61【それぞれの夏祭り】
実家に帰ってきて翌日、浴衣を着て準備を終えたはいいものの暇を持て余していた。
単純に男性と女性とで支度に掛かる時間が違うからだが。
今日は実家近くの夏祭りに行く予定だった。
そこまで大きなものではなく、屋台が出て参道を歩き、広場には盆踊りがあるくらいだ。
それでも風情を味わうには十分。
沙月の浴衣姿を見れると思えば、気分も高揚してくるというものだ。
「兄さん、つくづく思うんだけど」
「何を」
「どうしたら、沙月さんみたくなれるんだろう」
「母さんに聞いた方が早いんじゃないか」
「……怒られそうじゃない?」
「……かもな」
きっとそれは過去が今を形作るように、乗り越えてきたものがあるからだろう。
自ら飛び込んでいけとは言わないが、壁を乗り越える経験をした人とそうでない人とではどうしても差ができてしまう。
だからこそ思ってしまう。
もう十分苦しんだのではない。
辛い事などもう十分じゃないのか。
決して環境に甘んじない彼女の姿勢は、だからこそ眩しいのかもしれない。
「優陽くん、お待たせしました」
「沙月ちゃんは、元々が可愛らしくてついつい頑張っちゃうわね」
そう言って出てきた沙月は、本当に可愛らしかった。
まず目につくのはやはりその浴衣だろう。
華やかな色合いに花模様をしつらえ、沙月をとても可愛らしく見せ、浴衣自体がとても柔らかそうな印象を与え、とても似合っていた。
髪型は首回りをすっきりとさせ、後ろに華の様に髪の毛が舞っている様は淑やかさを印象付け、とても沙月らしいと思った。
余りの綺麗さに気後れしてしまいそうなほどだ。
どのような場所においても華を奪っていってしまいそうな可愛らしさにも関わらず、少しの心配と少しの期待を胸に、恥じらいを残しながら見られれば自分の顔が赤くなっていくのが解った。
その様子にただただ呆然としてしまい、何も言葉にする事が出来なかった。
「お母さん、これいつまで続くの?」
「ちょっとはましになったと思ったんだけど、まだまだみたいね」
思わず二人の世界に入ってしまった事に、我に返り沙月の手を取り、先を促した。
「沙月、行こう」
「え、あ、うん。行ってきます」
「「いってらっしゃい」」
玄関を閉め、一息つくと沙月にだけ聞こえるように言った。
「眩しい位にとっても綺麗だ」
「優陽くんも格好いいですよ」
それだけを言い合うと手を取り夏祭りへと歩いて行った。
カランコロンカランコロン。
下駄の音が心地いい音をさせている。
隣を歩く沙月はまるでそこだけ世界が違うかのようだ。
淑やかに奥ゆかしく歩く姿はすれ違う人々の視線を集めていた。
「これから行く所は、大きな所なんですか?」
沙月はいつもの調子で聞いてくる。
そう、どれだけ注目を浴びても沙月は沙月なのだと。
「そこまで大きくはないけど、地元の盆踊りって感じかな。
俺もここ最近行ってないから変わってなければだけど」
少なくとも入口から見える風景は昔を思い出させ、左右に屋台が並んでいる。
屋台の間を歩く人々も楽し気だ。
「沙月は、何か食べたい物ある?」
「これだけ多いと目移りしちゃいますね」
そう言いながらきょろきょろと楽し気に見回している。
「綿あめ、一緒に食べませんか?」
「いいよ」
そうして屋台の親父さんに一つ注文している。
その姿さえも楽し気で、こちらまで楽しくなってしまう。
「可愛らしい彼女にサービスしておいたよ!」
「ありがとうございます」
「あんちゃんも鼻が高いんじゃないのかい」
「はい、自慢の彼女ですよ」
「言うねぇ!」
親父さんと共に笑ってしまう。
沙月はと言えば、綿あめで隠そうとしてるのか頬を紅潮させ何か言いたげだ。
けれどもいつもの事と取り合わない自分に言っても無駄だと思っているのか何も言わなかった。
紛れもなく本心なのだから仕方ない。
歩いていると少し食べにくそうにしていたので、適当なベンチを探した。
ベンチに座ると沙月は満足そうに綿あめを少しちぎっては口に運んでいる。
その幸せそうな顔を見ていたら少し悪戯したくなった。
綿あめを食べさせたらどう反応するのだろう。
そう思ったら試すことに躊躇いはなかった。
綿あめを少しちぎる。
「沙月」
最初はきょとんとし、その瞳をくりくりと不思議そうにした。
それでもちぎられた綿あめを口に近寄せれば、小さな口を開けてくれる。
口の中へ綿あめを入れると、ぱくりと自分の指ごと咥えられてしまった。
咥えられた指先がちらりと舌先が滑べり、舐められた指先が熱を持ったかのように熱く感じられた。
目の前では咥えた指を艶っぽい唇が滑る。その煽情的な行為は脳が蕩けそうなほどに惹きつけられ心が奪われた。
口から指が離された途端に自分はなんてことをしているんだと正気に戻らされ、沙月が上目遣いににっこりと微笑んでいる。
その顔は、してやったりと魅力的な笑顔だった。
「ちょっとそれは卑怯じゃ」
「何がですか、いきなり食べさせようとして卑怯なのはどっちですか」
そう言われてしまえばそれまで。
安易な悪戯は見事にやり返されてしまった。
日が落ちかけ辺りが夕焼けで染まる頃。
広場で音楽が鳴り響いた。
櫓では太鼓が鳴り、その周りで踊る人達。
そこにいる誰もが楽しそうだ。
その光景は昔と変わらず幼い頃に見たものと変わらなかった。
どこか懐かしく、提灯の灯りを頼りに最初は父さん母さんと。
実生と一緒に来たこともあった。
クライミング仲間の三人で来た事もあった。
そして今は大切な人が隣に居る。
あの時から自分は何か変わる事が出来たのだろうか。
昔を懐かしんでいると、沙月の声で現実に戻される。
「優陽くんは踊った事あるんですか?」
「ないよ、あーいうのも苦手だからね」
「そうですね」
しばらく何をするでもなく盆踊りを見ていると見知った顔が近寄ってきた。
その人物が誰かを確認すると軽く目を見張ってしまった。
「よっ」
「なんだ来てたのか」
声を掛けて来たのは岩瀬旅人。
中学時代、共にクライミングを切磋琢磨した仲だ。
過去のすれ違いも、誤解が解け、昔と同じように行動すれば氷が溶けるかのようにどうと思う事もなくなった。
しかしながら目を見張った理由はその隣にあった。
彼女の名前は、飾音麗奈。
中学時代、旅人と共に一緒にクライミングをしていたもう一人。
三人はいつもジムで一緒に登っていた。
それも高校進学を機に別々の道を歩み、今は特に連絡をとっていなかった。
最後に会ってから一年以上経っている。
少し大人びただろうか、それでも服装の好みは変わっていない様子で、動きやすい格好をしている。旅人から麗奈の話を聞いていなければ、今も変わらず共通の友人として接していただろう。
麗奈は、自分を見やり沙月を見た。
そして手の繋がれた箇所を見ては複雑そうな表情をしている。
「麗奈も久しぶりだな」
「うん、優陽も久しぶり」
そういう麗奈の視線は沙月を値踏みするかのように視線を動かしている。
その不躾な視線には、少し参ってしまう。
「彼女は恋人の琴葉沙月。
同じ高校に通ってる」
沙月は立ち上がり、凛とした佇まいから丁寧にお辞儀をした。
「優陽くんとお付き合いさせて頂いてます。
琴葉沙月です。よろしくお願いします」
その仕草に旅人がぼーっとしている。
その反応はなんだとツッコミたい。仮にも想い人が隣にいるのに何を惚けているのかと。ついでに言えば、その視線に対しては物言いたくなる。
「ずーっと優陽と一緒にクライミングをしていた、飾音麗奈です。
こちらこそよろしくお願いね」
「琴葉さん久しぶり」
「岩瀬さん、お久しぶりです」
やけにずーっとって強調したな……。
そう言われた沙月の表情は柔らかい。
対して麗奈の表情は硬く、沙月を鋭く見つめていた。
互いに何を言わんや思っているのかを知るすべは今のところは無い。
沙月は二人の時に聞けば教えてくれるとは思うけど。
麗奈の出方次第って所になるのかな。
クライミング仲間だし仲良くしてくれればいいけど。
事前に旅人から聞いてしまったからこそ、逆に何も出来ない事が恨めしい。
知らなかったら、麗奈の態度をちゃかすなり怒るなり出来た。
今がどういう気持ちか解らない以上、邪険に出来ずせめて沙月への態度をはっきりと示す事しか出来ない。
何か言って傷つけたいわけでもないのだから。
否定されればそれはそれで凄く恥ずかしいというのもあるにはあるが。
「優陽はいつまでこっちにいるんだ?」
「明々後日までいる予定」
「それなら明日、ジム行こうぜ」
特に決めてはいなかったが、そう誘われれば行きたいと思ってしまうもの。沙月を見ればにこにこしていて、否を言う様子はない。
「分かった、時間は適当で良いか?」
「おう、適当に行くわ」
中学時代と同様に約束をする。
三人ともそうだが、休日登りに行ってしまえばその体力が尽きるまで居座ってしまうのでジムに行くという約束だけで事足りた。
それよりもだ。
さっきから何も言わない二人が怖くて仕方ない。
「ちょっと屋台行ってくる」
麗奈が踵を返し、それだけ言って屋台へ向かって行った。
「お、おう。いってらっしゃい」
唐突な行動にそれだけ返事をするのが精一杯だった。
取り合えず立ちっぱなしもどうかと思い二人を促す。
「沙月も旅人も座ったらどうだ?」
「それもそうだな」
沙月も凛とした姿勢を崩し、隣に座る。そして今までと変わらず手を繋ぎ安心してくれればと思う。それよりも旅人が木偶の棒と化している事の方が納得いかないが。
海といい旅人といい、背中を蹴りたくなってくる。
自分の事はどうだったかなんて聞かれたら藪蛇になるのは判り切っているので敢えて口に出す事はせず、そっと心の中だけで思う事にした。
そんな事を思っていると麗奈が焼きそばを二つ持って帰ってきた。
なぜ二つなのか。
嫌な予感しかしない。
「旅人、横に寄って」
「あ、はい」
麗奈は明らかに不機嫌そうに言い、旅人は唯々諾々と麗奈の要求を受け入れた。
二人の間で何があったというのか。今はそんな事よりもだ。
わざわざ自分の隣を空けさせたという事実。
「優陽の分も買ってきたよ、焼きそば好きだったでしょ」
「あ、うん。ありがとう」
「昔みたいに食べさせてあげようか?」
「今も昔も食べさせて貰った覚えないけどな」
そうして受け取ったは良い物の右手は沙月と手をつなぎ塞がっている。
どうやら手を離す様子はない。
「あは、優陽くん右手が塞がってるのでいつものように食べさせてあげましょうか?」
「塞がってるのは良いとして、いつもはしてないよな」
どうやら沙月の笑顔の裏にあるのは、面白くはないという物だったようだ。
いつかの時と同様に。
「冗談ですよ、飾音さんありがとうございます。
一緒に頂かせて貰いますね」
「どういたしまして」
そう言って右手を解放してくれた。
どうやらお許しが出たみたいで。
「いただきます」
焼きそばを半分食べ、残りを沙月に渡す。
さすがに本当に食べさせ合ったりするわけもなく、渡した分の半分ほど食べた後、戻された。
それほどお腹が空いていたわけではなかったみたいだ。
そんな無言のやり取りを静かに麗奈は見守っていた。
「明日、わたしも行くから」
「あぁ、久々に登り倒すか」
「そうじゃなきゃ張り合いがないからね」
今日初めて力が抜けた表情を見せ、麗奈は帰って行った。
旅人は良いのだろうか。
不思議に思い旅人を見ると驚いた顔をしながら言ってきた。
「正妻の余裕すげー」
「何言ってんだこいつは……」
今度こそ本当に背中を蹴りたくなった。
そうこうしている内に盆踊りも終わり、旅人と別れ帰路へとついた。
帰る道すがら、どうしたものかと沙月に尋ねた。
「明日、沙月はどうする?」
「行きますよ?」
「だよな」
「来てほしくないんですか?」
「そういうわけじゃないけど、出来れば仲良くして欲しいとは思う」
「私は別に喧嘩したいわけじゃないですよ……」
「うん、それも解ってるし、どっちの方が大切だと言われれば沙月だからそこは安心して欲しい」
「そこは疑ってませんよ。
ただ――――――」
「面白くない。でしょ?」
「うん……」
「だよな……」
逆の立場になれば、自分も面白くないと思ってしまうだろう。
結局どうすると結論が出ないまま、家に着き眠りについた。




