96【誕生日とおもてなし_弐】
自身の綻ぶ顔を隠そうともせず、ソファに着き、音もなく座らせてあげた。
「実は、今日一日は沙月をとことんお世話しようって決めてたんだ」
「お世話ですか?」
「そう、いつも俺がお世話されてるから」
「とことんって、どこまでを言ってるんですか?」
「何もかも」
「これもその一環ですか」
「うん」
「何をされるのかいまいち把握しきれないんですけど、取りあえず今は座ってれば良いですか?」
「うん、用意してくるからちょっと待ってて」
カレーの出来はどうだと少し鼻をひくつかせれば、スパイスの良い匂いが香り高く、焦げた匂いはしない。失敗はしていなさそうで一安心。
大きめのお皿にご飯と作ったカレーのルーを掛けた。
次の予定のために用意したのは一皿だけ。
水も一緒に用意はするが、やはりコップは一つ。
「あはー……、やっぱりそうですよね。私達から過去にやった事なので何も言えないのがずるい所ですね」
「ずるいはひどいんじゃない?」
「だって、私なにも言えないじゃないですか」
「女性陣でいっせいに来る方がずるいからっ。絶対に」
沙月は、自分の言に口を動かすことなく頬を膨らませてしまった。
「さ、食べさせてあげる」
自分の言葉に観念したのか、相好を崩し表情を和らげてくれたのを確認し、スプーンで掬い、口元へと持っていく。
「いただきます」
髪の毛を耳に掛け、パクっとスプーンを口に含んだ。
少し口の端についてしまったルーをぺろっと舌で舐めとる様は、妙に艶めかしかった。
咀嚼し、嚥下するために喉が動く。
ゴクンとするのと同時に、自分も唾をゴクンと飲み込んでしまった。
思わず見つめてしまい、はっ、とし自分も一口食べた。
うん、カレーではあるけどもトマトの甘さでこれはこれで美味しい。
決めているわけではないが、沙月と自分の口に交互に運ぶ。
モグモグと互いに言葉を発せず、咀嚼した。
視線が水へと動かしたのを見てとり、コップを手に取り口に寄せる。
沙月がコップを受け取ろうとする手を制すと、目を瞬かせた。
問うような視線に動じないのを感じた沙月は観念したのか、コップに口を寄せる。
ゆっくりと丁寧に。
花に水を差すように、口の中へと注いだ。
コクコクと動く喉。
そろそろ良いだろうかと思いコップの位置を戻す。
どうやら少し戻すのが遅れてしまったみたいで、口の端からつーっと水が垂れてしまった。
慌てて指で拭ってあげると、沙月のえも言えぬ表情に背中がむずむずっとした。
じっと沙月を観察し、様子に合わせてお世話をする。
それは沙月が相手だからだろうか、食べてる姿さえも愛おしく飽きることなく、最後の一口になるまで続いた。
結局、沙月は指一本動かすことなく食事を終えた。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
「なんか、赤ちゃんになったみたいでした……」
「良くできましたねー」
バシっと叩かれてしまった。
「――――叩きますよ!?」
「もう叩いてるし」
「もっと叩きます」
「ふーん」
返事もそこそこに沙月の手を取り、合わせた。もちろん両方を。
「ちょっと、それは、本当に、ずるい、です……」
ぶんぶんと腕を振り、解こうとする手に合わせ、手を動かし解かせない。
やがて諦めたのか、だらりと腕を下げた。
「もう……、摑まれたままじゃ私のしたいことも出来ないじゃないですか。甘やかしてくれないんですか」
「お世話はするよ」
「似たようなものじゃないですか」
「そうかな。でも甘やかすだと沙月のお願いを聞くと思うけど、お世話ならあくまでも必要なことしかしないから俺が必要だと思ったことだけを実行するだけだよ」
「――――本当にずるくないですか?」
「今日くらいは良いでしょ」
冷静な部分でちらっと考えれば詭弁も良い所だと思わないでもなかった。
「私の誕生日ですよね? これ私お祝いされてるんですよね?」
「もちろん。だからこそ沙月が何もしないという特別感を出したくてしてるんだし。あとはおもてなし」
「お祝いでおもてなしは、間違ってない気がするんですけど。私の思ってるおもてなしと違う気がするのは私だけですか……?」
問われれば考えてしまうもので。
「多少違っても拙いおもてなしだと思って、多めに見てもらっても?」
「そんな風に言われたら、受け入れるしかないじゃないですか」
嘆息するように発した言葉とともに、表情を柔らかな物に変えてくれた。
「それでこの後は、どうするんですか?」
「んー、実は考えてない」
「ちょっとさっきまでの拙いおもてなしはどこいったんですかっ」
「料理を作って、それを全部食べさせてあげる所までは決めてて、一日中お世話してあげようって考えてたのは本当。夕食も同じようにしようとは思ってる。けど、その間は何かリクエストがあったらそれをしてあげようと思ってた」
最初は、なるほどと言った顔で聞いていた沙月も、最後の一言は意外だったようだ。
びっくりした表情をしている。
「それってこの後は甘やかすって言ってるのと一緒じゃないですか! さっきまでの問答はなんだったんですかっ! 少し感心した私がバカみたいじゃないですか」
「沙月にお願いされたら、断るつもりないから安心して」
「確かに断られた記憶はありませんけどっ」
「でしょ?」
「今ここでの得意げな顔は、良くないと思います」
じとっとした目で見られ、そろそろおもてなし路線に戻らねば、やって欲しいことを聞き出すこともできなくなってしまいそうだ。
「それで、何かして欲しいことない?」
「突然言われても……。そうですね、――今度、お揃いの物が欲しいとかはありますけど」
「お揃いの物?」
「その、食器とか、何か身に着ける物とかですね」
そういえばと、思い返して見れば持っていないなと思った。
そもそも食器は事足れば良いだろうと、壊れていないのだから買っていない。
沙月も敢えて買う必要は無いと家から食器を持ってきていた。
何よりも、早々に級友が遊びに来るようになったのだ。
見つかったら何を言われるか分からない。
そろそろお揃いの物が在っても今更だと言えなくもないだろう
身に着ける物に至っては、クリスマスで沙月から貰った物が初めてだ。
理由は新堂が沙月に言っていた通り。
どうせクライミングをする際に外すのだ。
以前、母親に腕時計を渡されたが、着けるのがだんだんと億劫になり、ジムに置きっぱなしにしてしまい忘れることもあり、とうとう着けなくなった。
まぁ、身に着けるお揃いの物に関しては解決するから良いのだけども。
「食器か、良いかもね」
「ですよねっ、でも何で今まで買おうと思わなかったんでしょうね」
「それは……」
沙月が意識していたかは分からない。
それでも自分は思っていた。
いつまで一緒に入れるのだろうかと。
殊更強く意識していたわけではないが、それでも見ないようにしていたのは確かだ。
それでももう決意したから。
将来へ向かうための一歩を踏み出そうと決めたからには、物として、形として残す事で不安を感じずに済むだろう。
むしろ、沙月の保護者と相対するべく力とさえなり得るかもしれない。
光を手繰り寄せる為の道しるべのように。
「日々に満足してたからじゃないかな」
気持ちとは裏腹のことを口に出した。
お祝いの日に暗い影を落とす可能性があることを今この時。まだ今日という日がある時間に言う必要もない。
保護者のことを想起させる必要もない。
「満足ですか――――、そうですね。確かに十分すぎるくらいに満足してます。それでももっと思い出を作っていきたいと思ってしまうのは、贅沢なんですかね」
「良いことも悪いことも全部思い出になっていくんだ。どうせなら良い思い出を積み重ねていきたいなんて、当然なんじゃない。沙月と作る思い出は、良い思い出ばかりになるとは思ってるけどね」
「悪い思い出になるなんて想像もつかないですよ」
そう言ってくれるのは嬉しい。
それでも果たして話し合いの場を設けることが沙月にとって良いことなのかは判断が付かない。その一点のみ、不安でありこの信頼を裏切ってしまわないかと胸を刺してくる。
今はそっと蓋をしよう。
ぐるぐると回ってしまう思考を振り払い、口を動かす。
「今度、買いに行こう」
「うんっ」
そうして一度買うと決めてしまえば、あれを揃えよう、これを揃えようと色々な約束を積み重ねていく。
まるでその約束する事自体がプレゼントのように嬉しそうにしてくれた。




