進行する破壊
俺と南部がモデルハウスに着いた時、ユイちゃんと7号は抱き合って眠っていた。
「女の子って・・・こんなに小さい子の事だったんかー」
南部は少しがっかりしたように笑った。俺は2人を起こさないようになるべく静かに荷物をまとめた。とは言ってもタクマのリュックサックだけだ。ここに留まっているよりは南部の話に乗って団地に避難した方が安全だと判断したのだ。
それにしても、この2人が一緒に眠っているだなんてなんか変な感じだ。まあ7号からユイちゃんに歩み寄るとは考えられないから、たぶんユイちゃんの方から7号の部屋に来たのだろう。やっぱり独りきりは寂しかったに違いない。
きっと俺は2人に対して心を閉ざしていたのだ。俺は2人の寝顔を見ていて思った。
「ホント、守らないでどうするって感じだよ」
「ふぇ?」
南部が素っ頓狂な声をあげた。
「この子たちの手、見て見ろよ」
7号とユイちゃんはお互いにしっかりと手を握っていた。そっと触れてみると、驚くほど小さくて柔らかかった。
「まだこんなに小さいんだぜ?口では一丁前の事言ってるけど、本当はこんなに幼くて弱かったんだな・・・なんか、守ってやらな きゃいけないって思うよ」
「こいつらあんたの妹なんか?」
「いいや。親友の妹だ。もう一人は・・道端で保護した」
「えっ?あんたやっぱりすげぇな。この状況で他人の子助けちゃうなんてさ」
俺は南部の言動に嫌悪感を感じた。
「何言ってんだ?当たり前じゃねえか。お前は他人なら見捨てるのか?」
「あ、いや・・」
南部は頭を掻いた。
「悪かった。馬鹿にしたわけじゃねえんだ。俺の先輩方とだいぶ違うなぁって思っただけなんだよ」
「先輩方?」
俺は訊いた。
「職場の先輩だよ。ガタイ良くてめちゃくちゃ怖い。今は団地の事実上のリーダーだ。俺もあの人に言われて食料を探してたんだ」
南部は露骨に嫌そうな顔をした。
「なんだそれ。上下関係があるのか?」
「ああ・・。俺の他にも何人か人がいるんだけど、ちょっと良くない雰囲気かな」
「へぇ・・」
俺は曖昧な返事をしておいた。どちらにせよ、今のところ俺たちには団地に行く以外に道はない。このモデルハウスだって複数の敵に囲まれたらお終いだ。
「ところで、これからどうすんの?」
南部が尋ねた。
「もちろん行く。今は他に手段がないからな」
俺がきっぱり言うと、南部は安心したようにニヤリと微笑んだ。
外に出ると、東の空はすでにぼんやりと明るくなってきていた。真っ暗闇よりはこの方が幾分動きやすい。俺たちはそれぞれ7号とユイちゃんを負ぶって出発した。
「すぐ近くだからたぶん大丈夫っしょ」
南部が言った。
「うるさい。この際リスクなんか考えたくない」
この状況で敵に遭遇したら十中八九逃げ切れないだろう。いまそんな事を考えたって足取りが重くなるだけだ。
「だね」
それから5分くらい歩き続けると、早くも目的地に到着した。工事中の現場を囲う鉄のフェンスが広範囲にずらりと並んでいる。
「あり?もう少し向こうだったかな~」
南部はフェンスの下の方を手で探った。
「おいおい、しっかりしてくれよ。早くしないとアイツらが起き出すぜ」
俺は言った。
「お!あったあった!ここだよ!」
南部が何かを見つけたようだ。近寄ると、並列するフェンスの下の芝生にぽっかりと大きな穴が空いていた。
「まさか、そこから入るのか?」
「そうだよ。ちょっと待ってな~」
南部は背中から7号を芝生の上に下ろすと、まず自分が先に穴に入った。すると、何やらフェンスの向こう側から鉄の棒を抜くような音がして、次に目の前のフェンスが横に外れた。
「さあ、早く入って!」
俺がフェンスの中に入ったのを確認すると、南部は再びフェンスを元に戻し、鉄のパイプのようなもので封鎖した。
「ふう・・・ここまで来ればもう安心だよ」
南部は深くため息をついた。
「安心か。すげぇ久しぶりに聞いた気がするな」
俺も一息つきたい気分だったが、まだ気が抜けなかった。俺たちの前には解体された団地の瓦礫がごろごろしていた。ちょうど7号くらいの大きさの巨大なコンクリート塊もある。露出した鉄筋が異様な雰囲気を醸し出していた。
「こっちだよ。早くこいつらを寝かせなきゃな」
俺は南部の後に付いて歩き出した。解体中とはいえ、前の住民が残していった花壇や街路樹などはそのままにされている。作業はまだ終了していないようだ。瓦礫の山の上からこちらを見下ろしている巨大な重機を見つけた。建物の残骸を足蹴にしているかのようなその立ち姿はまるで怪獣のようだった。
まだ解体されていない棟も結構あった。しかし、建物はかなり年季が入っているらしく所々に亀裂が見える。俺たちはそのうちの一つに入った。階段も相当古くなっており、体重をかけるたびにギシッギシッと軋んだ。
「とりあえずここにいてよ。俺は先輩方に話つけてくるから」
5階の踊場にユイちゃんと7号を寝かせると、南部は階段を降りていった。
「なんだ。部屋の中には入れないのか」
俺は扉を軽く叩いた。
「わりぃ・・。一階の部屋なら、窓ガラスを割って入れるけど」
「そうか。いや、今はいいよ。この子たちを起こしちまうといけない」
「だね。じゃあ、しばらくしたらまた来る」
南部は行ってしまった。俺は溜め息をついた。なんだか、思っていたような場所とは程遠いようだ。南部は安全だとは言っていたが、居心地は最悪だ。今の季節、朝方は死ぬほど寒い。上着を持っていれば眠っている2人にかけてやれるのだが。
その場に座り込むと、どっと疲労感に襲われた。何かあったら困るから朝まで起きていようとは思ったが、物凄く眠い。目蓋が重く感じる。徐々に目の前がぼんやりしてきた。
「・・ヤバいヤバい!」
俺は頬をぴしゃりと叩いた。いま完全に眠りそうだった。気晴らしに外を見てみた。やはり暗くて判然としないが、さっきより幾分明るくなってきたようにも感じる。もうすぐで朝だ。それまでの辛抱だ。それまでの・・・・・。
しかし、いつの間か俺は深い眠りに落ちていた。
声が聞こえた。人間の女性の声だ。遠くの方から聞こえてくる。
《眼を開こう》脳が命令する。
しかし眼は開かなかった。一瞬、身体が命令を無視したのかと思った。
突然、意志とは裏腹に全身が動いた。腕が、脚が、獣のような素早さで何かを求める。指先が何か柔らかいものに触れた。それをつかみ、強引に引き寄せる。
顔の近くで悲鳴があがった。おそらく女性のそれと思われる悲鳴はやがて唐突に途切れた。
気がつくと、指先に液体が付着しているような感覚があった。気持ち悪さにギョッとして情けない声を出しそうになったが、代わりに出たのは人間のものとは思えない恐ろしいうなり声だった。
唐突に両眼が開かれた。そこには・・・・・首から血を流した女性が倒れていた。焦点の定まっていないその眼は虚ろで、生気が無い。
俺には何が起こっているのかわからなかった。しかし、相変わらず身体の制御はきかない。俺の意志に反して動いていた。それは、まるで身体が何かに乗っ取られたような、もしくは得体の知れないものに憑依されたといった表現がふさわしかった。
俺の身体はもはや動かなくなった女性の上に屈み込むと、女性の腹部に顔をうずめた。嫌な予感がした。
次の瞬間、俺の口は女性の死体に食らいついていた。いつの間にか鋭く変化した前歯が肉を貫き、引き裂く。口内に温かい鮮血が流れ込んできた。
俺はあまりの気持ち悪さに意識が遠のいていくのを感じた。嗚咽がこみ上げてくる。
自分がヒトを喰っている・・?信じられない。そもそも、この身体は何だ?俺の身体じゃないのか?何故勝手に動くんだ?
“うっ!”
突然、頭の中が真っ白になった。何かほのかに生温かくて柔らかいモノが喉を通っていった。それに続くように、今度はたくさんの塊が流れ込んできた。
俺にはそれが何だか予想できた。身体が勝手に女性からちぎり取っていくモノ‥‥それは肉だった。
俺の意識はそこでぷつりと途切れた。
俺は目を覚ました。
「しまった・・・寝ちまったのか」
首をひねってみると、何故だか体の節々が痛い事に気が付いた。これは激しい運動をした後の筋肉痛の感覚に似ている。
それにしても酷い悪夢だった。肉に噛みつく感覚が妙にリアルだったのが衝撃的で、まだ若干残っている。俺は何となく口元に触れてみた。
「・・!」
何か乾いたものがこびりついている。慌てて手で擦ってみると、それは緑色をしていた。血液ではなかった事には安心したが、これは一体何だろう。そう考えて辺りを見渡した時、
「あれ?」
俺は初めて自分が知らない場所にいる事に気づいた。近くに瓦礫の山が見えたので、とりあえず団地の囲いの中にいる事はわかったが、俺は団地の踊場に居たのではなかったか?
立ち上がって歩き回ってみた。もうとっくに太陽が高く昇っている。陽射しの眩しさに顔をしかめていると、奇妙なものを見つけた。
瓦礫の上を這うように深緑色のツタが無数に伸びていた。さらにその先に視線を移すと、南国の植物を連想させる毒々しい黄色の風船がそこら中に散らばっていた。それらの形には見覚えがあった。マルカ堂で見た変種第3号だ。ただ、マルカ堂のそれよりはかなり小さい。本物の風船と同じくらいのサイズだ。
俺は反射的に身構えた。
<警戒する必要は無い>
「うわっ!?」
俺は虚を突かれて飛び上がった。
「お前起きてたのか・・」
<無論だ>
「いきなり話しかけるな。心臓に悪い」
俺は文句を言った。
<それよりお前は何をしてるのだ>
「何って・・」
俺は言葉に詰まった。何しろ、気が付いたらここに居たのだ。どう考えても不可解でしかない。夢遊病の症状は小さい頃に時たま表れた事もあるが、最近は全く表れていない。無意識にテレポートでもしたのだろうか。
<ふざけているのか?>
「ふざけてねえよ」
俺は頭を掻いた。そうだった。こいつは人の考えている事を読めるんだったっけ。なんとも腹の立つ奴だ。
<それより、何の計画も無しにこんな場所に連れてくるだなんて、無謀にも程がある>
「そんな事言ったって、いつまでもあのモデルハウスに居たって仕方なかったじゃないか。ここには他にも人がいるらしいし、色々な情報が入手できるかもしれないだろ」
<あまり良好な状態ではないと聞いたが?>
「なんだ!お前、あの時起きてたのかよ!?」
<意識はあった>
こいつ、狸寝入りを決め込んでいやがったのか・・。俺は顔をしかめた。
「・・まあいいや。それよりさ、俺寝てる間に寝ぼけてどこかに移動してなかったか?」
<さあな。その時は私も眠っていた>
7号はしゃあしゃあと言った。俺は嘆息をもらした。一体全体どうなっているんだ?俺は首をひねった。
「あ、そういえば」
俺は再び目の前の植物に目を向けた。
「結局こいつは何なんだ?変種じゃないのか?」
目が痛くなるほど鮮やかな植物は見るからにここでは場違いだった。しかも、ツタが瓦礫の上に這っているという事は、異変の後に現れたと考えられる。
<おそらく変種第3号から派生した亜種だと思われる>
7号は言った。
「おそらく?」
<ああ。私も見たことがないタイプの生物だ。亜種と仮定した根拠は、外見や構造が変種第3号に酷似しているからだ。しかし、どのような生態であるかは不明だ>
俺は少し意外だった。7号は変種に関しては何もかも知っているとばかり思っていたからだ。彼女がどういう方法でいつその情報を得たのかは知らないが、彼女の言う事は今のところ全て正しかった。
「危険かどうかもわからないのか。それはちょっと厄介だな」
<あくまで推測だが、形状からして変種第3号のように通常種を捕らえておく事はできないだろう>
確かにこいつの風船は通常種には小さすぎだ。
「でもこいつが変種なのは間違いないんだろ?だったらやっぱり危険かもしれないって事だよな」
<観察は続けているが、今のところそういった様子は確認できない>
その時、後ろから南部の声がした。
「おーい!そんな所にいたのかぁ。結構探しちゃったじゃんか」
彼は息を切らしてこちらに走ってきた。俺はとっさに何事もなかったかのように装った。
「いま一人で何か喋ってなかった?」
「えっ・・!?いや、そんな事ねえけど・・・」
「気のせいか・・?」
俺は慌ててごまかしたが、南部は今ひとつ腑に落ちないような感じだ。
「無意識に鼻歌歌ってたのかもな!だ、だいぶリラックスしてたから・・!」
俺は適当に笑ってごまかした。
「あーなるほどね!その気持ちならわかるわ。俺も初めてここに来た時はそんな感じだったからねー。何も心配せずに外ぶらぶら歩くのも久しぶりっしょ?」
南部は両手をいっぱいに広げて深呼吸した。
「たしかに。こんなに穏やかな気分は久々だ」
辺りに目を向けると、切り倒されずに残った樹木の枝先が風に揺れていた。葉は全て枯れ落ちてしまっており、少し寒そうだった。
駐輪スペースに倒れているバイクを見つけた。もう長い間放置されているらしく、シートは腐食している。その横にきちっと整列している錆びた自転車の数々。子ども用の三輪車もあれば、マウンテンバイクもある。かつてこの団地に住んでいた人間たちが置いていったものだろう。
それらを眺めていると、不思議な心地がした。
「外の惨事が嘘みたいだろ?」
いきなり南部が尋ねてきたので俺はびっくりした。彼の言った言葉は、今まさに自分が考えていた事だったのだ。
「工事の最中だったんだよ。この団地、そろそろ築40年くらいになるボロだから市が新しく建て替える予定だったんだ。ここから少し西に行った所に20号棟から30号棟があるんだけど、それが第1期でね。その作業はもう5年くらい前に終了してて、入居者もいるんだ。ここは第3期だね」
「へぇ・・お前詳しいんだな。地元民?」
南部は首を振った。
「ちがうちがう。俺はここの現場の作業員やってるだけ。つっても、3期からだけどね。地元は新座だよ」
「新座ってすぐ近くじゃねえか。てか、働いてんのか?」
「へへへーっ」
南部は得意そうに笑った。
「俺バカだから中卒でガテン系就職したんよ」
「え?・・てことは、俺より全然年上?」
「ん、俺ハタチだけど」
「16・・・」
俺は親指で自分の胸を指した。意外だった。南部は少し大人びた顔立ちをしているとは思っていたけれど、成人しているとは思わなかった。というか、今でももっと子供に見える。
「マジかぁ!あんためっちゃしっかりしてっから、てっきりもっと上かと思った」
「いやいや、正真正銘の高校一年だよ。・・あ、ですよ」
俺はカーディガンをめくり、ワイシャツの胸ポケットに付いた校章を見せた。すると、南部は納得したように頷いた。
「でもまあ・・・敬語はよくねぇよ!今まで通りタメ口でいいよ」
南部に肩を叩かれて俺はよろめいた。ジャージを着ているから外見はひょろひょろして見えるが、今の一撃には力があった。ガテン系に就職しているだけはある・・のか?
何だかまだよく判らないヤツだが、不思議と悪いヤツの気がしなかった。裏表が無い男のように見て取れた。
「あ、そういえば・・俺に何か用か?」
俺は尋ねた。すると、南部は思い出したように、
「そうだったそうだった!先輩が顔見せろって言ってるんだよ」
「先輩って、例の怖いっていう?」
俺が重々しく言うと、南部は笑った。
「はははっ!そう、その人。でも、まあそんなに身構える必要はないと思うよ。何だかんだ言って話のわかる人だしね」
「へぇ・・」
「チビたちはまだ寝てんの?」
「たぶん。でもいちおう後で戻らないと。心配させちまうからな」
南部は頷いた。
俺たちはそこから少し歩いて小さな仮設住宅の前に着いた。作業員のために設置されたものだ。電気が通っていないから、窓から見える内部は薄暗いが、俺たちに与えられた(?)団地のスペースよりははるかに快適そうだ。
「金村先ぱーい、南部っす!九瀬君連れてきました」
南部がドアを軽くノックした。しかし、中はしーんと静まり返っている。
「寝てるんじゃね?」
「いやーさっきはちゃんと起きてたからそれはないよ」
しかし、ドアの向こうからの反応はない。とうとう痺れを切らした南部がそうっとドアを開けた。後ろから俺もドアの隙間を覗き込む。その瞬間、南部があっ!と声を上げた。
俺の目に飛び込んできたのは、全裸でもつれ合う男女の姿だった。