退行
「……ったく。夜も遅くに人騒がせな野郎だぜ。今から一杯ってところだったのによ」
腕を組み、葉巻を燻らせながら、市政の役人がぼやく。
その前を、布で隠された担架が運び出される。中身は、腐敗防止のため氷塊の中に閉じ込められた、ならず者の魔法手の亡骸である。
「悪いね。できるだけ穏便に済ませたかったんだけど。手加減出来ない状況になってさ」
ローウェンは連行されていくならず者たちを眺めながら、平謝りした。
ローウェンの顔には、今まで誰にも見せたことのないくらい、大きな疲労の色が見えた。この程度の戦闘でこうなったわけではないだろうに、何があったのかと役人は首をかしげる。
「ビリーが言ってたぜ。奴ら傭兵団は、腕は立つが、いろいろと問題行動を起こすことでも有名だったらしい。それが今回の戦争でタガが外れたのか、戦場で敵味方問わず掠奪するわ、村人を虐殺するわ犯すわの戦争犯罪で、ついに敵国で賞金首になっちまったんだと。——納得だぜ。戦場でもない、こんな場所で制圧魔法ぶっ放すなんて、どうかしてる」
「ビリーの兄さんがか……面識とかあったのかな」
現在はセンタグランド国の有力ハンターのビリーも、かつてはエネメリア国の人間であったが、故あってセンタグランド国に亡命し、この地に居付いたという経歴がある。
「古くからの知り合いだったんだと。ここでは面倒事起こすな、何かやらかしたら、お前らのような奴らは即縛り首だぞと、前々から釘さしてたらしい。それを、たかだか剣一本のために……バカな奴らだよ」
葉巻をプッと地面に吐き捨てると靴でもみ消す。
「で、ここに来る間じゅう、ずっと気になってたんだが……その子、誰だ? いや、何だ?」
役人が視線を下に落とし、如何わしいものを見た時のような口調で、ローウェンに尋ねてくる。
役人の視線の先には、顔色のすぐれない少女が立っていた。ローウェンの傍らで、今にも寄りかかるように。
格式高そうな刺繍で装飾された着物を纏い、白く長い絹糸のような髪、赤銅色の瞳。成長すれば、さぞ凛と気高い美女になるであろう。その幼体とも言うべき姿である。
何かと聞かれて、思わず「何か、……って」と口ごもるローウェン。少し考えてから「故あって保護してる子、というか」と曖昧に答えた。
嘘は言っていないのだが、要領を得ないその回答に、役人は「ああ? 何だそりゃ」と眉根を捩らせた。
「……雪花、と申す……いえ、申します」
雪花と名乗る少女はぺこり、と小さく頭を垂れた。
「ローウェン、お前、何だ。……女の趣味変わったのか? ……あんまり感心はできねえ嗜好だな」
そういう思考に行き着くのも、ごくごく自然の話だった。最初からわかっていた。
難民や、奉公と称して海を渡ってくる少年少女たち。彼らのような弱者を食い物にするアングラな商売の存在は、ローウェンの耳にも入っていた。
「何を疑っているか何となく分かるけど、誤解だ」
「じゃあ、なんでこんな年端もいかねえ女の子と館に一緒にいるんだよ?」
「いやいや成り行きだって。本当に本当。信じてよ」
「……センタグランド国のアホが東那国で少女を攫ったり人身売買して、売春宿とかに卸してるって話、知ってるだろう?」
「まあ、一応は」
「その元締を見つけ出して摘発するのは、俺ら行政の急務なんだよ。東那国とセンタグランドが正式に国交結ぶかもって時に、こんなクソみてえな行いがあちらさんにバレたら大問題だ。そんな商売の客になるようなマネはマジでやめとけ。な? 女遊びならちゃんとした所の……」
「……彼は恩人です。疾しいことなど、何一つ」
「お嬢ちゃん。本当かい? 何も隠し事はない?」
そう言えば、彼には似たような年の頃の娘がいたのを思い出した。だから、尚の事気掛かりなのだろう。厳つい柄からは想像できないような優しい声音で雪花に問いかけている。
「はい、ありません。何一つ」
自分よりはるかに背丈も体格も大きい屈強な役人を相手に、雪花はまったく怖気づかず、視線を逸らさず、気丈な眼差しで相手を見据える。
その姿に、役人は折れるような形で、二人の言を信用した。
「……言われてみれば、身なりなんかはシッカリしてて、東那のお偉方のお嬢さんって感じだ。売春宿から来たようには見えねえ。それにしても、妙に大人びた子だな……。見た目からして、10歳とちょっとぐらいだろう?」
「まあ、ね」
無理もない。
その少女は、つい先刻まで、れっきとした大人の美女の姿で、ローウェンの前に立っていたのだから。
優雅で麗しく。奥床しく。凛然とした姿で。
だが彼女は、ローウェンの目の前で、光に包まれながら、幼く縮んでしまったのだ。
かくしてこの日――
白妙雪花咲姫は、幼体へと退行したのだった。