94【クリスマス_弐】
新堂を見送った後は、とにかくその存在を感じたく、包み込んだ。
邪魔者はもういない。
新堂の存在を特に気にしていたかと言われれば、経緯が経緯なだけにそこまで気にしてなかったが。
「それで、一体何をしたの?」
「特に何をしたという事はないですよ。さっき新堂さんが言っていた通りです」
「でも、それだけであそこまで言わないでしょ」
「えっと――――ついですね。優陽くんの話をした時に、新堂さんも同じ様に感じているって言ってくれたのが嬉しくてですね。ついついはしゃいじゃいました」
「まぁ、多少は新堂にも悪いことをしたかもしれないけど。許されるだろ。それよりも一つ聞いておかないとといけない事が」
「どうしたんですか?」
「実は、プレゼントを買えてなくて今日一緒に買おうと思ってて、この後どうかなって思ってるんだけど、疲れてない?」
「今日、お出かけするのは約束してたじゃないですか。それに一緒にいるんですから、買えてない事も気づいてますよ」
本当に察しが良すぎる。
「私のお昼食べたら、またお出かけしましょう」
「あれ、食べてこなかったの?」
「買ってきました。新堂さんに優陽くんと同じように、食べきれない分のシェアをお願いするのも心苦しいですからね」
「そっか」
それを聞いた時、まっさきに感じたのは安堵だった。
こんな何気ない事でも、自分だけの特権だと感じてしまったから。
「今日の夕飯は何が良いですか?」
「そうだなぁ……」
「昨日のお祝いも兼ねて、なんでもリクエストしてください!」
「トマトパスタとチキンステーキ、サラダ」
「去年と同じ物じゃないですか。あんまりそういうのって男性側は覚えていないって聞くんですけど、優陽くんは覚えているんですね」
「さすがに全部が全部覚えてるわけじゃないけど、印象に残ってるのだけだし、何よりもあのトマトパスタがシンプルで一番の好物だからかな」
「なんですか、そのロマンチストなのかリアリストなのか判らない中途半端さはっ」
「え、別にどっちに分類する必要ないんじゃ。沙月が喜んでくれるのを選ぶだけだし」
「えぇまぁ、確かに節目を覚えてくれているのは嬉しいですし、こうして言った要望にもきちんと答えを貰えるのは嬉しいんですけどね」
「あれ、何かダメだった?」
「察しが良いと言ってくれてますけど、優陽くんだって大概ですよね」
「何、大概って」
意外な指摘に思わず苦笑してしまう。
「私の欲しい言葉をくれるって事です」
「俺にとって沙月が喜んでくれそうな事をできる範囲でやるのなんて特別な事じゃないよ。もちろん、出来ない事は出来ないし」
「例えばどんなのですか?」
「毎月に記念日があって、何かやれって言われたら無理かな」
「毎月って言いだしたら、私にとっては毎日が特別で記念日みたいなものですよ」
「沙月の料理が特別って言う意味ではそうかもね」
「また私を喜ばして」
「胃袋は掴んで離さないんでしょ?」
「勿論っ!」
「今日、改めて実感した所だから」
「そうなんですか?」
「ん……」
藪蛇だったと気づいても遅く、沙月はにこにこしている。
「夜、聞かせて下さいね。まずは食べちゃいますから。少し食べてくださいね」
「ん」
そうして少し遅い昼食を。
自分としては二度目の昼食を食べ、沙月と出かけた。
今日という日を楽しんでいるのは当人達だけではないだろう。
街全体も装飾がなされ、モミの木が置かれたり、流れる音楽も恒例の物が流れている。
残念ながらホワイトクリスマスとはならなかったものの、例年通り寒く、心なしか通りを歩く人と人との間の空間は短く感じた。
沙月に連れていかれたお店は、香水のお店。
どうせなら好みの香りを選びたいからとの要望があり、向かったのは良いものの自分にとっては新鮮な場所だった。
「沙月って普段付けてたっけ?」
「付けてないですし、買うのも初めてです」
「そうだよな」
「でもたまに、一緒にお出かけの時とか、あったら付けてみたいなって思う時はありますよ」
「今日とか?」
「そうですね、でもあんまり香りが強いのもきっと好きじゃないですよね」
「……言った事あったっけ?」
むしろ、周りにそういう人が多くないため、自分自身だと良く判らないんだが。
「優陽くんは、ジムという不特定多数が出入りしている所でも周りに気を配ってますからね。周りの人との距離の取り方とか見てれば、なんとなくは分かりますよ」
「そんなに露骨だった?」
「他の人は分からないと思いますよ」
「それなら良いのか――――な? むしろ、俺よりも分かりすぎてる事に何か言った方が良いのかな」
「亜希さんに近づけたでしょうか」
「……本当にやめて」
「ふふ、冗談ですよ」
「ハハ」
笑えないから。
すでに母さんと二人揃った時は手に負えないと感じているのになおさらだ。このままでは、閉口する事が多くなるばかりになりそうで末恐ろしい。
こればかりは、そうならないように祈るしかないだろう。
無理っぽいけど……。
「色んなの嗅がせて貰いましょうか」
「ん、というか意外と男性もいるんだね」
「そうみたいですね。ここなら恥ずかしくないですか?」
「多少はね。場違いな気がしなくもないけど」
「初めてを楽しみましょう」
「そうだな」
そうして沙月はお試しのサンプルをどんどんと嗅がせてくる。
「フルーティー系です」
「うん、良い匂いだとは思う」
「スパイス系です」
「カレー?」
「台無しですね……」
「マリン系です」
「沙月のイメージではないかな」
「どうやらフルーティー系のが印象良さそうですね」
「冷静に分析されてる……」
「どれが良さそうとかありますか?」
「正直に言えば、よく分からない」
「でしたらこれをお願いします」
そう言って指定されたのは、フルーティーで数種類が配合され、爽やかな甘さを感じられる物だった。
値段も手ごろで懐は十分に考慮されている。
どこまでもできた彼女だ。
「それじゃ買ってくるよ」
「うん、待ってますね」
後学の為だろうか、沙月を見れば、他にも興味深そうに色んなものを下調べしていた。
会計をしていると受付の人に話しかけられ。
「彼女さんへのプレゼント用ですか?」
「はい」
「香水は初めてですか?」
「そうみたいです」
「保管方法とかの用紙を入れておきますね。どうぞお楽しみください」
手持無沙汰を埋めるためのトークなのだろうが、最後のお楽しみってなんだろうか。
「お待たせ」
「本当に色んな種類あって楽しいですね」
「どれも似合うと思うよ」
「さっきの台無し発言の後でなければ、素直に受け取れたのに」
「いや、そういう意図はなかったんだけど、つい……」
「やっぱり一緒に来て正解だと実感しただけですよ。夕飯のお買い物して帰りましょっ」
残念な発言さえも、許されてしまい、確かな心地よさを胸に買い物し、家に帰った。
沙月が作ってくれる夕飯はいつもの様に美味しい。
これまで幾度となく食卓に並んだメニューであるものの、やはり美味しい物は美味しく、昼間の事もあったからか、空のコップを満たすかのように心が喜び、ついつい食べ過ぎてしまう。
その食べっぷりは、沙月も目を瞬かせていた。
「もしかして、お昼に食べた量が足りなかったんですか?」
「いや、量はそうでもないけど」
「昼間は何を実感したんですか?」
「……はぁ」
昼間に宣言されているのだ、言わないという選択肢を取らせて貰えそうにはなかった。単にちっぽけなプライドみたいなもんだから、気にする程ではないと言えばない。
沙月がいないと駄目な事くらい今更なのだし。
「一人で食べてて味気なかったよ。とりあえずと思って食べた食事は胃袋を満たしただけだった。その後一緒に食べた物の方が、何倍も満足感があったよ」
「今はどうですか?」
「これ以上ない程、満足して踊り出しそう」
「ありがとうございますっ」
沙月も満足そうに返事をくれる。果たしてそれは料理に対してからか、沙月を必要としている事に対してか、はたまた両方か。
いずれにせよ沙月の生きた表情が見れるなら、自分のちっぽけなプライドなんか安い物だ。
少し食べ過ぎた感があり、ソファーでだらけていると。
「優陽くん」
「ん?」
「クリスマスプレゼントです」
「――――今日買った?」
「そうですよ」
「そういう目的だったのかっ」
「なんだと思ったんですか……」
「いや、昨日の今日でなんかそれどころじゃなくて」
「本当に、変な所で鈍感力が働きますよね」
「鈍感な事なんて今更でしょ」
「開き直らないで下さいよっ」
「気づけないものは仕方ない」
「もう……」
「えっと――、俺からもプレゼント。と言っても、知っての通りだけど」
「うん、ありがとうございますっ!」
「開けても良い?」
「うんっ!」
中から出てきたのは、シンプルなチェーンのネックレスだった。
「クライミングをしてるからでしょうけど、優陽くんはあんまり身に着ける物を持ってないし、身に着けないですよね。それでも、何か身に着ける物を贈りたかったんです」
「それで新堂連れて行ったの?」
「やっぱり普段登っている方の目線は違いましたね。それでも驚く程、邪魔にならない物という目線でしたけど」
「確かにそうなるかな」
「こういうネックレスなら、ずっと着けてくれるかなって」
「うん、肌身離さず着けるよ」
「良かった……。ちょっと待っててくださいね」
言うなり、洗面の方へあげた香水を持っていってしまった。
どうしたのだろうかと思う間もなく、すぐに帰ってきた。
帰ってきた沙月は、にこにこと笑顔だった。
「優陽くん、ネックレス着けてあげますね」
「ん、お願い」
手渡すと沙月はそのまま前からネックレスを着け始めた。
抱きつく寸前の様に正面から手を回し、器用にネックレスを繋ぐ。
すると、いつもはしない香りが鼻をつき、甘い香りがこれでもかというくらいに鼻腔をくすぐった。
油断した所に、脳が揺さぶられるような刺激にくらくらしてきそうだ。
「着けましたよっ!」
沙月は口を弧にし、どうですかと言わんばかりに笑顔だ。
本当にこの彼女は、魅了する為にあの手この手で攻めてくる。
「狙ってるの?」
「もちろんっ!」
「くっ……」
「いかがですか?」
返事の変わりに抱き寄せ、これでもかと強く抱きしめ、これでもかと息を吸い込んだ。甘い香りがするだけでここまで違うのかと思う程に、愛おしい。
するともぞもぞと少し姿勢を変えたかと思うと、頭を抱え沙月自身の首筋に押し付けられてしまった。
「ここ好きですよね」
頭だけをもぞりと動かし肯定した。
沙月に許されたのだ。
思う存分、堪能しよう。
香水を買った時に言われた楽しむってこういう事なのかな。
合ってるのかは分からないが、ちょっと癖になりそうなほど、魅力に溢れているなと思った。
いつまでも、この姿勢でいたいと思うほどに。
空に浮かぶ月は、静かに沈んでいった。




