116【修学旅行_弐】
修学旅行の一日目。
つまりは、移動に大半が費やされる日。
いくら仲の良い友達達で集まっているとはいえ、数時間の移動になってしまえば暇な時間もできてしまうと言うもの。
隣が沙月なのは、気楽で気が抜けてしまうのも仕方ないと言うものだ。
最初こそお喋りに興じていたものの、姿勢を崩せばバスのリズミカルな振動が眠気を誘ってきた。
うとうとと意識が薄れていると。
「――――――――――何か弱みでも掴めるかと思ったのに、きちんとしてるわね」
「私の楽しみなんですからやめてください」
「沙月ちゃんは良いわよね、わたしはあんまり和雲くんの寝顔見れないのよ」
「僕だって、美和の寝顔をあんまり見れないよ。こういう機会でも無い限り、見れる方が普通じゃないでしょ」
何やら不穏な声が聞こえてきて、意識が浮上してきた。
この会話はどうなるのだろうか。
弱みを掴もうとしたことに対して文句を言おうか迷ったが、沙月が何か言いかけたのを察し、寝たふりをする事に決めた。
「私だって、優陽くんの寝顔をいつでも見れるわけじゃないですよ」
「え、だって――――んぅぅぅ、んぅー」
突然、くぐもった声がした。
「美和。僕達にとってはもう見知った事実だけど、広めて良い事じゃないよ」
どうやら和雲が物理的に口を塞いだようだ。
まったくもってその通りで、何を口走ろうとしたのかとヒヤヒヤした。
もしこれが互いに一人暮らしなのだからと言おうものなら、誰が聞いてるかわからず人によっては言いふらされてしまうのだから。
「だからこそ自由にしすぎないようにはしてますよ」
「ぷはっ、そりゃ信頼されるわけね」
美和の誰と言わないギリギリの物言いにいつボロを出すかとヒヤヒヤしてしまう。
親公認であるなんて、雛に餌を与えるかのように周りがうるさくなる材料でしかない。
もっとも沙月が信頼されている要因を考えれば手放しで喜ぶことは出来ない。
幼少より沙月一人で全てを担っていたということは、自分達であれば親がやってくれていた事を、沙月一人で処理していたということ。
去年、沙月の義妹と相対した時、沙月が崩れそうになった時の事を思いだせば、決して沙月のためを思って叔母が行動を起こしたことが無かったのは想像に難くない。
結果として沙月自身が得た物もあるのは確かだろう、けれども同時に得られなかった物が大きいのも確かだろう。
違った過去を得た沙月だったら。
これまでの経験を得た沙月だったから。
もしもどうだったらと比べることは出来ないが、間違いなく言えるのは現在の沙月は大切にしたい存在であり、過去に沙月を傷つけたという事実に対して憤りを消すことは出来なかった。
「そろそろサービスエリアね。朝比奈君、起こさなくて大丈夫?」
「え、だって起きてますよ。ね?」
薄目でこっそりと視界を開けると。
覗き込むようにして微笑む沙月がいた。
「ぉ、おはよう」
さらに視界を遠くに見れば、和雲と美和には笑われてしまっている。
寝てたのは本当だが、その後の狸寝入りまでバレてしまっていて、とてもとても気まずかった。
一日目の最初なのだから、当然、自由な時間などはなく学校指定の場所を周り、そのまま旅館へと移動した。
食事を終え、大浴場でさっぱりした後。
「優陽くん、お待たせしてしまいましたか?」
「いや、今来たところ」
庭園があると言うので、沙月と待ち合わせて散歩の約束をしていた。
待ち合わせたは良いものの。
風呂に入ってきて、備え付けられた浴衣を着た沙月は色っぽかった。
綺麗で腰までまっすぐに伸びた栗色の髪の毛は、傷みや枝毛すら見当たらない。
出会った時とは違い、喜怒哀楽を雄弁に物語る瞳が今は楽し気にこちらを見ている。
透き通るような肌は、滲み一つなく先ほどまで湯舟まで浸かりしっかりと温まったのだろう、少し桜色をしており、とても可愛らしい。
整った容姿に纏った浴衣姿は、すれ違う男子が思わず目で追っているほど。
羽織っていた半纏を、沙月にかけてあげた。
本人はかけられた意味が分からないのだろう、首を傾げている。
「ありがとうございます?」
「暑いかもしれないけど、羽織ってて」
「それは大丈夫ですけど……」
「行こうか」
自然と手を繋ぎ、庭園を歩いた。
足元には心もとない灯りのみ。木々がライトアップされはするもののうるさすぎない。自然ではないが、自然を感じさせる塩梅で夜闇に溶け込んでいる。
「そっちの部屋どうだった?」
「どうってどういうことですか? そちらでは何かあったんですか?」
「告白をするとかしないとか言ってたから」
「そういうことですか。とりあえず私の知る限りでは、誰かが呼び出されたって話は聞きませんでしたね。他のクラスの方かもしれませんね」
何かを思い出したのか、口元に手をあて、くすっと笑った。
「ただ、そうですね」
沙月は少し意地の悪い笑みを浮かべ。
「優陽くんのことは聞かれましたよ」
まだ続いているのかと思い、自身でも分かるほどのしかめっ面を浮かべてしまう。
「クライミングのこと、まだ続いてるの?」
「本人が嫌そうなのは見てわかる通り、私に聞こうにも機会がなくて、今回ちょうどいい話しのタネといった感じで、質問されたら気になってる方は多かったみたいですね」
「もうそろそろ忘れてくれても良いのに」
「私は続いて構いませんよ」
「俺は勘弁して欲しいんだけど」
「人の噂も七十五日と言いますし、あと少しの辛抱じゃないですか」
「その頃には三年生か」
特に何かを思って言ったわけではない。
それでもその年月を感じさせる言葉は、どうしても重みを持って響いた。
「同じクラスになれるといいな」
「確かに同じクラスになれたら嬉しいですね。でもなれなくても何か変わるんですか?」
「いや、何も変わらない」
「あら、私は変わりますよ」
てっきり同じ様に変わらないと答えがくると思っただけに、少し意外だった。
「何が変わるの?」
「話したいことが増えそうです」
自分が意外に思ったのを見てとり、してやったりと楽しそうに答えがきた。
そうきたかと思えど、良い切り返しは思い浮かばず、まったくもって敵わない。
「いつでも聞くよ」
「優陽くんは変わらないんですか?」
変わると答えるべきか、変わらないと答えるべきか。
少しの間、沈黙の上で出した答えは。
「やっぱり何も変わらないかな。俺のやりたいこと、したいことなんてたかがしれてるから。そんな俺の今の唯一の願いはこれだけ」
繋いだ手を目線の高さまで上げた。
「きちんと繋いで離さないでくださいね」
ゆっくりと周りの景色を楽しみながら夜は更けていった。




