第4章 北へ向けて02
北に向けて歩を進めていたある時、サフィーの鼻が何かが燃えて焦げ付くような臭いを感じ取った。どうやら寒風に乗ってやってきたもののようだ。
「……?何でしょうかこの臭い……」
「どうしたんだ?」
首を傾げるサフィーの顔をガブリエルが覗き込んだ。
「いえ……何かが燃えるような臭いがするんです……」
「どんな臭いなんだ?」
「何だか……貴方が焚火をしたときのような感じなんだけれど……何だか、何かが腐っていくような臭いも混ざっているんです……」
「……」
ガブリエルは顔に左手を当てて俯く。
「……その臭いの元に行ってみるか?」
「……えぇ、怖いけど私、この臭いの正体が気になるわ」
「よし、じゃあ案内してくれよ」
二人は北への道を逸れ、その異臭の元へと向かった。
そこにはサフィーが初めて目にする光景が広がっていた。もっともそれは決して見て良いものではなく、とても残酷で、とても悲惨なものだった。
ーー朽ちた武器、汚れた防具、雪に広がる血潮に腐っていく無数の死体の山々……
そこは正に戦争の残骸が転がる地獄の様相を呈していた。
「こ、これは……」
「ここら辺で合戦があったみたいだ。かなり派手に殺り合ったみたいだな」
言葉を失っていたサフィーに対して、ガブリエルは至って冷静だった。
「……さて、使えるものはあるかな……?」
そうしてガブリエルは転がる死体の山々を漁り、まだ使えそうな武器を探し始めた。
「ちょ、ちょっとガブリエル⁉」
「霜の王がどんな野郎なのかは見当もつかないが……戦いには武器がいる」
「だ、だからって亡骸をそんなぞんざいに扱うなんて……」
「今の時代、こんなのよくある光景さ。こいつらだって覚悟を持って戦っていた筈だ」
ガブリエルは死体の下からロングボウを引っ張り出し、弦を引いてまだ使えるのかを確かめ始めた。
「……」
ガブリエルの背中をサフィーは黙って見つめていた。今、彼の姿は、腐肉を漁る蠅のようにも見えてくる。
「幻滅したか?俺の姿に」
視線を感じ取ったガブリエルがふと振り向いた。
「もしそうなら俺をここに置き去りにしたって構わないぞ。どの道アンタは俺には過ぎた存在だからな……」
「いえ……ただ、少し残念だなって……」
「……?残念?」
「あはは……おかしなこと言ってると思いますよね?でも私、残念だと思ったんです。アリトンの言っていたことが全部本当だったなんて……」
サフィーがガブリエルに歩み寄る。彼は立ち上がり、彼女に目線を合わせた。
「私、アリトンに教えられたんです。『外の人間は野蛮だ。森から出るのはダメ』だって。彼の言葉は本当でした。人間は同族同士で殺し合いをする“戦争”をする唯一の生き物なんだって……」
「……」
サフィーの悲しげな言葉をガブリエルは黙って聞いていた。
「そんなの嘘だって思いたかった。人間はアリトンみたいに優しい人ばかりで、そんな残酷なことをする人はいないんだって……だけど……だけど……」
「その理想は脆くも崩れ去った訳か」
ガブリエルがハッキリとそう言い放った。サフィーは動揺したのか足がよろめく。
「アリトンは随分と責任感がある奴みたいだな。無責任に人間は素晴らしい存在なんだってアンタに吹き込むような真似はしなかった」
「……」
サフィーは口を噤んでいた。
「だけど、これが現実さ。人間は些細な違いでいがみ合い、殺し合う。そんな人間だっているんだよ。アンタは人間を理想化し過ぎてたな」
「……貴方はどうなのですか?」
サフィーが急に目を見開き、ガブリエルを睨みつけた。
「え?」
「貴方はどうなのですか?貴方は……血に飢えたケダモノなのですか……?それとも、別の何かなのですか?素直に教えてください、如何なる答えでも私は怒りませんから」
ガブリエルの背筋に寒気が走る。今のサフィーの目には生気がない。ゴミでも見るような目つきでガブリエルをじっと見つめていた。今、彼の眼前に映るのは、凍てつく視線を放つ幻獣だった。
ーーだが、ガブリエルは怯まなかった。
彼は眉一つ動かさぬように堪え、自身の本心を打ち明けた。
「俺も自身の手は汚してきたさ。だが、殺しを楽しみ、進んで行ったことは一度もない」
「……」
静寂が辺りを包む。ガブリエルはごくりと唾を飲み込んだ。だが、サフィーの瞳から目を離すことはなかった。
「……ふふっ、良かった貴方もアリトンと同じ“良い人”のようですね」
サフィーはゆっくりと微笑んだ。それを見たガブリエルは膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。
「……はぁ、はぁ……」
「ごめんなさい、少し驚かせてしまいましたか?」
「あぁ。“だいぶ”驚かされたよ」
ガブリエルは僅かに口角を上げる。
「ふふふ、まぁ死体漁りも仕方がありません。確かに霜の王を討つ為には武器も必要ですしね。ただ、亡骸は出来る限り弔ってあげましょう。彼らにも帰るところがある筈です」
「あぁ、それは同感だ。ただ、ここには死体が多すぎる。全員弔っていたら一体どれだけ掛かるのか……」
「私も手伝いますよ。欲しいものがあったら教えてくださいーー」
「待て!何かが来る!」
サフィーとガブリエルは咄嗟に伏せる。その傍を無数の青色の影が掠めていた。
「ウェンディゴ⁉どうしてここに⁉」
「なるほど⁉こいつらが!」
十数体はいるウェンディゴ達は皆鋭い牙をカチカチと鳴らしている。
「やるしかないみたいだな」
ガブリエルは先程手に入れたロングボウを手に取り、矢をつがえる。
「えぇ……そのようですね……」
サフィーも角に魔力を込め、戦闘態勢に入った。そしてウェンディゴ達は一斉に二人に向かって突撃してきた。
ガブリエルは弓を引き、空から無計画に突撃してくるウェンディゴ達に向けて矢を放つ。それは数体には命中し、撃墜することが出来たが、残った奴らが隙の出来たガブリエル目掛けて突っ込んできた。しかし直ぐにサフィーが割り込み、角を振りかざしてウェンディゴの群れを蹴散らした。
「そっちから向かってきてくれるなら好都合です!」
鋭い角の一撃が、三体のウェンディゴ達に直撃し、彼らを煙の如く霧散させてしまった。
「やるな、アンタ。てっきりか弱いお嬢様かと思ってたが……」
二体のウェンディゴを射落としながら、ガブリエルがサフィーに賞賛を送る。
「ふふん!私を甘く見ちゃいけませんよ!」
サフィーは角に光を収束させて刃を作り出し、ぴょいと飛び上がる。そして空中に漂っていた残りのウェンディゴを纏めて切り裂いた。悪霊達は耳をつんざくような悲鳴を上げながら塵となって消えていった。
「えっへん!ってうわぁ!」
サフィーは空中でバランスを崩し、そのまま雪だまりに墜落してしまった。
「おい!大丈夫か⁉」
普通なら首が折れても不思議ではない落ち方だったが、雪がクッションになったお陰でサフィーは無傷だった。彼女は雪だまりから上半身を出し、プルプルと体についた雪を落とす。
「……っぷはぁ~窒息するところでした……。で、でも今の私カッコよくありませんでしたか?」
「最後の墜落が無ければ完璧だったな」
ガブリエルの手厳しい評価にサフィーは顔を赤らめた。
「しかしなんで急にウェンディゴが現れたんでしょうね……?」
「さぁな、兎も角この辺りの遺体を清めて埋めてやろう。それで彼らもきっちりとあの世に逝ける筈さ」
「えぇ、それじゃあ急ぎましょう!早くしないと亡骸が凍りついてしまいますよ!」
そうして2人は周囲の遺体を集めて祈りを捧げ、硬く凍りついた地面を掘って彼らを埋葬した。全ての亡骸を弔う頃にはすっかり夜も更けていたが、サフィーとガブリエルは再び北に向けて歩き始めた。




