28【高校生のお礼】
翌日、母さんは沙月に「今度遊びに来てね」と言い残し帰って行った。
そして自分は、ポケットの物をどうしようかと迷っていた。
朝起きると、母さんに動物園のチケットを手渡された。
どうしたのかと聞けば、貰ったのだと。
絶対に嘘だろう。
風邪を引いた自分の見舞いに来てくれた。
連絡してから家につくまでの時間を考えればすぐに予定を変更してくれたのは想像に難くない。
そして、何よりも沙月がいる事を知らないのだ。
予め持ってるわけがない。
だとしたらこのチケットはどうしたのかと。
いつ用意したのかすら解らなかった。
渡されたのはペアチケットであったので、言わずとも解るだろうと。
言外に言われている気がする。
これまでだって、二人で出かけたことなんてあるのだから、普通に誘えばいい。
普通に。
そうは思いつつもなぜ誘うのに躊躇があるかは解っている。
はっきりと沙月を女性として意識してしまったから。
以前はあくまでも友人として好意を持っているに過ぎなかった相手が、わざわざ見舞いに来てくれ、触れあい強烈に意識してしまった。
触れあってしまった時の表情は脳裏に焼き付いて忘れることなんて出来そうにもない。
しかしながら、母さんに言った事も嘘ではない。
『今の関係が好ましい』と思っていると。
偽りは無いはずだった。
「優しくて素敵なお母さんですね」
「お節介なだけだろ」
「そんなこと言って、言いつけますよ?」
「やさしかったなー」
くすくすとはにかみながら笑う沙月に意を決して言う。
「お節介ついでに、動物園のチケットを貰ったんだが、良かったら明日辺りにでも行かないか?看病してくれたお礼も兼ねて」
「好きでやった事だから! お礼なんて良いのに!!
でも、せっかくだから。
い、行っても……良いですよ?」
つんと澄ました感じで答えた沙月。
その様子に、上手く言葉を処理する事ができない。
いつもと違う感じがするけど、どうしたのだろう。
いつもなら弾けるように、にこにこと頷いてくれるのに、今日はなんだか。
変だ。
何か無理してるのか。
「あんまり気乗りしてないなら、無理しなくて良いけど……」
「え、あ、いえ。えっと……違うんです……」
「うん?」
沙月は慌てたように訂正したが、その意図が解らず首を傾げる。
沙月は言おうか言わないか迷ってる様子。
未だ決めかねているみたいなので待っていると「はぁ」と一つため息をついた。
「あの、笑わないで貰えますか?」
「笑わない、多分」
「そこで多分を付けないで下さい」
「で、どうしたの?」
「もう」と、一息つき頬を膨らませはするものの、話してくれた。
「美和さんもそうですけど、亜希さんと優陽くんとの会話が羨ましかったんです」
「え?」
美和は友人故の気安さからか、ズバズバ物を言い合っているに過ぎない。
母さんに至っては比較すること自体が論外。
母親なのだから気兼ねすることもない。
むしろこちらが話そうとしてるのが解っているかのように会話が進んでいくため、こちらが閉口してしまう事の方が多い。
沙月との会話は心地よく穏やかな気持ちにさせてくれる。
なんでもないやり取りでさえも、その会話は一番居心地がいい。
確かに決してお互いに口数が多くはなく、会話しない時間もあるがそれも含めて居心地が良かった。
それなのにどうしてそうなったのか。
皆目見当もつかない。
「沢山、色んな所に誘って貰えて、嬉しくて少し子供っぽかったかなって。
あんな風に大人な風に話せたら、もっと上手におしゃべり出来るのかなって思いまして……」
そこで失敗した事に気落ちしたのか、肩を落とし自嘲気味に言った。
「なんか私らしくないかな。とは思ったんですけど、ダメでしたね」
根本的に勘違いをしているのは解った。
どうやって解きほぐそうか。
「俺は、沙月と一緒にいれるのはとても心地良いって思ってるよ。
沙月は会話が無いと辛い?」
「いえ、私も安心できますし、穏やかな気持ちになってますよ」
「それなら良かった。
確かに美和とはバカな会話してるけど、それは和雲や海と同じものだし、母さんに至っては妖怪かと思うくらい、こっちが思ってること考えてることを汲んで言ってくる」
「妖怪なんて言ったら、怒られちゃいますよ」
表現が面白かったのか、くすくすと笑ってくれた。
「昔聞いたことあるんだよ、なんでそんなに解るんだって。
母親をなめんな。とだけ言われた」
「亜希さんは、本当に優陽くんを大切にしてますよね」
「そうだな」
「素直ですね、亜希さんの前でも言ってあげればいいのに」
「さすがにあーして、実家から来てくれたのには感謝してる」
「あまつさえ私にも凄く良くしてくれました」
先日の事を思い出しているのか、楽しそうに相槌を入れてくれる。
その様子に心が温かくなり、言葉を続ける。
「でもそれは、やっぱり母親という話だからかな。
これから先の事は解らないけど、今一緒にいて心地いいと思えるのは、沙月と一緒に居る時だなって思ってるよ」
「…………ありがとうございます」
「これからもっと会話が続いて、途切れず話し続けるようになるかもしれない。
もしくはもっと会話が減ってしまうかもしれない。
けれどそれが、心地良さから自然と変わっていくので良いんじゃないか。
無理して変えようとしなくて良いよ」
そう結論づけて沙月を見ると、顔を下げクッションに顔を埋めている。
「だから、普段のままの沙月で居てくれた方が俺は良いな」
「うん、ありがとうございます。
良く判ったのでそこまででお願いします」
なぜか止められてしまった。
それよりもだ。
「物凄く脱線したけど、明日、動物園行くので良いんだよね?」
「うん、行きます」
クッションに埋もれたまま返事をされた為、いつもの笑顔はお預けだったが声はいつもの調子で返事をしてくれた。
「それで何時くらいに行こうか」
そう聞くと、顔を上げ、怪訝そうな顔でこっちを見ていた。
「……優陽くんの事だから、お昼か夕飯、どちらかは作らないで済ませようと考えてませんか?」
「考えてるけど……」
「はぁ、そんなの気にしなくていいのに……。
さっきお礼って言ってましたよね」
「うん、凄い感謝してる」
「でしたら、私のわがままという事で、お弁当も作るし夕飯も作ります」
「……」
言われた瞬間、少しの間、呆然としてしまった。
今までの沙月は、こういう時は余り主張をしなかった。
よく言えば、相手に合わせていた。
悪く言えば、個が無かった。
他の人の顔色を伺い、誰も怒らせないよう気を張っていた。
水面のさざ波すら立てないように。
逆に主張する時はこちらが深く沈み陽の光すらも見えていない時、水面に引っ張り上げてくれるかのように、沙月の意思を乗せ、まっすぐに言葉にしてくれる。
それはそれで有難い。
それが今回のはどうだろうか。
食事に関してだからかは解らないが、はっきりとこうしたいと言ってきてくれたのだ。
相手を慮ったわけではない。
沙月が沙月らしくあって、こうしたい。
波が起きるかもしれない。波が起きても大丈夫と思ってくれたのかもしれない。
それでもお弁当を作りたいと主張してくれた事が、とても嬉しかった。
「そうしたら、お願い」
「うん、任されましたっ」
作る時間があるだろうから、ある程度遅い方が良いだろうか。
「早めに出て、いっぱい遊びたいです」
考えていたことが解ったわけではないだろうが、そう言われてしまえば答えは決まっている。
「ん、楽しもう」
「うんっ!」
その日はお節の残りを食べ、沙月は早めに家に帰って行った。
なんでも明日のお弁当の仕込みをしておくのだとか。
そこまで気合を入れられては期待も大きくなり楽しみになっていた。
「動物園って初めてきたんですけど、色んなエリアがあるんですね」
そう言って自分たちは、入り口で渡されたパンフレットを見ていた。
一つのパンフレットをお互い覗き込むようにしているため、沙月が近くとても落ち着かない。
いつも毎度思うが、今日も今日とて沙月はとても可愛らしい恰好だ。
動きやすさを考慮したのか、長い髪の毛を横にまとめたお団子のような形。
髪の毛を止める髪飾りはプレゼントした髪飾りを使用してくれている。
アウターもクリスマスで選んだ物。
あの時も似合うと思ったが、こうして実際に着ているのを見るとより一層似合っていた。
そして、偶然だがクリスマスでお互いに贈り合ったマフラーをつけている。
まるでお揃いのようになってしまい、最初は気恥ずかしさもあったが、一緒に歩いていればそれはどこか楽しいものへと変わっていった。
「俺も初めて来たな」
「そうなんですか、初めてのはじめてですね」
実際はこれまではじめてだらけなんだけど。
同じ様に初めてだったのが、嬉しいのかにこにこしていて、自分も同じ様に嬉しい事に変わりはなかった。
「ガイドマップにある通り、順番に見て回ろうか」
「うんっ」
トラにライオンにクマなどを見ては迫力に驚いたり、動物たちが寝ている姿とのギャップを楽しんだ。
鳥などはフラミンゴやペリカンなどのカラフルな鳥を見ては、鮮やかな色に自然の美しさを見て取れる気がした。
さすがにシマウマが目の前で交尾を始めてしまった時は、二人とも赤面し互いの顔を見ることができなかった。
出来た事といえば繋いだ手で他の所へ移動するように促すことだけだった。
「歩き通しだけど、疲れてない?」
「うん、大丈夫です」
そう言ったはいいものの実は自分のお腹が空いてしまっていた。
この事を正直に言うべきか。
迷っているとちょうど良く、動物達の合間だからだろうか、
テーブルが並び、ちょうど食事ができそうだった。
「あそこで食べるのに丁度良さそうですね」
沙月からのあまりにも良いタイミングの問いかけに思わず聞いてみた。
「顔に出てた?」
「いえ、なんとなくそうかなって思ったくらいですけど、違いました?」
「ちょうどお腹が空いてました……」
判られたのが気恥ずかしくて思わず正直に白状してしまった。
ひょっとしたらわかり易いのだろうか。
「遠慮なんてしないでくださいね」
「ん、ありがとう」
ずっと沙月は楽しそうにしてくれているので解り易くても良いとさえ思ってくる。
でも母さんのようになるのは勘弁して欲しいな。
軽く想像しようとするが、まるで想像できなくて苦笑いしか出ない。
自分がおかしな妄想をしている間に沙月がマットをテーブルに敷いてくれサンドイッチを披露してくれた。
サンドイッチとしては定番のハムとチーズやツナなどから、カツサンドやオムレツサンドなど手が掛かりそうなものまであった。
「いつにも増して豪華で美味しそう」
「うん、ちょっと頑張ってみました!」
腰に手を当てエッヘンと胸を張っている。
にっこりと笑う顔は非常に愛らしいのだがポーズをとられるとそっちに意識がいってしまう。
一瞬だけそっちに視線を向けてしまい慌てて視線をあげた。
そんな今の気持ちを自分はなんと言うべきか、名前はまだつけられない。
ウェットティッシュで手を拭くついでに顔を拭き、ついでに熱が引かないかやってみた。
変わるわけはないが。
諦めて顔を上げてみれば、にっこり笑ってはいるもののポーズはやめていたのでなんとか平静さを取り戻せた。
「どうぞめしあがってください」
「ありがとう、いただきます」
まずは定番のハムチーズから食べてみると、舌が驚いた。
普通にハムとチーズが美味しいという話ではない。
どちらかというとパン自体が美味しくて驚き、思わず声に出てしまった。
「なんかパン自体が美味しい」
「この焼き方、いつもと違ってまた美味しいですよね。
ガスで網焼きしてるんです」
「うん、これ美味しい」
確かめるように食べては、美味しいと言ってしまう。
パンが違うからか、ツナも美味しく、カツサンドはわざわざ作ったのだろう、食べ応えがあり夢中になってしまった。
最後にオムレツサンドを食べれば、中はふんわりと卵の風味が口の中いっぱいに広がった。
「とても美味しかった。ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
お腹が満たされ、気が緩んでいたのだろう。
何気なく、誰に言うでもなく呟いた。
「こうしているのも、良いもんだな。
また来たいな」
決して話掛けたわけではない。
本当に、なんの気負いも、なんの含みも無く呟いた言葉。
だからこそ、その言葉は本心であり、その意味をまったく考えていなかった。
沙月は聞こえていたが返事はできなかった。
その言葉が本心である事を理解し意味を考えてしまったから。
そして、意味を考えているのが沙月だけという状況にちょっとだけ頬を膨らませていたが、もちろん優陽はそんな様子に気づかなかった。
ごく自然と手を繋ぎまた辺りを歩いていると実際に動物と触れ合えると言う広場に来た。
触れ合いが出来るのはヤギや羊、ウサギ、ポニーなど。
せっかくだからと色んな動物に餌をあげた。
餌を一匹にあげると他にもどんどんと集まり沙月にも群がられていて、お互い顔を見合わせ、声をあげて笑ってしまった。
ポニーの前に来ると、柵の間から撫でることができた。
人に慣れてるのかこっちに静かに近づいて来る。
なんとなくこっちを見ている気がしたのでゆっくりと手のひらを向け、近づけてみた。
差し出した手にポニーの顔が近づいてきて手と触れ合う。
そのまま顔や首の辺りを優しく撫でていると気持ちいいのか離れようとしなかった。
隣にいる沙月には目もくれずポニーは自分に懐いていた。
「なんというか、ずっとそうですけど、優陽くんは動物に好かれるんですね」
「そうかな、物珍しさで来てるだけじゃないか」
「さすがにそれだったら私にも来ていいじゃないですか」
広場に来ても同じように動物と触っているので気づかなかった。
「私にも来てはくれましたけど、まず最初に来てたのは優陽くんにですよ」
そんな感じだったかな。と首を傾げるが気にしていないため答えは出ない。
そうしてる間もポニーを撫で続け、気づいたら小さな女の子が隣に立っていた。
「怖くない?」
「怖くないよ」
触りたそうに撫でている自分の手をじっと見ているので、位置をずらしてあげようと手を鼻先から少し前においた。
そうすると通じたのかポニーは手を追って丁度少女の前に首が移動してきた。
「手のひらで優しく撫でてあげると嬉しいみたいだよ」
触る時に読んだ注意点を思い出し、教えてあげた。
少女はゆっくりと手をだし、首をゆっくりと撫で始めた。
ポニーはそのまま少女に撫でられ気持ちよさそうにしている。
「お姉ちゃんはお兄ちゃんの彼女さんなの?」
さすが子供、質問が直球だった。
自分は今までの小骨が喉に詰まるような感覚も無くすんなりと答えていた。
「大事な人だよ」
「そうなんだ」
後ろにいるので沙月の表情を伺う事は出来ない。
今はまだそれで良かった。
見てしまえばその先を求めてしまいそうだから。
それでも自分の偽りのない答えだ。
「今日ね、本当は好きな男の子と来るはずだったの。
風邪ひいちゃったんだって、お兄ちゃん達いいなぁ」
「それは残念だったね。
きっと心細いしその男の子も残念がってるだろうからお見舞いに行ってあげたら喜んでくれると思うよ」
「うん、そうする!」
女の子は満足したのか撫でるのをやめて走って行く。
走って行った方を見るとベンチに座っていた女性がいた。
女の子が話しかけ、こちらに一礼されたのでこちらも一礼。
おそらく母親なのだろう。
機嫌を直した娘と仲良く去っていった。
「子供、慣れてるんですね」
意外そうだ。
「慣れてると言われればそうかも。
ジムにキッズスクールもあるから。
自然と接する機会はあるかな」
ポニーも満足したのか離れてしまっていた。
「ところで、お見舞い、嬉しかったんですか?」
沙月が覗き込みながら、楽しげに、口の端をあげながら聞いてきた。
今までならこれで慌ててたんだろうな。
「あぁ、嬉しかったよ」
まっすぐに目を見て言うと沙月は顔を真っ赤にしてしまった。
真っ赤にしている沙月の手を取り、次はどこに行こうかと見渡す。
珍しく何も気負いなくただただ楽しくテンションが高くなっているのを自覚する。
今まで沙月が平穏であれば良いと思っていた。
実は平穏にさせてもらってたのは自分だったのではないかとすら思った。
「なんで急にそんな素直なんですか……」
そう呟いた沙月には特に応えず、どこへともなく歩きだす。
一緒に居られれば、それだけで良いと思った。
するとそんな楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、陽も落ちていった。




