53【それぞれの駆け引き】
沙月と学校に行ける。
それだけで心が軽くなったのを自覚した。
問題はまだ何も解決していない。
それでもせめて心持ちだけでも変わってくれればと願わずにはいられなかった。
家から学校までそれまでと同じように手を繋ぎ登校していった。
その手を離したくないと強く思ってしまい、それは教室で離した手が名残惜しく感じてしまう程だった。
教室では美和が沙月の元へ行き、沙月を気遣ってくれた。
こういう時、普段は和雲や海と話をしているが、二人は何やら携帯を操作していた。
不思議には思うが、こういう事もあるだろう。
お昼はもちろん、一緒に食べた。
目の前に沙月がいるのが夢ではないと何度も確認してしまう。
すぐに前のようにはいかなくても、一歩ずつでも取り戻していけたらいい。
例え迷子のように立ち竦んでいても、例え周りに壁があってもその手を必ず見つけるから。
そうして昼休みは過ぎて行った。
もちろん、教室からは一歩も出なかった。
放課後のチャイムが鳴る。
何かがあるとすれば、これからだろう。
沙月は顔を伏せ、こちらから顔を伺うことはできない。
それでも帰る事を促そうとすら思わない。
昨日、約束した通りいつまでも隣に居て沙月が自ら立つまで待つつもりだ。
申し合わせていたわけではない。
それでも和雲と美和、海の三人も同じ様に教室に残っていてくれた。
しばらくして、教室から一人、また一人と人が減っていく。
最後の五人になった時、沙月はこちらを向いて言った。
「優陽くん、これを付けてもらって良いですか」
そう言って差し出されたのは、ホワイトデーの時に渡したネックレスだった。
普段は学校に身に着けていくような物ではないにも関わらず、その上で今着けて欲しいと言われた。
それを断る事は出来ない。
ネックレスを着けてあげると、曲がっていないか正面から確認した。
「うん、やっぱり似合ってるよ」
「優陽くんが選んでくれたものですから」
愛おしそうにペンダントを撫で、沙月は言う。
「一緒に家に帰りましょう」
「うん、帰ろう」
周りを見渡せば、帰る準備はできていたのだろう、三人は静かに見守ってくれていた。
特に会話はなかった。
自分はこれから起こり得る事を考えていた。
相手はきっと怒り心頭だろう。
そしてその怒りはその感情のままに行動するだろう。
事と次第によっては、どんな事でもしよう。
そう胸に誓った。
五人で校門へ向かうと案の定、鳶元閑奈が待っていた。
こちらを確認すると、鬼の形相で目を配り、沙月の姿を確認すると口を弧の字にし、いやらしそうに微笑んだ。
閑奈がこっちに近づくにつれ、ずっと携帯をいじっていた美和が一歩離れた。
それを不思議に思ったが、気にする間もなく相手から声をかけてきた。
「沙月さん、学校に来れたの。
そうしたら、弁当を持ってこないとダメじゃない。
朝比奈先輩も持ってきてくれないとダメじゃないですか?」
沙月には相変わらず高圧的に、建前的には先輩である自分達にはあくまでも丁寧に。
嫌悪感で黙らせたくなる。
「沙月が居るんだ。
持って行くわけがないだろ。
食事を奪っていく鳶に構ってる暇なんてない」
「……そんな見せびらかすようにしているから狙われるんじゃないですか?」
予想外の反撃なのか口元が引き攣っている。
それでも気を取り直し、沙月の方へ向いた。
「朝比奈先輩がそんなだと沙月さんにはペナルティですね。
まずはそのネックレスを渡しなさい。
沙月さんには勿体ないからね?」
「渡さない!」
すぐに沙月は拒絶の意志を示したその視線は閑奈を捕らえ、決して目を逸らさない。
「……生意気になったわね」
不愉快そうに顔を歪め、閑奈は語気を強くする。
「忘れてしまったの、あなたの物は閑奈の物。
それが鳶元家のルールなの」
「そんなルールに私はもう従わない。
何も諦めない。
これは私の物。
何もあなたに奪わせない」
「はぁ、朝比奈先輩ももう閑奈の物なのに往生際が悪いですね」
妄言過ぎて消えて欲しい。
それを聞いた沙月がなんのリアクションもなく、こちらを見る事すらしなかったのは救いだった。
「餌やり係は終わったぞ」
「そんな事を言ってて良いんですか。
誰もいない教室にご飯を持って来ていた事なんて周知の事実なんですよ。
閑奈はそこに呼び出されただけ、そこで何があったかなんて誰も知らない。
後は閑奈が何とまでは言わなくても解るでしょう?
先生達に訴え出たらまずい事になりますよね?」
閑奈は楽しそうに滔々と語った。
「そんな事はさせない。
優陽くんも私が絶対に守る。
あなたの好きにさせない」
「はぁ、口ではなんとでも言えるけど……。
その目は気に入らない!!」
そう言うなり、閑奈は手を翻し沙月の頬を狙った。
パン!!
と小気味いい音が鳴り響く。
沙月は目を瞑り、閑奈は驚きに目を見開いていた。
咄嗟に、自分が手を差し込んだからだ。
手の甲で受け止めたので甲高い音が鳴ってしまった。
閑奈は憎たらしそうに睨みつけてくる。
「鳶元さん、その辺にしてくれないかな?」
そう言って、間に入ってきたのは和雲だった。
「あら、飛江先輩も今更出てきてなんの用なんですか?
関係ない人がしゃしゃり出ないで貰えませんか?」
和雲は静かに言った。
「僕の目の前でやったんだ。
無関係で終わらそうなんて虫が良すぎるね。
それに恫喝もしている、あまつさえ手を出した。
逆に何もしない方が疑われる事だと、認識すべきだね」
閑奈は舌打ちをし、一歩下がった。
「それで何が言いたいんですか?」
「僕達に関わるな」
「はっ、何を言うかと思えば。
閑奈が誰と関わろうが関係ないんじゃないですか?」
笑い飛ばすように言う閑奈に、和雲は冷たい声で答える。
「僕はね、大切な人達の世界が守られるならそれで良い。
朝比奈は親友で琴葉さんも朝比奈の恋人だ。
僕自身とも美和とも友達だ。
そこに無遠慮な関わりを関係ないと見過ごすほど聞き分けが良くないんだ」
「だからどこか行けって言うんですか?
そんなことで、はいそうですか、って言うバカいませんよ?」
閑奈のバカにした発言に、和雲の視線の温度がまた一段と下がった気がした。
「そうか、なら仕方ないね」
「やっと解ってくれましたか?」
和雲は携帯を操作した。
すると音声が流れてきた。
それは、先日の教室で自分と閑奈がやり取りをした会話だった。
「盗聴ですか?
それこそやって良い事と悪い事があるんじゃないんですか?」
「僕と朝比奈は親友なんだよ?
直前まで電話をしていて、うっかり電話が繋がったままになっていて、うっかり録音してしまっていても不思議じゃない。
でもこれは朝比奈が何もしていないというのは動かしがたい事実だね」
「奇妙なうっかりがあったものですね?」
「僕自身もうっかりしすぎたようだね。
そしてうっかりついでに、その教室に携帯を忘れてしまった事があってね。
録音もそのままにしてしまい、確認したら面白い物が入ってたんだ」
そうして、和雲が携帯を操作し音声が再生された。
それは閑奈と誰かが会話している内容だった。
ほぼ一方的に閑奈が話しかけているようだが、内容はひどい物だった。
同じクラスの誰と誰が自分の言う事なら聞いてくれる。
他のクラスの誰と誰を競わせて、自分に気を向けさせている。
閑奈を取り合っていて気持ちが良い。
そんな内容の事を語っていた。
内容がひどすぎて言われている相手を不憫に思うほどだ。
「僕は残念ながらこの名前の人達を知らないんだけど、海は知ってるかい?」
「知ってるも何も、何人かは部活の後輩だぞー」
さすがにこれは閑奈も驚いたようだ。
部活の先輩後輩となれば、その力関係は容易に想像がつく。
音声データまで残っている以上、どうしたって話の信憑性に閑奈は太刀打ちできないだろう。
当人たちにとって入手方法の是非が二の次になるのは明白だ。
そんな閑奈の心情を知ってか知らずか、海は話始める。
「俺さー、実は陸上でエースみたいなんだよなー。
それで良く部活同士の会合にも顔を出せって言われるんだ。
そこで今、一年生達に対してちょっかいを掛けてくる要注意人物が居るってオフレコで言われてるんだよな」
さっきの内容を聞く前なら、部活をまたいで要注意される人物なんて居るのかと疑った事だろう。
けれども今ならそう話されていても納得できる。
「部内だけでも厄介なのに、部活超えて競わせようってんだから、そりゃ警戒もされるよなー。
この音声データ貰ったら、部長も喜びそうだな」
それまでどこか間の抜けた、どこか他人事のように話していた海。
それまでの空気を一変させて、閑奈を初めて見た。
「解らないと思った?」
その視線に閑奈は、後ずさった。
和雲はその先を引き継ぐように。
「もう一度だけ言うよ。
僕達に関わるな」
閑奈の顔が悔しそうに歪んでいる。
「謝罪も何も要らない。
理解できたら、視界から消えるんだ」
和雲の言葉は、有無を言わせなかった。
そして、閑奈は表情を変える事なく踵を返し立ち去って行った。
その背中が見えなくなるまで、誰も何も言わず、見えなくなるのを確認した。
すると隣にいる沙月が崩れ落ちてしまい倒れないように慌てて抱きとめた。
「沙月、大丈夫?」
「あはは、ちょっと駄目そうです」
そういう沙月の手は震え、体に力は入ってなかった。
気を張っていた緊張が解けて腰が抜けてしまったのだろう。
「背負ってあげる」
「え、いや、でも……」
「背負わせて欲しい」
「うん……」
そう言うと美和は持っていた携帯を和雲に渡し、沙月を背負うのを手伝ってくれた。
なんでわざわざ和雲に渡したんだ……?
後で聞いてみよう。
今は、背中の大切な人と家に帰りたかった。
皆にも決して二人ではどうにもならなかったお礼もしたい。
「和雲、美和、海。
家で飯でも食って行かないか」
「いいねー、おれピザ食べたい!」
「今から頼めば、帰りがけに受け取れるんじゃないかな?」
「それいいわね!
わたしどれにしようかな」
三人はたちまちどれにしようあれにしようと会話を弾ませている。
特別な事なんて何もない。
これまでの一幕なんてなんでもない事なんだと言われている気がした。
思わず涙が出そうになるが、ここで涙は似合わない。
「ははは、三人とも何枚頼むつもりだよ」
それだけ言ってゆっくりと歩きだす。
背中からも同じように笑い声が聞こえた。
時折、自分も沙月も声が掠れてしまっていたが、決して笑い声は止まらなかった。
「沙月、帰ろう」
「うんっ!」
弾ける様な返事に、いつもの日常が帰ってきたことを実感した。




