17【高校生の変化】
あれ以来、沙月は毎日の様に食事を作りにきてくれていた。
そこまで甘えて良いのかと一度訪ねた事があるが、気にしないで欲しいの一点張り。
ついつい甘えてしまう。
さすがにこのまま何もしないのも申し訳ないので、何かないものかと。
「沙月、何かして欲しい事とか欲しい物はない?」
いくら頭を捻っても、良い考えが思い浮かばなかったので直接聞いてみた。
「急にどうしたんですか?」
「毎日とてもありがたいのでお礼がしたいです」
「なんですかその言い方」
畏まった言い方をしたらくすくすと笑われてしまった。
決して嫌な感情を与えない、柔らかく朗らかでいつまでも見ていたい。
そう思わせる笑みだ。
「でも正直な所、気にしなくて良いと言われても、何か返させて欲しい」
「なんでもですか?」
「……俺に出来ることなら」
「一つだけですか?」
「ど、どんとこい……」
「そうしたら、ずっと言うことを聞いてくれるお願いとか」
「お願いのお願いって……。
しかもハードル上がってるし」
「私、わがままみたいですよ?」
「沙月はもう少しわがままになっても良いとは思うけど」
「冗談なのに……何言ってるんですかっ。
からかわないでください」
「からかってないけど」
今まで自由の利かない生活が長かったからか、沙月自身のために何かやりたいと言いだす事はなかったように思う。
時折見える好奇心のままに、多少我儘になっても許されるんじゃないか。
自分の返事に沙月は頬を赤らめ、コホンと咳一つ。
今までのは無かった事にしたいようだ。
「本当に気にしなくて良いんですけど、そこまで言うんでしたら……。
どこか連れて行ってください」
どこ? と、ここで聞ければどれだけ良かったか。
期待に満ちた視線を真っ直ぐに、まるで穢れを知らない純粋な瞳で見られては、こちらで考えるしかなかった。
「少し時間を下さい……」
「うん!」
時間を貰ったはいいものの、正直途方に暮れていた。
これまでなら和雲に聞くという事も出来た。
だけど今回に関しては聞こうとは思わなかった。
それを聞いて決めるのは違うと思ったから。
聞いたら聞いたで色々バレてしまうのではないかという懸念も大いにあったが。
あれ、なんでバレるバレないになってるんだ。
そもそもこれはいわゆるデートなのか?
いやいやこれはただの感謝の気持ちだ。
「優陽くん」
うだうだ考えていたら隣に座った沙月から呼ばれていた。
袖も引っ張られていたが。
「行く場所、リクエストしても良いですか?」
「どこ?」
「……笑わないでくださいよ?」
コクコクと頷きながら思う。
こっちが言い出した手前、場所をどうするか迷ってた所のリクエストなのだ。
有難い事この上ない。
情けなさもあるが。
言うのに躊躇があるのか、微かな逡巡を見せていた。
そんな中、沙月の表情は郷愁なのか哀愁なのか……。
その表情を見ていると胸が締め付けられた。
「遊園地……」
「……次の休日にでも行こうか」
「うん!」
場所を聞いた時、返事は迷わなかった。
恐らくこれも行きたくても行けなかったのだろう。
周りの子供たちが話してる中、憧れと共に話しを聞く事しかできなかったこと。
ただ行きたいと言う事もできず、胸の内に仕舞い、我慢し続けてきたこと。
それを一緒に行きたいと言ってくれた。
とても喜ばしい事だし、楽しい時間を過ごさせてあげたいと純粋に思った。
「私、お弁当作りますね」
「楽しみにしてる」
両の手でこぶしを作り、気合は十分のようだ。
普段のお礼なんだけどな。と思いはしたがこう作る気まんまんでは止める事は出来なかった。
遊園地に行く当日、気持ちよく晴れていた。
まるで今日は思いっきり遊んでこいと言われているようで、それだけで気持ちが良い。
前と同じようにマンション前で待ち合わせている。
時間にはまだ早い。
それでも玄関を潜り待ち合わせ場所に向かった。
なぜなら前の待ち合わせの時、沙月が来るのはだいぶ早かった。
けれども、さすがにこの時間なら先に待てるだろう。
家の扉を開けると、待ち合わせ場所まで遠いわけでもないのに、なぜか緊張しているのを自覚しながら歩を進めた。
辺りを見回し沙月がいない事にほっと胸を撫でおろした時。
「おはようございますっ」
後ろから声を掛けられた。
驚きと共に後ろを振り向くと、いつもより一層可愛くおしゃれをしている沙月が居た。
その光景に思わず目を細めてしまった。
今日は、長い髪の毛を編み込み、後ろで束ねている。
いつもとは随分違う印象を与えるが落ち着いた雰囲気に良く似合っていた。
着ているロングコートはチェックの柄が入っていて、より一層可愛らしく見え似合っている。
化粧は薄くであるがしているみたいでとても可愛らしかった。
「おはよう」
「私も早く来たつもりだったけど、先越されちゃいました」
「いや、俺も本当に今着いたばっかだから」
「ちょうど一緒だったんですね」
一緒だった事が嬉しいのか、沙月ははしゃいでるようにも見える。
「髪の毛の編み込みとか、とても似合ってると思うよ」
「……うん、ありがとう」
言うなりお互い視線を交わす事が出来なくなる。
そんな空気を振り払うように。
「荷物、貸して」
「うん、ありがとうっ」
気恥ずかしさから荷物を受け取り。
歩き出す。
すると沙月が後から駆けて来て袖を遠慮がちに掴んできた。
「その、優陽くんも、格好良いですよ……」
そう囁くように言われ、自分の顔が赤くなっているのがわかった。
遊園地につくと沙月のはしゃぎっぷりは凄かった。
あれ乗りましょう。
次はこれに乗ってみたいです。
まるでいままで出来なかったことを全部やってみたい。
そう主張するかのようにぐいぐいと手を引っ張られていた。
最初は袖を摑まれていただけだった。
次第に混雑していくなかで沙月の手が下がり、自然と手が重なってしまった。
決して他意はない。
それに故意ではない、きっと。
遊具に乗る為に手を離せば降りると手を繋ぎ。
何か飲み物をと離せば、また手を繋ぐ。
手を繋ぐ、ただそれだけでどうして胸が高鳴るのか。
そこにいるという確かな存在を感じる。
体温が伝わり、ふにふにと柔らかな感触を伝えてくる。
それは心地良さからくる高鳴りなのだろうか。
はじめのうちは気恥ずかしかった。
それでも、沙月のはしゃぎっぷりから気にする必要はない。
まるで気にしているのが自分だけという状況。
いつの間にか沙月につられるように笑っていた。
心残りがあるとすればゴツゴツと皮が硬くなり決して綺麗ではない自分の手だ。
申し訳なさは消えなかった。
せめてクライミング後にクリームを塗ろう。
手を取られ引っ張られるままに遊んでいるとお腹がぐーっと鳴ってしまった。
「お昼ごはん、食べましょう」
「悪い、沙月がまだ何か乗りたいなら」
「いえ、私もお腹空いちゃいましたので」
はにかみながら言われてしまい、思わずにいられなかった。
可愛いな。
「あそこで食べられそうですよ」
指差したのは、一面の芝生だった。
そこそこの広さがあり、綺麗に整備された芝生は風に揺れている。
このまま寝ころんだらとても気持ちよさそうだ。
まだ昼食の時間には少し早い為か、そこまで人はいない。
十分なスペースが確保できそうだった。
「ん、あそこにしよう」
レジャーシートを広げて二人分のスペースを確保すると、沙月が食べる準備をしてくれた。
弁当の中身は、色とりどりのおにぎり。
様々な混ぜご飯が、綺麗な三角形をしている。
目で楽しむとはまさにこの事か。
その見事さに思わず感嘆の声がでていた。
もちろん、その隣には定番の唐揚げ、漬物、卵焼きが添えられていた。
「凄い、美味しそうだ」
「遠慮なくめしあがってください」
「お言葉に甘えて、いただきます」
おにぎりを口にすると、ちょうどよくお米がほどけるように広がっていく。
握り具合が良くお米が潰れている事はない。
一個目を食べ、二個目に手を伸ばした時。
んぅ、と喉を詰まらせてしまった。
沙月がすかさずお茶を渡してくれて。
流し込む。
「焦りすぎです」
「美味しくてつい」
情けない姿を見せてしまったが、沙月が笑っているので結果オーライだろう。
唐揚げはもちろん美味しい。
漬物はどこで買った物なのかまた食べたいと思う素朴な味。
最後に楽しみにしていた卵焼きをもぐもぐ。
食事を終えた。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
弁当を片づけた後、しばらく動く気になれず沙月から受け取ったお茶を手にぼーっとしていた。
ゆっくりと時間が流れた。
このまま止まっていて欲しいと思えるほどの安らぎ。
風が吹き、ゆっくりと髪の毛を撫でていく。
互いに何か言葉を発するわけでもなく、ただただ穏やかに。
周囲の喧騒も気にならず、あるのは隣に少女がいるという事だけ。
心はからっぽ。
何も頭をよぎらず。
ただただそこに座っていた。
くしゅんっ。
そんな中、ひとつのくしゃみが隣から聞こえた。
意識が現実に戻され、無心だった事を恥じた。
「ごめん、大丈夫?」
「いえ、こちらこそすいません。
なんだか気持ちよくて」
「そっか。
でもこのままここに居て冷えるのは良くないから、移動しよう。
まだ乗りたい物、あるんでしょ?」
「うん!」
シートを片付け、移動の準備が終わり、自然と手を繋いだ。
心が弾むのに任せ、次の遊具を目指した。
「すっかり陽が落ちてきてしまいましたね」
「そうだね……」
どうやら沙月の体力を甘く見ていたようだ。
乗りたい物が尽きなかった。
なぜか普段から運動しているはずの自分が先にバテ始めてしまったほどだ。
決して運動をしていないわけではない。
むしろ定期的に運動しているはずなのに。
もっとスタミナ面でもトレーニングを取り入れるべきか、まじめに考えてしまう。
「最後に乗りたいのがあるんですけど、良いですか……」
「もちろん」
そう言って来たのは、メリーゴーランド。
今まで繋いでいた手が離れ、少女は一人で乗りに行った。
自分は柵の近くに立つ。
少女は遊具を優しく触っている。
懐かしむように。
優しく。
ゆっくりと馬に乗り、動くのを待っている。
やがて動き出し、止まるまで、少女は遠くを見つめていた。
これまでの様にはしゃいではない。
ただただ座っている。
視線は遠くを見つめ、ここではないどこかを見ているようだった。
何を思い、何を感じているのか。
それは沙月にしか解らない事。
表情に陰りが見えないのは救いだった。
やがて遊具の動きが止まり、ゆっくりとこちらへ向かってくる姿から、目を離す事が出来ない。
「ありがとうございましたっ!」
「楽しかったな」
「うんっ!」
最後に、いつもの笑顔を向けられ、それだけで今日の疲れがとれるようだった。




