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14【高校生の事情】

 『すいません、今日お弁当の用意ができませんでした』


 そんなメッセージを琴葉(ことは)から受け取り『気にしないで』と返事した。

 

 何か用事でもあるのだろうと特に気にすることもなく、いつもの通りジムへ向かう。


 ジムでは変わらず好調が続き、一日の締めとしては満足のいく成果もあった。


 鼻歌でも歌い出しそうな帰り道、今日はプロテインで済ます事を思い出す。


 琴葉はどうしたのだろうか。


 そんな事を思った矢先。

 公園でベンチに座っている琴葉を見つけた。


 思わず自転車を止め、本当に琴葉かと見直す。

 そこにいた少女はこれまで会っていた彼女とは雰囲気がまるで違っていた。


 ベンチに座り、下を向き、感情を感じさせない表情。

 いつもはキラキラと美しい髪の毛は力なく垂れ下がり、顔に影を落としている。


 途方に暮れ、今にも泣き出しそうな空気に自分は落ち着きを失っていた。


 どうしたら彼女がここまで傷つけられるのか。


 どうしようもなく感情をかき乱された。

 心がざわつき居ても立っても居られず、琴葉の方ヘ近づいていった。


「どうかしたのか……」


 声を掛けられたのを警戒するかのようにゆっくりと顔を上げた。


 きっと声を掛けられたのが初めてではないのだろう。

 拒絶の意思を持った瞳は、雄弁に語りかけてきた。


 構うな。


 それでも声を掛けてきたのが誰か認識したのか少しだけ和らいだ気がした。

 

「放っておいて下さい」


 出てきた言葉は拒絶だったが。


 放っておいてください。


 この言葉をそのまま実行出来るほど自分は琴葉との仲をドライに感じていない。


 かといってこのまま無理に連れ帰るほど強引に出ようとは思わなかった。


 出来る事を考えても何も浮かばずそっと隣に座った。


 明日は休日だし、問題ないだろう。

 ここに居続けるのは問題だと言われたらそれもそうなんだが。


 自分に琴葉をこのままにして帰るという選択肢は無かった。


「どうして座るんですか」

「座りたいから」


「別の所も空いてるじゃないですか」

「座るの自体はどこだっていいよ」


「それなら……ここじゃなくたっていいじゃないですか」

「そうだな」

「なんで……」


 尻すぼみに小さくなっていき、最後は呟くようになっていった。


 周囲の喧騒(けんそう)もなく、街灯だけが光るっている。

 そんな心もとない光の中、琴葉の暗く沈んだ表情からは何を考えているのか伺うことはできなかった。


 それでもずっとここに居るわけにはいかない。

 自分に出来る事は。


「コーヒー、一緒に飲まないか」

「……うん」


 琴葉のペースに合わせ立ち上がった後も、特に先を(うなが)さなかった。

 歩きだしに合わせて歩を進めると、袖が引っ張られる感覚。


 琴葉が袖を握り俯き、ゆっくりとした歩みで家へと歩を進める。

 決して掴んだ袖が離れないように。


 家につき、琴葉をソファに座らせ、着の身着のままコーヒーを用意した。

 用意している間も琴葉は下を向いたまま。


 コーヒーを持って隣に座ると、さきほどまでと同様に袖を掴み、何も言わなかった。


 それはまるで迷子のようで。

 今にも泣き出しそうなのを必死で我慢しているかのようで。


 振り払う事はできない。


 時計の針がチクタクと刻む音だけが鳴り、数度長細い針が回った頃。


 大きくため息をついた後、小さな声で呟くように話し始めた。


「…………ごくごくありふれた、なんでもない話なんですが、聞いて貰っても良いですか」

「うん」


「私、実の両親がいないんです。

 私が、小さい時、交通事故で亡くなってしまいました」


 確かに良く聞く話ではあった。

 それでもそれは物語やニュースの中だけで、実際にそういう人に会った事はなかった。


 幸いにも自分は両親が健在だ。

 どう反応していいか分からない。


「家で留守番するように言われて、待っていたら警察から連絡があって。

 幼かった私はその事を理解するのに時間が掛かりました。


 その直後の事は良く覚えてませんが、お葬式が終わって親戚が集まっていた時の事です」


 突然のショックからだろう。

 確かに生活してたはずが、上手く思い出せない。

 仕方ないのないことだ。


「大人たちが困り顔で話をしているのは、私の引き取り先でした。

 両親に親戚は少なく、祖父母は他界していました。


 誰も進んで引きとろうとはせず、結局母方の叔父が引き取る事になりました」


 引き取り先があっただけでも良かったと思えばいいのだろうか。

 だからと言って、実の両親が亡くなった傷を埋める事はできないだろう。


「それも仕方なくだったそうです」


 仕方なく。

 それでも大切にされたならば。


 心のどこかでは解っていた。

 琴葉の様子や話し方、それらか大切にされていないだろうと。


「そこでの生活は私にとって幸せではありませんでした」


 その言葉に息を呑んだ。

 ついさっき良かったと思った自分を殴ってやりたかった。


「叔父は良い人でしたが忙しく余り家にはいませんでした。

 叔母は私を疎ましく思っていたのでしょうね。


 家事の一切をやらされました。

 家においてやるだけ有り難く思えと」


 実の両親を無くした子供になんて事を。

 血も涙もないのか。

 

 琴葉は感情の籠らない声で、事実を述べるように先を続けた。


「料理もその時必死になって覚えたんです。


 だから友達と遊んだこともないんです。

 学校が終わったらすぐ帰らないといけませんでしたから。


 私に出来たのは、言われた通りに家事をこなし、叔母の怒りを買わない事だけでした」


 これまで不思議に思った事に合点がいった。

 折に触れ、家族の事で影が落ちた事が度々あったことに。


「料理がきちんと作れれば、その事で怒られることもありませんでした。

 手抜きだなんだと言われる事もありましたので、尚更です。


 幸いと言って良いのかわかりませんが、殴られることはありませんでした。

 痕が付くのを嫌がったのですかね」


 そんな大人の浅ましさに反吐がでそうだ。


 だからと言って、殴られてた方が良いと言うわけでは決してないが。

 それでも虫唾が走る思いだ。

 

「そして叔父の家には私よりも幼い娘がもともと居ました。


 その娘は母親が何も言わないからと、私に好き勝手振る舞いました」


 親が親なら子も子か。

 毒づきたくなるのを必死で堪えた。


「私の持ち物は、その娘のものという認識だったのでしょうね。

 常に物がなくなり着るものがなく学校を休む事も度々でした」


 そこまでを一息に淡々と語る琴葉は、感情を殺すかのように事実だけを述べているようだった。


 まずは話を聞こうと。

 琴葉が話してくれているのだ。

 そう思い、胸が張り裂けそうになりながらも聞いた。


 口を噛みしめ、堪えながら。

 今にも物に当たり散らしそうになっていた。


 出来るなら、今すぐ乗り込んで文句を言ってやりたい。

 これまでしてきたことを後悔させたい。


 琴葉に謝れと怒鳴ってやりたい。

 そう思わせるには十分な内容だった。


「幸いというか料理を作る事は嫌ではありませんでした。

 勉強もそうですけど、その間は作業をしてれば良いだけでしたから」


 それだって、進んでやっていたわけではないだろう。

 都合よく使われてるだけじゃないのか。


「もっともその食事も彼らにとっては都合のいい事の一つだったのでしょうね……。

 『いただきます』も『ごちそうさま』も言われた事はありません。


 もちろん味の感想も。

 食事の後の片付けももちろん、私の役割(やくわり)でした」


 嫌な予感が当たってしまった。

 片付けすらも、やらせるなんて。


「そんな生活から逃げるようにして、一人暮らしを始めました。

 高校の進路を決める折に、私には両親からの遺産が些少ながらあることを叔父に知らされました」


 叔父の助けがあったようにも見える。

 何もしなかったようにも見える。


 言いたい事はあるが、それでも口にする事はできない。


「薄々は何か感じていたのか、どうやら叔父が管理していたそうです。

 叔母は知らなかったみたいでしたけどね」


 琴葉はふぅ、と一息つくと何かを思い出しているのか。

 ここではないどこかをみているようだった。


 口を挟むべきか、挟まないべきか。


 話したくないなら話さなくて良い。

 思い出したくないなら思い出さなくていい。


 これまでの話だけで自分の心は荒れ狂っていた。


 心と気持ちとがせめぎ合い言葉が出せないままでいると、琴葉が話を続けた。


「今日、叔父の家に行ってたんです。

 叔母に呼び出されて」


 さらにまだ琴葉に用事があるのか。

 

「用件はお金でした。

 最初は、両親の遺品があって引き取れ、引き取らないと捨てる。と言ってたんですけどね。

 実際は何もないそうです。

 一応、全部持ってきたつもりでしたし」


 どこまで良いように使おうとすれば気が済むのか。


「おそらく他の男性とのお付き合いにお金が必要なのでしょう。

 以前、他の男性と腕を組んでいるのを見てしまいましたので」


 どこまでいっても毒は毒だった。


「お金を出さないと固辞し、出ないのが解ると今度は罵倒してきました。


 そして逃げるように家を出て、少し疲れてしまったのか、あそこで座ったら動けなくなってしまったんです。

 そんなどうしようもな――――」


 最後まで言わせたくないと思い、琴葉の頭を抱き寄せていた。

 琴葉はびっくりし、弱く抵抗を見せるが、次第に弱くなっていった。


 最後の言葉にどれだけの感情が込められていたのだろうか。

 悲しみ、苦しみ、寂しさ、失望、後悔……。


 これまで聞いてた中で、とてもではないが推し量る事は出来なかった。

 そして、そのままにしておくとどんどん悪い方向にいってしまいそうだった。


「もういいよ、もういいから」

「……」


「辛かっただろ、悲しかっただろ、寂しかっただろ。

 もう我慢しなくて良い。


 何も我慢しなくて良い、俺で良かったらなんでもしてやる。

 だから……」


 言葉を続けようとしたが、琴葉が顔をくしゃくしゃにし、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見ていた。


 本当に救いを求めて良いのか。

 どうしようもない事だと諦めていた事だと。


 そんな迷いを含み、潤んだ瞳を涙で揺らしながら、震える声で小さく呟いた。

 

「なんで、そんなに、優しいんですか……。

 なんで、欲しい言葉をくれるんですか……。

 そんな風に言われたら、甘えちゃいますよ……」


 じっとこっちを見る瞳から視線を外さず、流れる涙を手で拭ってやる。

 少しだけ、ほんの少しだけでも気分が軽くなってくれればと思っての行動だった。


 視線を外したら、逃げてしまうのではないかと思った。

 琴葉の瞳から視線を外さず、落ち着くのを待っていた。


 時間にしたら、数秒だろうか。


 次第に琴葉は押し殺していた感情が(あふ)れてきているのか自身の肩を抱くように。


 まるで何かに耐えているかのように。

 琴葉は視線を外し、俯き、絞り出すように(ささや)いた。


 「少しだけ……良いですか…………」


 頷くと琴葉は、胸に顔をうずめるようにし、だんだんと小さな嗚咽が聞こえてきた。


「なんで……っ!、なんで私を残していってしまったの!


 お父さん、お母さんに会いたい。また一緒にご飯を食べたい!

 名前も呼んで欲しい!


 私が大きくなったのを見て欲しい。よくやったって褒めて欲しい!!

 私、頑張ったの。家事も料理も……。 


 私も、私のことも……いっしょに……つれて…………」


 言葉にならない声を上げ、むせび泣く琴葉の頭を撫でた。

 何度も往復させ、声を掛ける。


「沙月。

 俺で良かったら、またご飯を一緒に食べよう。


 勉強も頑張ってるのも見てるし、料理を頑張ってるのもわかってる。


 沙月は凄いよ。

 成績はいつも名前が張り出されてる。


 いつも用意してくれる料理はいつも美味しくて楽しみにしてるくらいだ。


 それこそ感謝してもしきれない。

 本当にいつもありがとう」


 ゆっくりときちんと伝わるように。

 これまで沙月がしてくれた事を凄い事だと。


 せめて自分だけでもちゃんと見ているよと。

 少しでも沙月の気持ちが軽くなるようにと、言葉を重ねた。


 しばらくすると泣き声が止み、幾分か落ち着いたのか顔を自分から離した。


 涙の跡を消すかのように、顔を拭う。

 ぐすぐすと音を立てながらクッションを抱えて顔を隠してしまった。


 顔が離れた事でそれまでずっと撫でてた手をどうしようか。

 迷いながら、止めてみる。


 何かを要求するように、こっちをチラっと見てきたので再開してみた。

 するとまたクッションに顔を埋め出したので、撫でていて欲しいようだ。


 琴葉が少し顔を上げる事ができ、少しほっとした。

 下だけを見ていると、どうしても思考が下っていってしまうから。


朝比奈(あさひな)さんは、どうして私の欲しい言葉をくれるんですか?」

「欲しい言葉?」


「私は、これまで『いただきます』も『美味しい』も『ごちそうさま』も言われたことがありませんでした」


「食事をする時は言うし、作って貰ってさらに本当に美味しいんだ『美味しい』も言うだろ。

 『ごちそうさま』ももちろん」


「それだけじゃありません、困っている時に助けてくれたり、見ず知らずの方を助けたり。

 何度も助けてくれました」 


 褒められ慣れてない身としてはこそばゆい。

 特に何か特別な事をしたという自覚がないから尚更に。


 それこそ当然(とうぜん)すべきだと思ってしているにすぎない。


「プレゼントしてくれた事、一緒にゲームをしたり。

 買い物したり。


 外食や出前もそうです。

 初めての事を私に沢山くれました。


 料理の途中で家に戻って来て、『おかえり』って言ってくれた時、涙が出そうになりました。


 食事の用意まで一緒にしてくれて、私は嬉しかったんです。

 食後のコーヒーはもう私の楽しみです」


 どれもこれもが、特別ではない事だ。


 周りのクラスメイトが当然の事として経験してきたであろう事。

 それがこれまで経験できずこれまで過ごしてきた。


 その事実に(はらわた)が煮えくり返りそうになり、思わず力が入ってしまう。


 そんな自分の手を沙月は、手に取り両の手で優しく解いた。


「さすがに鍵を渡された時は、どうしようかとても迷いました。

 前は鍵を持って、一人で全部をやるのが当たり前でしたから。


 朝比奈さんは、そういう人じゃない。

 それは解っているのにどうしても嫌な考えを振り払う事は出来ませんでした。


 そしてそれは杞憂(きゆう)に終わりましたけどねっ」


 手を握られ、見上げるように伺って来る視線に心臓が高鳴って仕方ない。


 さらに嬉しそうに言われてしまっては何も言えなくなってしまいそうだ。


「それは……、その……、すみませんでした……」


 振り絞るように、言うのが精一杯だった。

 事情を知らないとはいえ、軽々しく行動してしまった事を反省する。


「ふふ、気にしてないですよ。

 ですけど…………、そうですね。一つお願いをしても良いですか?」


「俺に出来る事なら」


「もう一度胸を貸して、頭を撫でててください」

「いくらでも」


 力を抜いたように頭をこちらに預け、言われた通りに頭を撫でつづけた。


 安心していい、頑張らなくていい、なるべく沙月が心地よく過ごせるようにと願いながら沙月の頭を撫で続けた。


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