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動き出す者

 畑に囲まれたモデルハウスが1軒建っている。女子高生の通常種が舌を出したり引っ込めたりしながら歩いてくる。最近舗装されたばかりの道路を横切り、畑の土の中へ入っていく。ズボズボと土に足をめり込ませながら、通常種はぎこちない足取りでどんどんモデルハウスに近づいてくる。

 足元に放置されているキャベツに気づいたのか、通常種は急に屈み込んだ。そして、豪快にキャベツに齧り付いた。ガツガツと狂ったようにひたすら食い続ける。

 黙々とキャベツを食べる通常種を眺めながら、変種第7号は精神感応能力を発動した。ゆっくりと気持ちを一点に集中させていく。

 7号の脳内にぼんやりとした景色が浮かび上がってきた。度の強い眼鏡を通して見たようなふわふわした世界の中に、赤く燃えているようなシルエットが動いている。女子高生の通常種の反応だ。さらに、通常種の精神へと第6感覚を伸ばしていく。

<お前の目的は何だ。なぜその行動を取る?>

 7号は通常種に直接問いかけた。

(食べる・・・キャベツ・・土の味・・・不味い・・・味気ない・・・・・空腹感・空腹感・・・・)

 通常種の精神を読み取った。幾つもの感情が断片的にしか伝わってこない。会話は成立しなかった。しかし、7号は疑問を抱いた。

 通常種は「キャベツ」という固有名詞を認知している。「土の味」という形容も出来ているし、味覚に対して豊かな感性を持っていると言える。これは7号自身にも言えることだ。人間と通常種・変種は異なる生物である。7号はこの仮説を信じてきた。しかし、この説には致命的な矛盾が生じてしまっているのだ。昼夜の概念や、言語の基本的な理解・・・その他にも様々な点において自分はこの世界をもともと知っている。

 それが何を意味するのかは7号には理解できなかった。そもそも、自分がいつからこの世界に存在しているのかという事さえハッキリしない。気がつけばマルカ堂の一室にいたのだ。

 自分は一体何者なのか。なぜ自分で自分の事を変種だと言い切れるのか。そして、どうやって誕生したのか・・・。疑問は尽きない。

 だから、7号の選んだ道は、「この世界を知り尽くす」という道しかなかった。生まれつき自分に備わっている精神感応能力。この特別な力を最大限につかい、この世界の情報を可能なだけ手に入れてやる。そして、いつか自分の正体を解明する。それが7号の目標であったし、生きる意味でもあった。

「おい、あんま窓開けるな。気づかれる。」

 俺は、半分開いた窓から外をのぞく7号に言った。しかし、7号は黙って外を眺めているばかりだ。俺は窓を閉めた。ここに来てから7号はずっとこんな調子だ。

 俺は7号とユイちゃんを連れて郊外のモデルハウスに侵入した。食料や水は無いが、寒さをしのぐ事は出来る。スポーツセンターから逃げてきてから今日で2日目になる。いいかげん俺も空腹に悩まされるようになってきた。

 2階のフローリングの6畳ほどの部屋には俺と7号しかいない。隣の部屋にはユイちゃんがひとりでずっと閉じこもっている。トイレの時以外はもう1日中あの部屋にいる。俺はそんなユイちゃんの事を思うと心が痛かった。どんな言葉をかけたら良いのだろう。自分の兄を見捨てたヤツの事なんかいくら憎んでも足りないだろう。それはよく分かっていたから、俺は彼女をそっとしておく事しか出来なかった。

<すぐ近くを通常種が歩いている。ここも絶対に安全とは限らないぞ。>

 俺は悩んでいた。正直、ここから離れたくなかった。スポーツセンターからそう遠くないこの場所なら、またタクマと合流できるのではないかと思っていた。もちろん、そんな保証はどこにも無いし、彼が今も生きている可能性は・・・。

 あれからかなり時間が経っているのに、俺は未だに現実味が湧いていなかった。

 タクマは死んだのか。そう言われても、彼の死体を想像する事は出来ないし、今も心のどこかでは生きていると信じている自分がいる。またいつものように、俺と下らない話をしに来てくれるような気がしてならないのだ。

「わかってる。でも、俺たち3人で外を歩けばかなり目立つだろう。変種なんかに出くわせばひとたまりも無い。もう少し様子を見よう。」

 自分の言った案が単なる先延ばしに過ぎないことは分かっていた。

 俺は1階に降りた。暗くて生活感の無い部屋を見ていると、飛び出してきた自宅の事を思い出した。父さんと母さんは無事だろうか。今まで目の前の事に精一杯であまり考えなかった。たしか、出かけるってメモに書いてあったっけ・・・。電車を使うともあった。人ごみの多い場所をいくつも通ったのだろう。

 俺は笑いが込み上げてきた。馬鹿みたいだ。こんなに問題は山積みだったのに、俺は今まで気にも留めなかった。そればかりか、スリルに快感を覚えていた。なんというクズだ。現実を目の前にして現実逃避だなんて本当に可笑しい。

 弱弱しく笑っていると、うっかり涙がこぼれそうになったので、俺は床にうずくまった。冷静になって考えてみろ。タクマはもういない。この世界には、俺を守ってくれる人なんて誰もいないんだ。いるのは、2人の弱い女の子。俺なんかが彼女たちを守りきれるのか?何の覚悟も無いのに?

「誰か助けてくれよ・・・。」 




 夜になった。7号はあれから何も話しかけて来ないし、ユイちゃんはあいかわらずだ。俺はフラフラと外に出た。

 気温はだいぶ下がっている。上着か何か欲しいところだ。

 畑にいた通常種はもうどこかへ行ったようだ。俺にはそんな事はどうでも良かった。電灯の消えた道は真っ暗だ。通常種は暗闇で動きが鈍くなるとか7号が言っていたが、変種の場合はまた違うのだろうか。

 畑を抜けると建替え工事中の団地の横を通り過ぎた。薄い鉄製の壁で囲われている中はゾッとするほど静かだ。植え込みがある小さな広場には、動かない死体が2体オモチャのように転がっていた。服を着ているが、ぴくりとも動かないから人形に見える。これも今となっては見慣れてしまった光景だ。この世界はもう俺が安心して生きてきた世界とは違うとは解っている。だが、なんだか今は不思議とどうでもいい気分だった。

 街の明りという明りはすべて消えていいて、月明かりでぼんやりと照らされた道をなんとなく歩いた。乗り捨てられた車が停まっている橋の上を渡ったとき、川の水音で再び正気に戻った。いつのまにか遠くまで来てしまった。

「タクマ・・・まだ生きてるよな?」

 俺はもう何も考えられなくなっていた。勘を頼りに、東久留米スポーツセンターを目指して走った。タクマの安否を考えると、俺の足はどんどん速くなっていった。近くの林がガサガサと不気味に揺れても、気にしなかった。

 長い舗装道路を抜け、だだっ広い駐車場に出た。暗いと様子が違って見えるが、間違いなくここだという事は分かった。運転手が戻る事なく駐車されたままの自動車の配置には見覚えがある。

 自分はついさっきまでここにいたような気がした。ただ、今は独りぼっちだ。少し寒気がした。

「タクマ~。」

 自然なボリュームの声が出た。最近まで日常的に交わしていた会話も、今では成立しない。俺の親友はもういない。

「タクマァ!!おい、どこにいるんだよ!」

 俺の声は虚しく響くばかりだ。キョロキョロと落ち着き無く辺りを見回したが、辺りには動くものすらいない。それでも俺は呼び続けた。大切な友達の名前を、ただ一方的に呼び続けた。

「タクマ・・・嘘だろ・・?タクマ・・。」

 背骨がいっぺんに全部抜け落ちたような気がした。俺は膝を折って地面に突っ伏した。ヒンヤリとしたアスファルトの感触が心を不安にさせる。

 タクマはもう帰って来ない。永遠に。その事実を受け止めるのに、俺はあまりにも多くの時間を費やした気がする。彼はまだ生きていると願っていた。根拠は無くても、自分が安心したいからずっとそう信じていたかった。

 自然と冷たい涙が溢れた。今まで溜まっていた様々な感情も全て流れ出す。

 馬鹿みたいだ。タクマが生きているなんて、普通に考えて有り得ない。なのに俺は空っぽな願望を握りしめる事で現実から目を背けていた。7号からも、ユイちゃんからも。一番ショックを受けているのは俺じゃなくてユイちゃんなのに・・・。

<何してる。立て。>

 頭の中に声が響いた。瞬間、俺はタクマがそこにいるのかと思った。

「タクマ!?」

 しかし、駐車場には依然として誰もいない。

<お前の取っている行動は危険過ぎる。死んでもおかしくない。何故こんな危険を冒す?>

 それは7号の声だった。無機質で乾いているはずのその声には僅かに苛立っているような調子が含まれていた。

(確かめたかったんだ。タクマが本当に死んだのかどうか、どうしても信じられなかった。こう言っている今も、あいつがまだ生きているんじゃないかって心の底から思ってる。)

 俺はまた地面に頬をくっつけるように倒れ込んだ。

(何でだろうな。道端に転がってる死体にも見慣れてきたのに、あいつの死だけは全然リアルに感じられねえんだ・・。あいつは頭も良いし、俺なんかよりずっと生き残る力がある。こんな通常種の巣みたいなスポーツセンターに入ってもちゃんと戻ってきたんだぜ?それに、言ったとおりユイちゃんを取り戻してきた。そんなすげぇ人間が死ぬわけねぇだろ。中に戻ったのは、小本とかいうオッサンを助けに行ったからなんだ。だから、ここに居ればまたあいつと・・・。)

<不可能だ。>

 7号が言った。俺は心臓が一瞬凍結したような感覚を覚えた。それは俺が長い間ずっとしまい込んでいた言葉でもあったのだ。

 タクマは複数の通常種に噛まれた。出血量も相当だったし、生きていてもいずれ感染によって通常種になってしまうだろう。でも、それでも、やっぱり実感がわかない。あいつが通常種として地上を徘徊する姿なんか想像がつかない。俺の中ではあいつは今も頼りになる親友のままだ。

 しかし、現実はそんなに甘くない。タクマの死が信じられないからといって、タクマが通常種となった動かぬ証拠を俺に見せ付けてくれる親切さすら無い。この目で見るまで解らないだなんて、ひどく甘えきった人間のセリフだったのかもしれない。

<その建物内にはもう通常種の反応しかない。彼はもう死んだ。>

 決定的な言葉だ。これ以上の言葉は無い。残酷だが、どう頑張ってもこれが現実だ。7号には精神感応能力がある。彼女には最初から全て分かっていたのだ。俺は今までの優柔不断な自分を恥じた。

<ここにはもう用は無いはずだ。戻って来い。>

 7号の声にホッとしたのはこれが初めてだった。しかし、俺はまだ素直になれなかった。

(何で俺を呼ぶ?こんな俺がいて何になるんだ?)

 俺には2人を守りきる自信が無い。俺はタクマのような強い人間じゃないんだ。これからどうすればいいかなんて全くわからないのに・・・。

<私にはお前の考えている事がわからない。なぜ生きようとしないのか。なぜわざわざ危険を冒すのか。>

 7号の口調にはまた僅かに感情がこもっていた。

(俺は何で生き残ってんだろうな。タクマを犠牲にしてまで俺が生きる価値はあるのか?こんな世界で、何を信じて、何を目標にして生きていけばいい・・?)

 <変種第1号を探せ・・・。>

「・・え?」

 7号がふいに言った。

<変種第1号。すなわち、この異変の根源だ。>

「待て、何の話をしてるんだ・・?」

 しかし、7号は俺の言葉を無視して続けた。

<通常種は最も個体数が多い種だ。異変が広がったのはやつらが原因である事は間違いないが、そもそもの始まりはやつらではない。>

「何だって・・?それは、ウィルスが原因だとか言ってなかったか?」

 <私も今までそう考えていた。しかし、昨日ある光景を目にしたのだ。ここからそう遠くない場所で、一匹の変種がヒトを襲っていた。巨大な類人猿のような姿の変種だった。私が変種第5号と名づけていた種だ。観察を続けていると、変種第5号に噛まれたヒトは突然逃げ出した。なんとか変種第5号を振り切り、建物の影に隠れた。そして、6時間生きた末に通常種に遭遇し、噛まれて感染した。普通、噛まれたヒトはこん睡状態に陥り、数時間後に通常種になる。しかし、このヒトは6時間の間、体に一切の変化が起きなかった。>

 7号は丁寧に説明したが、正直、わけが解らなかった。ただでさえゴチャゴチャしている頭がさらに混乱してきた。

「それが何なんだ・・?」

<これはあくまで仮説だが、この異変の原因はウィルスなんかではないかもしれない。おそらく、通常種や変種を作る事ができるのは通常種だけなのだ。やつらは独特の方法で仲間を増やす。噛むという行動によってだ。しかし、それは主に捕食の際に起こることであり、仲間を増やすためだけに噛む事は無い。だから今まで勘違いしていたのだ。>

「ウィルスを持っているのは通常種だけだと・・?」

 俺は聞いた。

<違う。そもそも、通常種は特有の物質を持っているのかもしれない。ヒトを通常種に変えてしまうような物質だ。>

「ちょっと待てよ・・!」

 俺は水を差した。頭の中に恐怖が生まれつつあった。

「じゃあ、誰がその通常種を最初に作ったんだ?自然に一人目の通常種が生まれたとでも言うのかよ!」

<おそらく、本物の変種が関係しているはずだ。>

「本物・・?」

<通常種によって生まれた変種じゃない。この異変が起こる前、自然界に偶然発生した生物だ。通常種を作り、生態系を破壊する危険性を持つ新種の生物・・真の変種第1号というわけだ。>

 7号の言葉を聞いた瞬間、背筋がぞくっとした。俺は思わずつばを飲み込む。

「そんな・・・ありえない!証拠が無いじゃないか・・こんなのフィクションだ!」

<その通りだ。これは私の想像でしかない。だが、いずれにせよ私はいつかこの異変の原因を突き止めるつもりだ。それが私の目標だ。>

 7号の声には力があった。活力があり、突拍子も無い割には凄みがあった。

<そのためにはお前の力が必要だ。私たちは生きなければならない。でなければ、この異変の原因は永遠に謎のままだ。誰かがやらなければならないのだ。私たちの他に誰がいる?いま私が持っている情報は他の誰もが持っているわけではないはずだ。となれば、それを無駄にしてしまうのは惜しい。この情報は、この命は、死んでいった者たちのために活かされるべきものではないのか!?>

 7号はもう叫んでいた。その声は、その言葉は、俺の心を強く打った。こいつが変種だとか、そんな事はもうどうでも良かった。俺の心には怒りがわいてきた。

 この異変が全て悪いのだ。俺が16年間生きてきた大切な人々の住む町を奪い、親友を殺したのはすべてこの異変が原因だ。異変さえ起こらなければ・・!異変さえ起こらなければ誰も死なずに済んだのに、何故だ!何のためにこんな地獄を作り出したのだ!

 両目から熱い涙が流れ出した。俺はそれを乱暴に拭い、天を仰いだ。真っ暗な空だ。確かに、希望なんか何一つ無い。これから生きていくあてもない。でも、それでも、俺は生きなければならないんだと思った。タクマの命は軽くなかった。それと同じように、俺たちの命もまた軽くない。彼の死を忘れてはならない。ましてや、目を背ける事など言語道断だ。

 タクマが命を捨ててまで貫き通した意志を、俺は受け継ごう。

「7号・・迷惑かけたな。」

 俺は立ち上がった。迷いは無かった。スポーツセンターに背を向け、もと来た道を走って戻った。

<いや、私も感情的になり過ぎた。早く戻って来い。じきに夜明けだ。>

「おう。」

 俺は振り返らずに走り続けた。もうこの場所に戻ってくる事はないだろう。林を抜け、橋を駆け抜けた。熱くなった頭に夜風があたって気持ちいい。

 タクマ、さよなら。俺は生き残るからな。お前の妹は何があっても守り抜くよ。だから、どうか俺たちを見守っていてくれ。

 その時、背後で得体の知れない何者かが動き出した事に俺は気づかなかった。

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