07【高校生の部屋】
「それにしても、もっと汚いかと思いましたけど、意外と綺麗にしているんですね」
辺りを見渡しながら琴葉さんは言う。
「意外は余計だろう……、確かにそこまで綺麗じゃないかもしれないけど」
「ふふ、ごめんなさい。男性の家に初めて入ったからつい言ってしまいました」
「そう、あの時すんなり来るって言ってたから慣れてるのかと」
「あ、あの時はあなたの傷が心配でそれどころではなかったんですっ」
上目遣いに、頬を膨らませながら言って来る琴葉さん。
女性らしさと幼さが垣間見え、純粋な中にも拗ねた様子がうかがえる視線は思わず、ずるいと感じてしまうほど魅力的だった。
あれは仕方ないことなのだと。
目で語り、表情で語っている。
いつまでもそうさせているのは、自分の心臓がもたない。
そうそうにあの出来事は棚上げする事に決めた。
「怪我をするのは慣れてるから。……あの時の話はやめようか」
このまま見られ続ける事もお互いに謝り続けるのも本意じゃない。
それはきっと琴葉さんも同じだろう。
「朝比奈さんが持ち出したんじゃないですかっ。まったく……」
こっちの本意は伝わっただろう。
けれども一言言わずにはいられなかったという印象だ。
それくらいなら可愛い物。
言葉を続ける事なく呆れた様子に、自分は「ごめんごめん」と手を振った。
それで気が晴れたのか、自分が言いたい事は分かってくれたみたいで、話題を変えてくれた。
「ボルダリングってそんなに怪我するんですか?」
「擦り傷はしょっちゅう。打撲とかもする事もあるし。
目に見える怪我だけじゃなくて、肩とか肘を怪我する事もあるし……」
「そんなに危険なんですか?」
「そんなにって言っても、絶対にするわけじゃない。でも失敗は付きものだから。
それにスポーツをする以上、どこかに負担は掛かってるから」
「それは……、そうですね」
琴葉さんは納得したのか、うんうん、と頷いている。
「実際にやって見てどうだった?」
「見てるのとやってみるとは、全然違うスポーツなんですね。
手は痛いし、足はキュッと締まってるし。
朝比奈さんを見て凄いなーって見てましたよ」
「そこそこの年数やってるから。
俺はまだまだだよ。
人によってはもっと小さい時からやってる人も一杯いるから」
「それでもかっこよかったですよ」
まさかそんな言葉を言われるなんて想像もしてなかった。
琴葉さんの様子を伺えば、特に他意が無い事くらいは分かる。
他意のない相手に、そんな気軽に言うんじゃないと言いたい。
勘違いしそうになる。
そう勘違いなんだ。
それで過去失敗したのだから。
異性ではないが友と思い親友だと思った相手からの心無い言葉を貰うくらいなら、元々なければいい。
過去の失敗を繰り返したくは、なかった。
とにもかくにもなんでもない相手とは言え、可愛らしい少女からまっすぐに向けて言われてしまえば、顔が赤くなるのは仕方ないだろう。
ますます顔が赤くなっていくのを自覚しつつ拙い言い訳のような事しか出来なかった。
「一緒にやってる人達の中でも……、俺だけ登れてないとかあるから……」
「そうなんですね、他の人は良く判りませんけど、私はそう見えただけです」
こっちの慌てっぷりを知ってか知らずか、さらに追い打ちを掛けてくる。
しかもあの日に限っては、全然登る事が出来ず、こそばゆい気持ちになってしまう。
その原因は琴葉さんのせいでもあるのだが。
そんな自分の様子をどう思ったのか、琴葉さんは視線を別の方に向けた。
「そうしたら、あそこにある物もボルダリングで使う物ですか?」
そうして示されたのは、クライミング用のトレーニング器具が置かれた場所だった。
日常的に使ってる物で、片づける場所がないので端にまとめておいただけの状態だったので気になったようだ。
「うん、割と一般的な物が多いかな」
「そうなんですか、触ってみても良いですか?」
「良いけど、楽しい物じゃないと思う」
そう返事をしたものの、何故かはわからないが琴葉さんは楽しそうに器具を見ていた。
トレーニングジムにもあまり行った事ないのかな?
物珍しそうに手にとっては首を傾げている。
その様子は、興味がそそられるのか瞳がきらきらとし、子供のように無邪気な様子を伺わせた。
どうやら器具の一つ、バランスボードが特に興味が引かれた様子。
手に取り、不思議そうに見ている。
「これはなんですか?」
「その上に乗って使うんだ」
「やってみてもいいですか?」
「いいよ」
下に置き足を置いた。
両足を乗せ、んっ、んっとバランスを取ろうとするが乗っている台はビクともしない。
意外と難しいんだよな。
そんな動かない様子に焦れたのか、勢いよく体重を傾けた。
それはもういっそ清々しいほどに。
ある意味ではその行動は合っていた。
バランスを取れればという条件付きだが。
普段、運動を余りしないだろう琴葉さん。
勢いをつけ過ぎ、案の定バランスを崩してしまい。
「きゃっ」「危ない!」
前のめりに崩れた体を間一髪で抱きとめた。
ふぅ、怪我させなくて良かった。
それにしても体柔らかいな。女子ってこんな柔らかいのか。
特に腕にふにふにと当たる感触がなんとも気持ちよくて。
えっ……と……?
緊急だったとはいえ、腕が胸を覆っていた。
腕でその豊かな部分を押しつぶし押し上げ、形が変わる。
ぐにっと。
押し上げられ、服の上からでも強調されるのが見えてしまう。
服に皺がより、目でもその様子が確認できてしまった。
それは吸い寄せられるように視線が固定され目が離せない。
まるで、恋人かのような行為に顔が熱くなっていった。
琴葉さんがほっとしたのも束の間、状況に気づき、慌てて姿勢を整えた。
手のひらでは無かったのが幸いなのか、幸いじゃなかったのか。
幸いじゃなかったとは。
だめだろう。
何か言った方が良いのか、感想とか。
良いわけがない。
琴葉さんは、胸を抱き、俯いて何も言わない。
髪の毛に隠れた横顔は耳まで真っ赤だ。
「ごめん!」
慌てて謝るものの琴葉さんは顔を上げてくれない。
言い訳も何もない。
頭を下げ続けた。
何か言われても非があるのは自分だ。
例えさっきまでの約束は無かった事にと言われても、仕方ない。
そう覚悟して、琴葉さんが口を開くのを待った。
「わ、私もあそこまでバランス崩すとは思いませんでしたし、助けてくれてありがとうございます」
むしろこちらこそありがとうございます。っていやいやいや。
「なのでお互いに忘れましょう」
「はい」
「少し時間頂きます」
「はい」
そう言って、洗面所へ行った。
自分も少し頭を冷やす時間が欲しくて助かった。
それにしても、柔らかかった。
思い出すなと。
ふにふにと気持ちよかった。
考えるなと。
思ったよりも大きかった気が。
忘れて下さいと言われたばかりだろうに。
思春期真っ盛りの自分にとっては大変な作業だった。
そんな自分とは反対に琴葉さんはすっかり熱は冷めたのか平静を取り戻した様子で戻って来た。
そこで沈黙があっては元の木阿弥。
用意してきたのだろう。
「ボルダリングの為に一人暮らししてるんですか?」
「そう、あのジムに有名なコーチがいるんだ」
「コーチの方をつけるのが一般的なんですか?」
「まだまだ少ない方じゃないかな。
ジム単位でスクールをやってる事は多いと思うけど」
「そうしたら、朝比奈さんも前はスクールに行ってたんですか?」
「俺の行ってたジムも一応スクールあったけど、今の場所みたいに大々的にはやってなかったよ。
それよりも同い年の仲間が二人いて、三人でジムに居る事が多かったかな」
「地元を離れて一人武者修行というわけですね」
「そんな恰好良いものじゃないよ」
「そうなんですね、それでもなんかやりたい事があって良いですね」
「琴葉さんも、一人暮らしだよね?ここって一人暮らし専用だったと思うけど。
何かやりたい事とか?」
「……いえ、ないですよ」
その一言を言う琴葉さんに先ほどまでの空気は無かった。
伏し目がちにし、感情が消え去り、平坦な声だけが響いた。
まるで思い出したくない。
心を殺さなければならない。
心動かされてはならないと言わんばかりに。
一人暮らししてる理由を思い浮かべたくない、実家と折り合いが良くないのだろうか。
そんな家庭も珍しくないか。
嫌な事を思い出させたのかな。
悲しそうな、寂しそうな表情は似合わないな。
なぜか無性にその空気を振り払いたくなり、頑張って言葉を紡いだ。
「自分のクライミングはもう日常の一部にもなってるんだ。
だからそこまで良い物でもないよ。やりたくないってわけじゃないけどね。
もちろん、このまま続けられたら良いとは思ってるし、もっと登れるようにもなりたい。
それでも、クライミングで先を考えているかって言われると判らないって答えるしかない。
そんな感じだよ」
そんな言葉を聞いて少しは気がまぎれたのだろうか。
琴葉さんは勢いよく立ち上がると、いつもの笑顔に戻り答えた。
今は例えそれが作り笑いであってもやっぱり琴葉さんには笑顔が似合う。
「ありがとうございます、そろそろ帰りますね」
「うん、弁当ごちそうさま。美味しかった」
「またね」
「また」
小さく呟きながら手を上げ、先日と同じ様に夢ではない事を再確認した。




