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2章『酒神の宴〇日目』

 お茶割りを揺らしながら、夕陽が言う。

「ねぇ。お金ってなんだろうね」


 今日は俺の気分でカウンター席。ガラガラの店内ではソファに腰掛けた従業員たちが一心不乱にスマホにメッセージを入力していた。お客様を呼ぼうと必死に営業をかけているのだろう。


 時刻は二五時〇〇分。ホストやキャバクラが法律の力によって強制的に閉店させられる時間だ。うちは風営法とか知らないから、この時間にオープンする。

 夕陽はオーナーである俺のお客様なので、特別にオープン前から飲んでいた。許可した覚えはない。なんかいっつもいるんだよなー。みっ君が勝手に入れやがる。


「金か~。あいつらに渡すもの。多いと喜ぶし、少ないと反抗的になる」

 俺は薄い煙を立ち上らせるタバコの先で、従業員たちを指した。

「あんまり多くても独立しちゃいますけどね。俺も独立したいっす!」


 カウンターの向かいでは、店長のみっ君がバーマットを歯ブラシで磨いている。ゴムで出来たマットで、細かいイボイボが生えている。水はけがいいから上にグラスを乗せて酒を注ぐには便利だが、いかんせん隙間に汚れが溜まりやすい。


「したらしたでいいさ。うちが潰れたときに雇ってくれれば助かる」

「本当にテキトーだよね」

「お金の使い方、あんま分からねえもんでね」


 天井に向けて煙を吐いた。なんとなくの習慣だ。ちょっとだけ、周りの人に副流煙がいかないような気がしている。おかげさまで、オープン時には昼光色だった照明の色が、気づけば電球色になっていた。きちゃね~。誰か掃除してくれ。


「ふうん。よく分からないモノのために、毎日毎日ご苦労様」

「よく分からないモノを、たくさんくれてありがとうな」


 感動ドラマの台詞風に声を震わせながら返事をすれば、グラスに焼酎をストレートで注がれた。「ウルセエ」のサインだ。

 顔をしかめながら、ぐっと飲み干す。安い甲類焼酎だ。刺々しいアルコールの臭いが鼻を突く。急いで割物の緑茶が入ったピッチャーに手を伸ばすが、夕陽の手がそれを取り上げた。


「ぼくのだ!」

「ガキか。頼んだのもお金払うのも私だし」

「確かに」


 グラスに残った氷を舐めていると、みっ君が首から提げる店用のスマホが鳴った。


「んあ。外販からっす!」

「入れちゃえ」

「うーっす!」


 外販っていうのはキャッチのことを指す。繁華街に立っている客引きのことだ。ウチみたいにコソコソやってる店は外販を使わないと、初めましてのお客様が来てくれない。


「女の子一名っすね」

「先月の打率順に一〇分回しな」

「分かってます」


 こうやって初めてお店に来るお客様には、従業員が代わる代わるで相手を務める。お気に入りを見つけて貰えたらこっちの勝ちだ。人気の無いやつ、営業が下手なやつは後回しだ。後回しにされるような奴は自分目当ての来店が少ないから、店が賑わってきた頃に優先的に初回客につけるようになる。それでバランスは取れている。はず。


 ガランガランとドアベルが鳴った。条件反射で従業員全員が立ち上がった。お客様の来店を歓迎するのと、警察の立ち入りの対策を兼ねて、めちゃくちゃ訓練してある。


『いらっしゃいませー!』


 全員で口を揃えて挨拶。お客様の案内に、みっ君が入り口まで行った。


「あー、待ってください。未成年っすよね?」

「いや、成人してるってさ」

「流石に見たら分かりますって。お姉さん、身分証あります?」

「そこまでしなくていいでしょ」

「年確は普通っすよ!」

「今どきそんな店ないって」

「ありますから。少なくともウチは未成年やってないっす。仮にやってるにしても、通す前に電話口で言うのが普通っすよ!」


 ほんのりと揉め事の気配。みっ君と外販、お互いに話し口調が刺々しい。


「盛り上がってんねぇ」

「助けてあげなくていいの?」


 夕陽が少しだけ心配そうな顔をした。この程度のトラブルはどこの店でも日常茶飯事だろうに、優しいことだ。


「未成年顔ってのも気になるし、見に行こうかな~」

「何歳くらいなんだろうね」

「最近は中学生みたいなのもウロついてたりするしな」


 わざわざ警察の巡回が多い場所に来ないで、静かめなところ――西早稲田らへんにでも行けば? と思わないでもない。コンビニあるし。本人達からすれば、それじゃあ違うのだろうけど。


 玄関口に行く。何度か見た覚えのある、ひげ面の三〇歳くらいの外販だ。よくこんな悪人じみた風体でお客様を捕まえられるよな。そして一緒にいるのは、まさに中学生くらいの女の子だった。水色のロングヘア、もう秋だというのにノースリーブのワンピース。怯えの浮かぶ表情を、整った幼い顔に浮かべていた。

 中腰になって目の高さを合わせ、出来るだけ柔らかい表情を意識して話しかける。


「どもども、オーナーの蒼です。お嬢ちゃん、どうしてこんな時間にバーに来ようと思ったのかな」

「ああ、いやね――」

「ちょっと黙っててね。今この子に聞いてるから」


 口を挟もうとした外販を睨むと、怯んだ様子で口を噤んだ。この目力、カラコンパワーです。カラコンを信じよ。


「あ、あの。バー? が分からないんですけど、ここに来ればお金くれるって。一時間いたら二〇〇〇円だけ払えばよくて、そうしたら、この人が三〇〇〇円くれるって言うんです。その、ずっと、何も食べてませんから」


 女の子はたどたどしい早口で言った。俺は思わず大きな溜息をついてしまう。

 カスみたいな客回ししやがるな、この外販。


「うちから払う紹介料が四〇〇〇円だっけ?」

 みっ君に訊く。みっ君は厳しい顔で頷いた。

「ぐるぐる金回して、うちだけ損する山分けゲームねえ。面白い遊びを考えるやつもいるもんだね。随分昔になくなった、手垢の付いた手口だけど」


 外販の額に冷や汗が流れた。だが、まだ口元に余裕が浮かんでいる。

 店だけ損して、外販と女の子だけ得をする。そんな手口を店側が許すわけねえだろ。というか、なんも対策してないワケないだろうに。


「おいおい。お前さ、大山田さんとこのだろ。何これ? 大山田さんがこういうやり方にするって言ったのか?」

「いや、その子が勝手に言ってるだけで」


 目に見えて「まずい」って顔してるな。こいつの外販グループのボスである、大山田さんの名前を出した瞬間に表情が変わった。


「質問に答えろ。大山田さんがやれって言ったのか? って俺が聞いてるだろうが。小さい店だ、知り合いじゃねえとでも思ったか?」

「い、いや、言われてな……いです」

「ナメてんだろ。金ないガキ、小銭で釣って回しやがって。お前の上にも、上の上にも話通してやるからな。確かケツ持ち、半グレの木枯だろ。あのヤクザの息子の。一応電話番号持ってるんだわ」


 外販は泣きそうな顔になった。少女は話の内容が理解出来ていないながら、一層体を小さくして震えている。ガキの身からすれば、とんでもないことになったと思っているのだろう。


「か、勘弁してください。すんません、本当にすんません。出来心だったんです」

 外販は平謝りをする。俺は舌打ちをした。あんまり長引かせても仕方ない。

「帰れ。大山田さんに一言伝えるだけで済ませてやる」

「あ、ありがとうございます」


 外販はひどく青ざめた顔で、一瞬だけ何か言いたそうにしてから、少女を置いて店を出た。置いてくな、馬鹿。


「ドアベル鳴ったけど終わったー?」


 夕陽の声がした。


「半分終わったー」

「半分? 半殺し?」

「そんな物騒なことしないけど?」

「この前なんか飛び込んで暴れ出した外国人集団、みんなでボコってたよね?」

「ほんと困るよね。参加したやつ、全員罰金五〇〇〇円にしたよ」

「やれーってこのクソオーナーが言ってた記憶あるんすけどね」


 こっちに来た夕陽に、みっ君が苦情を申し入れた。みんな俺に不満があると、すぐ夕陽にチクる。やめろ。

 夕陽が取り残された少女を見て、驚きを見せた。


「ちゃんと子どもじゃん。どうしたの。ってかその格好で外にいたの? 寒かったでしょ。みっ君、ブランケット貸してあげて」

「おっけーす!」

「おいおいおい、うちに未成年入れる気かよ」

「客扱いじゃなきゃいいでしょ。保護よ、保護」


 保護って便利な言葉だよな。少女を席に連れて行く夕陽の背中を見て、俺は肩をすくめた。

 夕陽は少女をカウンターに座らせ、白湯を飲ませながら話しかける。少女は紺色のブランケットを肩から掛けて貰い、ゆっくり時間をかけて一口すすった。


「私は夕陽。あなたのことはなんて呼んだらいい?」

「レテ。私はレテ、水の精霊」


 おーん。こっち系か。


「そんじゃ、水飲め。たっぷり飲んでゆっくり休んで、寝て起きたら続きを話そう」

「ちょっと、蒼。失礼よ」

「どう見ても眠剤パキってるじゃん」


 マイスリー三シートくらいキメてふわふわしてるんじゃないの。知らんけど。


「ほら、舌出せ」


 自称レテのアゴを掴んで口を開かせたが、別に舌は青くなっていない。うーむ。ただの変な子か、安定剤か風邪薬でODしているのかもしれない。


「ほ、本当に精霊なんです」


 レテは涙目ながらも、非難するような目で俺を見た。これ、本人はマジなパターンだ。


「あー、そうだね。そうだわ。イエス、水の精霊!」

「諦めるのはっや」


 細かく話聞いてもしょうもないよ。マジで。

 秋なのに夏服で、飯も食ってないんだもん。ネグレクトされて飛び出した家なき子でしょ。俺らに出来ることなんてないし、行政に繋げたところで、家に戻されるだけだ。

 他人の家で起きた悲劇に関わったって、胸くそな途中経過を見るだけ。遠巻きにちょっと心配だなーくらいで流しておくのが丁度いい。助けようとしたところで、本人が「助けられ方」ってものを知らないとギクシャクする。


「でも、どうしてこの街に?」

「聞くな聞くな。だいたい理由見えてるだろ」


 女の子の服はポケットがほぼない。バッグも持っていないんだから、手荷物はゼロと判断していい。財布もない、スマホもない、保護者もいない子だぞ。飯を食う――稼ぐ手段なんて、体を売るくらいしかないだろう。


「ご存じでしたか!」


 レテが目を輝かせる。俺は買わんぞ。


「この街にダンジョンが出来たのをお知らせしに来たのです! 先輩の精霊が先に出たのですが、どうにも帰ってこないんですよね。それで、代わりに私がお伝えすることになったのです!」


 レテは堂々と胸を張った。自らに与えられた役目を自慢する姿は、まさに子どもそのものだ。


「ダンジョン、ねえ……」

「ダンジョン……」


 お花畑な子が、お花畑なことを言い出した。と一蹴することも出来た。だが、俺と夕陽は口を噤んで、お互いの顔を見合ってしまう。

 ダンジョン。迷宮。昨今の漫画やアニメでは、モンスターがいて攻略すれば宝が手に入る、地下迷宮みたいなニュアンスで使われることが多い言葉だ。

 そんな歌舞伎町とは無縁なファンタジーの存在が、最近では頻繁に噂されている。


「あれだっけ、羅生門さんの」

「そうそう、羅生門さんの話ね」


 俺の言葉に、夕陽が深く頷いた。

 羅生門さんとは、この街で名物みたいになっている住所不定無職の高齢男性だ。そこらの酔い潰れて路上で倒れた人から、衣服を剥ぎ取って身につけている。貴重品には一切手をつけずに服だけ奪っていくため、生暖かい目で見守られていた。


 そんな羅生門さんが、最近急に羽振りがよくなったようだ。清潔な衣服を身につけ、臭いもなくなり、ピカピカの財布を持ち歩いてそこらで飲み歩いているという。

 最近出回るようになった「ダンジョンというものが現れた。攻略すると財宝を手に入れられる」という眉唾な噂と合わさって、彼のことを攻略者という笑い話が広がっていた。


「ダンジョンの数は限られていますからね。豪華景品ありありなので、早い者勝ちなのです!」


 レテは得意げに指を立てながら言う。それから、急に表情をしゅんと暗くした。


「でも、誰もレテの話を聞いてくれないのです。ノルマ達成前に、お腹が空いてしまったのです」

「そういえば腹減ったとか言ってたな。みっ君、なんか出してあげて」

「柿ピーとポップコーンとブタメンくらいしかないっす! 飯じゃないっすよ!」

「全部めっちゃ美味いじゃん。俺の主食だよ。全部出してあげて」

「本当にその食生活で見た目若いなら反則だよね」


 夕陽が呆れた顔をする。まさか。マジで食ってるわけないじゃん。こちとらアラサーだぞ。あっという間に肌が荒れる。



 みっ君が出した安物のおつまみを、満面の笑みで頬張るレテ。


「こんなに美味しいものがあったんですね!」


 もっもっと口を動かす。まぁ美味いものだけどさ。


「うーん、これは日本人じゃないな?」

「顔からして違うでしょ」

「多様性の時代ぞ? そういうことダメぞ?」

「うるさ」


 それにしても、ブタメンをグーで握ったフォークで啜る姿を見ると、言っていたことに信憑性が出てきた。あまりにも胡散臭い与太話だが、酔っぱらいの身の上話よりは信じられる。かも。


「レテちゃん。ダンジョンの話はいいとして、これからどうするの?」


 夕陽がタバコに手を伸ばし、それから引っ込めた。


「布教に努めたいと思います! 軍資金も手に入りましたし!」


 レテは外販から貰ったらしき三〇〇〇円を、宝物のように掲げた。やっす。下手しい五分で消える金だぞ。


「一時間後には絶望の顔でビルの間にいるか、変なおっさんに腰ヘコヘコされてるか、交番で詰められてるかのどれかだな。オッズは二倍、三倍、一倍」

「賭けないからね。うーん、どうしようかな。うち来る?」

「おお、お世話になってもいいんですか⁉」

「短期間ならいいよ。どうせ寝るときくらいしか使ってないし」


 夕陽の有情な言葉に、レテは花開くような笑顔を見せた。


「あーでもそっか。私、もと男だけどそうでも良ければ、かな」

「どういうことです?」


 レテは首を傾げた。夕陽は自嘲するように言う。


「生まれるときに間違えちゃったから、数年前に直したの」

「ほええ。レテより可愛いですよ!」


 夕陽はふっと表情を緩めてレテの頭を撫でた。

「いい子ね」

「そうです! レテはいい子です!」


 俺はみっ君と目を合わせた。なぜかテキーラが出てきた。欠片も意思疎通できてねえや。俺を酔わせてどうすんのよ。

 仕方なくぐっと飲み干す。それからレテの「布教」ってやつに付き合ってやることにした。


 ダンジョン。それらの発生を『酒神の宴』と呼ぶらしい。

 この街に無数に存在する鏡。そのいずれかから、酒の匂いがするらしい。匂いのものと同じ酒を持って鏡と向かい合うと、持ち主と、持ち主の目から見て一緒に鏡に映っている人物が、ダンジョンに吸い込まれるという。

 ダンジョンに入ると、全員に変身の能力が与えられ、それを使って攻略をすれば、持ち込んだ酒の価格に見合う報酬が得られる。



 はぇ~って感じだ。

 あと、この街に何枚鏡があると思ってるんだ。たぶん、日本で一番鏡の多い街だぞ。ビルの外壁やエレベーター、トイレはもちろんのこと、店の内装なんかにも多用されている。それに、酒の匂いなんてそこら中で漂っている。清浄な空気を吸うのが難しいこの街で、どうやって嗅ぎ分けろと。風林会館ビルなんて、エレベーターに色んな店のアロマが混ざった度しがたい匂いが充満しているぞ。


「気が向いたら探してみるかな」

「そうね。たまたまそういう鏡があったらね」


 そんな話をして、夕陽はレテを連れて帰った。残された俺は、みっ君にビールを頼む。


「お客様来るまで飲むか」

「暇なんすか?」

「煽るな。アタマでトラブった日の営業はだいたい暇なんよな。なんでか知らんけど」

「確かにそんな気がするっすね!」


 頼んだのはビールなのに、なぜかテキーラのショットグラスが二個。納得いかないが、みっ君も飲むなら付き合おう。小さなショットグラスを打ち合わせる。コン、と硬くて鈍い音がした。



 本日二杯目。どんどん飲んで記憶を飛ばそう。

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