54【それぞれの想い】
「優陽くん、そろそろ降ろしてください……」
そういう沙月の言葉に、少し力が戻っていた。
「どうしようかな」
「なんで降ろしてくれないんですか」
「降ろしたくないから」
「私だって、子供じゃないんですからっ」
「それじゃ、あの電柱まで」
「もう……」
そうして歩き、目の前の電柱を過ぎた。
「優陽くん?」
「あの電柱じゃないよ」
「騙しましたね……」
それだけ答えるとぐいぐいと襟を摑まれてしまった。
その抗議は徐々に強くなり、馬の手綱のようにゆすられてしまった。
果たして恥ずかしさからか、大丈夫という証としたいのか。
無言の抗議に負け、降ろしてあげるとその顔は膨れっ面だ。
そんな姿も可愛らしく、今はもう沙月に何をされても同じ感想しか抱けないだろう。
気持ちがずっとそんな調子のまま家に着いた。
「ただいま」と自分が言えば沙月が「おかえりなさい」と言い、沙月も「ただいま」と言えば自分も「おかえり」と返した。
三人もそれぞれに「お邪魔します」とニヤニヤしながら、言ってきた。
自分はそれがどうしたとばかりに「どうぞ」と中へ案内した。
いつもはきちんとしている沙月も今日は、三人への振る舞いを特にしなかった。
それが疲れからか、余計な壁が無くなった気安さかは解らない。
はたまたこれまでの穴を埋めるかのように、擦り寄せている体を離したくなかったのか。
自分も最低限の事しかせず、買ってきたものを口に運び、会話を楽しんだ。
それはいつもの会話。
いつも通りすぎる会話だった。
それでも食事が終われば言葉にしないわけにはいかなかった。
「……今日は本当にありがとう。
今日だけじゃないな、ずっと感謝してた」
沙月も居住まいを正し続けた。
「私も本当にありがとうございました。
迷惑も心配もおかけして……」
和雲は静かに、はっきりと答えた。
「二人とも顔を上げて。
僕達も二人の様子がおかしい事にすぐに気づく事は出来たけど、何もする事が出来なかった。時間が掛かってしまって、ごめんね」
謝る事なんてないと自分も沙月も顔を横に振る。
言葉を返そうにも声が出なかった。
「さっき鳶元さんの前では、親友だなんだと言ったけど……。
僕はね、わざわざそう言った言葉で着飾る必要はないと思っているんだ。普段はね。
それでも今は敢えて言いたい。
僕は朝比奈を親友だと思ってるし、琴葉さんはその親友の大事な恋人で僕や美和とも友達だと思っている。
そんな人を悪しく言い寄ってくる人を許せるほど、僕は人ができているわけじゃない。
そんな僕だけど、これからも仲良くして欲しいと思っているし、美和とも仲良くして欲しい。
あくまでも僕のためにやった事に過ぎないよ」
なぜだろう、その気持ちはありがたいのだが、後半少しうすら寒い物を感じた。
ひょっとして。
「これ、物凄い怒ってる?」
「怒ってるよー。和雲君、それはもう凄い怒ってるよ」
美和は何でもない事のように言っているがきっと本当に怒っていたのだろう。
軽い驚きと共にちょっといたずら心が出てきた。
「沙月、和雲は怒らせると怖い事は覚えておこう」
少し真面目ぶった表情を作ってみた。
「え、あ、うん?」
「俺、もうニンジンで揶揄うの止めるわ」
「……私も料理にニンジン入れるのやめときますね」
「……ちょっと二人ともひどくない!?」
和雲が不満げに言うと、全員が笑った。
もう大丈夫だ。
「それはそうと、二人には悪い事をしたと思ってて。
何も言わせずに鳶元さんを帰してごめんね。
本当なら謝らせたかったんだけどね。
ちょっと、ずっと聞くに堪えなかったんだ」
「いや、きっとこれで良かったと思う」
「そうですね……、私ももう負けませんから」
「そう言って貰えるとね」
「そういえば美和、ずっと気になってたんだけど、携帯いじって何してたんだ?」
「あぁ、これね」
そう言って見せて貰ったのは録画された動画。
閑奈が話しかけてきてから、立ち去るまでのものだった。
「一応ね、和雲くんから撮っておいてって頼まれてたの」
和雲はどこまでを見据えていたのだろう。
「使わなかったら使わないに越した事はないからね」
「教室の録音は?」
「実生ちゃんから、場所は聞いてたから予め仕掛けておいた。
念の為くらいだったけど、効果的だったね。
朝比奈が会話しなかったのも使い易いよ」
「ちなみにさー、部活の方もこれで動きやすくなると思うから、今まで通りにできないと思うぞー」
海は何でもない事のように言っているが、それは想像するだけでちょっと怖い。
「そういえば実生は?」
こう言ってはなんだが、すっかり忘れていた。
「さっき連絡したからもう少しで来るわよ」
と美和が言っているが、なんで美和と実生が繋がっているのだろう。
するとチャイムがなった。
動きたくない体に鞭を打って、玄関を開けてやる。
「なんで兄さんから連絡ないの!?」
「ぅ、すまん」
とても忘れてたとは言いだせない。
そんな返事なんかどうでも良いのか、中へと入って行く。
「沙月さん、大丈夫でしたか?」
「実生ちゃん、ご心配おかけしました」
「もう腹が立って腹が立って仕方ありませんでした!」
そう言うなり、聞いてもいないのにこれまでの様子を話してくれた。
クラス自体は別だけど、廊下で話しているから聞きたくなくても聞こえて仕方なかった。 沙月と姉妹な事。
お昼に困っていると話をしたら、助けてくれると向こうから申し出てくれた。
そこから優陽の方からお昼を持って接触してきたのだと。
そして、教室に呼び出されるようになったと。
「あたしからしたら、どう見てもおかしいんですけど。
なまじ二人が有名なだけに尾ひれがついていったみたいで」
「良くもまぁ、そこまで都合よく言えるもんだ……」
「二人の様子は明らかにおかしいから、取り合えず美和さんに連絡をとったら案の定ですよ!」
身振り手振りを交え、言って来る。
当時を思い出したのかヒートアップしている。
「好き勝手言ってるから、兄さんに突撃しようと思ったんですけど……」
「わたしが止めたのよ」
「はい、止められました……」
もしあの状況で実生に聞かれても誤魔化す事しか出来なかっただろう。
それに実生の相手をしている余裕もなかった。
「あの時は他の事に気が回らなかったからな……」
「でももう解決したんだよね?」
「もう大丈夫だ」
「それなら良い!」
そのやり取りは、なぜか胸に響き、これから平穏な毎日の訪れを予感させた。
「それはそうと……」
なぜかジト目になる実生。
「ただでさえイチャついてたのが、さらに距離が近くなってるし。
というか密着してるのがデフォルトの状態ってどうなんですか!?」
話している間、ずっと沙月は自分にしなだれかかる様にしている。
自分もより近くにいる安心感と嬉しさで羞恥心より喜びが上回っていた。
「さすが実生ちゃんだなー、ずっと言えない事を言ってしまった」
「……今日くらいは良いんだよ」
「本当に今日だけで済むの……。
ついでに言うけど、沙月ちゃんの顔がひどい事になってるわよ」
「ふぇ……!?」
知ってた。
自分に寄りかかり、時折頭を嬉しそうに動かし、その表情は蕩け切っている。
それもすべて、今日は仕方ない。
「なんて言うんでしょうね。
今まではバカップルとして呆れてたんですが。
ここまでのを身内に見るとさすがに恥ずかしいですね……」
それなら、さっさと帰れ。
と正直に言うわけにもいかず、何を言われてもこうした会話が出来る事すらも幸福だと感じていた。




