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19【高校生の二人の放課後】

「そういえば、優陽(ゆうと)くん。

 ボルダリングをしているのは知ってますけど、あれはずっと同じのをしているんですか?」


 いつもの食後に、沙月が訪ねてきた。


「同じというか、あの壁にあるホールドは定期的に変わるんだ。


 だから、常に一緒ではないかな。

 ずっと一緒だと飽きちゃうしね。


 変わらない期間はジムそれぞれであまり変えない場所もあるらしい」


「そうなんですね」


「何かあった?」

「いえ、以前一度だけ行った事あるんですけど、また行って見たいと思って」


「あの時からは壁が変わってるから、新しい課題に触れるよ」


 そこまで答えた所で、じーっと沙月に軽く睨まれていた。

 特に思い当たる所はない。


 なんだろうか。


「やっぱりあの時、気づいてたんですね」


 あったわ。


 あくまでも気づいてない振りをしていたのを忘れていた。


「いや、あの時はなんというか……」


 言い訳にならない言い訳を言おうとしていた時、ふっと沙月から力が抜けた。

 力が抜けたかと思ったら、楽し気な笑顔だ。


「別に責めているわけではないですよ。


 ちょっとした悪ふざけです。

 ただ……、あの時にお礼を言いたいな。と思ったのは本当ですよ」


「ぅ……」


「それにスタッフの方と話した時も、知り合いだと思って話し掛けられました。

 基本的にはいつも一人で登ってるって。


 心配されてましたよ。


 優陽くんから他の人に声を掛けてるのはあんまり無いって」


 その指摘に自分は何も反応しなかった。


 何か反応したら、それについての説明をしなければならない気がしたから。


 沙月なら、何も言わず聞いてくれるだろう。

 彼女のように重い事ではない。


 よくある事だ。


 小石に(つまづ)くのと変わらない。

 それでも積極的に何かをする際にはしこりになってしまう、そんな話。


「学校ではボルダリングをしている事を特に話している様子もないですよね。


 一緒に勉強した方達にも特に言ってないのでしょう。

 髪の毛も結んでませんでしたから」


 よく見ている事だ。と関心してしまう。

 

「だから、良かったら一緒にボルダリングを出来ないかなって先に伝えようと思ったんです。

 良いですか?」


「別に一緒に登るのは構わないし歓迎するよ」

「本当ですか、やったっ」


 そう喜ばれると、こちらも一緒に嬉しくなってしまうというもの。

 それにまたやってみたいと思えるくらいに楽しかったのなら、それに付き合うのなんてお安い御用だ。


「明日行くけど、行く?」

「うん!」


 その約束だけで、嬉しそうな顔をしてくれる。

 明日、放課後マンション前で待ち合わせをし、ジムへ行く約束に心が弾むのを感じた。



 いつものように支度をし、いつものようにジムへ行く。

 そんないつもに少し変化が加わった。


 隣を歩く少女は、歩いているだけで人目を引いた。

 その事実を忘れていたわけではない。


 よくドキドキさせられるし、目が離せなくなることも少なくない。

 可愛いと思った事も綺麗だと思った事もある。


 歩く時の視線がまず、沙月に向けられ、自分に向けられる。


 そこにある想いは様々でいちいち気にしてたらやってられないと割り切る事は出来た。


 問題はジムに入ってから。


 さすがにスタッフや大人の人達は、そこまであからさまな視線は向けてこないが同年代は違った。


 見るからに興味津々といった様子にちょっと辟易してくる。


 普段なら、新しく来た人でも楽し気に登っている。


 けれども、この時は少し雰囲気が違った。

 沙月の方をちらちら見ては、課題を登ろうとしている姿が見える。

 

 確かに今日の沙月はいつにも増して可愛らしく見えた。

 髪の毛を後ろでまとめ、露わになった首筋は特別意識しなくても色香のような物を感じてしまう。

 

 うっかり直視してしまえば心臓が落ち着かない。


 Tシャツにパンツという簡素な出で立ちにも関わらず、変わらず可愛らしい。

 こちらに向けて柔らかく微笑まれれば、思わず赤面しそうになる。


 落ち着け、落ち着け。と自分に暗示を掛けるかのようにいつも通りの作業へと入っていく。

 運動する準備ができ、せっかくだから一緒にやろうと隣に行った。


 いまさら視線を気にしても仕方ない。


「準備できたら、やろうか。俺も同じのやるから」

「うん」


 そうして簡単な課題をいくつかこなしていく。

 一番簡単な物なので、はしごを登る要領でやれば出来る。


 それを沙月は一手一手確かめながら登っていく。


 危なっかしい場面はなく、丁寧にやっていたので付きっ切りでいる必要もなさそうだ。

 

「俺は近くの壁だけど別のやるから無理しないで」


 そう断ると難易度を徐々に上げる。

 そして登りながら自分の状態を確認していく。


 どうやら今日はいつもより力が入っているみたいで少し動きが硬い。

 登って下りてきた後の呼吸がいつもより荒い。


 そんな自分自身の状態に頭を捻った。


 理由はなんだ?

 硬さが抜けるまで無理しなくていいか。


 そう決めると気になってしまうのは沙月の方。


「どんな感じ?」

「あれが出来なくて」


 そうして指差すのは、スラブの優しめの課題。

 いかにもボルダーの初心者の入り口と言えるような課題だった。


「どこまでいけた?」

「あのホールドに手が掛かりそうで掛からなくて」


「多分、上からだと他のホールドで見えないけど、あそこに左足を上げると届くと思うよ」

「うん、やってみます」

 

 そう言って沙月は挑戦した。

 詰まっている所まではすんなりといき、足元を確認している。


 さっきと同じように届かない体制になってしまった。

 ぐーっと手を伸ばすが届かない。


 そうして、足を上げると言ったのを思い出した様子。

 冷静に左足を上げて再度手を伸ばすと、ホールドに手が掛かった。


 そうして、体をぐいっと引き上げるとその先にあるゴールホールドをとる事が出来た。


「ナイス」と下りてくる沙月に声を掛け、手をグーにして突き出した。


 微かに紅潮した頬を傾げている。


(こぶし)だして軽く当てて」


 良く判らないという表情をしながら、グーを出したのでタッチする。


「ハイタッチの変わりみたいな感じかな」 

「そうなんですか、楽しいですね」


「そうだね、他ではあんまりしないと思う。

 けどクライミングでは良くこうやってるし、良い所だと思う」

 

 気に入ったのか沙月は他の課題に取り掛かり、四苦八苦しながらも登っている。


 登れたらグータッチ。

 それを繰り返した。


 最初にやってしまい求められたからには返さないわけにはいかない。

 沙月にグーを出されるので大人しくグーで返す。


 そのたびに距離が近づき紅潮した顔で見上げられてしまい、ドキドキと気持ちが高鳴りっぱなしになってしまうのは困りものだった。


「私、ちょっと休んできますね」


 軽く手を上げて返事をする。


 普段やってない人があのペースでやれば、すぐに疲れてしまうだろう。


 しばらく休憩するだろうから一本何かに集中しようかな。


 前に宿題になっていた課題をやろうと壁の前に立つと同じスクール仲間が話し掛けてきた。

 少し心がざわつくが幸いにもそれだけだった。


「おい、どうした可愛らしい彼女を連れて」

「ただ来たいって言ったから、一緒に来ただけで彼女じゃないぞ」


「ふーん」

「なんだよ」


「いや、別に……。ただの友達なんだ?」

「……あぁ、そうだな」


 これだけお世話になっているにも関わらず、ただの友達。

 そう表現してしまっていいのかわからず小さな声で曖昧に返事をした。

 

「ま、お前がそう言うならそれで良いさ。これやるんだろ? 一緒にやろうぜ」

「ん、あのコーディネーションがやっぱ止まんないわ」


 やろうとしてる課題はジムにある課題でも難しい部類。

 コーディネーションという手や足を次々に動かしていかないといけない課題だった。


 勢いを付けて飛び出し、一手二手とホールド目掛けて手を動かし三手目で、体を止める。

 これがなかなかできず、どうしても落ちてしまう。


 どうすれば出来るかとホールドをじっと見つめる。


「俺も三手目が止まったり止まんなかったり、その後もやばい」

「やっぱりコーディネーション出来たら終わるものじゃないか」

 

 とはいえ、コーディネーションが止まらないと始まらないのも確か。

 飛んで落ちて飛んでは落ちてを繰り返していく。


 両手で数えるほど飛んだだろうか。


 良い感じに体が入り止まりそうな感触を残しながら落ちた。


 手ごたえを感じながら、トライを重ねるとついにコーディネーションが止まった!


「ナイス!」と声を掛けられる。

 次に進んだことでテンションが上がった。

 

 上がったテンションのまま進むと痛い目を見た事を思い出す。

 冷静に、冷静に、と念じながら先のホールドを見つめる。


 仲間が落ちていた箇所を慎重に進めて、落ちそうになるのを必死に耐えた。


 あとはゴールに飛びつき完登。


 うしっ、と軽く拳を握り周りと拳を合わせていく。


 いつの間にか色んな人に見られていたようで少し照れくさい。

 沙月もこちらを見ていて、目を輝かせていた。


 しばらく放っておいてしまった。

 申し訳なさ混じりに声を掛けに戻る。


 隣にスタッフがいるので独りじゃなかったのは幸いだった。


「悪い、退屈だったでしょ」

「そんな事ないですよ。見てるのも面白いです」

「良くあの課題とったねー」


 そう声を掛けてくれたスタッフは、古株の女性スタッフだ。

 課題づくりにも関わっている人で、とてもお世話になっている。


 今でこそ自分も登れる課題が増えてきたが、来始めたばかりの頃は自分が登れない課題をこの人はどんどん登っていた。


「やっぱ彼女がいる目の前で頑張っちゃった?」


 ニヤニヤとこういう事を言って来る辺り、頭が上がらない。

 一体、二人で何を話していたんだ。


「……友人です」


 さっきしたばかりの会話に答えが出せてないままだったのが頭を過り思わず言ってしまった。


 間違ってはいない……だけどしっくりこない。


 それに対して、色々言い訳をしようにも目の前に沙月が居る。

 目の前でどう言い訳するのだ。


 言葉には出来ず、口をもごもご動かした。


「そうですね……、友人ですね……」


 言いながら沙月は口を尖らせている。

 同時に何かを決意した目がこっちをじっと見つめてきた。


「私もまた登りたいので、教えてください」

「あ、あぁ、うん」

「沙月ちゃん、頑張ってー」


 頑張って?

 何に? 普通に聞けば登ることにだけど。

 本当にそれだけ?


 沙月に引っ張られるようにして、壁に戻る。


 時には同じ課題を登ったり。

 難しい課題をやったり。


 久しぶりに忘れていた感覚を思い出していた。

 クライミングは楽しい、と。


「「おつかれさまでした」」


 ジムを出る頃には、すでに陽が落ちてしまっていた。


 師走に入って間もないのだから、陽が落ちるのが早い。

 暗い道を歩き始めるとすぐに沙月の様子がおかしかった。


 歩き方がいつもと違う気がする。慎重に歩いてる。というか静かに丁寧に歩いてるのか。


「足、痛めた?」

「え?」

「歩き方が変な気がする」


 本人は隠していたつもりだったのだろう。

 バレてしまった事が恥ずかしいのか、おずおずと頷いた。


「ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったみたいで、すいません」


 (しお)れる様に謝る沙月に心が落ちつかない。


 クライミングシューズは、普段履いてる靴とは違い足を締め付けるほど小さな靴を履く。

 登った後に足が痛い事があるのは、初心者ではよくある事だ。


 決して気にする事じゃない。


「歩ける?」

「ゆっくりとなら、気にせず帰って大丈夫ですよ」


「……置いて行くわけないだろ。

 仕方ないから、変な所は触らないからどうぞ」


 沙月の前にしゃがみ、背中を差し出す。


 きっと申し訳なさで一杯なのだろう。

 迷惑を掛けていると思っているのだろう。


「クライミングやった最初なんかは、良くある事だから気にしない。

 これでも楽しかったんだ。久々に。

 だからこの位わけないよ」


「でも疲れてますよね」


「そりゃー、疲れてないと言ったらウソになるけど。

 それよりも感謝してるしお礼だと思って背負わせて」


 引き下がる気がないのを察したのだろう。


「小さく失礼します」と声が聞こえたかと思ったら心地よい重さが乗ってきた。

 しっかり捕まったのを確認し支えながら立ち上がる。


 いざおんぶをしてみるとやはりというかやっぱりというか軽かった。


 以前にも抱えているので解っていた事。

 しかしそんな感想もすぐに吹き飛んだ。


 少し考えればわかる事。


 抱えている時とは密着度が段違い。

 抱えると視線には困ったが、感触がダイレクトに伝えて来るものが比でなかった。


 どことは言えないが。


 支えている部分も悪いとは思いつつ手のひらでは触らないように気をつけ、ゆっくりと歩き出す。


「あの、重いですよね。

 ごめんなさい」


「いや、重くないよ。むしろ軽いくらい。

 その……こっちこそ密着させるようなのを、ごめん」


 返事はなかったが、空いている手で服を摘まれる。

 服が引っ張られる感覚と背中の感触を追い出すように声を掛けた。


「そういえば二回目はどうだった?」

「とても楽しかったですよ」


「そっか。良かったよ」

「でも皆さん凄いなって思って見てました」


「あぁ、皆凄いよな」

「優陽くんも凄かったですよ?」

「俺のは単に長くやってるだけだよ」


「私、運動全然できないんですよね」

「クライミングは運動神経があんまり関係ないとは言われてるね」


「みたいですね。

 だからもしかしたらって思ったんですけど」


「楽しめば良いと思うよ」

「そうですね。

 でも動けなくなってしまうのは困ってしまいますね」


「最初はね」

「優陽くんも最初は、動けなくなりましたか?」


「子供の頃だったから大丈夫だったかな。

 ジムにいる子供を見て、体力凄いなって思うよ」

「……なんで急にお年寄り臭い事を言ってるんですか」


 世中越しの会話は気持ちよく、疲れなんか吹き飛ぶようだ。

 やがて緊張がとれたのか沙月の体から力が抜けはじめた。


 てくてくと歩みを進める。


 背負っている重さが苦にならず、歩き進めているとマンションが見えてきた。 

 けれど沙月は大人しかった。


 おとなし……過ぎないか?

 頭を肩に乗せ、綺麗な長い髪の毛がカーテンの様に垂れ下がり。

 

 寝てる……?


「沙月……?」


 小声で呼んでみても反応はない。

 あと数分もすればマンションに付き、家へ送り届ける事が出来る。


 しかし問題があった。

 自分は沙月の家を知らない。


 沙月はいつも来る側だ。

 知られるのに抵抗があるかもと思い敢えて聞いてこなかった。


 良いのか悪いのか。


 このまま起きなかったら、とれる選択肢は一つしかない。


 前にもこんな事があったな。と懐かしさを覚えても現状をどうにか出来るわけではない。

 

 このまま無理に起こすのも忍びないしな。

 足の具合も見ないといけないしな。


 仕方ないよな。

 そう仕方ない。


 例え足が圧迫されてて痛いだけと思っていても、内出血とかの可能性も……あんまりないな。


 どのように考えても、世間的には起こす事が正しい。

 それはもう正しい。


 自分だって他の人にどうしたら良いか聞かれたら、起こせば良いだろ。と答えるだろう。


 ただこの安心されている事に救われているのも事実。

 この穏やかな空気を壊したくない。


 それが本心だった。


 これで怒られたら素直に謝ろう。

 そう心に決め、また自分のベッドで静かに寝かせようと腹を括った。


 余談だが、沙月が美和に何か相談している様子の寝言が聞こえてきた。

 むにゃむにゃ言ってて内容までは聞こえなかったが、鈍いとかなんとか。


 翌日は当然の事ながら、顔を真っ赤にし羞恥(しゅうち)にまみれた顔で挨拶をされた。


 鈍いってなんの事か聞きたかったが、余りにも恥ずかしそうにしているので、それ以上聞く事が(はばか)られ、聞けなかった。


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