修学の目的と照らし合わせた理想の教育
教育の目的は問題提起・問題解決・問題説明の醸成にある、との見方から、日本の学校教育にある異様な解決重視の解消方法、および理想的な教育とはどのようなものかへの考察を行いました。
学校教育の現場に携わる方や、今まさに学校に通うお子様をお持ちの方などに読んでいただければ幸いです。
修学の最終目的は、言うまでもなく
(1)自然および社会から問題を抽出する能力、
(2)抽出した問題を解決する能力、
(3)解決過程と訓示を言葉で説明する(あるいは説明された時に理解する)能力
を醸成することです。あるいは、一人で(1)〜(3)の全てを担うのは難しくとも、複数の人が属する組織の中でどれかを遂行出来る地力を養うことと、ハードルを下げてしまっても構いません。研究者であれば「問題提起・問題解決・問題説明」を自身で行う必要がありますが、企業人であれば、市場に現存する財・サービスとは差異がありかつ消費者から需要されそうなプロダクトを見定め、プロダクトの材料調達、製造工程と流通販路を計画・構築し、プロダクトが如何に良いものかを関係者や消費者に宣伝するという一連の活動を一人で実行することは求められないでしょうし、望まれもしないでしょう(ゆえに研究者は一人あるいは少数で行える「問題の深掘り」しか出来ませんが、企業であれば「プロダクトの幅広い共有と多方面展開」が可能になります)。
しかし、日本の学校教育では、試験の合格に資する方向へと偏重的な問題解決能力だけが異様に重視され、問題提起や問題説明を行う能力については軽んじられている傾向があるように見えます。結果、解決のテクニックやパターンばかりが多彩化する一方、抽出される問題の質は生来の才能による「運ゲー」になり、解決過程と訓示の説明は行き当たりばったりなものになってしまいました。テクニックとパターンの多様性が重要ではないとは言いません。しかし、こうも試験に出されるような問題に偏っていてはその意義は薄い上に、提起と説明がお粗末であれば、社会の発展に寄与する研究やプロダクトは生まれにくく、仮に生まれたとしても、他の情報にすぐ埋没してしまうのです。解決する問題が明確であり、従って余剰労働力による解決でゴリ押し出来た時代はとうに過ぎ去り、今日の日本社会は、陳腐なコンテンツの流行り廃りに揉まれるばかりの大いなる停滞期にあります。
どうすれば日本の教育は、「(試験偏重型)解決主義」から抜け出せるのでしょうか。そもそも学校の教育指導者は、上述した修学の目的すらあまり意識しているように思われません。多くの教師は、自身の生活を守るためか、社会通念や自己経験から必要と思われる知識を叩き込むといった曖昧な規範意識、または入学試験の点数を上げるといった短視眼的な成果主義の下で教育活動を行なっているかが実情でしょう。生徒の(1)〜(3)の能力における成長を目的とするよう教師の意識を改善することが第一です。また、生徒の多くが将来的に企業に就職することを踏まえれば、経済学者ミルトン・フリードマン(1912-2006)などが提唱した「企業は株主の代理人として利潤を追求する主体である」という単純かつ極端な世界観から脱却し、血の通った人間が企業の中でどのような役割を担っているのかを生徒たちに分析させるような、従来の「社会見学」を強化したカリキュラムの施行も有効かもしれません。
最後に、どのような教育を以って(1)〜(3)の能力を醸成することに繋がるのかを考えます。当然ながら、生徒たちが将来的に従事するだろう分野によって求められる形は異なるのですが、どれも人間知性の発露である以上は共通点があり、その一般性の高い部分についてなるべく伸ばしてやるのが理想の教育です。問題を抽出するためにはまず探す必要があり、問題を解決するためには練習を繰り返す必要があり、問題を解説するには言語的思考に慣れる必要があります。探求・練習・思考のパフォーマンスを上げるには、各生徒の知識・計算力・構成力・体力・親和性(与えられた問題と自身とを無関係だと切り離さないでいられる性質)といった個別的基礎能力がそれぞれの活動にどう作用するか、その傾向を掴まなければなりません。例えば、同じだけ知識を増やした生徒同士であっても、パフォーマンスの成長度合いは異なります。そしてそれは、同じ生徒であっても、天気や気分などによって異なるでしょう。全ての生徒について全ての能力的傾向を把握し、各々に最適の教育を与えるのは、少数の教師が持ち得る人的・時間資源の有限性から絶対に不可能です。しかし、個々の生徒に向き合い、伸ばすべき個別的基礎能力が一人一人で違うことを認めつつ、生徒たちの探究・練習・思考におけるパフォーマンスを(教師側の制約の下で)公平かつ最大限に上げられるよう試行錯誤することが、日本の未来を形成する生徒たちを育てるに当たって、望ましい教育ではないでしょうか。
お読みいただきありがとうございました。