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幕間 初デートの定義は満たされない (平賀良二という人)

 そうして私と彼の距離は変わった。

 親同士の付き合いもあり昔から一緒に行動することは多かったけれど、その回数も密度も増した。

 理由がなくても二人きりで遊びに行ったり、二人きりで買い物に行くことが多くなった。すぐ隣を歩くことが多くなった。微笑みかけることが多くなった。彼の手に手を伸ばし――気づかれないうちに引っ込めるということもよくやった。

 競うことは無くなった。応援されることが多くなった。応援することが多くなった。応援されてやる気を見せていたけれど、少しだけ彼は寂しそうだった。

 楽しかった。気持ちよかった。幸せだった。満たされることはなかったし、やりすぎてしまうこともあったけれど、私はその距離感を楽しんでいた。


 他人が見ると恋人同士に見える仲だったけれど、私たちは付き合ってはいなかった。少なくても私はそう思っていた。

 付き合わなかったのはいくつか理由がある。過剰なロマンティストであったこともそうだけれど、私がこの関係に満足してしまっていたということもそうだ。心地よく丁度良く、押せば手に入ると自惚れていたし、押さなければ傷つかないと思っていた。揶揄いに乗せなければ好意を伝えられないほど、私が臆病だったということかもしれない。


 もちろん彼にも原因はある。彼は鈍い時もあるけれど、私のあからさまな好意に気が付かないほど鈍感ではない。あるいは私より先に私の気持ちに気が付いていた疑惑さえある。そして私にある程度は、二人だけの泊りがけの旅行を承諾してくれるくらいには好意を持っている。しかしそれだけだ。彼から明確な好意を示してくれることはほとんどなかった。


 理由は想像がつく。彼には自信がないからだ。

 彼には常に比較される優秀な兄がいる。私の知る限り、彼は兄に勝てたことがない。努力しても。策を練っても。

 その存在が彼にとって呪いとなっている。その存在は彼の根幹に深く結びついている。

 彼は兄に勝たなければ、私に好意を向けることはないだろう。


 平賀甲壱(ヒラガコウイチ)。弱冠十六歳にして純度93%という世界最高純度の人口魔石を造りだした、平賀良二の兄である。

 日本で唯一の人工魔石製造メーカーを取り仕切っている草薙家としては、絶対に引き込まなければならない人物である。



 私には運命に愛された素敵な婚約者がいる。



 せめて今だけは、恋に溺れていたい。それが無理なら、いっそこの胸の炎に焼かれて、燃え尽きてしまいたい。


 二年後、きっと私は……




「連れ出す感じで帰ってきたけど、もう用事は無かったのか?」


 徒歩で帰路についていると、隣の良二くんが尋ねてきた。今はもう腕は組んでいない。


「ええ。残りの予定は『天津乃湯』で一緒にお風呂に入るくらいだったわ」

「いいな。久しぶりにDA一人風呂に入りたい……」


 良二くんはすっかりあの万能風呂に心奪われてしまったようだ。いずれ購入するかもしれない。決して安い値段ではないけれど、今の彼なら簡単に手が届く。けれど……


「あら、家族風呂にDA一人風呂は設置されてないわよ?」

「??? え?」

「普通のお風呂なら兎も角、DA銭湯は魔力や属性を扱う関係上、良ちゃんのその義椀だと変な影響があるかも知れないから、つけて入れないのよ。

 お風呂で満足に身体を洗うこともできない人を、一人で放り込むほど鬼じゃないわよ、私。転んだら危ないでしょう?」


 腕に近いところでDAを使うのは良い。けれど、魔力が影響を及ぼしているお湯の中にDAの義椀を入れると、どのような現象が起こるか解らない。

 義椀は耐水だから平気だと思うが、万が一を考えて行動するべきだ。


「恥ずかしがらなくても、今まで何度も一緒に入ったことあるじゃない」

「それは子供のころだろう」

「高々二年前(・・・)よ」


 中学に入ってから良二くんの事が気になって、少しずつアピールするようになった。良二くんはのらりくらりとかわそうとするので、意地になって押してみた。

 加減を間違えて、そのまま一緒にお風呂に入った。

 恥ずかしいけれど貴重な思い出だ。

 今はその経験が生きて加減できている。最近はちょっとタガが外れかけている気もするけれど。


「まぁ、もうタイムアップだけれど」


 今は夕暮れ時。ずいぶんと寝てしまっていたようだ。今からお風呂に入ってから帰ると、日は完全に沈んでしまう。

 雪奈ちゃんとは、夕食には帰らせるよう約束している。それを反故にしたら仲直りできなくなるだろう。


「そうか」


 良二くんが安心した様子で言う。でもちょっと残念そうだ。残念そうだ。残念そうに見えると思う。残念よね?


「だから買い物は完全におしまい」


 分かれ道にたどり着く。お別れの時間だ。


「今日はたくさん迷惑をかけたわね。ホストなのに不甲斐ないわ」


 良二くんと向き合うと、ペコリと頭を下げる。


「気にしてないよ。

 ……俺のいないところで辛くなるよりもよっぽどいいさ」


 私の謝罪に良二くんは苦笑する。


「でもいつも俺が一緒にいられるわけじゃない。左腕はあげられないし、右腕だって持って帰れない」

「……ええ、そうね」


 解っていたことだけれど、心がずきりと痛む。


「だから、ひとまず俺の代わりにこれを受け取ってくれ」


 良二くんが鞄の中から綺麗な袋を取り出した。袋に書かれているのは「Blue Velvet」。ショッピングセンターで覗いた服飾店だ。



 良二くんはお約束を外さない。私は思わず笑みが零れる。



「ふふ、なにかしら」


 袋を開けて中を探る。持った感じだと軽く、柔らかい。かんざし特集をしていたから かんざし、あるいは私が気になっていたピアスかと思ったが違うようだ。リボンか何かかしら……


「これは……」


 手の中にあるのは白に赤い縁取りのチョーカー。シンプルだけどセンスのいいデザインで、生地は肌触りが良くつけると気持ちが良さそうだ。そして右側にはアクアマリン色の魔石(・・)が取り付けられている。


 あのショッピングセンターにはDAに関するものはおかれていない。つまりこれは――



「あははっ。そうよね、貴方はこういう人よね。

 良ちゃんが既製品をプレゼントするはずないもの!」



 買い物の目的地を知った良二くんは、事前に下見に行き私が行くだろうお店を調べ、そこで買い物をして、それをベースにDAに仕立て上げた。そして今日買い物の最中にあえて途中で席を外して、買いに行ったと思わせたのだ。自作であるということを隠すために。


 普通にプレゼントしてくれるだけで嬉しいのに、そこに少しだけサプライズを加える。それが良二くんのやり方だ。私の予想通りにはならない。だから惹かれるのだ。


 私の反応が満足いくものだったのか、良二くんはドヤ顔で私を見ている。


「どういった機能なのかしら?」

「最近麗の魔力増加と暴走が激しいだろう。だからその補助だ」


 私はブレスレットを見る。朝に魔石を変えたばかりだけれど、今日だけで四つ赤に染まってしまっている。このDAは私の感情によって引き起こされる、身を焦がす魔力を代わりに吸収して赤くなる。貰った当時は例え感情が高ぶっても一週間で一つ赤くなる程度だったけれど、最近染まるのが早い。

 私の感情が強くなったからだと思っていたけれど、もしかしたらそれだけが原因じゃないのかもしれない。


「前に麗に渡した余剰魔力吸収/守護障壁転化聖剣『心灯星咲(シントウホシサキ)』じゃあ吸収しきれなくなってる。

 ……昔のだし稚拙だし、新しいのを作り直そうとも思ったんだが、それじゃあ根本的な解決にはならないだろう。

 だから対応方針を変えることにした。

 麗のように感情と魔力がリンクしているケースは珍しくないし、ある程度データも取られてる。これが脳の状態と魔力器官における魔力出力の関係だ」


 D-Segに英語の論文とグラフの拡大図が表示される。


「見てわかる様に、脳の一部の活性状態と魔力器官の活性状態に密接な関係が見られる。

 感情をコントロールしているのは扁桃体だからね。そこが反応してるんだろう。つまり脳からの信号が魔力器官に影響を及ぼす、あるいは魔力器官が脳の状態を観測していると推測できる。

 まぁ、この辺りは麗も知ってるだろう?」


 こくりと頷いたけれど、そこまで詳しくは知らない。

 当たり前のように聞こえるけれど、脳と魔力器官の関係についてはまだ詳しく解明はされていない。私も『考えたら魔力器官が反応している』程度の認識しかない。手や足を動かすのと同じだ。一々そんなことは考えない。


「麗の特性の原因はいくつか考えられる。伝達過敏により、小さな感情でも度を越した出力が発生してしまう。あるいは魔力が大きすぎ、かつ出力すれば直接的に影響がある熱関係のため、それなりに大きいが普通なら問題にならない出力でも大きな現象になってしまう。

 なんにせよ、問題は感情と魔力器官の間のやり取りが正常に行えていないことだろう。麗も治療は試してみたんだよな?」

「そうね……魔力器官はまだ全然解明できていなくて調整も難しいしから、やるなら感情制御ね。

 薬物の投与や催眠系のDAは試してみたけれど、あまり効果はなかったわ。強い薬や機能なら効果を発揮するだろうけれど、副作用が強いから怖いのよ」


 魔力が強くそれに体が慣れてしまっている場合、薬や属性に耐性が生まれてしまうことがある。特に私は自身を守るため耐性が高めだ。病気にはなりにくいから薬にお世話になることはほとんどないけれど、痛み止めが聞きにくいのは厄介だ。


「そこでこのチョーカー、感情欺瞞聖剣『心熱星凪(シンネツホシナギ)』!

 年度末期末試験で培った思考制御の技術をもとに、それを感情に拡張してみました。

 その機能は簡単!ここを通ることでローパスフィルターされる――つまり、閾値を超えた強い感情値を弱い感情値に丸め込んでしまうわけだ。また、魔力回路と脳のパスを計測し、感情値の高ぶりによりパスに流れる情報量が増した場合、それについても丸め込む」



「効果を一言で言うと、これをつけている間は感情による熱暴走が起きにくくなる」



 良二くんはあっさりと、私の長年の悩みを解決する手を打ってきた。


「まぁ、結局はデータのやり取りにすぎないわけだからな。計測する値や、命令するデータを書き換えてやれば脳や魔力回路をいじくる必要なんてないわけさ」


 確かに……確かにそうだけれど……

 私では思いつきもしなかった。


「えっと……それは本当なのかしら?

 理論上有効なのは確かに解るわ。でも実現できるの?」


 私の質問に良二くんは渋い顔をする。


「不安なのはわかる。実際開発途中だしな。とはいえ感情とパスを通る魔力に相関関係があるのは解っているし、それをある程度コントロールできるということも実証できてる。魔力回路側にダミー情報流すのもうまくいった。

 たぶん正常に動作すると思う。とはいえ安全を十分確保できる状態で効果を確かめて欲しい」


 ある程度実績があるらしい。私は信じられない気持ちでチョーカーを矯めつ眇めつ眺める。


 そこで私はあることに気が付いた。この魔石は私が先日の依頼の報酬で渡したものだ。ダンジョン内で見つかった純度スリーナインの魔石。小さめだけれど高い純度を誇る逸品で、政府と交渉(・・)して報酬に加えてもらったものだ。末端価格では平均的なサラリーマンの年収に匹敵する。


「ねぇ良ちゃん。この魔石なのだけれど」

「まずかったか?報酬は研究用の資材だから売ったりするのは問題でも、研究に使うのは問題ないだろう?

 一応このDAは感情に起因する魔力暴走の治療用DAとして開発してるから問題ないはずだ」

「ええ。それは問題ないわ。私が聞いているのは、この魔石を選んだ理由よ」


 良二くんは首を傾げる。


「今回使用する聖剣回路を刻める容量があって、ある程度拡張と改修できる余裕があり、かつ麗の好きなアクアマリンブルーの魔石がそれしかなかった。それじゃあ駄目か?」


 私はため息をつく。

 良二くんは忘れているだろうけれど、私がアクアマリンブルーのアクセサリを身に着けるのは良二くんが似合うと言ってくれたからだ。

 そしてこの魔石を選んだのは一番価値があるからで、断じて私が欲しかったからじゃあない。

 これじゃあ、良二くんがあの依頼を受けて、頑張って解決したのは、私にこのプレゼントをするみたいではないか。もちろん良二くんは報酬のとは知らなかったし、そんな意図はない。でもそんなの、私は――



「ううん、凄い嬉しい」



 我ながら単純だと思う。けれどそれが私の感情だった。


「でも……これは何時造ったのかしら?」


 また無理したのでしょう?と言外に問う。


「設計思想自体は打倒正技さんの依頼を受けた後、鈍八脚を開発しているときに思い付いた。

 その後は気分転換の時にチマチマと設計してた。一時期は魔力器官と脳のパスの所でつまずいて放りっぱなしになってたけど、この間ディバイン・ギアを直繋ぎしただろう?その時のデータを精査してたらパスのデータが見つかったから、開発を再開した。

 まぁそれも気分転換や暇つぶしだったけれど」

「……その期間は雪奈ちゃんのなりきり変身グッズを作ってたんじゃなかったかしら?」

「その気分転換だよ。そもそも趣味なんだから、優先順位なんか決めてないさ」


 ああ、そうだった。良二くんとはこういう人だ。

 開発の気分転換に別の開発を行う。それを当たり前だと思っている研究狂だ。

 彼は彼が言う通りの秀才などでは決してない。もっと悍ましい何かだ。


「それでも時間が足らなくないかしら?」

「それは……」


 良二くんが目をそらし、バツが悪そうにする。


「アイズと雪奈に手伝ってもらったよ。

 元々データの整理はアイズに任せきりだったし、今では回路の設計は雪奈の方が得意になってる。

 だからすまない、これは俺の手作りじゃないんだ」


 良二くんがしょぼんとする。


「ああ、でも最後の魔石に回路を刻むのと、チョーカーへの縫い付けは流石に俺がやったぞ」


 両腕が満足に動かず、魔力もまともに作れない彼が一体どうやってその作業を行ったのか。

 ……彼と聖研究室のことだ。そんな方法はいくらでもあるか。


「良ちゃん、それは十分あなたの手作りと呼んでいいわ。でもよく私へのプレゼントを雪奈ちゃんが手伝ってくれたわね。

 ……嫌われていると思っていたけれど」

「確かに不機嫌だったよ。俺が夜に作業してるのを見つけたからな。滅茶苦茶怒られた。

 でも説明したら手伝ってくれたよ」


 それは怒るだろう。そして手伝ってくれるだろう。手伝わないと徹夜するんだから。


「それと雪奈からの言伝。

ご自愛ください(・・・・・・・)

 ……嫌ってはいないと思うよ」


 果たしてどうだろうか。あの夜のことを考えると、私を心配しているというより、私を戒めているように聞こえる。

 やっぱりスィーツを持って会いに行こう。良二くんがいないときに。いや、それよりも私の家に招待した方が良いかもしれない。じっくりゆっくり話をしたい。


「でもどうしてそこまで急いだのかしら」


 話を聞く限り、良二くんは今日のプレゼントのためにかなり無理をしている。無理をするのが彼の趣味ではあるけど、今はゆっくり休んだ方が良いというのは彼も知っているはずだ。

 私の熱暴走は昔からだし、急ぐ理由は思いつかない。


「見舞いの時にブレスレットが見えた。あとは……調子が悪いという話を聞いてな。急がなきゃといけないと思った」


 情報源は恐らく愛韻くんだろう。常に身体を押し付けろとか、カラオケで押し倒せとか、お風呂に誘えとか、夕食に誘って眠らせろとか、酷いプランを提示してきたから後で叱ろうと思っていたけれど、今回は大目に見よう。


「……まぁ、解ってるんだ。最近暴走しがちだったのは俺のせいだろう?

 だから責任は取りたかった」


 良二くんは照れ臭そうに目線をそらした。



 私は色々考えた。色々と悩んだ。しかし、それは私だけではなくて、彼もそうだったのだろう。



 私はチョーカーに触れる。心が落ち着く。

 うん、これでこの一件の諍いも終わりだ。明日以降きっと私の心は落ち着くだろう。


「それで……受け取ってくれるか?」


 良二くんが少し心配そうに言う。

 そんな表情しなくても、私が拒否するはずないのに。


「ええ。もちろん受け取るわ」


 早速使ってみたいけれど、使用するのは安全を確保してからと言われた。残念だけれど使うのは帰って小型バブルスフィアを展開してからの方が良いだろう。

 ……でも、使わなければ問題ないのよね?


「ねぇ、良ちゃん。せっかくだし着けてくれないかしら?

 プレゼントだもの、初めては良ちゃんにつけて欲しいわ」


 良二くんにチョーカーを差し出す。


「――わかった」


 私の言葉の意味(・・・・・)が分かったのだろう、良二くんは少し悩む仕草を見せたけど、引き受けてくれた。


「ふふ、それじゃあ――」


 あの日々(・・・・)の事を思い出す。二日に一度は楽しんだ。「お嬢様」「ご主人様」「麗火様」「麗火さま」「麗火ちゃん」etc etc... イントネーションの違いだけでもだいぶ違うというのは身に染みて解っている。その上で私が選ぶ選択肢は……



「ねぇ、あなた……私に首輪を着けて下さらないかしら」



 髪をかき上げ、首筋を彼に差し出し、妖艶にほほ笑む。

 良二くんは一瞬だけ目をつぶると、余裕のある薄い笑みを浮かべ、滑らかな動きで私の首元に手を伸ばす。


「んっ……」


 敏感な肌を硬い指先が撫でる感触に思わず声が漏れた。

 そのまま彼は艶やかな動きで私の首を撫でまわすと、片腕だけで器用にチョーカーを私の首に巻き付けた。


「はぁ……」


 涙の滲む目を細め、首に触れる。滑らかな肌触りのチョーカーがしっかりと首に触れている。


「それと、これを」


 良二くんは右手を首筋に添えたまま、ゆっくりと顔を近づけてきた。


「ちょっ!?」


 思いもかけない展開に身体が硬直する。押しのければいいだけなのにそれもできず、彼の動きを受け入れてしまう。

 ゆっくりと彼の顔が近づく。かつてない距離。ここまで近づいたのは、記憶の中では一度か二度くらいだ。


 私は覚悟を決めて目を瞑る。そして――



「このアプリで制御できる。感情値モニタリングもできるから、上手く調整してくれ」



 おでこと眼鏡が触れて彼は止まっていた。


 …………


 ゆっくりと目を開けると、意地悪に笑う良二くんが離れていくところだった。


 D-Segには新しいアプリがインストールされ、画面端にDAの使用状況と感情閾値と思わしき数字、感情値グラフが表示されている。しかも凄い高い。


「……はぁ」


 ため息をつく。ニンマリとしている良二くんを見る限り、すべて計算通りだろう。考えてみれば、DAがチョーカー型である必要もない。この形にすれば私を誘導できると考えたのだろう。そして良二くんはとっさにあんなことができるような人間ではない。きっと昨日は夜遅くまで練習したに違いない。想像するとちょっと可愛い。

 癪ではあるけれど、首輪(ディバイン・ギア)を着けるときに散々彼を揶揄ってきた私に怒る権利はない。


 ……まぁ、色々と得るものも多かったし許してあげよう。


「えっと……この現在値を参照して、私の感覚を元に閾値を調整していけばいいのね?」


 意識を切り替えてアプリを操作してみる。現在はDAの機能はオフになっているのでどれだけいじっても問題ない。

 グラフがあるからある程度は想像できるけれど、数字だけだとどれくらいの感情なのか解り辛い。


「ああ。ただサンプリングできたのは俺のデータだけだから精度はあてにならないと思う。すまないけど、麗の方でカスタマイズしてくれ。解らなければ操作方法や仕様はアイズに聞いてほしい」


 アプリなんてプログラミングの授業でしか作ったことがないけれど、一日二日でこのアプリが造れないことくらいわかる。しかしアイズくんなら話は別だ。


「それと……これは一説に過ぎなくて検証はできてないことだけれど、一応注意事項として伝えておく。

 属性の強さ、魔力の強さは脳に影響を及ぼす事が解ってる。同じ理由により、魔力の強さは感情に影響を及ぼすことがあるらしい。

 最近の麗は感情のコントロールが難しくなっているみたいだけど、魔力器官の暴走が原因かもしれない。強い感情で魔力器官が暴走して、発生した魔力の影響を受けて感情がさらに高ぶってコントロールが難しくなる。

 そうすれば魔力器官はさらに暴走するようになって、感情もそれに引っ張られる。

 いわゆる悪循環だな。

 その場合、このチョーカーで魔力器官の暴走が抑えられれば、感情も落ち着く可能性がある」


 良二くんの言葉に、心が一瞬にして凍り付いたのが解った。

 確かに覚えがある。年々魔力が強くなり、それに応じて感情も強くなっていった。

 思春期の頃は魔力の伸びが良いという。私たちが高校生のタイミングでDAMAに進学するのも、魔力を効率よく延ばし、それにより芽生える才能を最大限に生かすためだ。

 この一年で私の感情は大きく膨らんだ。抑えるのがやっとなほどに。身を焦がすほどに。



 でも、もしそれが魔力器官の暴走が原因だとしたら。感情と魔力の悪循環で膨れ上がってしまっただけなのだとしたら。


 この気持ちは偽物なのかもしれない。



 直前まで暖かく愛しさを覚えていたチョーカーが、一転して冷たく心を縛り付ける首輪に思えてくる。


「麗?」


 気が付くと、離れていた良二くんがすぐ近くまで戻ってきていた。心配そうに顔を覗きこんできている。


「なんでもないわ。

 ――心当たりがあっただけ」


 思わず彼から目をそらす。今はまともに彼を見ることができない。

 いや、今どころか、これからだってどうやって彼と接すれば――

 駄目だ。思考が混乱してる。落ち着かないと。まずは落ち着いて私の気持ちを確かめて……


 そんなことができるのだろうか。このチョーカーを使って、魔力器官を静めて、それで彼への気持ちを確かめるなんて。

 そんなことが、私に。


「麗」



 身体が熱に包まれる。暖かさに包まれる。少し柔らかくて少し硬い。

 力強くて、私を落ち着かせる。私の心を騒めかせる。



 身体全体で良二くんを感じる。

 背中に回された腕は硬くて、左腕は無くて、全然完全じゃないけれど。


「俺の腕は落ち着くんだろう?」


 力が抜ける。心が受け入れる。身を任せる。


「ばか。落ち着くわけないでしょう」


 私はそう答えるのが精いっぱいだった。




「結局感情というのは脳内信号に過ぎなくて、恋や愛情というのは脳内麻薬にすぎない」


 落ち着いてきた私に、良二くんは耳元でそういった。


「他人によってもたらされた、他人への感情っていうのは言ってしまえば単なる洗脳だ。入力によって脳内のパラメータを書き換える。因果関係だけ見れば何も違いはありゃしない。

 価値観や行動原理を書き換えてしまう恋や愛なんてその最たるものだろう」


 良二くんはこういう人だ。彼は自身の感情をこうやって処理する。


「ではそれが間違いなのかというとそうじゃない。人は人とコミュニケーションを取らなければ生きていけないし、人という種を存続する上で繁殖の切っ掛けとなる恋というのは必要不可欠だし、子孫を守る上で愛というパラメータは無くてはならない。

 人という種とその営みを成り立たせるために必要なものだ。だから感情や心を生み出し、操作する機能も、その結果も否定しちゃいけないと思う」


 良二くんはこういう人だ。彼は自身の感情をこうやって肯定する。


「だから、魔力器官が感情に何らかの影響を及ぼしているとして、それによって生まれた感情は決して間違いなんかじゃない。

 吊り橋効果だろうがストックホルム症候群だろうが大いに結構。問題はそれを自分が肯定するか、肯定出来るかだ。

 それが好ましいなら認めればいい。受け入れられないなら否定すればいい。

 原因なんて関係ないさ。選ぶのは麗自身だ」

「その選択を選ぶ感情が汚染されているとしても?」

「それも含めて今の麗だろう。それと……麗から向けられる感情も、行動も結構好きだ。楽しんでる。感情が高ぶると熱を出す癖、俺は迷惑に思ってないし嫌いじゃない」


 抱きしめる力が一回り強くなる。

 残念だ。こんなに強く抱きしめられては、彼の顔を見ることもできない。

 けれど安心する。

 こんなに強く抱きしめられては、彼は私の顔を見ることができないだろう。




 良二くんはこういう人だ。

 きっと誰にだってこうする。チョーカーをくれたのは私の体調不良に気が付いたから。首に巻いてくれたのは意趣返し。抱きしめてくれるのだって、良二くんの腕が落ち着くと言ったから。私の感情を肯定するのだって、私がそれを望んでいるからだろう。

 全てインプットに対する最適なアウトプット。彼の本心は解らない。


 でもそれが私の心に火を灯す。心地よくしてくれる。熱量自体は魔力器官が増幅させているものだとしても、この気持ちは本物だ。

 だからもう少しだけ甘えよう。この恋を楽しもう。終わりを迎えるその時まで。



「ねぇ良ちゃん、私貴方に謝らないといけないことがあるの。

 怒らないで聞いて欲しいのだけれど」


 名残惜しさを感じながらも彼から離れると、私は彼にそう言った。

 さらに恋を楽しむために、彼にとっておきの情報を伝えよう。


「なんだ?」


 私の熱が上がらないように配慮してなのか、警戒した様子は無く柔らかい口調だ。




「実はこれ、二人きりの買い物じゃなくてデートだったの」




 良二くんの顔がピキリと固まる。

 良二くんは重度のロマンチストだ。そしてその感性は少年漫画とゲームとアニメとライトノベルで育てられている。故に、初デートもファーストキスもその先も生涯を誓い合った彼女と、彼女だけと行いたいと考えている。

 彼と一緒にそういうものを嗜んできた私にはよくわかる。


「それは――それは違うだろ……」


 良二くんがどことなく諦めの籠った声で言う。


「正確には今回だけじゃなくて、前々から一緒に遊びに行っていたのは全部デートだったの。

 私はそう思ってたわ」


 良二くんの反論に答えずに言う。


「でも、良ちゃんも気が付いてたわよね?」


 良二くんに悪戯っぽい笑みを向ける。良二くんは答えず、一瞬だけ視線を下に向けた。


「ごめんなさいね。でも気持ちが楽になったわ」


 不服そうではあるけれど、決して嫌がってはいないことに満足する。


「何で今更なんだ」


 良二くんはジロリと私を見てため息をつく。


「良ちゃんは隙だらけだし、他人に甘いから、このままだとあっさり奪われちゃいそうだと思ったのよ」


 雪奈ちゃんの買い物に付き合った後に「デート楽しかったです!」と言われたり、紫月さんに襲われて攫われて連れ回された挙句に「つまらないデートだったわ」と言われたり。他にも良二くんはクラスの女子にも好意を持たれている。イノベーション・ギルドの依頼で買い物という名目のデートに付き合ったり、お礼と称してデートに誘われる可能性は高い。

 以前もちょくちょくそういうことはあった。そういう時は私や仁くんもついて行ったけれど。

 良二くんが誰かと二人で遊びに行くのは良い。今だって雪奈ちゃんと一緒に生活している。

 けれど、私が我慢していたものを横から掻っ攫われるのは我慢がならない。


「……うん」


 心当たりはあるらしく、良二くんは素直に認めた。


「良ちゃんは隙があり過ぎるわ。今日も私がその気なら、唇を奪われてたわよ?」


 私がそうしなかったのは、彼の意思を尊重したからであって、私がヘタレだからでは決してない。


「いや、それは―」


 良二くんは反論しようとしたが、途中で口をつぐんでしまった。図星だったのだろう。


「私は別に良ちゃんの恋人じゃないから、とやかく言う権利はないわ。でも幼馴染として(・・・・・・)心配するのは普通だと思うの。

 だからね――」


 口の中が乾いている。良二くんが受けてくれるだろう、ギリギリの範囲の約束を思いついた。それは露骨で、あからさまで、直接的な要求だ。


 良二くんは自信が無い。そして他人に対して甘い。先ほどの言葉も、先ほどの好意も、きっと誰にでも向けるものだ。けれどそこに感情が伴っていないはずがない。何も考えずに行動したわけではない。彼は勇気を出して伝えてくれたのだ。だから私も少しだけ、半歩だけ前へ。勇気を出して口にしよう。



「良ちゃんの唇を予約させて」



 予約。単なる予約だ。予約している間はその唇は私の物。それなら良二くんも奪われないよう気を付けるだろう。

 ただそれだけの――それだけの露骨な要求だ。


 心臓がドキドキと激しく脈打っている。D-Segの片隅のグラフが、凄い値を叩きだしている。けれど――この涙が溢れてしまいそうな高鳴りが気持ちいい。愛おしい。


 良二くんが悪いのだ。この感情を肯定したのは彼なのだから。だから責任は取ってもらわないと。


 永遠にも近い一拍の後、良二くんは覚悟を決めた表情で口を開く。それを見て、私は――



 ああ、ダメだ。我慢できない。

 彼が言葉を発する前に、彼に駆け寄る。その首に両腕を回す。そして私は感情のままに彼の頬に口づけた。



「これはチョーカーのお礼と手付金。

 これでお互いの唇は予約済み。

 ……大切にしてね?」



 良二くんの頬から口を離すと、彼にそう言う。

 どんな表情をしているのか、自分でもよく解らない。


「……ああ」


 呆然とした良二くんは、それだけしか言葉を出せなかった。

 良二くんは気の利く台詞を言うこともあるけれど、攻めると怖気づいてしまう。もっと自信をもって、戻れないところまで堕として欲しい。



「それじゃあお休み、良二くん(・・・・)

「お休み、麗火さん(・・・・)


 さすがの私もこれ以上顔を合わせ続けられる度胸はない。早口で別れを告げると、熱を冷ますため駆け足で走り去った。

 彼は、どんな表情で私の背中を見送っているのだろうか。




 剣聖生徒会生徒会長に割り当てられるペントハウスに帰り、シャワーを浴びる。食事をしてベッドの上に寝転がる。

 その頃には頭と胸の熱は下がっていた。その結果として、一人頭を抱えていた。


 やってしまった。自分でもよく解らない感情と焦燥感に中てられ、予定にない事をしてしまった。良二くんは繊細だというのに、恋の駆け引きも何もない。あんなコト、あんな約束、愛の告白とどう違うというのか。

 良二くんだって困惑しているに決まっている。否定されなかったのだって、呆気にとられてしまったからだろう。きっと今頃どう契約解除しようか頭を悩ませているはずだ。今すぐにでも呼び出されて断られるかも……


 一から……一からやり直しましょう。甘えずに、真剣に真正面から向き合って、彼を受け入れて、彼を支えれば、きっと私のことも受け入れてもらえるわ。私の気持ちだって理解してもらえるはず。しばらくは上手く喋れないと思うけれど――


 ピコン


 何時ぞやのように、心を入れ替え、彼の心に寄り添い歩いて行こうと考えていると、D-Segに連絡の通知が届いた。



『ありがとう。嬉しかった。

 今日のデートは楽しかった。

 また明日』



 短い感想。けれど彼が悩み抜いたのは伝わってくる。

 一言一言選び取って、それに深い意味があるだろう。


「ふふ。ふふふ。ふふふふふふ」


 抑えられない笑みを何とかこらえて、ベッドの上を転げまわる。帰ってすぐにブレスレットの魔石を交換しておいてよかった。すでに5つとも染まっていたから、変えていなければベッドが焼き付いていた。


 マズい。このままだと明日会えない。表情が凄いことになる。それ以前に会った瞬間に燃え尽きるかもしれない。


 笑っている膝に無理矢理力を入れて備え付けの研究室に行きバブルスフィアを起動する。D-Segからアプリを起動してチョーカーの機能をONにする。機能に効果があるのかプラシーボ効果なのか時間が経ったからなのかは解らないがなんとか落ち着く。

 なんかすごい値になっているグラフを見ていると、ログ参照できることに気が付いた。

 D-Segに保存しておいた今日の録音データと比較してみると、どのときにどの値が高かったのかがわかる。なるほど。これを参考にして閾値を決めてしまおう。


 そうして感情とそのとき何があったのかを一致させていると、チョーカーをつける前のデータが存在していることに気が付いた。

 私のデータではないだろう。

 きっと、デート中も、データを集めて、アプリを更新し続けてて



 頭が沸騰するのと同時に私は過去ログを削除した。



 凄い値が見えた気もするけれど忘れよう。アレは私が見ちゃいけないデータだ。


 慌てたけれど、同時にホッとした。

 ……私は普通だ。この感情も正しいものだ。決して壊れた数字なんかじゃない。だから安心してこの恋を続けよう。





 私には運命に愛された素敵な婚約者がいる。


 平賀甲壱(ヒラガコウイチ)。現在はDAMAトーキョーの大学部に通っている。元風紀騎士団団長。卒業時には7つの二つ名を持っており、DAサイエンスに論文が掲載されたこともある。生徒を指揮しダンジョン内に現れた竜を数名で討伐したという逸話もある。


 まさに当時のDAMA一の天才だった。


 それがなんだというのだ。『彼』は剣聖生徒会の下部組織である風紀騎士団と違い、私と対等の存在であるイノベーション・ギルドの初代ギルドマスターで、すでに10の二つ名を持っていて、私と連名でDAサイエンスに論文が載っており、上位の竜種をソロ討伐した。甲壱さんが勝てなかった正技さんの首だって落としている。

 属性値がなんだ。魔力がなんだ。彼が見劣りするところなど何もない。


 それでも彼が自信を持てないというのなら、引き続き彼に(・・・・・・)試練を与えよう(・・・・・・・)



 私はDAMAを卒業すると同時に結婚することになっている。だからその前にやらなければいけないことがある。

 私から切り出さない理由は簡単だ。ヘタレだからではなく、私も彼と同じく『重度のロマンチスト』だからだ。心奪われる素敵な告白に期待しているからだ。


 それでも彼が自信を持てないというのなら。


 二年後、きっと私は――






 Not Dating, But Dating. - 了

ヒロインにしてラスボス、全ての元凶である麗火さんのお話でした。今まで出番が少なかった彼女ですが、好きになっていただければ嬉しいです。

解決したように見えますが、熱暴走属性は無くなりませんのでご安心を。



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