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幼い恋の期限~約束を忘れられた公爵令嬢は義兄の手を取る~

掲載日:2026/02/04

 婚約者である第三王子アーネストはディクソン子爵令嬢シシリーと顔を寄せ合い、微笑み合っていた。

 まるで、恋を始めたばかりの恋人同士のように。


「二人で会っているなんて……」


 思わずエマは物陰に隠れた。見てはいけないものを見たような、自分でも説明のつかない気持ちがこみあげてくる。


 今日は王子妃候補の勉強会の日、そしてアーネストとの交流の日だった。

 いつもより念入りに準備をして城に来たのに、彼は自分以外の令嬢と楽しそうにしている。


「私と一緒にいる時は、いつもつまらなそうなのに……あんな笑顔もできるのね」


 胸は苦しくても、涙は出なかった。気持ちを落ち着かせるために、大きく呼吸を繰り返す。

 初めて顔を合わせたあの日。

 まだ幼かったアーネストは、無邪気に笑って言ったのだ。


『大人になったら、エマに婚約を申し込むよ!』


 その言葉を信じて、エマは王子妃になるための勉強をしてきた。

 礼儀作法も、政治も、感情を抑えることさえも。


「そうね……あの約束は、もう期限切れなんだわ」


 ぽつりとつぶやくと、不思議と胸が軽くなった。幼い日の約束は、淡くて儚いもの――そう心から納得できたのだ。


「――なんだ、あれは」


 低い声に、エマははっと我に返った。


「お、お兄様……どうしてここに……」


 振り返ると義兄ラルフが、眼鏡の奥から鋭い眼差しで王子たちを見据えていた。


「今日は書類の提出だ。エマのサインが必要だと聞いてな」


 言いながらも、彼の視線は離れない。

 アーネストとシシリーをにらみつけるその様子に、エマは嫌な予感を覚えた。


「あれはディクソン子爵令嬢か? なぜ王子と一緒にいる」

「……わからないわ」


 嫌な噂はいくつか耳にしている。

 けれど、どれも本人に確かめたことはなかった。


「なるほど。第三王子は、ウィットモア公爵家を蔑ろにしているわけか」


 声が、さらに低くなる。

 まずい。

 視線の意味を察したエマは、慌ててラルフの腕をつかむ。


「お兄様、一緒に帰りましょう! 相談があります」

「待て。あの二人、このままでいいのか」


 ちらりとこちらを見る目が、ひどく真剣で――そして、怒っている。


「エマが言えないのなら、俺が一言――」

「暴力反対!」


 即座に遮ると、ラルフはわずかに眉をひそめた。

 やっぱり、何かする気だったらしい。

 エマは自分の感傷を振り払うようにして、ラルフの腕を引き、足早にその場を後にした。

 


 馬車の中は静かだった。車輪の音だけが、規則正しく響いている。

 エマはちらりと隣に座る義兄を盗み見る。


(やっぱり殿下に怒っているのかしら、今日はすごく険しい顔をしている……)


 ラルフは二歳年上の遠縁の伯爵家の子息で、家を継ぐことができなくなったエマの代わりに跡取りになった。エマにとっては頼れる義兄だ。


 彼の険しい表情が、アーネストへの怒りを物語っていた。

 どうやって婚約者候補辞退を切り出そうと考え込んでいると、ラルフの強い視線を感じた。


「エマは、どう考えている」


 低く、落ち着いた声だった。どうやって説明するか、まったく思いつかなくて口ごもる。


「どうって……」

「王子のことだ。蔑ろにされて、黙っているつもりか」


 はっきりと言われ、エマは小さく息を吐いた。少し目を伏せてから、覚悟を決めて視線を合わせる。こちらを探るような眼差しにひるみつつ、ぐっと胸をそらした。


「お兄様、怒らない?」

「内容による」


 即答だった。逃げ道をくれないその真面目さに、エマは思わず苦笑いをする。


「それじゃあ、言えないわ」

「訂正する。言いたいことを言え。嘘を言うようなら、くすぐるからな」

「そんな、ひどいわ!」


 思わず抗議すると、ラルフはわずかに口元を緩めた。どこか温かみのある笑みに目を見張る。ここ数年、こういう優しい笑みを見ることがなかった。


「だったら正直に話せばいい」


 嘘を許さない態度に、仕方がなく話した。


「呆れないでね? 実は、すごくほっとしたの。これで婚約者候補を降りられるから」


 言葉にした瞬間、肩の力が抜けた。


「……王子を好きだったんじゃないのか?」

「好きに、なろうと思っていたの。初めて会った日に、結婚しようって約束したから」


 そう答えながら、指先を握りしめる。


「そうか。王子と心が通じ合わないのなら、この婚約には意味はない。それでいいんだな?」


 ラルフの声は、少しだけ柔らいだ。


「ええ」


 迷いなく答えると、ラルフはわずかに微笑んだ。


「……そうなると、エマの婚約者は俺になるが、それでもいいのか?」


 ラルフが、ほんの少し身を乗り出す。


「はい?」

「俺はもともとお前の婚約者になるべく公爵家に来たんだ」

「あ……そう、だったわね」


 ちらりとラルフを見る。

 雰囲気が異常に冷ややかなので強面に思えるが、顔立ちは整っている。

 意識した途端、エマの心臓が恐ろしいほど早くなる。


(私、お兄様のことを意識したことなんて……)


 自分の感情の変化にを無視するように、つんと澄ました顔で聞いた。


「お兄様も……私のこと、そういう目で見られるの?」

「当然だ」

「本当に……?」


 疑うように見上げると、ラルフは小さく息を吐いた。


「疑う理由があるのか」

「だって……」


 言葉に詰まる。

 その瞬間、馬車が大きく揺れた。


「――っ」


 体が前に倒れそうになり、強い腕に引き寄せられる。


「危ない」


 低い声が、すぐ耳元にあった。胸と胸が触れ合うほど近くて、ラルフの体温がはっきりと伝わってくる。慌てて彼の胸を押せば、すぐに腕が緩んだ。けれど距離は離れない。


「俺はエマを妹として見たことは一度もない」


 そうささやくと、ゆっくりと体が離れ、至近距離でまっすぐ見つめられた。その眼差しがいつもと違うように思えて、ドキリとする。


「お前が兄として俺に懐いているのは知っていたけどな」


 じっとラルフを見つめれば、彼はにやりと笑った。


「今日から俺がお前の婚約者候補だ。覚悟しておけ

よ」


 そういうと、握っていた手を持ち上げ、指先にキスをした。


(うそでしょ~~!)


 エマは今すぐ意識を失いたいぐらい、顔が真っ赤に染まった。



「まあまあまあ」


 婚約候補辞退について、母に相談すれば、恐ろしいほど圧のある笑みを浮かべた。


「お、お母様、落ち着いて」

「落ち着いていますよ。七歳で殿下があなたのことを気に入ったからと婚約者候補にしたのに……なんてことなのかしら」


 みしりと、公爵夫人の持っている扇子がきしんだ。恐ろしさに、思わずラルフを縋る気持ちで見る。彼はわかっているというように微笑み、公爵夫人へと告げた。


「そうですね、二度と復活できないように潰しましょう」

「違う、そうじゃない!」


 全然、味方じゃなかった。

 慌てて声を上げる。公爵夫人は不思議そうに首を傾げた。


「簡単に許せるものじゃないでしょう? 婚約者候補としたのも、わけのわからない王妃様のご希望に沿った結果なのだし」

「え? そうだったの?」


 てっきり、他国の王女との縁談がある可能性を考えてのことだと思っていた。


「違うわよ。第三王子だから、政略結婚させたくないとかなんとか。だから、気に入った令嬢を候補として交流して、成人の夜会の時にバラの花束を差し出してプロポーズさせるのだと息巻いていたけど」


 エマはあっけにとられた。


「何、それ……私、十年も婚約者候補のままだったから、同世代の令嬢たちに足りない令嬢と笑われていたのに」

「この婚約者候補、何度辞退を申し込んだことか!」


 公爵夫人が思い出したのか、ぎりぎりと歯ぎしりする。


「でも、これで無事辞退することができますね。俺は予定通り、エマと交流を深めます」


 公爵夫人の感情をなだめるように、ラルフが言った。彼女はぱっと明るい笑みを見せる。


「それがいいわ! どんどん甘やかしてやって!」

「もちろんです」


 エマは目を大きく見開いた。


「ちょっと待って! 何の話!?」

「いやあね。あなたとラルフの話よ。ラフルったら、あなたの心を振り向かせてから婚約するんですって」

「それが誠意というものでしょう」


 ラルフは頷き、そして色気のある目でエマを見つめた。


「選ぶのはエマだ。だから、じっくりと俺を知ってほしい」

「突然そんなこと言われても」


 うろたえるしかなかった。



 ちらりとラルフを見る。

 改めて彼を見れば、とてもかっこよかった。短めの黒髪はサラサラだ。藍色の目も彼によく似合っている。

 思わず自分の髪を指に巻き付けた。エマの髪はこの国で一番多い金髪で、ブルーグレーの瞳はぱっとしない。存在自体もぱっとしないんじゃないかと、落ち込んだ。


「どうした?」


 読んでいる本から顔を上げ、ラルフはじっとエマを見つめる。


「ううん、なんでもない。ただ、お兄様の髪の色が綺麗だと思って」

「男を綺麗と褒めても、何も出ないぞ」


 呆れたようにため息をつくと、立ち上がった。


「出かけるか」

「え、どこに?」

「今度、成人のお祝いを買いに行こう」


 あっという間に、出かけることになった。

 エマにとって、街歩きは新鮮だった。というのも、アーネストの婚約者候補だったため、勉強や茶会、鑑賞会などで忙しく、気晴らしに街へ出る時間などなかった。

 きょろきょろとあたりを見回す。


「すごく賑やかね」

「ここは王都で一番店が集まっている場所だからな。ほら、あの店、エマの好みに合いそうだ」


 ラルフの声に視線を巡らせると、可愛らしいアクセサリーがたくさん並んでいる。平民でも気軽に立ち寄れる店で、値段も手ごろ。

 貴族令嬢のエマにしたらおもちゃのようだが、それでも十分可愛い。

 目を輝かせて、アクセサリーを覗き込む。


「いろいろな種類があるのね。見ているだけでも楽しいわ」

「それはよかった。この髪飾り、エマに似合う」


 そう言って、ラルフは花と葉をモチーフにした髪飾りを手に取った。そして、そっとエマの髪に飾る。


「え?」


 驚きで目を見開き、頬が少し熱くなる。ラルフは気にせずじっと見つめ、満足そうにうなずいた。


「うん、似合っている。主人、これをいただこう」

「お兄様、ありがとう」


 小さく震える声でそう言い、髪飾りにそっと触れる。ラルフの優しさを感じ、心臓が高鳴った。

 ラルフはエマを見つめたまま切り出した。


「そうだ、成人の夜会、俺にエマのエスコートを務めさせてもらえないか?」

「え、でも」


 いつもならアーネストがしてくれるはずの役目。エマは戸惑い、少し顔を赤くする。


「心配しなくても、夜会までには婚約者候補の辞退は受理されている」

「本当に? 私、お兄様にお願いしてもいいの?」

「もちろん」


 ラルフの笑みは街の喧騒よりも明るく、温かかった。


 初めての夜会はとても煌びやかだった。

 今日のために用意されたドレスを身にまとい、ラルフにエスコートされる。

 王城には何度も足を運んでいたが、夜会に参加するのは初めてだ。ドキドキする気持ちが抑えられず、思わずぎゅっとラルフの腕を強くつかんだ。


「エマ。落ち着くんだ」

「だって、すごく緊張する」


 楽しみだった夜会だから、と照れ笑いした。

 でも本当はそれだけじゃない。


(お兄様……ううん、ラルフ様とてもかっこいい。隣に並んでいるだけで胸が破裂しそう)


 兄としてではなく、エマの目にはラルフはすっかり一人の男性として映っていた。あれほどまで女性として扱われてしまえば、彼を見る目も変わる。

 両親の決めた本来の婚約者だったラルフ。アーネストの婚約者候補を辞退してから、彼の立場はすっかり変わっていた。そして、エマの気持ちも。

 ふわふわした気持ちで、会場に入る。


「エマ!」


 突然、呼び止められてびっくりした。エマは声がしたほうへと顔を向ける。


「アーネスト殿下?」

「夜会の前に話がある」


 アーネストはひどく厳しい表情をしていた。過去に一度もこのような顔を向けられたことはない。

 嫌な予感がしたが、それでも断るという選択肢はなかった。


「なんでしょうか?」

「シシリーに嫌がらせをするとはどういうつもりだ!」

「え?」


 予想もしなかった言葉に、あっけにとられた。

 思わず、アーネストのすぐそばに立つシシリーに目をやる。彼女はわかりやすくおびえた表情をした。


「確かに君は僕の婚約者だ。気に入らないことがあるのなら、僕に直接言えばいい!」


 そう激昂する。それほど大きな声ではなかったが、広間にはよく声が通った。おしゃべりがぴたりとやみ、楽し気な音楽だけが静寂の中、響く。

 エマは大きく息を吸った。そして浮かれていた気持ちを引き締め、姿勢を正す。


「殿下、私は婚約者候補でしたが、すでに辞退しております」


 そう告げれば、アーネストが目を見開いた。


「は?」

「殿下はすでにディクソン子爵令嬢と心を通じ合わせているようでしたので、辞退させていただきました」


 そして、エマはシシリーを見つめた。


「私、ディクソン子爵令嬢とお話したことはなかったと思うのですが……どのような嫌がらせでしょう?」

「えっと……その」


 シシリーは青ざめながら、言葉を濁す。アーネストが不審げな目を彼女に向けた。


「シシリー?」

「もしかしたら、勘違いかも……」


 ぼそぼそと小さな声でそんな言葉が聞こえてくる。エマはため息を飲み込んだ。これ以上騒ぎにしたくないという気持ちだけで、ここは引くことにした。

 だが、ラルフは違った。エマを守るように背中にかばう。


「勘違いでは済まされない。もし、エマの名をかたっている人間がいるのなら問題だ」

「ラルフ様」


 ぎょっとして彼の名を呼んだ。彼は安心させるようにエマの手を握り締める。


「心配いらない。不名誉なことを捏造する人間は放置できないからね」

「そうじゃなくて……」


 ちらりと、シシリーを見る。彼女は真っ青を通り越して真っ白だ。手も、わずかに震えている。


(彼女、嘘をついてアーネスト様の関心を引いたのね)


 そもそもアーネストとエマは仲が悪くはなかった。ただ、幼いころから一緒にいすぎたせいなのか、そこにいるのが当たり前になっていき、徐々に距離が開いていっただけ。決してお互いを嫌っているわけじゃない。


「シシリー?」

「アーネスト様、私」


 アーネストもシシリーの偽りに気が付いたのだろう。愕然とした顔をしている。縋るようにこちらを見るので、エマはにこりと微笑んだ。


「私は公爵家の嫡女です。もう元には戻れませんわ」

「しかし、辞退したのはつい最近だろう? 今ならまだ取り消せるはずだ」

「アーネスト様!?」


 ぎょっとした声を出したのはシシリーだ。

 アーネストの変わり身の早さは目を疑うが、それでも嘘で塗り固めたシシリーの手を取ることはないだろう。なんせ、アーネスト様はロマンチストなのだ。


「それでは、私たちはこれで失礼いたします」

「エマ、助けてくれないのか?」

「申し訳ありません。ですが、アーネスト殿下でしたら、すぐに運命の人で会えると思いますわ」


 そういって、挨拶をするとラルフをその場を離れた。


「……庇うことはなかったんじゃないか?」

「庇ったつもりはないわ。ただ、これ以上、あの方たちとかかわるのは無駄だなと思って」


 アーネストの婚約者候補ではなくなったのだから、余計なことはしたくない。

 立ち止まると顔を上げ、ラルフと視線を合わせた。真正面から彼を見つめる。


「それに、ラルフ様以外の手を取りたくないと思ってしまったの」


 ラルフはわずかに目を見開いたが、すぐに自信にあふれた笑みを見せた。そして、エマに向かって手を差し出す。


「エマ、俺と結婚してくれないか?」

「ええ、喜んで」


 エマは頷くと、その手を取りラルフへと一歩近づいた。


Fin.

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