98【兄と妹と家族と_壱】
去年とは一日ずらしての帰省予定。
理由は言わずもがな沙月の誕生日をお祝いするため。
翌日の三十日に実生も連れだって実家に帰るというのが当初の予定だった。
その日は朝早くに携帯が鳴り、叩き起こされるのが一日の始まりとなった。
画面を見れば、母さんからだった。
「もしもし」
『おはよう、なにまだ寝てたの』
「切って良い?」
『無駄に話したくて掛けたわけじゃないのよ』
「それで用件は」
『聞いて驚きなさい、実生が風邪ひいたみたいだから見てきて』
「おかしいな、バカは風邪ひかないはずじゃ」
『本当よね、よりによって兄と同じ日に風邪ひくんですもんね』
一周回ってバカだと言われた気がした。
「ハハッ、わかった。見てくる」
『お願いね』
携帯を切った後、準備もそこそこに着替えるだけ着替えて様子を見に行った。
一応念のため、沙月に連絡だけは入れておこう。家に来る時間ではないが、場合によっては今後の予定が変わるだろうから。
風邪をひいたということは、きっと寝ているのだろう。
持って行って困る事もないだろうと家にある飲み物と風邪薬を持参し、実生の家の玄関を開けると思わず回れ右をしたくなった。
控えめに言っても汚かった。
廊下にはゴミ袋が置かれ、一応通れはするもののリビングには衣服が散乱。
雑誌や教科書はそのまま。
生ごみが放置されていないだけ、ましだと言える。
シンクの中には、洗われていない食器が詰まっていたが。
「まじか……」と思わず溢してしまうほど。
同じ作りなので、そのまま寝室まで行きノックをする。
コンコン、と音をさせるも返事はない。
そっとドアを開くと、実生が熱に浮かされるようにこっちをぼーっと見ていた。
「大丈夫――――そうじゃないな」
「に――さん、ど――して。ね――れば、だ――じょ――ぶ」
声が掠れ、よく聞き取れない。
恐らく強がっているのだけはわかる。
「水分摂れたらこれ飲め。何か食べれるか? 薬は飲んだか?」
首を振って答えた。
「ちょっと待ってろ。取りあえず熱測っとけ」
体温計を布団の横に置き、部屋を出て、冷蔵庫を開ける。
すると冷蔵庫は空っぽに近く、どうやって生活してたんだと心配になるほどだった。
かろうじてジャガイモが見つかり、牛乳はちゃんとあった。
牛乳に関しては、おそらくプロテインで使うから切らしていないだけだろう。
ポタージュくらいなら作れるか。
かと言って、それだけというのも困ってしまうだろう。
どうしたものかと思案していると。
携帯に着信のランプが灯った。
「沙月、おはよう」
『うん、おはよう。実生ちゃんはどんな感じですか?』
「喉がやばいな」
『何かできることはありますか?』
正直に言えば、凄くあるのだが。
手伝い自体は、何も言わなかったらこんな時くらい頼って欲しいと、逆に怒るだろうことは想像に難くない。
けれどもこの汚い部屋へ呼ぶのは躊躇われた。
『遠慮してたら、私は遠慮しませんよ?』
「いや、手伝ってもらうこと自体は遠慮しない方が良いのはさすがにわかってるんだけど」
『そうじゃないとしたら、どうしたんですか』
「部屋が凄い汚い……」
『――――何にしても、男性だけだと困る事もあると思うので、伺いますね』
「お願い。それと何か口に出来そうですぐ食べれる物、プリンとかヨーグルトとかあったら持ってきてもらえると助かる。実生の家の冷蔵庫、何もない」
『……怒らないであげてくださいね?』
「病人のうちは何も言わないよ」
『治ってもです』
「俺だけに約束されても」
『だからこそせめて、味方でいてあげてくださいね』
「……約束するよ」
『それじゃ、準備しますね』
ツー、ツー、ツーという音だけが鳴り響いた。
確かに怒る役目は自分でなくて良いだろう。
母さんに任せればいい。
まずは料理をしながら、洗い物を済ませてしまおう。
コンソメを入れた湯を沸かしながら、皮を剥いたじゃがいもをスライスし放り込んでいく。
ついでだからと、火が通るのを待ってる間に、シンクにある食器を洗っていく。
時には白い泡が茶色になり、キュッキュと音をさせ下から白い地が見えてくる。
水が流れる音をさせながら、一通りの物を洗い終えた。
洗い物が終わる頃には、ちょうどじゃがいもに火が通り柔らかくなっていた。
本当は電動のマッシャーがあれば、良いんだけどやっぱり無いよな。
うちにあるのも沙月が持ってきた物だし。
手で頑張るか。
コツンコツンと鍋に音をさせながら、じゃがいもを潰していると玄関がコンコンコンと叩かれた。
恐らく沙月だろう。
チャイムを鳴らして実生の耳に届けるのを避け、ドアを開けるのも憚られた結果だろう。
玄関まで行き、手ずから開くと、沙月のいつもの顔が次第に目が見開かれ、笑おうとして失敗しているのが目に入った。
正直、見た事のない表情の変わりようで不謹慎にも笑いだしそうになってしまう程だった。
「ね、凄いでしょ」
「ちょっと想像より凄いですね」
「まずは、実生に何か食べさせたら不本意だけど片付けてやるかな」
「お手伝いしますよ、あとこれ持って来ましたけど」
「ん、助かる」
頼んでいた物を受け取り、冷蔵庫の中へ詰めていく。
と言っても、ほとんど物がないため、余裕を持って並べるだけ。
「何か作ってるんですか」
「じゃがいもがあったから、ポタージュ作ってる」
「え、良いですね。今度私にも作ってくださいね」
「作った事なかったっけ」
「ないですよ」
「いくらでも作ってあげるから、拗ねないで」
「す、拗ねてませんし」
こんな時だが、解り易く頬を膨らませていた。
最後の仕上げに牛乳で伸ばし、塩と胡椒で味を整えれば、出来上がり。
スプーンで掬い、沙月の口に近づけてあげた。
むむっと、目線を貰いながらも、髪の毛を耳に掛け、スプーンにパクリ。
「味は?」
「美味しいですよ」
「なら良かった」
「――ごまかされてあげますよ」
「ありがとう」
ポタージュを洗ったばかりの器に取り、実生の寝室へと持って行く。
控えめにノックをし、扉を開ける。
横にはなっているもののどうやら寝れないらしく、目は開いていた。
「スープみたいなのなら、飲めるか? 沙月がプリンとかヨーグルトを持ってきてくれた。何か口にして薬飲むぞ」
「そ――――」
「これ飲めるか?」
コクコクと頷く実生。
机に器を置き、体を起こすのを手伝うと、体の熱さにびっくりした。
横に置かれた体温計を見れば、八度八分。
見事に熱が上がっていた。
「ゆっくりで良いからな」
器を手渡し、見守った。
意識はそこそこはっきりしているようで、食べる手付きに危なさは無い。
ゆっくりとだが、持ってきたポタージュは全て食べ、薬を手渡しなんとか飲めたようだ。
「したら、後は寝てろ。リビングにいるから携帯ならせば来るから」
頷くのを確認し、実生は発音するのが苦しいのだろう。
口だけを動かした。
ありがとう、と。
「さっさと元気になることだな」
器を持ち、扉を閉じた。
いつもは喧しいくらいの実生が、こう大人しいと調子が狂って仕方ないと心の中で独り言ちてしまった。




