107【兄と妹、恋人と母親】
新年二日目の朝。
実家で過ごすはずだった三が日を代わりに実生の家で過ごしている。
単純に三人が居るところに集まっている。
ただそれだけとも言うが。
「あ、兄さん、沙月さん。おはようございます!」
「おはよう」
「おはようございます、実生ちゃん。もうすっかり元気になりましたね」
「はい! 色々とご迷惑をおかけしました」
ぺこりと御辞儀をする実生。
色々、ね。果たして何のことまで言っているのか。
「兄さんもありがとう」
「ん」
言いたいことは山程あるが、沙月と約束したしな。
「あれ、何も言われない?」
「沙月に感謝しろよ、手伝ってくれたのに皆で言う必要はないだろって」
「沙月さんは天使ですか、ありがたや、ありがたや」
実生は神妙な顔をしながら、手を上にして擦り合わせている。
「それだと神か仏だろ。母さんにはもう絞られたんだろ?」
「それはもう……緑の血が通ってるんじゃないかって思ったほどで」
「あぁ、それ俺も思ったことあるからな。それならもう、俺が言いたいことは言われてるだろ」
自分が言われている様と、実生が言われている様を重ね合わせれば、想像するのはいと容易い。
「聞きたい? 耳にタコだったから言えるよ! そのまま風邪ひいてた方が良かったかなって頭を過ったくらいだし」
「言わなくていいし。もし同じ状況になったら俺の方が大変だからな。沙月も一緒になるから、比じゃないぞ」
「あー、確かに沙月さん。その辺りはきちんと言いそうだもんね」
稀な事ではあるが実生と意見を一致させながら、ウンウンと頷いていると。
台所の方から、沙月と母さんの話す声が聞こえてきた。
「亜希さん、おはようございます。あのご兄妹はいつもあんな感じなんですか?」
「そうねぇ、二人ならなんとかなると思ってるのかしら。聞こえるのも構わずに話すのよね。今はこっちも二人なのに、何を考えてるのかしらね」
「まだ言われ足りなかったんでしょうか」
「そうね、あんまり言っても可哀そうって思ったのが良くなかったのかしら」
「私も優陽くんに言いたいことあるのでちょうどいいかもしれません」
「あら、遠慮なく言っちゃって良いのよ」
おかしいな。
母さんについて実家にいた時と同じように話していただけなのに、沙月の雲行きが怪しい。
「この前、直して欲しいところ無いって言ってた気がするんだけど」
「直して欲しいのと、言いたいのはまた別に決まってるじゃないですか」
「え、そういうことなの……」
「もちろん、優陽くんだって私に言いたいこと、あったら言っていいんですからね?」
直々に許しがでたのだ、この際、はっきりと言っておこうじゃないか。
「ん、わかった。言うからちょっとこっち来てもらっても良い?」
「なんですか」
ソファに座った状態から、胡坐に体制を変えた。
近寄ってきた沙月を、その中に納める。
「ちょっと何するんですか」
「年の始まりに沙月の顔をはじめに見れて、この一年を改めて頑張ろうって思った。いつまでも一緒に居たいと改めて思うくらいに」
ゆっくりと余さず伝えられるようにと、言葉を選び声にした。
言葉を重ねる度に、沙月は体から力が抜けて凭れかかってきている。
「いつも感謝してもしきれないくらい感謝してる。言いたいことも俺のことを思って言ってくれてるのもわかってる。何を言われても沙月に甘えてる自覚はある」
つい出てしまった自白に少しだけ自嘲気味になってしまう。
「一緒にいることしかできないけど、一緒にいてくれませんか」
一つ身じろぎし、微かな声音が聞こえてきた。
「…………こちらこそよろしくお願いします」
後ろからしか判らないが、沙月の耳は綺麗な紅をひいたようになっている。
顔が見たくなり、反転させようとしたら抵抗されてしまう。
予想外に強い抵抗に、顔を見るのは諦めてそのまま少しだけ強く抱きしめた。決して離しはしないと伝えるかのように。
「兄さんっていつから、たらしにジョブチェンジしたの?」
「たらしじゃないだろ」
「だって見事に沙月さんの口を封じてるし」
実生に同意するように腕の中の沙月が小さく何度もこくこくと頷いている。
「ていうかそれ恥ずかしくないの?」
「堂々とすることにした」
「良かった。まだ羞恥心は残ってたんだ」
「恥ずかしげもなく、こんなことできるやついないだろ」
「そうだよね。いやー、外でもここまでのことされたら、あたし外で一緒に歩けなくなるからね」
実生はわざわざ出てもいない汗を拭う仕草をする。
「兄をなんだと思ってるの?」
「沙月さん特化型の――なんか」
「最後のなんかって適当だな」
「せっかく甘えん坊って思ったのを言わなかったのに」
「結局言ってたら世話ないな」
「やーい、甘えん坊」
「何度も言って良いとは言ってないぞ」
実生の口をどう封じてやろうかと、睨めつけるように見ていると、控えめに、腕をトントンと叩かれた。
「そろそろ、離して、欲しい、です」
「あ、ごめん」
力を抜き、沙月を解放するとペタリとその場に座ってしまった。
「大丈夫?」
恨みがましい視線をこっちに向け。
「優陽くんのばかっ、甘えん坊のおんなったらしっ」
やられた当事者から言われてはさすがに反論が出来なかった。
それにおんなったらしだと意味が変わるよな、とも心の中だけで思う。
決して他の女性に目が向くわけがないと主張したいところだ。
「何事も程々に」
今まで見守っているだけの父さんから一言だけ耳に届くその声は、やけに実感を伴っていた。
「そうね、全員程々にね」
母さんが引き継ぐように言った含みのある言葉。
一瞬、父さんと母さんの間にやり取りがあったような気がしたが、それが何かと問う勇気はなかった。
言ったら最後、こっちに飛び火するのなんて明らかなのだから。
その日はそのまま実生の家でゆっくりし、夕方には両親が実家へ帰って行った。その際、連絡はきちんとしていつでも相談するようにと念を押された。
言われるまでもない、今年は間違いなく願いを掴むのに大事な一年なのだから。




