第三十七話 紫電よ走れ、天地を別て
少年染みた話ではあるが、俺は蜻蛉が好きだった。
高性能の複眼。薄く向こう側が透ける羽根。生物とは思えない機敏で繊細な動き。ぼんやりと竹竿に止まっている姿すらも美しい。
好きな箇所を挙げれば暇がないが、単純に俺の眼には空を自由に飛ぶその姿が一際格好良く映ったからだろう。
理想を夢見て剣を振るうようになってから、蜻蛉の事も見なくなった。その姿すらも、長い間記憶から抜け落ちていた。
それでも何かしら思うところはあったのだろう。俺は相方である真忠が作成した斬空聖剣に、蜻蛉切の銘を望まなかった。
単純な話だ。俺は無意識のうちに、蜻蛉を切ることを拒んだのだ。
故にDFD-Dragon Fly Divider。英名にすれば、蜻蛉ではないとでも言いたかったのだろうか。
全く馬鹿な話だ。
あの日夢を見てそのことに気が付いた俺は、その反動なのかDAに蜻蛉の名を付けたくなった。
昆虫界最速。その名は――
「超電磁加速式斬界聖剣-雷切銀蜻蛉」
自由に空を裂く電光の翼。それが名の由来である。
魔力を全て開放し、眼を開く。魔力が全て鞘に吸い込まれていくのを感じる。
仕組みはいたって簡単だ。鞘の内部に存在しているリールに刻まれた聖剣回路に魔力が流れることで電流が発生し、同時にDFDの側面の聖剣回路では磁界を発生させる。
これによりローレンツ力が発生し、DFDが鯉口に向かって射出される。
原理は知らなくても、誰でも一度は耳にした事があるだろう兵器。
この鞘は、父の伝手で入手した対怪物用大型超電磁式飛翔体加速聖剣を参考に俺が設計し、真忠の調整と改修を経て完成した、いわば個人携帯が可能な小型レールガンである。
「今回の目標は超音速斬撃と空間切断の併用。その二つをもって、竜の首を落とす技能である『斬界』の再現が可能となります。
ただ、レールガンの加速性能は高いですが、レールとして使用するのが鞘のため、加速距離に問題が発生します」
「加速度が高くても、距離が短ければ最終的な速度は遅くなってしまうということですね」
「はい。そこで使用したのが空間歪曲です。
鞘の内部を空間歪曲により圧縮することで、短い距離でも実際の数十倍の距離を移動させることが可能になりました」
集中力が極限まで高まる。色が消え音が凪となる。
真忠が解説しているようだが、それは俺の耳に届かなかった。
「それでは観客の皆々様。くれぐれも興奮して立ち上がらず、その場に伏せてご鑑賞お願いします」
鞘に込めた魔力が臨界に達する。
限界を超え溢れだしそうな魔力を、右腕の手甲へと流す。右腕が活性化する。右腕が暴走する。しかし、手甲が内側からの破壊を押しとどめる。
この手甲は防具ではない。腕部を強化し、同時に自壊を防ぐための防御装置である。
「この指示を守っていただけない場合、命の保証はいたしかねます」
DFDに魔力を流す。それと同時に最終安全装置を解除。鞘が暴れ出し、DFDの加速が始まる。
目標は眼前の男。その首。
俺の構えに反応してマニピュレータを円形に構成し前面に展開している。
正解だ。確かに空間切断の盾を作れば、これがどのような斬撃でも、どのような速度でも弾き返すだろう。
しかしこれは斬撃ではなく断裂。
天と地を別つ、空間の断層だ。
「天元流彼方之技
超電磁斬界縮地」
空間切断を起動すると同時に、鞘から秒速610メートルで刃が射出される。強化された右腕でそれを振り抜くのは刹那にも満たなかった。
射出の反作用と振り抜いた衝撃を身体全体で受け流す。右腕が有り得ない方向に捻じれ、肩が根元から引き抜かれそうになるが、その衝撃のほとんどは手甲が代わりに弾け飛ぶことで緩和される。
それでも全身が引き裂かれるような痛みに見舞われる中、正面を見る。
世界が斜めにズレている。
空気も、木々も、観客も、遠くに見える校舎すら、剣線をなぞる様に二つとなった。
まさしく、空間が天と地に別たれていた。
爺さんが竜の首を落とした技能、その顕現である。
「―空間切断により空間乖離現象が発生するまでの0.1秒。
その間に音速を超えるほどの莫大なエネルギーが切断面に加わった場合、切断面が広がり世界は紙を破るように簡単に裂けていきいます。
それが『空間断裂』。
その昔、藤原正切さんが竜を斬った技能、その正体となります」
静かな周囲に真忠の解説だけが響き渡る中、陽炎が消えるように、世界の切れ目は消えていった。
それと同時に、突風が吹きすさび、木々は倒れ、死亡した観客たちはバブルスフィアの外に戻り、校舎が瓦解した。
圧倒的な破壊力。生存を許さぬ現象。例え竜でも、たとえ神でも耐えられないだろう。
だが知っている。俺は知っている。
身体の痺れに僅かに足元をふらつかせながら、それでも緊張を解かず、土煙が収まるのを待つ。
「―――予想より1.5倍近く早い。
くそっ、速度が違うとこうなるのか……!」
予想していた声が響く。
土煙が晴れたそこには、右手を失い、血に濡れた良二が立っていた。
前面に展開していたマニピュレータも、折れ、拉げ、砕けている。
俺には確認できなかったが、恐らく空間断裂が発生する直前に、前面に展開したマニピュレータを用いて、何らかの方法で空間断裂を発生させたのだろう。
気になっていたが、確認が取れていないことがあった。
空間切断と空間切断の機能が接触した場合、それぞれが弾かれ切断できない。
空間断裂と空間切断の機能が接触した場合、空間切断ごとDAが切断される。
では、空間断裂と空間断裂の機能が接触した場合はどうなるのだろうか。
恐らく、その答えが目の前に展開されている。速度が遅い方が負けるのか、あるいは空間断裂に垂直方向に新たに空間断裂が発生され、押し出される形となったのか。この場では原因までは特定できない。
解っていることは、彼は一命を取り留めたが、戦闘の続行は不可能ということだ。
学ラン、あるいは白衣の機能なのか、肩先から消えた右腕は止血されているようだ。しかし、顔は真っ蒼になり、身体はバランスを崩し、足の踏ん張りも効いていないため今にも倒れそうだ。
DAも背部は無事のようだが、肝心のマニピュレータは第三関節辺りから先は使い物にならない。さらに今回のルールでは、リアルタイムでの修理も行うことはできない。
試験はこれで終了だ。
だが知っている。短い付き合いだが、良二が不敵な笑顔を張り付けているのなら、まだ諦めていないことを知っている。
前回と違いハッタリすら封じられているのなら、打開策が残っているに違いない。
「一応聞いておく。降参するか?」
ゆっくりと、DFDを鞘に戻す。
真忠が造り上げたDFDは一撃で大破した祖父のものとは違い、空間断裂に耐え曲がってもいなかった。皮鉄の一層目は熱に溶け、刃も所々欠けているが、後一度の抜刀には耐えてくれるだろう。
鞘も触れないほどの熱が溜まっているが、機能自体に問題はないはずだ。
道場での動作確認ではバブルスフィアを破壊してしまうため、連続使用は確認できていない。しかし、真忠の造った雷切銀蜻蛉ならば、後一度だけ空間断裂に耐えると信じている。
「腕はこの通り。これでは両手を挙げての降参もできやしない」
良二は短くなった右腕をブラブラと振り、同時に激痛に顔をしかめた。
「まだ試験時間は終わっていない。その様子だと、まだ俺の最終解答を見れていないだろう。一緒に試験を受けているんだ。相手の解答くらい確認しようぜ」
「だが、そのDAでは無理だろう」
「いいや、できるさ。俺は学習と対策は得意なんだ。
マニピュレータの破損くらい、ちゃんと対策してる」
良二が目線を雪奈に向ける。雪奈は真っ白な顔で頷いた。
「1番から4番のマニピュレータをパージ」
展開された全てのマニピュレータが土煙を上げ地面に落ちる。
「5番から8番までのマニピュレータ展開」
背部から新たなマニピュレータが展開される。
単純な話だ。彼は以前と同じく、八つのマニピュレータを用意し、その半分をサブとして温存しておいたのだろう。
「今度はこちらの研究発表の番だ。
俺なりの解答、とくと御照覧あれ」
4つのマニピュレータが同時に稼働する。
動き、変形し、重なり合い、そして合体する。
最終的に姿を現したのは、良二を中心とした機械の輪。
そしてその周りを、小さな刃が高速で回転し始める。
「思考制御式回転力制御型空間断裂回転鋸聖剣-斬空工具・竜斬包丁」
Flush Between Memory and Ideal - 了
ギンヤンマのヤンマは正しい漢字がありますが、環境依存文字のため蜻蛉でヤンマと読ませています。
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