表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/158

37【恋人たちと友達の遊び】

「朝比奈、ちょっと良いかな?」


 学期末考査が終わり、春休み前の短縮授業中。

 今日は沙月とジムに行く約束をしていた放課後のことだった。

 唐突に和雲に呼び止められた。


「どうした?」

「良かったらなんだけど、僕達もボルダリングをやってみたいと思ってるんだけど一緒にやってみても良いかな?」


「良いぞ?」

「あれ、すんなりオッケーだしたね」

「まぁ……、意外に大丈夫みたいだ」


 しばらくの間、クライミングをやっているのを言ってなかった事を言っているのだろう。

 確かに前はやっている事を特に話していなかった。


 それでも話しても良いと思えるようになったのは、沙月のおかげ。

 沙月が受け入れてくれる以上は、堂々としていよう。

 そう思えたからだ。


「それでいつ行く?」

「僕達はいつでも大丈夫だけど、朝比奈が行く時一緒に行ければと思ってるよ」


「なら、今日行くか?」

「わかった。どこに行けば良い?」


 自分からすれば行きなれた場所だが、初めての場所だと入りにくさもあるだろう。


「直接ジムに集合しても良いけど、俺のマンション前に集合するか?そんなに遠くない」

「一旦家の前の方が良いかな。準備して行くよ」


「動きやすい恰好で後は基本手ぶらで大丈夫だぞ。

 もしかしたら軽く羽織るものがあっても良いくらい。

 途中でドリンクは買って行く」


 和雲は分ったと手を上げ離れていく。

 恐らく美和に伝えに行ったのだろう。

 自分も沙月を迎えに行った。



 沙月と合流し、帰る道すがら今日は和雲達が一緒に来ることを伝える。

 マンション前に集合する事も合わせて伝え、いつものように着替え準備をした。


 準備と言っても荷物は、すでにザックに一纏(ひとまと)めにしてあるので着替えれば終わり。

 マンション前に先に出ていると、和雲、美和、海がそれぞれやってきた。


「おれ、やってみたかったんだよなー」

「わたしもよ」

「僕もなんだよね、朝比奈、今日はありがとう」


 そう言って口々にお礼を言ってくれる。

 だが自分にとってはいつも行ってる場所であって、特に何かをしているという自覚はない。


「俺は割と行ってるから、いつでも大丈夫だぞ」


 そんな毎日の事でもありなんでもない事として返事をする。

 実際、週に何回も行くし行くのが普通となっていて、一緒に行きたいと言われればいつでも行く事ができるくらいだった。 


 そんな事を話していると後ろから沙月が来たような気がした。


「おまたせしました」

「今揃った所」


「うん、ありがとうございます」

「歩いてそんなに掛からないから、行こうか」


 自然と先頭を沙月と二人で歩き、後ろを三人がついてくる形になる。

 最初は、この道を自分一人で行き来していた。



 最近は沙月が加わり、ただ進んでいた道に彩が加えられた。

 それだけで心が弾むようだったのを覚えている。


 そして、普段学校で一緒に行動する事が多い三人が今日は居る。

 後ろでは、美和と海がバカな話をしては、和雲がとりなし、わいわいと賑やかだ。

 

 こんな日をいつか笑って思い出として話したいと思い、忘れられない一枚の絵のように心の中でそっとしまった。


「着いたぞ」


 感慨深さを胸に抱けども、いつかは現実に戻される。

 入口を開けて、スタッフに挨拶をし三人が初めてで、沙月は見学という事を説明。

 後ろで、美和が「やらないの?」と聞けば、沙月が肯定している。


「それじゃ初めての方は、こちらの用紙に記入して下さい」


 それぞれがスタッフの案内で必要事項を記入し手続きし、レンタルする靴に関して、それぞれがサイズを合わせていく。


 沙月はストレッチスペースにあるソファにちょこんと座り、いつもの場所に納まっている。

 自分もお決まりの場所で、ストレッチをしながら沙月と話した。


「今日の晩御飯どうしましょうか」

「来るのが早かったから、三人も食べるなら材料的にも何か買って行った方が良いかな?」


「そうですね、スプーンで食べれるものにしましょう」

「あぁ、そうかも」


 クライミングにすっかり慣れてしまったが沙月は最初の頃の苦労を忘れず、配慮がされていた。

 ストレッチが終わり、三人を見れば登り始めるにはもう少し掛かりそうだった。


「少し体動かしてるから、何かあったら教えて」

「うん、がんばって」

 

 最近、二階が課題をリニューアルしたばかりなのでそちらの方がやっていない課題が多いのだが、二階は傾斜が強く初心者を連れて行くには少し辛いだろう。


 一階だからと言って登りたい課題が無いわけではなかったし、割と登れればなんでも良いと思っていた。


 徐々に、徐々に、暖気運転のように、軽い負荷の物から体を慣らしていく。


 なるべく一定のパターンだけに偏らないように色んな動きを色んな課題で試し普段との調子の違いを把握し修正。これをいつも通り繰り返し、体が軽く汗をかくまでやった。

 

 三人の方を見ればどうやら最初の講習が終わったらしく、どれをやってみようかと話していた。

 温めた体を一旦落ちつけるため、沙月の隣に行くと読んでた本を置いて話掛けてきてくれた。


「少し力が入りますか?」

「そうだな、少し見栄っ張りみたい」

「私の時より?」


 じーっと楽しそうに聞いてくる。

 なんて答えてくれるのだろうかと期待に満ちた視線を感じる。


 それはまるで清らかな少女のように純粋に瞳がきらきらと光ってる気がした。

 その純粋でまっすぐな視線から逃げるように顔を逸らす。


 チラリと横目で見れば、少し気落ちしたかのように(まぶた)が気持ち落ちている気がした。

 そんな様子と相まって裾を少し引っ張られれば、勝てそうにない。


「あの時の方が比べ物にならない位、テンションが上がってたし頑張ろうって気になってた」


 沙月にだけ聞こえるくらいの大きさでそう言えば、相好を崩し満更でもない顔をしている。

 さすがに外だからかそれ以上のスキンシップは無かったがこれが家だったら寄りかかられていただろう。


 若干の恥ずかしさを感じ、これでまた更に力が入ってしまいそうだな、と思った。

 汗はひいたが別の意味で体温が下げられず、三人の元に合流しにいった。


「どんな感じだ?」

「誰かさん達のおかげで熱いったらないわ」


 美和の返答は辛辣で開口一番がそれだった。


「美和だって、普段あんなもんだろ」

「さすがにこんな所でやる勇気はないわ……」


「和雲と京江さん、ゲームセンターとかだと大して変わらないからなー。

 知ってる場所か知らない場所かの違いだけじゃねー?」


 要するに知ってる所だったら、自分達とそう変わらないって事だ。


「うるさいわね……」


 最初に言ってきたのは美和だろう。

 と言って()ねられると後々面倒なので、黙っておく。


「朝比奈、あの課題のスタートってどうやると良いんだい?」 

「ん?」

 

 そう言って示されたのは、スタートをする時に足を置くホールドが一つしかなく端に寄った形にあり両足をその上に乗せようとすると体制が崩れてしまう課題だった。


 始めたての人がまず戸惑うような課題の典型だ。

 スメアという技術を使うが、やった事の無い人はまず知らない技術だった。

 スメアは壁に足を押し付けて体を安定させるのだが、そもそも足を壁に付けるという発想がないのだから。


「左足をホールドに乗せて、右足は壁を蹴る」


 取り合えず口頭で言って、やってみせようかと思ったら、和雲が合点がいったのかスタートにとりついた。


 そのフォームはきちんと三角形が作られていて、後ろから見てても安定している。

 足を壁に付ける。

 言うだけなら簡単だが、実際にやるとなると意外に難しいはずなんだけど。


 和雲はその課題をすんなりと登ってしまった。

 下りてきた和雲とグータッチをし「ナイス」とだけ声を掛ける。


 美和は大喜びだ。

 そんなストレートな感情表現は美和の美点だろう。


「和雲くん、凄いね!!」

「朝比奈のアドバイスが的確だったからだよ」

「普通言われただけで、あそこまで出来ないんだけどな」


 やっぱり和雲は、基本的になんでも出来るんだよな。


「よーし、俺もやるぞー」


 休んでいた海が、和雲に触発されたようにして、課題に取りつき「ガンバ」と声を掛け見守る。

 和雲と同じように右足を壁に押し当ててはいるが。


「え、これ意外にきついんだけど……」


 思わずと言った感じで呟いている。

 深く頷きその気持ちは解るぞ、と心のエールを送る。


「右足で蹴って、姿勢を上げて左手で次のホールド。右手は頑張れ」


 全部が解ったわけではないだろう。

 次のホールドへ手を伸ばし、なんとか届かせた。


 その後も、和雲とは違い「あれ、どこだ」と戸惑いながらもゴールする事が出来た。


 下りてきた海にグータッチを交わし「ナイス」と声を掛ける。


「和雲、よくあんなにすんなり登ったな……」

「僕だって、簡単だと思いながら登ったわけじゃなかったよ」


「割とよくある事だな。

 他の人が登ってると簡単そうなのに、いざやってみると難しい」


 本当に良くあることだから、困るんだよな。


「これって朝比奈君が登るとどうなるの?」

「俺? そうだな……」

 

 色々と方法は考えつくが、恐らく課題を作った人が想定しているだろう動きを考える。


 そうして課題に取り付くと、静かに音をさせず丁寧に足や手を交差させたりしながら、登った。

 やろうと思えば、一番下からゴールホールドまでジャンプして取る事もできる。

 ただそれは決して良い見本とは言えないと考えていた。


 ホールドを使って下りて来ると三者三様に驚いていた。


「ちょっとびっくりしちゃったわ。比べたから判るけど結構違うのね」


 だいぶ意外だったみたいで、美和が感嘆したように言う。


「そうだね、安定感なのかな。凄い楽そうに登ってるね」


 和雲からも()められれば悪い気もしない。


「すげーなーおいー」


 海は相変わらずだった。

 逆に安心感すら感じる。


「クライミングしてる時の優陽くんはちょっと違いますよね」


 いつの間にか移動してきていた沙月もいた。

 その様子はどこか誇らしげだ。


「違いあるのか? 俺自身だと分からないからなんとも言えないが……」

「じゃぁ、優陽くん。あの黒い色の課題登ってみて貰っていいですか?」


 意図が分からずに取り合えず言われたのを登る事にした。


 これがあからさまにダイナミックな物ならまだ解るのだが、この課題はきちんと体を上げれば手が届き、足が切れる事もない。

 どちらかというと地味な部類だ。


 すでに登った事のある課題だが、念の為と登り方を確認してから取りつき、登る。

 やっぱり足が切れることもなく、どちらかといえばどっしりと安定をさせて登り切った。

 どうしてこれをやらせたのだろうか。


「登ったけど」

「うんっ、ありがとう」


 沙月はにこにこしていた。

 するとその効果はすぐに出てきた。


 会話を聞いていたかどうかは解らないが、自分が登った課題を他の人もやりだしたのだ。

 するとどうだろう。


 きちんと体を上げる所まで体が上げられずにボテボテと落ち、もしその先までいけたとしても足が切れて落ちたり、姿勢が取れず無理に一手を出して落ちていたりとすぐには完登者が出なかった。


「おれやってみよー」

「僕も触ってみようかな」


 そう言って二人も触りにいく。

 さすがに易しくないため、スタートからの一手で落ちていたが。


「ねぇ、あれってそんなに難しいの?」


 美和の問いかけに自分自身もはっきりとは答えられない。


「さすがに今日始めた人が登れるほど易しくはないけど……。

 今の流行りとはちょっと違う課題かな」

 

 答えになってるようななってないような。

 しかし、沙月が言いたい事はやっぱり解らなかった。


「朝比奈君は、基礎がしっかり出来ているからよ」

「どうも、こんにちは」

「「こんにちは」」


 そう言って話掛けて来てくれたのは、この店スタッフ、瞳さんだ。

 来るといつも沙月と話してくれていて、自分もよく話している。


「朝比奈君は、もうちょっと自信持ってもいいわよ。

 傲慢(ごうまん)さや見栄までいっちゃうとダメだけど、最近のあなたは良い感じよ」

「そうですか、ありがとうございます」


 素直な賛辞と受け取っておく。

 きっとすぐに裏切られるが。


「これも彼女のおかげかもねー」


 真面目な顔をして言っていたかと思うとすぐこれだ。

 相変わらずニヤニヤと言って来る。


 やられっぱなしも(しゃく)だな。


「そうですよ」


 何か文句あります? と心の中で(つな)げ言い放つ。


 この時、自分は前しか見てなかった。


「へぇー、良かったじゃない。

 ところで後ろが大変な事になってるけど、大丈夫なの?」


 後ろで何かあったのだろうかと振り返れば、沙月が顔を真っ赤にし自分の裾を掴んで抗議していた。

 

「そういう事を言ってくれるのは嬉しいけど、だめです」

「朝比奈君、色々と見直したわ」


 瞳さんへの意趣返しのつもりが飛び火したらしい。

 そうして瞳さんのニヤニヤを消す事は失敗に終わった。


 瞳さんが笑いながら仕事に戻り、美和が和雲の隣に行った後も、沙月は頬の赤みをなかなか引く事が出来ず、自分も今更何かを言う事もできずに隣にいた。


 三人が登りつかれたのだろう、ワイワイと戻ってくる。

 すると沙月は、「あーもう」と漏らすようにして言ってきた。


「優陽くんは登り足りないだろうから、いっぱい登ってきてください。

 まずはあの赤い奴からです」


「え、本気で―――――」

「本気です」


 まさかここからいつものトレーニングが始まるとは思っておらず抗議しようにも認められそうにもない。

 三人は三人で何か面白そうだと表情に書いてあるし。


 仕方ないと腹を括る。


 言われたのを登っては次、登っては次と課題を言われていく。

 これが判ってか解らずか、いい塩梅で徐々に厳しくなっていってそれなりに大変な物になっていくから決して気が抜けない。


 両手では足りなくなるくらい登っただろうか、最初のうちは大丈夫だったが後半から厳しく肩で息をする位には体力が消耗していた。


「次最後くらいですか?」

「あぁ……、はぁ……、はぁ、次最後」


 息が切れながらも、それだけ答える。


「それじゃ、あの白いホールドのでお願いします」

「まじか」


 言われたのは、ついこの前やっと出来たばかりで、体力があるから出来たと思えた課題だった。

 それをこの疲れた状態でやれと言うのだから、やっぱり鬼だ。


 息を整えながら、課題の前に立つ。

 この前登ったばかりだから、手順もムーブも解る。

 だからこそ時間を掛けたら登れないと解ってる。


 大きく息を吸い、雑念を吐き出すように息を吐いていく。

 そんな事を数度繰り返し、課題に取りついた。


 スタートからの一手、二手三手と進め、核心部分に迫る。

 決して掴みやすいとは言えない三手目で姿勢を作りながら、四手目に向かって体を間に入れるようにして落ちないように力を入れる。


 はきだされそうになる体を意地と気合で止める。

 周りから「がんば!」と声が聞こえる。

 手が悪いながらも姿勢を作り、また一手と進めゴールに手を掛けて両手で保持をした。


 静かに降りる余裕もなく、落ちるように着地し、しゃがみ込んでしまい少しの間動けなかった。

 はぁはぁぜぇぜぇと息をしながら、なんとかマットの外へと移動する。


「おつかれさまでした」


 そう言って沙月はドリンクを差し出してくれた。

 声を出すことも出来ず、ドリンクを受け取り喉を潤す。


 迎えに来てくれた沙月が、優しそうに微笑んでくれるので頑張って良かったと思える半面、やっぱりやってる事は鬼のような内容だと心の中だけで抗議した。


「いやー、感心しちゃったわよ」

「うん、僕もこんなに凄いと思わなかったよ」

「優陽はやる時はやるんだよなー」


 なんで海がドヤってんだこの野郎。

 疲れて声も出ない。


「朝比奈くん、学校でもその感じだしたら、もてるんじゃない?」


 何言ってるんだこいつは。


「それはダメです!!」


 美和は自分に対して言ったのだろうが、それに真っ先に反応したのは沙月だった。


 全員が沙月の反応にキョトンとしながら、誰ともなしに笑ってしまい、四人とも声を上げて笑ってしまう。

 沙月だけが、咄嗟に言ってしまった事が恥ずかしいのか下を向きながらモジモジしていた。

 そんな彼女が可愛くて仕方がなかった。



「お疲れ様でした」


 自分はへとへとになりジムから帰る事になった。どうしてこうなったと思わなくもないが、楽しい一日だったのを考えれば悪くない、体は若干ぐったりしているが。


「皆さんは夕ご飯はどうされるんですか?」

「家に帰ればあるけどさー、ちょっと腹減りすぎて持ちそうにないからどっかで買い食いしていこうかなー」


「僕もだいぶ疲れてお腹空いてるや」

「わたしもよ」


「良かったら、作りますので食べていきますか?」

「良いの!? やったー。ありがとう琴葉さん!」


 海が全力で喜びを表している。


「朝比奈、お邪魔しても大丈夫かい?」


 そういう和雲に手だけを上げて応えた。


「さすがにあれは疲れたのね。死んでるわね……」


 返事をするのもだるい。


 材料が足りないので、スーパーに寄っていく。

 足りない物を買って来るだけだと言うので、外にでて四人で待っているとなんとか少し回復し、あれやこれやと雑談する事はできた。


 時間としてはそれほど掛からずに、レジに並ぶ沙月を見つけた。


「ちょっと中に行って来る」


 返事を待たずに中に入り会計を済ませた沙月のカゴを運び、荷詰めを先に済ませておく。

 材料を見ると煮込み用の豚肉にジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ。

 最後に見えたのは、カレーのルーだった。


 恐らくあの調子だと本人達は気づいてないが、献立としては正解だろう。


 荷物を持ち、沙月といつも通り手を繋ぎスーパーから出ていくと、三人とも呆れ半分といった表情で見てくる。


「いちいち突っ込むのがバカらしくなってくるわね」

「それなら放っておけ」

「表情を変えずに言えるようなったらね」


 美和に指摘されるまでもない、こうしてさらけ出した事に対して自分でも解る程度には羞恥(しゅうち)の心がまだ残っている。


 それでも手を離すつもりはない。

 半ば意地もあり、そのまま家まで手を離さずに帰った。


 家につくなり沙月は早速とばかりに調理に入る。

 特に海が飢えているようで、崩れたスライムみたいにだらしなくテーブルに突っ伏している。


「ニンジンとジャガイモの皮むきやるよ」

「お願いしますね」


「それ位なら僕もやるよ」

「危ないから休んでて良いぞ」

「和雲くんは、ちゃんと出来るわよ」


 出来ないから言われたと勘違いしたのだろう。


「そうじゃない。

 このグラス、片手でもって見て」


 わからないという風に和雲がグラスを持つと、つるりとグラスを落としそうになる。

 グラスが濡れているわけではないので、普段ならあり得ない事に慌ててグラスを両手で支え、倒さずに済んだ。


「あれだけやれば、当然手も疲れるけど本人が自覚する以上に物が持てなくなるんだ」

「いや、まさかここまでとはね……」


「朝比奈くんは?」

「慣れだな」


 多分、沙月が一緒にやらなかったのもこの辺りへの配慮もあるのだろう。

 見てるのが楽しい部分もあるとは思うが、慣れるまでは料理を作るのに支障が出てしまう。


「という事で休んでて良いよ。

 そこまで俺も出来る事があるわけじゃないし」

「わかった、ありがとう」


 しかしあのままだと手持無沙汰で腹が鳴って仕方ないだろうな。


 そう思いピクルスを用意する。

 用意するといっても沙月が作っておいてくれている物をそれぞれの皿に分けるだけだが。


「沙月はピクルスどうする?」

「ずっと置いておくのも邪魔なので、そっちに行った時、一緒に食べますね」


 それだけ確認し、四人分をテーブルにもっていく。


「海、起きろ」

「もう無理ー」


「ピクルス持ってきてやったから摘まむか?」

「食べる!」


 がばっと音がしそうな勢いで顔を上げる。

 餌を前に「待て」を言われた犬のようだ。


「いただきます」と我先にと海は食べ始め、和雲と美和もそれに続く。

多分、煮込みの時間になったらこっちへ来るだろうと、沙月を待っているとコールスローを追加で作ってくれたみたいだった。


「琴葉さんありがとう」

「沙月ちゃんてやっぱり要領いいわよね。

 慣れてもここまで出来る気がしないわね」


「あふぃがつぉー」

「海、飲み込んでからでいいだろ……」

 

 海がゴクンと飲み込み「ありがとう」と言い直す。

 そんな様子さえも楽しいのか沙月は笑顔で隣に座る。


「沙月、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」


 そうしてピクルスをつつき、コールスローも食べる。

 コールスローにはハムやコーンが入っていて、良い満足感を得たため、空いたお腹を一旦落ち着かせることが出来た。

 もちろん味についても美味しいのは言うに及ばない。


 それぞれが目の前の物を片づけた頃。


「そういえばさ、朝比奈、琴葉さん。良かったね」

「あぁ、和雲には世話になった」


「本当はすぐに言いたかったんだけど、学校だとそれどころじゃなかったからね」

「あの時は助かった。ありがとう」


 改めて言われると気恥ずかしさはあるものの嬉しさの方が勝る。

 素直に感謝の言葉が口をついてでた。


「そういえば、そうね。二人とも良かったわね。

 沙月ちゃんも頑張ったかいあったわね」

「美和さん、相談に乗ってくれてありがとうございました」


 相談って何を相談したのだろうか。


「二人とも良かったな!

 おれも嬉しいぜー!」


「海は変わらないな。それでこそ海だけど」

「おいぃ、どういう意味だ!」


「ははは」と笑い誤魔化す。

 本来なら、もっと気まずくなったり遠慮したりと色々あるはずなのだ。


 なぜなら五人いてカップルが二組なのだから。

 気にするなという方が無理な事だと思うのだが、海は気にした風はなくいつも通りでいてくれる。


 それが何よりも嬉しい。

 

 和雲が珍しく更に言葉を(つむ)ぐ。


「とにかくさ、僕は嬉しかったよ。

 琴葉さんが朝比奈を見つけてくれたことが。


 そして、朝比奈もどんどん変わっていっている。

 そのことが嬉しいんだよ」 


「そう言ってくれるのは有難いが、変わったか?」

「朝比奈君も変わったと思うし、沙月ちゃんも変わったと思うわよ」

「え、私もですか?」


 変わったと言われて首を捻っていると、美和に指摘された沙月も首を捻っている。

 

「二人とも雰囲気が柔らかくなったし、二人ともどこか物怖じしていた所がなくなって堂々と胸を張っているのが判るわよ。


 二人にとっては望ましい変化だと思うけど、気をつけなさいよ」

「気を付けるとは具体的には?」


「下駄箱かしらね」

「今まで縁なかった奴がそこまで変わらないだろう」


 そんなまさかと一笑に伏そうとしたが、なぜか美和と沙月の視線が厳しくなった。


「あのねぇ、今までのうざったらしい髪の毛がどいた事で、表情が見えるようになった。

 いままで丸まってた背中に一本筋が入って背筋が伸びた。


 ボルダリングをやってるからだと思うけど、姿勢を整え続ける事が出来て崩れない。

 おまけに今まで近寄りがたい雰囲気が丸くなった。


 これだけの事があって、評価が変わらないわけないじゃない」

「そういう物なのか?」


「そこは私も美和さんに同意するので、優陽くん気を付けてください。

 だいたい優陽くんは自分に無頓着すぎます」


 沙月にまでそう言われてしまっては、渋々ながらも首肯するしかない。


「沙月ちゃんも親しみやすくなってるから気をつけなさいよね」

「私こそ余り変わってないと思いますけど、未だにクラスの人達ともそんなに上手に話せませんし」


「だ、か、ら。あなた達は似たもの同士かっ!!」


 美和がテーブルをガンガン叩いている。

 叩くなと。


「いずれにしても気を付けた方が良いよって事だよ。

 年度が変われば、新入生も入って僕達はクラス替えがある。

 環境が変わるからね」


 気を付ける云々はともかく、クラス替えについては同じクラスになれると良いなと思ってしまう。


 ちょうどそこでお米が炊ける音がし、カレーを食べ、解散となった。

 クラス云々はともかくきっとまたこうしてご飯を食べる事も変わらず続いていくのだろう。

 そんなまたの機会を離したくないと思い、静かに沙月の手をそっと握ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ