第三十三話 戦う前に全ては決し、皆は蛇足を楽しむ準備を始める
金色のはらっぱ。空を飛ぶたくさんの赤トンボ。
数えられないほどのトンボを見たのは初めてで、僕はすごい楽しくなった。
お父さんが立っている。手には刀を持っている。
家でよく見る大きな刀。キレイで光ってりっぱな刀。
お父さんが刀をかまえると、赤トンボがよって来た。
赤トンボも刀がすごいことはわかるみたいで、まわりを楽しそうに飛んでいた。
正技。これが父さんが打った刀だ。
名前は蜻蛉切だ。格好良いだろう。
でもな、こいつは格好いいだけじゃないんだぞ。
刀が気に入った赤トンボ。刀の先に止まるとうれしそうにして――まっぷたつになって地面に落ちた。
どうだ?正技。
どうしたんだ?正技。
驚いたのか?おい、泣くんじゃあない……
懐かしい夢を見た。
頭を振って上体を起こす。どうやら、少し気を失っていたらしい。
「無理をしなくて良いですよ。しばらく寝ていてください」
枕元には真忠が正座していた。
「いや、いい。なんともない」
俺は死亡酔いしない。死亡してもバブルスフィア解除後に頭痛、吐き気、手足の痺れなど感じたことはなかった。今回も同様だ。
ふと、二週間前に対峙した彼を思い出す。彼は顔を真っ青にし、怯えたように唇を震わせ、目の焦点が定まっていなかった。
恐らく、身体の拒否反応と心の拒絶反応の両方が強いのだろう。戦闘のたびに死亡酔いは見てきたが、あれほど酷いものは初めてだった。文字通り死んだような顔で整然と理性的に喋っていたが、その心情は如何ほどだったのだろうか。
――まさか、あの時の彼と、その付き添いの少女のように、真忠は膝枕でもしたかったのではないだろうか。
ふとそう思い真忠の表情を窺う。何時もの静かで落ち着いた雰囲気を、今は多大な喜色が覆っている。新調した眼鏡の先は、少し潤んでいるようにも見える。
だがその奥の彼女の真意は解らない。
まぁ、ただの考えすぎだろう。彼女がそのような行動をとるはずがない。
そんなことを考えるのも、少し期待してしまったのも、俺の精進が足りないからだ。
「完成しましたね」
真忠がグラスをそっと差し出す。中には何時ものように、冷たい麦茶が注がれている。火照った体には、やはりこれが一番馴染む。
「ああ。完成だ。まだ煮詰める必要はあるがな。
それにしても――嗚呼、これが爺さんの見た世界か」
その世界も一瞬で消えた。
この道場を覆うように展開されたバブルスフィア。音速を超えた一閃は複製次元であるバブルスフィアを両断し、維持できなくなったバブルスフィアは弾け中心地にいた俺は衝撃で意識を失った。
「試験まで残り三日。完成度を高めるための作業は山積みだな」
自分がDAMAに来た目的は達成した。だがしかし、それで終わりではない。
直近の目的、平賀良二との決着は必ずつけなければならない。それが俺が変わるきっかけを作ってくれた、彼らへのけじめだろう。
「そうですね。
蜻蛉切のスキャン、TD-DFDの3Dプリントと調整。TD-DFDは斬界縮地に耐えられませんでした。構造について、見直して調整する必要があります」
「ああ、そうだな。
……なぁ、俺が手伝えることはあるのか?」
俺たちが造っている聖剣の大まかな設計は俺が担当している。
しかしその実装は真忠が行っており、構造の細かい調整は力になれそうもない。
スキャンや3Dプリントに至っては邪魔になるだけだ。
「ありますよ。それも大事な事です」
真忠が微笑む。
「提出する設計書と論文。よろしくお願いしますね」
「う……うむ」
論文も設計書も苦手だが、学生である以上そうも言ってはいられない。第一、設計思想も理論も俺の方が詳しいはずだ。
「あと眼鏡に慣れてください。
折角、お揃いのデザインの物を用意していただけることになったのですから」
真忠が注目を集めるように、両手で挟む様に眼鏡に触れる。
四角い鈍色のフレームは今まで彼女の印象とは違っているが、とてもよく似合っている。
「ああ。解っている。仕様書は読破した。通信もできるようになった」
「早くメールとSNSくらいは使えるようになりましょう。
私も努力して覚えたのです。
正技さんが覚えれば、寮の部屋にいても、授業中にも、やりとりができるようになります」
果たして、そこまでやり取りが必要なのだろうか。
「そうだな。頃合いを見計らって練習しておく」
真忠が半眼で見てくる。信用されていない気配を感じる。心外だ。まだ通信しかできていないのは、仕様書の読破と内容の確認に時間がかかっただけだ。すぐに使いこなしてみせる。
それにしても成果が出たからだろうか。今日は真忠から強い意志を感じる。
仕方がない。話題を変えよう。
「良二と雪奈も、これに達すると思うか?」
三日後の対戦相手。俺の剣を受け流した者たち。
彼らも、きっと俺たちと同じ場所を目指している。
「達するでしょう。彼らは……私たちと違って頭が柔らかいですから」
「そうだな。
いや、むしろ達してもらわないと面白くない」
最速の剣をふるうには、相手も相応しくなければならない。
彼らなら、俺たちの想像しない形で音速を超えてくれるだろう。
「それでも勝つのは正技さんです」
真忠が、真っ直ぐに俺を見つめる。本当に、今日は意志が強い。
「勝利のご褒美も考えています。
全力で頑張ってくださいね」
「ご褒美?」
「はい。とっておきの、ご褒美です」
真忠が、人差し指を唇に当てる。
今気が付いた。今日の真忠は珍しく口紅を差している。
「―――」
冷めてきた体温が一気に上昇するのを感じた。
少し、外に涼みに行こう。
立ち上がり道場の外に向かう。
そこで、先ほど見た夢を思い出した。
随分と古い思い出だった。忘れてしまった感情だった。
「なあ真忠」
振り向き、彼女に告げる。
「TD-DFDの正式名称が決まった。
こいつの銘は―――」
「あークソ!ざまぁみろ!もう二度とやらねぇ!!」
試験前日。俺は研究室で大の字になっていた。
意識はクリア。身体に痺れはない。
当たり前だ。
今回頭と身体が別れたのはダミー正技さんの方なのだから。
まぁ、首を叩き切った余波でバブルスフィアは強制的に解除されてしまったが、きちんとセーフティーが働いたおかげで気絶する事もなかった。
かろうじて目標値を達成したのは早朝。その時はセーフティーが設定されておらず気絶し危なく学校に遅れるところだった。
何故雪奈は登校時間になっても起こしてくれなかったのだろうか。
帰宅後気になった箇所を調整しつつ動作確認を行い、三回目の挑戦で、初めてダミー正技さんに勝利することができた。
思えば、この二週間も長かった。いったい何度死んだだろうか。麗火さんが用意してくれたという回路のおかげで少しだけ死亡酔いはマシになったが。
鈍八脚は動作こそ複雑なものの、関節部さえきちんと設計すれば本体の動作に問題はなかった。
今回は可動部が大量増加。複雑に絡み合った機構は常に滑らかな動作が求められ、わずかな引っ掛かりも許されない。
DA-CADによる細かい形状の調整にバブルスフィア内での動作確認。あっちが動けばこっちが動かず、高速動作させれば強度が足りず、摩擦と空気抵抗と空気の粘度と遠心力が強大な敵となり立ちふさがった。
摩擦係数変更の回路と仮想衝角と慣性力制御は非常に強力な味方だった。
アイズ様がどこからか見つけてきた工具と兵器と宇宙ステーションの論文と資料が無ければ終わっていた。
だがおかげで、バッテリーさえあればだれでも使える、非常にDAMA製らしい汎用的DAが完成した。
ゆっくりと身体を起こす。
ここ数日の深夜作業のため疲れが溜まっていたが、今の勝利で吹っ飛んだ気がする。
凄いぞダミー正技さん、首を飛ばすことであらゆるストレスが吹き飛ぶはっはっは
ハイテンションを維持したまま研究室を出る。
「マスター!お疲れ様です!
やりましたね!」
エプロン姿の雪奈が出迎えてくれた。
今日は買ってきた碇寿司特製ちらしずしを盛り付けるだけだからエプロンなんてしなくていいだろうに。
「見てたのか?」
「いいえ。でも、その顔を見ればわかります!とりあえず、目標は全部達成しましたね!」
目標。すなわち、空間切断の長期間維持。近接攻撃の音速超過。そして、ダミー正技さんに勝利。
「ギリギリになったけどな。
しかもダミー正技さんの反応は参考にならないし」
ダミー正技さんはあくまで既存の情報から再現したものだ。未知の入力に対しては、未知の反応を行うだろう。
それに加えて、二週間前よりも動きが良くなっていることが予想される。
「それでも達成は達成です!素直に喜びあいましょう!
ほら、お内裏様もあんなに喜んでいます!」
雪奈の指さす先にはアイズが用意したAR雛壇7段15人飾り。その最上階に座するは雪奈の顔をしたお姫様と、俺の顔をしたお内裏様。
顔は勝手にアイズが設定した。俺は嫌がったが、雪奈は喜んでいるし、「他に親しい男の人がいないので、マスターのままがいいです!それとも、正技さんにしますか?」と言われては断ることもできない。
それにしても、お内裏様は今朝見た時とは違い、非常ににやけた表情をしている。殴りたい。殴ってもいいか、ARだし。
せめてもの慈悲として拳ではなくデコピンを構えて雛壇に近づくと、キッチンから大量のアルコールを抱えた聖教授が現れた。
お内裏様はデコピン直前で涙目でこちらを見てきたが、気にせずデコピンを炸裂させた。弾いた感触はなかったが、お内裏様の首が赤べこのようにゆらゆら揺れる。アイズは何故ここまで挙動にこだわるのだろうか。
教授が何をしているのかと、怪訝そうな目で俺を見る。雪奈は、楽しそうなことをしているな、という目で俺を見ている。
まさかとは思うが、お内裏様にデコピンをするのは奇行なのではないだろうか。
いや、そんなことはないだろう。俺は頭を切り替えて教授に質問する。
「今日は何時にも増して飲みますね。前祝ですか?」
「開発中のシステムの完了目途が立ってな。あとはデータを全部入れた後に動作確認して終わりだ」
なるほど。今日はシステムの完了目途が立ったので飲める。明日は俺たちの勝利を祝して飲める。データが全部入力出来たら完了間際で飲めるし、動作確認完了後にシステム完了で飲めるというわけだ。
「今日はお雛様なのでちらし寿司と、明日に備えてのトンカツです!」
ちらし寿司に加えてトンカツか……2週間前に食べたトンカツを思い出す。あの時は結局負けたので、ゲン担ぎに適さないのではないだろうか?
そう思ってみてみると、前回のヒレカツとは違い、今日はロースカツだった。カツが違っているからノーカンという事だろうか。前回とは違い、今回は焦げ目もなく綺麗に揚げられている。
「ふふ……熱量操作に慣れた成果ですね」
どうやら、前に少し焦がしてしまったのを気にしていたらしい。
「ちらし寿司はこれにしました」
今回のちらし寿司は、以前碇寿司で宣伝していたものの中から、雪奈に選んで買ってきてもらったものだ。何を選んだのかは教えてもらっていない。
雪奈がパックから取り出したのは、薄焼きのパン生地でレタス、錦糸卵、アナゴ、キュウリ、桜デンプ、イクラ、シャリを包んだものだった。
ちらし寿司?ちらし寿司なのかな……俺が知らないだけで、これもちらし寿司なのだろう。トルティーヤにしか見えないが。
「おお、美味そうだな」
教授には好評のようだ。恐らく、雪奈がどこから買ってきたのか知らないからだろう。
「そして、これの出番です!」
雪奈が取り出したのは、食パンを切るのによく使う台だ。パン切り包丁もセットされている。
「切れ味超次元パン切り包丁くんです!」
雪奈が手際よくトルティーヤ もとい ちらし寿司をセットし、刃を落とす。
ちらし寿司は見事に真っ二つになった。
雪奈は新たに二つの刃をセット、続けてトンカツをカットする。
「さすが空間切断ですね。まるで手ごたえが無くすんなりと切れます」
雪奈はパン切り包丁くんの出来にご満悦だ。
「なるほど。まな板が使えないから、専用の切断用の台を作ったんだな。
そして、クールタイムが必要で連続使用できないから刃を増やした」
「はい!もちろん、自壊しないようにセーフティーも設定しています。
切るのに時間がかからないので、限界時間までに二回は切れます。
刃に切断面がくっつかないので、キュウリとかでもサクサク切れますね」
「複数の刃を使うなら、クールタイム毎に刃を切り替えていくのはどうだ?」
「日常的に使うものですし、台の設計は壊れにくいシンプルなものの方がいいと思います。
それに切り替えるのに時間がかかってしまうと本末転倒ですし」
なるほど、確かに言うとおりだ。
「洗う時の安全制はどうなんだ?」
「持ち手を握らなければ機能は発揮されないので安全だと思います」
自分が平気だから大丈夫……は危険な考えだ。
「洗う最中に持ち手を握ってしまったら危ないだろう?
原理を知らない人が持ち手を握ってしまうこともあるだろうし」
「確かにそうですね……」
「洗う時は刃を台から外すから、台に設定されているときだけ機能が発揮するようにしたらどうだ?」
「なるほど!後で改良します!」
「お~い。議論もいいが、先に食べようぜ」
性能評価をしていると、教授がコタツから声をかけてきた。
教授はすでに自分の分だけコタツに運び、アルコールをコップに注いで飲む準備が完了していた。
「すぐ行きますー」
両手に皿を持ってコタツに向かう。
明日の試験がどのような結果となるかはわからないが、この依頼を受けることで、俺たちの生活が少しだけ便利になったことは確定したようだ。
「「「いただきます!」」」
「DAは完成したんだろう?名前はもう決めてあるのか?」
「そうですね、前回は空間が切れない鈍だったので、今回は斬空を名前に入れたいと思います」
「あと包丁!やっぱり包丁くんの名前は継承するべきだと思います!」
「ああ。だからこいつの銘は―――」
What's Your Partner's Name? - 了
名前は非常に大事です。
一応キャラクターの名前にも、親がつけた名前の意味が設定されていたり。
お読み頂きありがとうございます。
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