北流亡氏インスパイア アナザー・ダイイング・ダイイング・メッセージ・ダイイング~坂本姫花の場合~
北 流亡氏の作品
「ダイイング・ダイイング・メッセージ・ダイイング~坂本姫花の場合~」
https://kakuyomu.jp/works/16817330668992787812/episodes/16817330668992808139
にインスパイアされて書きました。
もちろん無断です。
北 流亡氏は怒っておられないことが確認されましたので、このまま掲載を続けます。
この作品に興味持たれた方は、ぜひカクヨムで発表されている北氏の作品もお読みください。
なぜ後半にサイトウラッシュが起こったのかは読んでいただければおわかりになります。
https://kakuyomu.jp/users/gauge71almi
被害者の名は坂本姫花。
発見されたのは、タワーマンション20階、夜景が広がるはずのリビングの中央だった。煌びやかなはずの部屋は、赤黒い飛沫に染められ、白い大理石の床も壁も、惨劇の記録を無惨に刻み込んでいる。
死因は出血死。鋭利な刃が腹を深々と貫き、彼女の命を奪った。苦しみ抜いた末に絶命したことは、散乱する血の痕跡が雄弁に物語っていた。警官たちは誰もが思わず口を閉ざし、短い黙祷を捧げた。
しかし鑑識作業が進むにつれ、刑事たちの心には奇妙な違和感が芽生えはじめる。
確かに致命傷は刺創による失血死。だが、室内に争った形跡はない。家具は乱れておらず、割れた食器すら存在しない。血痕の飛び散り方からすれば、彼女自身が刺された後も動き回ったとしか考えられなかった。
そして信じがたい痕跡が浮かび上がる。床に描かれた血文字の痕、その上からメラミンスポンジで拭き取った跡。さらに口紅でも何かを書き残し、やはり消している。
死に際に、なぜそんな不可解な行動を取ったのか。
「山さん……これって……」
若手刑事・大谷が声を震わせる。
「ああ……何があったんだろうな。俺にも見当がつかん」
ベテラン刑事・山本も答えに窮し、皺だらけの眉をひそめた。
そのとき、新人刑事・佐々木が白い紙を手に駆け寄ってきた。
「先輩! これを見てください!」
血のにおいに満ちた空間で、差し出された紙に書かれていたのは──。
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拝啓 これを読んでくださる誰かに
これはダイイング・メッセージでございます。
私はまもなく絶命します。犯人は20時に宅配業者を装って私の家に侵入し、腹部を刺してベランダから逃走しました。また、逃走の際に外側から錠に紐のような物をひっかけ、鍵を閉めました。見せかけの密室です。犯行の動機は、おそらく交際の申し込みをお断りしたことによる逆恨みでしょう。必ずや彼を捕まえて私の無念を晴らしてください。
追伸 お父様、お母様、今まで大切に育ててくださり、ありがとうございました。
敬具
令和4年4月12日 神居大学英文学部2年
坂本 姫花
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「……ふざけてるのか?」
山本が低く唸る。
「犯人の名前が書いていないダイイングメッセージなんて……」
大谷も額に汗を浮かべた。まるで警察を試すかのような遺書。
思考が混乱するなか、突然、玄関のチャイムが鳴った。
「すいません! 友人の様子が気になって……手嶋高人と言います」
大学生風の青年が、怯えた様子で立っていた。彼は佐々木に伴われ部屋に入るや否や、血の海を見て絶叫した。
「うわああああ! 坂本さん!!」
遺体に駆け寄ろうとする彼を、大谷と佐々木が押さえ込む。現場を見せるのは痛恨の失策だったが、彼は重要な参考人になり得る。
事情を聞くと、坂本からLINEが届き、酩酊しているようだったという。テーブルには割れたワインボトルと空のグラスが転がっていた。
だが不可解なのは時間の齟齬だった。犯人が訪れたのは20時。逃走したのは15分後。だが坂本が手嶋に電話をかけたのは21時すぎ。
刺された後、血文字を書き、消し、さらに手紙まで残し、ワインを飲み、そしてLINEを送信した──。
「……なぜ救急車を呼ばなかったんだ?」
大谷が呟いた。
山本は言葉を飲み込む。彼の胸に浮かんだ推論は、あまりにも被害者を愚弄するものだったからだ。
そう、坂本姫花はあまりにも──アホだったのではないか?
その時、佐々木が声をあげた。
「山さん! 手紙……これ、ライターで炙ると文字が浮かんできます!」
キッチンには搾りかすの残ったミカン。幼い遊びを思わせる「あぶり出し」だった。
なぜ命の炎を削るその時に、こんな遊戯じみた真似を……?
「文字が……見えてきました!」
大谷が声を震わせながら読み上げる。
「……犯人は、サイトウ──!?」
部屋の空気が凍りついた。
刑事たちは顔を見合わせる。まさかの直球すぎるメッセージ。
果たしてそれは真実か、あるいは新たな欺瞞か──。
こうして捜査は、さらなる混乱の渦へと飲み込まれていくのだった。
*
後日、警察署の道場に、容疑者たる「サイトウ」達がぞろぞろと集められた。
木の床を軋ませて列を作るその光景は、まるで武道大会の選手入場のようだ。
「はじめまして、斎藤健太です」
「斉藤大輔です」
「齋藤雅人です」
「齊藤晃一です」
「斎籐悠真です」
「斉籐拓海です」
「齋籐浩司です」
「齊籐俊介です」
「斎藤雄平です」
「斉藤直樹です」
「齋藤涼介です」
「齊藤隼人です」
「齎藤誠です」
「斎籐慶太です」
「斉籐隆です」
「齋藤健二です」
「齊籐一樹です」
「斎藤翔です」
次から次へと名乗りが続くたびに、ベテラン刑事・山本のこめかみに血管が浮かぶ。
(なんだこれは……名簿を読み上げてるのか? いや、地獄の点呼だな……)
その数、実に18名。
道場の空気は既にむせ返るほど濃く、壮観を通り越して悪夢のようだった。
「おい大谷、本当に全員サイトウなのか?」
「そうです。被害者の交友関係からピックアップした第一陣です」
「……第一陣? まだいるのか?」
「はい。少なく見積もってもあと60人は」
「……なんだよそのサイトウ祭り。警察は抽選会でも開いたのか」
山本は額を押さえ、深いため息を漏らす。
しかし冗談を言っていられるのも束の間だった。
突如、列の一角で怒号が上がる。
「ふざけんな、俺じゃねぇ!」
斎藤が拳を振り上げ、隣の斉藤の頬を打った。
それをきっかけに激闘の火蓋が切って落とされた。
左端では──。
「もらったァ!」
斎藤が、斉藤の顔面へ右拳を振り抜く。斉藤は頭を僅かに逸らし、すかさず腹部へ左フックを叩き込んだ。
「ぐっ!」
斎藤が膝を折る。だが諦めず、斉藤の足を掴んで引き倒そうとする。二人は組み合い、押し合いながら床を転がった。
中央では──。
筋骨逞しい齋藤と齊藤と斎籐が激突していた。
「そりゃあ!」
齋藤が回し蹴りを放つ。齊藤は腕でガード、衝撃に耐える。その隙に斎籐が背後から飛びかかり、首に腕を回す。
「わっ、こら!」
齋藤が振り返り、肘打ちで応戦。三者三様、拳と蹴りの応酬が続く。
右奥では──。
斉籐が俊敏に動き回り、齋籐と齊籐を翻弄していた。
「捕まえられるか!」
横へ、後ろへ、ステップを踏みながら相手の拳を躱す。そして隙を見て、顎先へ素早い掌底を打ち込む。
「ぐわっ!」
齊籐が仰け反る。だが諦めず、齋籐と連携して挟み撃ちを仕掛けた。
別の一角では──。
斎藤と斉藤が互いに拳を構え、睨み合っていた。
「いくぞ!」
「来い!」
同時に踏み込む。右拳と左拳がぶつかり合い、鈍い音が響く。次の瞬間、互いの肩を掴み、膝蹴りの打ち合いが始まった。
乱戦の中心では──。
齋藤と齊藤と齎藤と斎籐と斉籐が絡み合い、誰が誰を殴っているのか分からぬ混沌。拳が飛び交い、蹴りが炸裂し、押し合い圧し合う。
「どけっ!」
「そっちこそ!」
汗が飛び散る。息が荒くなる。それでも男たちは止まらない。
倒れても立ち上がり、押されても押し返す。
「はあっ、はあっ……」
息を切らしながらも、男たちの闘志は衰えない。
壁際では──。
齋藤が、齊籐を壁に押し付けていた。
「観念しろ!」
だが齊籐は両手で齋藤の顔を押し返し、渾身の頭突きを見舞う。ゴツンと鈍い音。
「ぐっ!」
齋藤が怯んだ隙に、齊籐は脇をすり抜け、背後から羽交い締めを仕掛けた。齋藤は必死に暴れ、後ろへ体当たり。二人は壁に激突し、もつれ合いながら床へ倒れ込んだ。
その光景は、まるで修羅場そのもの。
誰が誰を殴っているのか、もはや区別もつかない。ただ「サイトウ」という名だけが、怒号と悲鳴の中で飛び交い続ける。
(……地獄絵図だ。俺は今、何の捜査をしてるんだ?)
山本は唖然としたまま動けない。
だが──。
「お前たち、いい加減にしろッ!!」
雷鳴のような怒声が響いた。
署一の迫力を誇る山本刑事の一喝に、暴れ狂っていたサイトウ達もピタリと動きを止める。
ようやく訪れた沈黙。
その直後、乱れた息をつきながら佐々木が駆け込んできた。
「山さん! 大変です! 犯人が自首してきました!」
「……なにぃ!?」
山本の声が、道場の静寂を再び揺るがした。
捕まったのは、被害者と同じ軽音楽サークルに所属する伊藤悟。
彼はサークル仲間の勅使河原一に金で雇われ、殺人を実行したと自供した。勅使河原の身柄もすぐに確保された。
ダイイングメッセージに残されていた「サイトウ」という文字。
被害者はおそらく「サトル・イトウ」と書き残そうとしたのだろう。しかし、よく知らぬ男ゆえに記憶が曖昧で、サトルだったかサブロウだったか、それともサチオだったか──思い出せなかったに違いない。だからこそ「サ」の一字の後に「イトウ」とだけ記したのだ。
坂本姫花が、なぜ犯人の名をわざわざ欧米読みで書こうとしたのか、その理由は誰にもわからない。彼女だけが知る謎は、永遠に闇の中に閉ざされたままだ。
ともあれ、これで事件は終わった。
少なくとも、彼女はようやく安らかに眠れるだろう。
*
山本はやりきれない気持ちを胸に、大谷とともに喫煙室に籠もる。
煙草の火を灯す手が小刻みに震えていた。
「まったく……嫌な事件だった」
「ええ……本当に」
吐き出された紫煙が、二人の疲れを覆い隠す。
理不尽で、やるせなく、救いのない事件。だがそれを一つずつ解き明かすのが、自分たち刑事の使命なのだ。
──ちなみに。
道場で乱闘を繰り広げた18名のサイトウは、決闘罪と傷害罪でまとめて逮捕された。




