62【それぞれの感情】
ジムに来て昼食を食べる、本来ならなんでもない事のはず。
それがなぜか一大イベントの様相を呈し、実生が一瞥するなり一言。
「兄さん、なにこの面白い展開は」
小部屋に入ってきた実生はニヤけた顔を隠そうともせずに自分の状況を見るなり言ってきた。
そう言われる自分は両手に花を持った状態になっていて、身動きが取れない。
「放って置いて。
それに面白くないし見世物でもないから」
深い溜息と共にそう返すのが精一杯だった。
嫌な予感はあった。
それでも当たって欲しくないと思った。はたまたそう思ってしまえばしまうほど当たってしまうのが、常なのだろうか。
一体どうすれば良かったのかと思い返しても答えは出なかった。
旅人と約束をした日の夜、実生にジムに行くと告げると当然のように一緒に来ると言い、時間も朝から行くと押し切られた。沙月にそれを言うと大丈夫との返事だったので行く時間が自然と決まってしまった。
家を出る時に沙月が少し大きめのトートを持ってきていたのでどうやらお昼を作ってきてくれたみたいでそれは非常に楽しみだった。
ジムに着き自分はいつも通りに準備をし、沙月は前回と同様、椅子に座って見守ってくれている。
見知った顔と挨拶を交わし、沙月を見れば以前を思い出し挨拶してくれる。
そんな中、緊張が走った。
旅人と麗奈が入って来た時、一瞬の静寂が起きた。
なにこの空気。
早くもいつも通りにジムで登れるのか不安になってきた。
「よっ」
「よっ」
昨日の一件から慣れたのか気にしないことにしたのか。
何事もなかったかのように、旅人から声を掛けられ自分も返す。
「おはよう、優陽」
「おはよう」
麗奈がこちらに気づき声を掛けてきたのに対し、沙月に対して言葉はない。
そんな態度に沙月も積極的に声を掛けはしないが軽く会釈をした。
しかし残念ながら麗奈は一瞥し、荷物を置きにいくだけ。
正直、その様子に不安しかない。
「やっぱりこうなったんだね」
「やっぱりってなんだよ」
したり顔で声を掛けてきたのは、実生だ。
「え、だって飾音さん、ずっと兄さんの事好きだったでしょ」
「なんで知ってるんだよ」
「むしろ、なんで気づかなかったの……」
「え……」
そう言って向けてくる視線は棘を持ち冷たい。
「実生ちゃん、優陽くんの鈍感さは昔からだったんですね」
「そうなんですよ、だからこそ兄さんが沙月さんになんて言ったのか気になるというか」
「そこに繋げようとするな」
どうしてそこまで聞きたいんだこの妹は。
実生はそこに拘っても仕方ないと思ったのか、溜息交じりに感想を漏らした。
「中学の時は安心してたんでしょうね、なにせ学校ではダサい髪型で如何にも暗い人です。って雰囲気だしてましたし。口を開いても言葉少ない上に、この通り口を開けばあたしには文句ばっかり。
ある意味、本当の兄さんを知ってるのって、クライミングで一緒だった飾音先輩だけの物でしたからね」
「私にはそうでもない気がしますけど……。
中学でも髪の毛伸ばしてたんですか?」
思いがけず自分の過去を聞ける機会だと思ったのか沙月が食いついてきた。
どうでもいいけど、目の前で説明するのは止めて欲しい。
何を言われるのかヒヤヒヤしてしょうがない。
「そうですよ、だからあたしとしては今の学校での様子の方が意外ですね。
あたしだって気にしないで結んだ方が良いって言った事あるんですよ」
「優陽くんが選んで今のようにしてくれてますよ」
「だからこそ余計に驚きなんですよねー」
麗奈の様子から、少し心配になり沙月の傍にいようかと思ったが、この様子ならしばらく実生はここにいるのだろう。話に花を咲かせている。
「登ってくる」
このまま目の前で昔話をされ続けては敵わない。
「「いってらっしゃい」」
そうして返事をくれはするものの、やはり二人はお喋りに興じた。
はぁ、と溜息一つ。
体を動かしていると、旅人が隣に来た。
「なんか凄い面白い事話してるけど、あれ良いの?」
「聞こえない」
「おれも混ざってきていい?」
「やめろ……」
「それで、止めない心は?」
「目の前じゃなければ良いよ。
俺だって沙月の過去を知りたくないって言ったら嘘になるし。
恥ずかしい話の暴露じゃなければだけど」
「ふーん、登れなくて泣いた話とか?」
ニヤニヤと面白そうに問いかけてくる。
「それもう前回来た時、散々動画つきで晒されたから……」
「ぶははは、そこまでバラされてたらもう怖い物はないな」
そう、そこまでバラされていたら、いっそ笑ってくれた方がましという物。
旅人は合点がいったとばかりに笑っている。
「そんなわけだから、登ろうぜ」
「おう、登るか」
それほど間を空かずに麗奈も合流してきた。
特に意識するでもなく隣に立ち、一緒に登っていく。
体が温まり、沙月のもとに戻ろうとすると実生と沙月が何か言いたそうにこっちを見ていた。
どうしたのだろう。
「兄さん、やっぱり疑問に思わないね」
「何が」
「いえ、こっちの話。
ねー、沙月さん」
「こればっかりは仕方ないのかもしれないですね」
一体なんのことやら。
何も言う事はないと実生は登りにいった。
沙月は沙月で何か困り顔でこっちを見ているし。
「……何か直した方が良い?」
きっと自分の何かが沙月を困らせているのだろう。
何と解らなければ、直しようもないのだが。
「……いえ、優陽くんはそのままで大丈夫ですよ」
「そお……?」
「私も複雑なので……。
体が冷えすぎてもまずいですよね。
登ってきて大丈夫ですよ」
「あ、あぁ……」
沙月に促されれば、それはそれとするしかなく、旅人や麗奈と合流し課題を登っていく。
「麗奈、また強くなったんじゃないか?」
「わたしも頑張ったのよ」
「俺も頑張らないとな」
「おれから見れば、一番伸びたのは優陽だけどなー」
「そうか?」
「すぐには落ちなくなったよなー」
「そうね、粘った上にゴールにいけるようになったように見えるよ」
昔を知る二人に言われたのだ、他の誰ともない人に言われるよりよほど嬉しい。
そうして沙月の元に戻り、また登ってを繰り返し、時間が過ぎていった。
「優陽くん、そろそろお昼にしませんか?」
珍しく沙月から声を掛けてきた。
なるべく気に掛けてたつもりだけど、不安にさせてしまったのだろうか。
「そうしようか」
「優陽、良かったら一緒に食べない?」
沙月に確認している所に声を掛けてきたのは麗奈だった。
確かに一緒に登っていた時はそのまま食べていたので特におかしい事はない。
それでも今の気持ちは沙月と一緒に食べたいと思っていた。
だがそれでも。
「飾音さんもご一緒にどうですか」
沙月がそう言って自分が否と言うのもおかしな話。
きっと引っかかっているのは沙月に挨拶をしなかった一件で、心の中に小さなシコリを落としていた。
「それじゃ一緒させて貰うね」
それぞれがどういう意図をもってそう言ったのか知るべくもない。
そしてこの状況を周囲に晒す度胸はない。
できる事といったらジムに用意されている小部屋でひっそりと食べる事だけだった。
「優陽くん、どうぞ。
良かったら飾音さんも摘まんでください」
「沙月、ありがとう。
いただきます」
「……ありがとう」
沙月の用意してくれたサンドイッチを頬張る。
こうして唐突の昼食でもいつも通りの美味しい昼食に舌鼓を打った。
今この瞬間だけは幸福感に胸がいっぱいになる。
「ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
そのいつものやりとりに沙月もにっこりと微笑んでくれる。
つくづく思う。
この笑顔が隣にいてくれればそれで十分だと。
それを麗奈はじっと見つめていた。
ガチャッ。
「あたしもお昼食べよーっと」
そこに部屋に入ってきたのは、実生だった。
中に入りニヤニヤと楽しそうな表情をしている。
そうして出てきた言葉は、なんとも他人から見れば楽しそうな言葉。
沙月はいつも通りの距離で、麗奈は記憶よりも幾分か近い位置にいる気がする。
それをどうする事も出来ず実生に文句を言う事くらいしか出来なかった。
「あ、飾音先輩も沙月さんのサンドイッチ頂いたんですね。
美味しいですよね。
わざわざあたしの分も用意してくれたんですよ!」
そう強調しサンドイッチを頬張る。
けれどもそのわざとらしい物言いに若干の違和感を覚えた。
「うん、美味しい……」
「沙月さんのお料理、本当に美味しくて兄さんが羨ましくて仕方ないんですよね。
兄さんの胃袋は掴んで離さないって感じなんでしょうね。
やっぱり男性は料理が出来れば良いんですかね。
きっと毎日の事だけにポイント高いんですかね」
何が言いたいのかは解らない。
それでもその言い方はちょっと気にくわない。
そう……まるで……。
「料理だけに惹かれてるって言われてるみたいで気に入らないな」
実生を正面に見据え、少し力が入る。
実生の方にも力が入ったのが解った。
「沙月の良いところなんて上げたらキリがないけど、もし仮に沙月が料理する事が出来なくなったって離れるつもりも、離すつもりもない。
ただ隣にいてくれればそれだけで良い。
実生、何が言いたい」
「何かを言いたかったわけじゃないよ」
実生は体の力を抜き、左右へと視線を走らせる。
その視線の意味を理解し、自身の状態も理解したと共にこうなってしまった事自体に、渋面を作ってしまう。
自分が思っていた以上に抱えてしまっていたみたいだ。
よく見ると実生の腰がちょっと引けているが後回し。
「琴葉さん、悪いんだけど二人にしてもらえる」
麗奈はそれだけを言い、その顔は下を向き表情を伺うことはできない。
「わかりました。
実生ちゃんもクライミングについて、教えてもらって良いですか」
「あたしで良ければいくらでも!」
二人は部屋を出ていく。
時計の針の音だけが、聞こえる中、麗奈は静かに口を開いた。
「いつも三人でバカやりながら飽きもせず登ってたよね」
「そうだな、中学の時の思い出なんてこのジム以外ぱっとは思い出せないな」
「楽しかったよね」
「ん、楽しかった」
「高校とか向こうの生活はどうなの」
「最初は一人暮らしに難儀してた。
それでもなんとかやっていって、学校でもこんな俺でも仲良くしてくれる親友も出来たよ」
「優陽が親友って言うの珍しいんじゃない」
「そうだな、それでも親友って胸を張って言える奴らだよ」
「彼女もそのうちの一人だった?」
「いや、全然別」
「そうなの。優陽は本当に彼女の事、大事なんだね」
「あぁ、沙月が居ればなんでも良い」
「一緒にクライミング出来る人が良いとかは思わないの」
「クライミングを一緒にするよりも、一緒に居て安心するし頑張れるかな。
見ててくれるだけで十分」
「そっか。わたし、優陽の事好きだったよ」
「ありがとう。ここで楽しく登れたのは間違いなく麗奈のおかげだった。
応えられなくて、ごめん」
「そっか……。なんとなくそんな気はしてたけど、勝ち目はなかったか……。
ごめん、一人にして」
麗奈の言葉に、そっと部屋を後にした。
心がざわついて仕方なかった、すぐにでも大切な人の元に行きたかった。
この心の正体は解らないけれども、胸が苦しくて仕方ない。
部屋を出て沙月を真っ先に探すと、いつもの椅子に静かに座っていた。
「沙月」
声を掛け、足早に近くに行く。
なぜだか解らないが無性に沙月を感じたくなった。
周りの目も気にせず、横から抱きしめ沙月がいるという実感を求めた。
沙月も腕に手を添え、許してくれるのにまかせた。そうしないと心が乱れ、どうにかなりそうだったから。
なんとか落ち着きを取り戻せてきた頃。
「そろそろ元に戻って貰わないと身内としては恥ずかしいなー、特に兄さん」
「無関係じゃないんだから、我慢しろ」
「そりゃー、状況を動かしたのは否定しないけど」
「少し強引過ぎたな」
「それについては反省してますー、でも普通にちょっと怖かったし」
「自業自得だろ」
「いやー、ちょっと虎の尾を強めに踏み過ぎた」
言いたい事は他にもあるが今はそれどころじゃなく、登りに戻る気分にもなれずどうしたものかと。
実生の言ってる事ももっともではあるので姿勢を正し、座っていると小部屋の扉が少し開いた気がした。気がしただけじゃなくて本当に少し開き、麗奈がこっちを見ている。
どうしたのかと思い見ていると、視線に気づいた麗奈が沙月を指差している。
何か用事があるのだろうか。
「沙月、呼んでるみたい」
そうして、沙月も意図を理解したのか小部屋の中へ入って行った。
二人きりというのも少し心配だがきっと出る幕はないだろう。
近くに着ていた旅人を捕まえて聞いてみた。
「何話してると思う?」
「いや、野郎のおれ達に解る話じゃないんじゃない?」
「だよな」
「取り合えずお疲れ」
「旅人はそれで良いのかよ」
「良いも悪いもこうならないと何も始まらないだろ。
三人で登ってた時は楽しかった。
これは揺るがない事実だ。
関係を新しくするなら、ここから始めないと始まらないのだけは解る」
「それは結果的にじゃないのか?
旅人には面白くないだろ」
「言っただろ、三人で登ってた時は楽しかった。
つまりは麗奈もおれも、それを壊す事が出来なかった。
結局、踏み出せたのは優陽だけだったんだよ。
それに対して、後だしでおれが言うのは卑怯だと思った。
それだけ」
そこまで心が落ち着くのに、どれほど考え苦しんだのだろう。
そこにこそ尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
「旅人、お前凄い奴だったんだな」
「敬ってくれて良いぞ」
「実生と登り続けられたらな」
「……それはちょーっと無理かなー」
ハハハと笑いながら、旅人はまた登ってくると言い離れていった。
周りの人が登っているのを見ながら、沙月を待っていた。
落ち着けたと思った心がまたざわざわと騒いできた。
ここにいるとどうしても昔を思い出して仕方なく、それは心の臓近くをジクジクと攻め立ててくる。
小部屋の扉が開き、その姿を見た時は救いを求めるかのように名前を呼びそうになった。
そんな心内を知らずに、沙月は静かに歩いてくる。
本当に何を話したのだろうか。
帰ってきた沙月はどことなく嬉しそうで、にこにこしている。
その歩みはるんるんとしているように感じ、何を話したら、沙月が喜ぶことになるのだろう。
「えっと、おかえり?」
「ただいまっ」
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「内緒です」
そう言って人差し指を唇に手を持っていった。
その顔は今度ははっきりと嬉しそうにしていて、可愛らしくて何度見惚れていれば気が済むのだろうかと思わずには居られない。
「それならいっか……」
「心配してるような事はなかったので、大丈夫ですよ」
「それは良いんだけど……」
「…………どうしたんですか?」
歯切れの悪い様子に不思議そうな顔をされた。
それでもさっき感じた不満から目を逸らそうとは思わなかった。
なによりも胸が痛くて仕方ない。
「帰らない?」
「珍しいですね…………」
確かにジムに来て途中で帰るなんて珍しい事だ。
自分でも意外に思いびっくりしている位だ。
「なんだったら、荷物を置いてどこか出かけるんでも良い」
「どこに連れて行ってくれるんですか?」
「どこか二人になれる所に行こう」
沙月はこっちをじっと見つめ、覗き込んでいる。
何を見ているのだろう。
何が見えているのだろう。
その瞳は、優しくこちらを見透かすようだ。
「何か甘い物でも買って帰りましょうか」
「そうしようか」
「家でゆっくりしましょう。
コーヒーを淹れて貰っても良いですか?」
「ん、ありがとう」
それだけ答えると静かに帰る準備を始めた。
沙月は、実生や旅人に帰る旨を告げているようで正直そこまで頭が回ってなかった。
心がぐちゃぐちゃしてしょうがない。
お疲れ様とスタッフに声を掛けられるもののどうにか会釈するだけで精一杯だ。
沙月と手を繋ぎ、ケーキ屋に寄って家に帰った。
正直ケーキはなんでも良かった。
沙月がこれと選んでくれたが、よく覚えていない。
家までの見慣れた道のりを、無意識に歩いているだけ。
覚えているのは沙月がただただ隣を歩いてくれ、手を握ってくれている事だけ。
家に着くと母さんはいない。
買い物にでも行っているのだろうか。
今のぐちゃぐちゃした状態を見られたくなかったから、ちょうど良い。
沙月はケーキを取り分け、テーブルに用意してくれた。
約束のコーヒーを淹れようと湯を沸かし、準備する。
ドリッパーに湯を垂らし、蒸らすとゆらゆらと昇っている湯気をじっと見つめ、コーヒーの香りを吸い込み、湯をドリッパーに注ぐ。
最初は太く出してしまった湯を徐々に細く細く調整していく。
五人でも料理を並べられるテーブルだが、今は二人。
二人で使うには広すぎた。
それでも隣同士で寄り添い、コーヒーを用意し、ケーキをやっと見る事ができた。
それは自分の好きなチョコレートケーキだった。
こんな時でも自分の事を気にかけ、選んでくれる沙月に涙が出そうだ。
涙を堪え食べ終えるとようやく言葉が出てきた。
「沙月、我儘を聞いてくれてありがとう」
「いつもと逆になってしまってますね」
「もう一つお願いしてもいい?」
「良いですよ」
そう言ってソファに移動し、自分の膝の上に座るように促した。
「少しの間、抱きしめさせて」
「いくらでも」
そう言って腕の中の少女は自分の好きにさせてくれる。
それに甘え、内心を吐露し始めてしまう。
「三人で登ってるだけで楽しかったんだ」
「前もそう言ってましたね」
「友達として大切だった」
「自然と三人で立つ姿はちょっと妬けちゃいましたよ。
私では決して立つことのできない所に飾音さんはいましたから。
それでも逆に私しか居れない場所があると、はっきりと示してくれてありがとうございます」
「そんなのは当たり前の事だよ。それでも決して傷つけたいわけじゃなかったんだ」
「そんな優しい所が優陽くんらしいですね」
「優しかったらもっとやりようはあったんじゃないのか。
誰も傷つかない方法が。
もっと色々やりようが、それこそ――――――」
そこから先は言わせて貰えなかった。
口を沙月の柔らかな唇で塞がれたから。
たっぷりと時間を掛け、こちらが正気に戻るまでそれは続いた。
やがてゆっくりと離れ、優しく慈愛に満ちた瞳と共に語りかけてくれた。
「気持ちを疑ってはいませんけど、今を否定はしないでください。
優しいからこそ苦しんでいるのに変わりないですよ。
そんな優陽くんを丸ごと私は大好きですよ」
その言葉にとうとう嗚咽を止める事ができなくなった。
声にならない声をあげている自分を優しく受け止めてくれる存在がどうしようもなく愛おしい。
その優しさに溺れそうになりながらもやっとの事で口を開いた。
「沙月こそなんでそんなに優しいの」
「優陽くんが優しさで包んでくれるからですよ」
「傍に居てくれてありがとう」
「うん、ここが私の居場所ですから」
まだ陽は高く光が差し込み、暖かさが心地良かった。
体の力が抜け、抱きしめていた手から力が抜けていく。
「眠かったら寝てしまって良いですよ」
そう声を掛けられ、姿勢が崩れていくのを感じる。
優しい言葉に抗えそうもない。
頭が下に付く前に何か柔らかな物で受け止められ、意識は沈んでいった。
何やら話し声が聞こえる。
なんだろう。
頭を撫でられているみたいで気持ちがいい。
「ん」
「起きました?」
「ごめん、寝てた」
そうして目を開けると沙月の顔が合った。
どうやら膝枕をしてくれていたようだ。
いつもと違う角度から見る沙月も可愛らしく新鮮だ。
未だはっきりしない頭は、思わず沙月の顔に手を動かそうとしていた。
「母さん、兄さん起きたみたい!」
その声に思わず動きを止めた。
寝ぼけた頭は瞬時に覚醒され状況を理解するなり起き上がった。自分を兄さんなんて呼ぶのは一人しかいない。
二人きりでは無い事を再度理解し、周りを見れば家族全員が揃っていた。
「……結構寝てた?」
「もう少しで夕飯できるそうですよ」
「はぁ……」
大きく溜息をつき、手で顔を覆う。
様々な想いが去来してはいるが、随分とマシになったのを感じた。
そして解ってか解らずか、家族全員がこのことについては何も触れず、いつもと同じ振る舞いをしている。
それが救いなのか、いっそのこと揶揄われた方がマシなのかは微妙な所だった。




