はとりあえず広げた荷物を片づけようとリュックサックを開けた時、
「なんだこれ・・?」
立ち上がりかけた南部がタクマのデジタルカメラを見て顔をしかめていた。
何の気なしに画面を覗く。
画面には一枚の奇妙な写真が表示されていた。
「これ・・・木、だよな?」
南部が指差す。
それは深紅に染まった巨木だった。幹も枝も血のような真っ赤に染まっている。冬だというのに枝先にはたくさんの葉がついている。
「え・・・?」
赤い木は、なだらかな丘の頂上にそびえ立っていた。周りには黒い柵が並んでいて、その奥には林がある。
頭の中で得体の知れない何かが蠢いた気がした。
この景色―
その時、キーンと耳鳴りがしたかと思うと、突然こめかみに鋭い痛みが走った。
「ッ・・・!!?」
ぐらんぐらんと世界が揺れる。床に頭がぶつかった。まただ、この感覚。
動転した南部の叫び声が微かに聞こえた気がした。
スポーツセンターを出た後はパッタリ止んでいたと思ったのに。この頭痛は何なんだ!
痛みのあまり涙が浮かぶ。俺は目を閉じた。
途端に、目の前の闇に奇妙な映像が現れた。それはフラッシュバックのようにパッパッと現れては消え、次々と襲いかかって来る。
“夕暮れに染まる砂利道”
“独りでに揺れるブランコ”
“何かが来る轟音”
“悲鳴、肉体の内側から振動が伝わってくる”
“泣きじゃくる少年”
“誰かが「俺」を呼んでいる”
“落ち葉が重なり合う快音”
“不可解な言語が聞こえる”
“血液と何かの生臭い匂い”
“手。誰の手?”
“目が眩むような閃光”
様々な音や匂いが洪水のように氾濫する。まるでそれらはコマ送りされた映画のようだったが、何の因果関係も感じられない。
“芝生を歩く感触”
“燃え上がる人間のシルエット”
“遠い都市の景色”
“耳障りなオルタナティブロック音楽”
“テレビ画面、ニュースを喋るアナウンサーの顔”
“飾り文字のJ”
“少年●●”
“石の階段。両脇に桜の木。花は咲いていない”
“夕焼けチャイムの音”
“食べかけのトースト”
“水を撒く音”
そして、不意に闇が消え、一面が銀色に輝いた。視界が急に広がる。
ここはどこだ?
目の前には見渡す限り白く光り輝く神秘的な世界が広がっていた。風景というか、空間そのものが光を放っている。木だとか道だとか、そもそも地面に土が無いため、風景に奥行きが感じられない。足元には周囲と同じ色をした堅い地面があるが、なんだかふわふわ浮かんでいるようだ。
その時、
<待ってるから>
声が聞こえた。いや、漠然とそんな気がしただけかもしれない。脳内に反響するかのような、観念的で不定形のイメージが浮かんだだけかもしれない。
<●●●●待ってるよ>
今度はさっきよりハッキリと聞こえた。誰の声だろう。男のそれとも女のそれとも分からない不思議な声だった。
次の瞬間、全てが遠のいていくのを感じた。
まるで意識が肉体にかえっていくようだ。
銀色の世界も音も映像も消えていく・・・・・。
気が付くと、俺は現実世界に引き戻されていた。