89【全日本高校選手権_弐】
芝生が広がり沙月の髪の毛を風が靡かせている。
靡く髪の毛を手で押さえながら、一緒にシートを敷き、何も言わずとも沙月が昼食の用意をしてくれる。
甲斐甲斐しくもお世話してくれる様はとても心地が良い。
けれどもその心地よさに浸って良いものかと思うことは度々ある。
今では沙月と出会う前、どうやって一人で暮らしていたのか思い出すのも難しい程に何をしていたのか朧げだ。
もう少し自立した方が良いのか?
どうにか沙月に頼りっきりにならないようにと、思ってはいるものの、いつも沙月の方が一歩早く比率としては負けている感が否めない。
元々、沙月自身がお世話する事に抵抗は無いように見える。
むしろ率先してお世話してくれている感じさえしている。
よし、今度試しに沙月のお世話をしてみよう。
ちょうど良いきっかけもあることだし。
そう一区切りついた時。
「何か考え事ですか?」
すでに準備され昼食が広げられていた。
どうやら待たれていたようだ。
「ごめん、声掛けてくれて良いのに」
「まだ時間は大丈夫なんですよね?
そんな急ぐ事でもないですし、場所も気持ち良いですし、何よりも見てて飽きないですよ」
「いつも見てるのに?」
「いつまででも見てられますっ」
そんなもんかと腹落ちさせようとかと思うが……。
普段、見られてる事は多いけど、見てるとどうなるのだろうか。
物は試しと沙月から視線を逸らさず、見つめ続けてみた。
じーーーー。
「ちょっと、どうしたんですか。
見てても何も出ませんよ」
見ている事を不思議に思ってるのだろう、首を傾げる沙月。
「本当に。
えっと、見られ続けても困ると言うかですね……」
だんだんと眉尻を下げ、困った表情を浮かべている。
「何か付いてますか? 何か変ですか?」
何か見ている理由を見つけたいのか、見当違いの方向に思考が飛んだようだ
「一人芝居みたいじゃないですか。
何か言ってくださいよっ!」
最後には、頬を少し紅潮させながら、ペちっと叩かれてしまった。
見ているだけなのに、どんどんと表情を変える様は愛おしく、つられて自分もつい破顔しそうになる。
もちろん、耐えるのにも限界はあった。
「はははは、いつもと同じ様に可愛いよ」
「なんですか突然そんなこと言って、ずるいですっ」
ずるいも何も本当に、本当に可愛らしくいつまでも見ていられそうだった。
先程沙月がデレさせたいと言っていた意味をようやく味わい、胸に広がる満足感が心地良く、今度はお腹を満たすべく動いた。
「お昼ありがとう、いただきます」
「――――どうぞ」
なんだかんだと言っても、返事をくれる沙月。
むくれて見せてはいるものの、それさえも楽しい一時。
お返し、とばかりに食べている自分を見つめる視線は、次第に柔らかなものとなり、穏やかになっていった。
さっきの事もあり多少意識してしまうが、いつもの事としてやり過ごした。
「ごちそうさまでした。
残りは終わったら食べるよ、これ以上ないほどのご褒美が待ってるな」
「おそまつさまでした。
気にしないで大丈夫ですよ。それにしても……」
沙月は少し不満なのか口を尖らせている。
「本当に、この時間を特等席で居られるのは私の特別ですので良いんですけど。
全てを許してしまいそうになるので、ずるいですよね」
「なるほど――、ふざけるなら食事前と」
「――――怒りますよ?」
「具体的には?」
「……おかずが一品減ります」
「作った後なら?」
「私が全部食べちゃいます!」
「食べきれるの?」
「食べきれないので、優しい優陽くんは、そんなことをしないって信じてますよ?」
沙月を見つめ、慌てさせたりと様々な表情を見れたのは、望外に心が揺さぶられた。
時に心地よく、驚きもあり、喜びを与えてくれた。
それは甘く甘美な誘惑。
同時に嵌ってはいけない蜜のようだった。
今、沙月がこちらを信頼しきり、安心している表情をさせられれば、それを壊す事なんて出来なかった。
「俺にとっても、せっかく沙月が作ってくれたのを食べれないなんて、拷問に近いからね。地獄みたいなもんかな」
「ふふ、そうしたら私が長い箸を使って食べさせてあげましょうか?」
「遠いのは面倒じゃない? こぼしそうだし」
「そういう心がけという話ですよ。そして私にも食べさせてください」
「今度ね」
自分が食べさせられるというのは、置いておくにしても、ここで沙月から食べさせてくださいというのは、望む所といった感じだ。
今度、お世話をすると決めた心に付箋が一枚、追加された。
すると、思い出したかのような表情をし、沙月は聞いてきた。
「優陽くんの胃袋を掴んでいることが判るのは嬉しいんですが、それ以外だと、どこが好みですか?」
「好み?」
「うん」
「それって、麗奈からのに答え欲しいの?」
「出来れば……」
請われれば、答えることは出来るが。
「多分、結局の所、沙月じゃないと駄目だとは思うかな」
ありふれた言葉だ、もちろんこれだけで満足はされない。
「色んな人がいると思う。
ぐいぐいと引っ張ってリードしてくれる人。多分一緒にいて楽しいだろうし、笑いが絶えなくて元気を貰ったりするだろうなって思う。
または隣に寄り添って一緒に歩んでくれる人。共感したり互いを知ったりして、それはそれで嬉しいとは思う。
後ろで支えてくれる人なんかも、己を奮い立たせてくれる存在は、確かに大事だし心強くて有難いと思う。
沙月はさ――――」
ここが外だと言うのは忘れていない、それでも少しくらいなら。
手と手を触れあわせるくらい良いだろう。
ゆっくりと手を動かした。
「俺の状況や状態なんかで、それを変えてくれる。
それでいて、心地良い時間を与えてくれる。
好み云々は分からないけど、間違いなく言えるのは沙月じゃないと駄目なんだと思うって事かな。
――――いかがでしょうか?」
望んでいる答えと違うかもしれない。
それでもこの精一杯の答えが、どう取られるか。
はてさて。
「とても嬉しいですよ。
そうして言葉をくれるのが何よりも嬉しいです。
私だって、優陽くんじゃないとだめとだけお返ししますね」
きっと沙月も同じなのだろう。
正直な話、抱きしめたくて仕方なかった。
その存在を感じ、確かな感触を味わいたくて仕方がなかった。
これが家の中なら、迷わず腕の中に納めていただろう。
その温もりを、体温を感じながらいつもと変わらない艶やかな髪の毛を梳く。
いつものお決まりの行為をして、気持ちを伝えたかった。
決して届かぬ想いじゃない。
遠く空に浮かぶ月に手を伸ばすわけじゃない、自分だけの月がここにあるのだから。
おそらく沙月も一緒なのだろう。
これ以上言葉を重ねれば、気持ちが溢れてしまいそうなのを、手の触れあいだけで押しとどめるように握られていた。
「……そろそろ、会場に行こうか」
「……うん、そうですね」
そう言って、沙月を立たせてシートを持ち、ふわりと広げ、小さな空間を作り、そっと唇を奪った。
「また油断してる所を狙って、卑怯ですよ……」
「嫌だった?」
「まさかっ」
誰も入り込む余地がないほどに寄り添い、共に歩く。
結局、抱きしめていないだけでその距離感はとても近く、周囲を呆れさせるのに足る空気を振りまいていた。
肝心の選手権は、気持ちがリフレッシュされたのが良かったのか二本目のルートは調子が良かった。
新堂も順当に高度をだして、無事決勝に進出。
自分が決勝メンバーの中でも中間位、新堂が自分よりも少し上位といった具合だった。
つまり明日もこの会場に足を運ぶことが決定したのだった。
間違いなく喜ばしいことだ。
自分の役割は新堂のサポート。
個人の成績は二の次。
気合が、やる気が違うのだから当然の結果だ。
それでも右手が微かに震えているのに気づき、首を傾げる。
記念参加みたいなものだ、気負いも何もない――はず。
自分自身の胸中がわからなかった。




