2と1/3章『酒神の宴一日目(とある半グレの場合)』
歌舞伎町に位置するマンションの一室。
木枯という男は苛立っていた。
逆立てた灰色の髪、鋭い三白眼。端正さを打ち消すような、暴力性に満ちた凶相。ハイイロオオカミのような男だった。ガムを乱暴にくちゃくちゃと噛み、自らのクロコダイル柄のジャケットに、執拗に消臭スプレーを振りかける。
彼の革靴の下で、坊主頭の男が血を流しながら呻く。肩を貫くように深々とドライバーが突き刺さっていた。
「くせえなーー。タバコくせえ。おまえ、くせえわ」
「ぐぅう、うう」
「くせえ奴は弱いよ。よえーー」
木枯はつま先でドライバーを蹴った。男はあまりの苦痛に悲鳴をあげることすら出来ず、目を剥いて奥歯を強く噛みしめる。目の前で繰り広げられる惨劇に、手足を縛られた女がガクガクと震える。
「おまえ、ツイてないな。俺が面倒見てる店の女攫うなんて、本当にツイてねーー」
木枯はそう言いながら、ガムを男に吐き捨てた。
「いつの間に、ここに」
男は荒く息をしながら木枯に問う。木枯は奥歯まで見せるような、不気味な顔で笑った。
「わからないだろ。くせー奴にはわからねーよ。まぁでも、そうさな。出会うまで、俺は見えない」
「噂は……本当だったか」
木枯。大手暴力団幹部の息子、と言われている。司法を恐れぬ強い暴力性により、近年の歌舞伎町から失われた「用心棒」という概念を復活させた男でもある。
この木枯が持つ唯一無二の特徴。それは「見えない」というものだった。特徴的な外見をしているはずなのに、知り合いでもない限り、目の前にいても認識できない。そんな妙な特徴から、不意に現れる恐怖として怪異のように扱われていた。
警察はもちろん監視カメラなどの映像からその存在を知っているし、詳細な人相も把握している。だが、現場の刑事が認識できないのだ。結果、木枯は逮捕されることのない真実無敵の人と化していた。
「オレの噂を聞いた上で、女攫ってんだもんなーー。おもしれえよ。で、答えろよ。何が目的だ?」
木枯はさして期待していない表情で、男の腕を踏み折る。鈍い音が響いた。人体が破壊される生々しい音に、攫われた――木枯に助けられる側の女が、怯えの色を強くする。
「まぁ、答えにくかったら答えなくていいわ。そっちのが面白いしなーー」
そう言いながら、木枯はもう片方の腕に足を乗せた。完全に、壊すことを楽しみ始めている。
「まて、待ってくれ! 話す、ダンジョンだ! ダンジョンのことなんだ!」
「ああん?」
「し、知ってるか、ダンジョンのこと」
男は脂汗を流し、真っ赤な顔で言う。体中で炎症を起こし、発熱が始まっていた。
「最近噂になってんなーー。で、与太話がどうした」
「この女が、ダンジョンに入る鍵だ」
「ほう。ほうほうほうほう」
木枯は天井に視線をやりながら、数秒間言葉を咀嚼する。
「なるほど? ふざけてんのかてめえ」
硬いつま先が男の顔面にめり込んだ。鼻が変な方向に曲がる。男は鼻血を吹き出しながら、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。
「ぼ、ぼんどうのはなじだ! ダンジョンにばいるにば、『資格』を持づ女がいる!」
「なら本当かーー。詳しく知りたくなってきたかもしれねえ」
木枯は囚われていた女の拘束を解いてやると、散々痛めつけられた男を、軽々と肩に担いだ。自由になったはずの女は、腰を抜かして立ち上がれない。それを視界に入っていないかのように、木枯は振る舞う。
「じゃあ、事務所で詳しくお話しようかーー。楽しめたら優しくしてやるよ」
「こ、これ以上やるのか」
「くせえ。喋んな。あーー、くせえ」
木枯はドアを蹴り開け、部屋から出る。時刻は正午。近くの牛丼屋から空腹をくすぐる匂いが流れてきた。木枯は自分と男に、片手で消臭スプレーを振りかける。
「あーやだやだ。匂いは気配だからなーー」
木枯は苛立っていた。




