124【新しいジム仲間】
年度が変わって人の入れ替わりが発生したのは学校だけじゃない。
ジムのスクールにおいても、新しく人が入ってくるのは去年と同じだった。
その少女の名前は、音無芽衣。
身長は沙月と同じくらいだろうか。
小柄だが、ハキハキと喋り元気な印象を与えた。
ぱっと見た限りでは妹の実生と良いライバル関係になれば、切磋琢磨して良いんじゃないかな。そんな印象だった。
自己紹介が終われば、あとはクライミングに入る。基本はコーチに出された課題をそれぞれで登っていく。
自分は同じ所で何度も落ちる実生を尻目に、課題をクリアしていった。
今日も想い人は休憩スペースから見ていてくれる、それだけでこんなに心強いものはない。最初こそ良い格好しいの心情が邪魔をして、余計な感情に振り回されたが、どんな自分でも受け入れてくれるという安心感から、最近は逆に調子良いくらいだ。
ちらっと、目を向ければちょうどこっちを見ていたようで柔らかく微笑んでくれる。
「兄さんも、視線だけでいちゃつくって器用だよね」
「うるさい」
「ちょっと登れるようになったからって余裕すぎるでしょ」
確かにまだ余裕はあるが。
いつものパターンでいけば。
「今だけ。最終的には登れないのを絶対作ってくるからな」
「それをあたしが華麗に登りきって逆転勝利!」
「できるといいな」
「……くそぅ」
意気込みは買うが、さすがにそれだけで登れるわけではない。
ただし、相性や得意不得意もあるから一概には言えない。
できることは、がんば、と応援することだけだ。
コーチが課題を作っている間、ぐるりと周囲に目を向けると課題に取り組む音無さんが目に入った。
まだ場所に慣れていないのだろう、最初の課題で躓き、一人進んでいない。
明らかに体の動きが悪く、連動性が無かった。
「実生」
「何?」
「あの娘、ちょっと話してくれば」
「沙月さんだけじゃなくて、あんな娘にも手を出したいの?」
邪な心などあるはずもない、溜息交じりに口を開いた。
「茶化さずには入れないのか」
「言いたい事はわかるから良いけどね」
「それなら最初からそうしろ」
こちらに手を振りながら実生は音無さんへと話し掛けていった。
実生が会話を拒絶されていないのを見届けると、ドリンクを飲むついでに沙月の元へと向かう。
「今日も調子良さそうですね」
「沙月が見てくれてるおかげかな」
すると沙月が少し訝し気な顔を見せた。
「それ言いまわってませんか?」
「そんなことは、あるかも。なんで?」
「最近、スタッフの方の視線が温かいんですよね。しかも何か優陽くんと話しをした後は大抵、眩しい物を見るかのようにされることもありますし」
そう言われてみれば、スタッフに調子を聞かれると先んじて沙月がいるからと答えている気がする。
言わなかったら言わなかったで、沙月が居ることを引き合いに出されるから先に言っているだけではあるのだが。
「どうせ聞かれるなら、いっそのことって思って先に言ってるかな」
「潔過ぎて何も言えなくなってしまうのでしょうね」
「何か言われる?」
「言葉としては特に何も。ただ私とあまり話さない人、でも優陽くんと話す人は控えめな視線を向けられますね」
「それとなく言おうか?」
「どちらかと言うと、優陽くんの言葉がより一層興味を持たせている気がしますけど。何かされるわけじゃないですし、大丈夫ですよ。登らずにこうしているのを不思議に思われるのも仕方ないとも思ってますし」
さすがに目の前にいるのに、邪で節操の無いことをしてくるとは思ってないが。
興味本位で、見られ過ぎるのも嫌だった。
「笑い話程度で釘は刺すことにする」
「概ね、好意的な視線ですよ」
「それはそれで嫌だから」
「拘り過ぎて拗れないようにしてくださいね」
「そこまでは言うつもりないし、言えないかな」
答えつつ振り返ってしまう。
今でも笑顔に惹かれ、心奪われることも度々ある。それこそ付き合う前なんかは視線が奪われて仕方なかった。
一緒に出掛けて、周りの視線がうるさいことなんて良くあることだった。
「そろそろ戻る」
「がんば」
この一言で、何もかもが頑張れる気がしてくるから不思議だ。
少しだけ、ほんの少しだけ一本くらいは綺麗に登ってみせたいと思ってしまった。
スクールも終わり、沙月と共に家路を歩いていると、実生もなぜかついてきていた。
「あー、くそっ。あの一手さえ止まってれば繋がったのに」
「優陽くんが頑張ってるのは見て取れましたよ」
「あー、沙月さん。無駄無駄、登れなかったのなんて兄さん自身のせいなんだから」
「そうなんですか?」
「いや、確かに俺自身のせいだけど。無駄ってのは何を言ってるんだ」
「あれ、無意識だったんだ」
「だから、何を」
「だって、沙月さんの前で良い格好しようとしたでしょ」
「そうなんですか?」
「そんな訳は」
「あるよ、オブザベの時間、いつもより短かったから」
言われて思い返せば、流れに身を任せて取り付いていた気がした。
改めて自覚してしまった心情に思わず顔に手をあててしまう。
百歩譲って、浮き足立っていたのは認めても良い。
それでも、この妹にそれを指摘され、認めさせられるだなんて。
はずかしさよりも、悔しさが先に立ってしまった。
「いつまでも仲睦まじくて良いと思いまーす。でも、外でやると、ちょーっとあたしは恥ずかしいなー」
認めてしまったのを察した実生がニヤニヤとした顔で言ってくる。
珍しくやり込められてると。
「私がまだ優陽くんをドキドキさせられるのは嬉しいですね」
沙月は、そう口にし表情を綻ばせた。
実生はヤレヤレと両手を上げてしまい、自分は何を言っても無駄だと悟り顔を赤くしつつも口を開くことはできなかった。
「それはそうと、沙月さん。今日はご飯をご一緒させて欲しいんですけど、いいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「一品は?」
「なんと、昨日、カボチャの煮付けを作ったんです!」
「やればできるじゃん」
「そう、やれば出来るんです!」
実生は得意げな顔をしている。
「出来るのをやってないだけ。と言うのを自己証明したわけだが、良いのか?」
「カボチャの煮付けだけ、出来るようになった!」
「ロボットか何かか」
「でも本当にこれは奇跡的に上手に出来たから、感想を頂戴」
「厳しく言うからな」
「小姑みたいだともてないよ」
「もてなくていいぞ」
「沙月さんが居ればでしょ」
「そうだな」
「捨てられたらどうするのー」
「……」
咄嗟に答えることが出来なかった。
沙月を信頼しているのは勿論、不義理をするような性格ではないのも知っている。ただ、沙月に飽きられないように漫然と過ごしていないかと心内で問えば、こうしてジムに来る毎日に甘えている気はする。
折々で考えてはいるものの、やはり普段を思えば飽きられても仕方ないのでは。
しかも学校では別のクラスになってしまったのだ。
常日頃から気に掛けてたいとは思うものの、何か喜びそうなことは何だろうか。
何が良いだろうかと考えていると、沙月をじっと見てしまい、不思議そうな顔をして首を傾げる沙月が目に映った。
「私が捨てられるならともかく、私から優陽くんと離れたいって思う日が来るなんて思えないですよ」
「それは俺のセリフだと思ってるけど」
たった今、考えていたことは沙月が離れて行かないようにとの思い。
自分から沙月と離れようと思うとは、全くもって考えの外だった。
何を言っても無駄だと思ったのか実生は。
「一生やっててください」
とだけ言ってその話はおしまいとなった。
実生が豪語していた通り、持ってきた煮付けの味は良かった。ただ少し煮崩れしてしまってはいたが。




