変種第4号
意識的に道路を歩いていると、来たときには気づかなかったような箇所に注意がいった。橋から団地までの間にある小さな商店街などは、一本道だからすぐに通り過ぎてしまったようで、いま初めて見たような錯覚に陥った。所々シャッターが閉まった店舗があるが、灯りは灯っておらず、人の気配は無い。街灯の先端に付いている旗が風に揺れていた。
ふと、俺は足を止めた。前方に何か障害物がある。暗くて色はわからないが、大きなゴミ袋のような塊がポツンと置いてある。
<気をつけろ。それは変種第4号だ。>
俺が歩き出そうとした時、突然、7号の声が響いた。俺は咄嗟に身構えた。塊は依然として動かない。
(もっと早く言えよ!お前には変種として見えてるんだろうが、俺は物かと思って近づく所だったぞ。)
<悪かった。だが、向こうはまだこちらに気づいていないようだ。>
とりあえず、俺は忍び歩きで後ろへ後ずさった。商店街のメインストリートはだだっ広くて隠れる場所が無い。曲がり角も無いから、追いかけられたらまず逃げられないだろう。
(どうする、迂回するか?とは言っても、俺ここら辺あんまり詳しくないんだよな・・。下手に歩いても迷うだけかも。)
<そう遠くまで行かなければ私が道を指示できる。しかし、この近くは他の変種に遭遇する可能性が高い。>
(・・俺はそんな所をブラブラ歩いてたのか。)
もしもの事を考えると、恐ろしくなって冷や汗が流れた。
<このまま進んで変種第4号の脇を抜けろ。この4号には眼が無い。聴・嗅覚は備わっているが、恐らく問題ないだろう。>
(ちょっと待てよ!いくらなんでも安易すぎる。何で問題ないって言い切れるんだ?)
7号がこんなに曖昧な事を言うのはたぶん初めてだ。
<構造上、神経回路に欠陥があるのではないかと思われる。断言は出来ないがな。お前もやつを見ればわかるだろう。>
7号がここまで言うのなら従うしかないと思い、
俺は半信半疑ではあったが歩き出した。
黒い塊に近づくにつれ、額からは嫌な汗が流れ出した。呼吸を整え、なるべく音をたてないように慎重に進む。やがて、変種第4号の姿がはっきりと確認できる距離に達した。
(何だよこれ・・。)
それはまるで巨大な腫瘍のような形をしていた。ブクブクと気味悪く膨れ上がった袋状の物体から無数の棒のような物が突出していた。注意して見てみると、それは人間の手足だった。太さや長さの異なる腕や脚が粘土細工のように滅茶苦茶にくっついている。その異様な造形に俺は胸のむかつきを覚えた。
<原始的な変種だ。剥き出しの臓腑に通常種の手足を組み合わせただけ。しかも、そいつらは餌食になった通常種だ。消化の途中に無理やり結合させているから、神経が上手く繋がっていないパーツもあるはずだ。>
(それより、この妙な臭いは何なんだ?)
さっきから、恐らくこの変種第4号を発生源とする悪臭が俺の鼻をくすぐっていた。
<悪いが、その場の臭いまでは私に分からない。どんな臭いだ?>
一言で言い表すと、腐敗臭と酸っぱい臭いが混ざり合ったような、吐瀉物に近い臭いだった。
<それは、おそらく消化中の胃の内容物の臭いだろう。変種第4号のもろい構造上、結合の甘い箇所から消化液が外に漏れ出しているのだろう。>
(最悪・・聞かなきゃよかった。)
俺はなるべく店舗に近い方に寄って歩いた。背中がシャッターに当たってガタリと音をたててしまった。心臓が止まるかのような緊張が張り詰めたが、それでも変種第4号は動かない。眠っているのだろうか?この好機を活かさない手はない。
抜き足でそっと前進する。起きるなよ、起きるなよ!心の中で唱えながら、俺はなんとか変種第4号の横を通り過ぎた。
(よしッ・・!)
俺はほっと胸をなで下ろした。その時だった。
「おい!」
後ろの方から何者かの呼び声がして、俺は飛び上がった。
とある店舗の前に長身の人影が見えた。声の感じから、恐らく男性だろうという事はわかった。
(7号?)
<無視しろ。どうやら健常なヒトのようだ。>
7号は冷たく言ったが、俺は迷った。
「あんた!感染してないよな?」
男がこちらに近寄ってきた。俺はジェスチャーで“止まれ”と合図したが、暗いために相手には伝わらなかったようだ。男は変種第4号に気づいていない。俺は逃げ出したかった。
その時・・・。
ズルリ・・ズルリ・・。
(・・・!)
重い物を引きずるような奇怪な音がした。反射的に目を移すと、変種第4号が動き始めていた。ぶよぶよした肉塊がリズムを刻むように波立ち、ゆっくりと向きを変えた。その先には男がいた。
あっという間の出来事だった。パキッパキッと関節が鳴った。覚醒した変種第4号はその無数の腕や脚を不規則にバタつかせ、男に向かって突進した。
「バカやろう、逃げろ!!」
俺の声に刺激され、男はようやく走り出した。変種第4号は恐ろしい速さでみるみる男との距離を縮めていく。俺は彼らを追って走り出した。
<そんなやつなんか放っておけ。>
(ふざけるな、あのままだと死ぬぞ!7号、どうすればいい?どうにかヤツの足を止められないか?)
男は商店街を逆に戻り、その後方には変種第4号がぴったりと張り付いていた。俺は周囲に気を配りながら走りつづけた。思ったより速い。追跡者に遭遇した時に学習するべきだった。巨大な肉塊は路面に体液の線を描きながら物凄い摩擦音をたてて追走する。嫌な臭いがそこら中にまき散らされた。これに反応して別の変種もやって来る、なんて事もあり得るだろうか。無闇に走っていても逃げ切れない。
<左折して細い道に入るように男に伝えろ。>
7号が言った。何を考えているのかはまだわからなかったが、俺はそれに従った。
「おおい!聞こえるか、左の路地に逃げろ!」
俺の叫び声に反応して男は方向転換した。それに続いて変種第4号も住宅と住宅の間に滑り込む。
<サクト、前の物置からスコップを取り出せ!>
「え!?」
目を凝らすと、近くにある民家の庭の隅っこにポツンと物置が立っていた。
「追っかけなくていいのかよ!?」
<時間がない!早くしろ!>
俺は半信半疑で物置を開けた。ガチャガチャと道具を探ると、スコップはすぐに見つかった。でも、これは立派な窃盗ではないか?いや、今はそんな事を気にしている暇はない。俺は大きなスコップを担いで再び走り出した。
7号のナビゲートは正しく、住宅密集地にも関わらず、敵の姿は全く無かった。7号はさらに指示を出し続け、俺はそれを男に伝えた。
「あんた、何でもいいから早く助けてくれよ!」
男が泣き言を言ってきた。
「わかった!もう少し踏ん張ってくれ!」
走る速度も落ちてきたし、そろそろ体力も限界を超えているはずだ。俺だってもう足が動かない。
<次の角を右だ。>
7号の指示に従って鬼ごっこを繰り広げているうち、俺たちは建設業者の資材置き場に着いた。鉄骨や重機などが整然と並んでいる。
「くそっ!行き止まりじゃないか!」
男の行く手は高いフェンスによって遮られていた。三方を囲まれ、残る一方からは鬼がやってくる。
「もう少し左に寄ってからフェンスをよじ登れ!」
俺はもう何度も大声を上げたせいで声が嗄れていた。
「何だって!?」
「いいから早く登れ!死ぬぞ!」
変種第4号は男の手前5メートルに接近していた。男がフェンスに足をかけたのを確認すると、俺は少し離れた資材の上によじ登った。
<タイミングを逃すな。いいか、十分に引き付けてからだぞ。>
「わかってるよ。視界が悪いからちょっと不安だけどな・・。やってやる!」
<行ったぞ!>
見ると、変種第4号がフェンスに激突していた。男はその頂点に跨がるように掴まっていたが、ぐらりとフェンスが揺れるとバランスを崩して後ろにのけぞった。
「うわああっ!!」
男が手足をバタつかせた。
「手を離すな!倒れるまで待て!」
俺が言ったと同時に、男が登っているフェンスがこちら側に倒れてきた。
「飛べ!」
俺が合図すると、男はぎこちなく前方に飛び込んだ。その先にはトラックの荷台があり、ふっくらとした黒いシートの上に男は柔らかい音と共に着地した。
ホッとしたのも束の間で、フェンスの下敷きになったはずの変種第4号がうなり声をあげて起き上がった。フェンスをくぐり抜けて外に出ようともがく。しかし、その出口の真上には俺が待ち構えていた。
<今だ!>
変種第4号がその位置に到達した瞬間、7号の合図で俺は資材を縛り付けてある鎖に向かってスコップを振り下ろした。
ガシャアアアン!!!
轟音と共に、積み上げられた無数の鉄骨が変種第4号の頭上に一気に降り注いだ。金属同士がぶつかり合う乾いた音に混じり、肉と骨が粉砕される嫌な音がした。
土煙が舞い上がる中、辺りに静寂がおとずれた。変種第4号が下敷きになっている鉄骨の山に動きはない。俺はそろりそろりと地面に降りた。
「すげぇ・・やったのか?」
男もトラックの荷台から降りてきた。俺たちはしばらく2人で鉄骨の山を呆然と眺めていた。変種第4号の絶命を確信したあと、ようやく俺は口を開いた。
「あ、大丈夫?」
「ん?いやぁ、お陰様で無傷だよ。ホント助かった、ありがとな。」
俺たちは初めて向かい合った。暗いながらも、男の顔立ちが確認できた。やや長髪で華奢な男は上下ジャージ姿だった。俺とだいたい同年代くらいかといった印象だ。
「あんた、これ最初から全部計算してたのか?」
男は手で鉄骨を示した。
「あー、まあ成り行きだよ、成り行き。はははっ。」
そう言って、俺はその場にへたり込んだ。運動不足の身にあのアクロバティックな作戦はキツかったようだ。膝がすっかり笑ってしまっている。7号の言う通り、鎖の錆び方が一番酷いポイントを狙ってスコップで叩いてみたが、なんとか上手く切断できた。7号の本当に凄いところは、短時間でこんなに完璧な作戦を組み立てられるところかもしれない。彼女にはまた借りが出来た。
「俺さ、南部ユウダイって言うんだ。あんた、1人か?」
南部が俺の隣にしゃがみこんで言った。
「ああ・・。いや、この近くのモデルハウスに仲間がいる。」
「マジか!実は俺もなんだ。そこの、上の原団地に数人で立てこもってる。立替工事中で全方位鉄板で囲われてるから、まず安全だぜ。良かったらあんたも来いよ!」
南部はやや興奮気味で言った。俺は顔をしかめた。
「上の原団地?俺のモデルハウスもその近くだ。」
「じゃあ好都合だ。あんたの仲間も連れて団地に行こうぜ。」
俺は考えた。たしかにいい案かもしれないが、話があまりに急過ぎて不安になる。そんなに上手く運ぶだろうか。
<とりあえず、早く私たちの所に帰って来い。話はそれからだ。>
俺が迷っていると、7号が言った。彼女の言うとおりだ。2人をこのまま無防備にしておくわけにはいかない。一刻も早く帰らなければ。
「待ってくれ。とりあえず俺を仲間の所に行かせてくれ。女だけだから心配なんだ。」
すると、南部が口笛を吹いたので、俺は慌てて止めた。また敵に見つかりでもしたら大変だ。
「ごめんごめん!しっかし、女の子と一緒なんて羨ましいぜ。そりゃ心配だよなあ!」
南部はからからと笑った。なんだか少し変わった性格のようだ。面倒な事を起こさないでくれるといいが・・。
「そだ、あんた名前は?」
「え・・九瀬サクトだけど。」
俺が答えると、南部は黙って右手を出してきた。少し躊躇ってから、俺は握手に応じた。
「ここで出会ったのも何かの縁だ!お互い仲良くしようぜ。」
「おう・・。」
かなり強引に親睦の契りを交わされてしまったが、これは純粋に喜ぶべき事なのだろうか。
上の原団地は俺が行きに通り過ぎた場所だ。あの時はあそこに人がいるなんて思ってもみなかったし、今いきなりそう言われてもなんだか疑わしく思えてしまう。
「ほら、早く行こうぜ。」
南部が促した。
詮索するのは止そう。こんな状況で嘘をつく人間なんていないだろう。第一、そんな事をしても何のメリットも無い。ここはこの男を信じよう。
俺たちはモデルハウスに向かって歩き出した。