エピローグ_2 ヒーローの定義は満たされない(上)
平賀良二の耐久性は高い。よく寝れなくても熱さえ下がれば元気になる。
熱が出たせいで深く考えてしまったのだ。意味など求めなければ何も問題ない。
そんなことより重要なのは食事だ。喉の調子が良くなったので、まともなご飯が食べられるようになったのだ。
まずはリンゴ。その後様子を見て通常の病院食。ここの病院食は非常に美味しいと評判なので楽しみだ。
そんなわけで麗火さんがリンゴを剥いている。鼻歌を歌って楽しそうだ。
「はい、あ~ん」
麗火さんが一口サイズに切ったリンゴを指でつまみ、俺の口元に近づける。
俺は口を開かない。
「あら?すりおろした方がいいのかしら」
そう言うと、麗火さんはリンゴを自分の口へと向ける。
「ちょっと待て、何をする気だ」
ガラガラとした声で問う。
まさか口内ですりおろすつもりじゃあるまいな。
「聞こえなかったのかしら。良二くんが食べやすいようにするつもりよ。
それともこのまま食べるのかしら?」
麗火さんはニコニコしながらつまんだリンゴをこちらに戻してきた。
「いや、爪楊枝とかで」
「衛生問題を懸念しているのね。
ちゃんと部屋に入る前に消毒したから平気よ。
それとも良二くんは私の指を汚いと思ってるの?」
「いや、麗火さんの指は綺麗だが……」
俺の返事に麗火さんがにんまりと笑う。
「それじゃあ問題ないわね。あ~ん」
言いたいことはあるが、言ったところで聞かないだろう。
せめてもの抵抗として端を咥えるつもりだったが、敢え無く指で押し込まれた。ウサギさんではなく、小さめにカットしたのはこれが狙いか。
「んっ」
麗火さんの形のいい細く長い指を少しだけ舐めてしまう。
麗火さんは引き抜いた指をちらりと見たが、すぐにリンゴを咀嚼する俺へと視線を戻した。
「ダンジョン産のヒメミツリンゴよ。どうかしら?」
「甘い」
――実際のところ、味などよく解らなかったが。
「そう、それは良かったわ。
まだまだ食べれるわよね?それともやっぱりすりおろした方がいいかしら」
「……もしすりおろした方がいいと言ったら本当にするのか?」
「安心して。
医療行為だからカウントしないわ」
「医療行為じゃないよな!?」
つい強めに突っ込んでしまう。リンゴのおかげか、喉はそんなに痛まない。
「それは……カウントしたいということかしら」
「いや、そういう意味じゃあない」
なんで麗火さんはそんなに顔を赤らめているんだ……
改善して欲しいことはあれど麗火さんは聞かないし、両腕の無い自分には麗火さんに食べさせてもらうか皿から直接食べる以外の選択肢はない。俺はリンゴ一つ分を麗火さんから食べさせてもらった。
「ごちそうさまでした」
まだお腹は減っているが、それでも大分満足できた。
「お粗末様でした。
ずいぶんと顔色が良くなったわね」
麗火さんはジィっと人差し指を見た後にハンカチで拭くとそう言った。
「一昨日見舞いに来てくれていたのか?寝てて気が付かなかった」
「今日の話よ」
「…………」
「残りのヒメミツリンゴは置いていくわ。美人でスタイルのいい看護婦さんにしな垂れかかられながら優しく食べさせてもらってね」
何やら含むものを感じる。
確かに担当の高木さんは美人でスタイルが良く笑顔が絶えずちょっとボディタッチが多くて時々こちらを見る目が危ない気がするが、普通に食べさせてくれるはずだし、その程度で元気になったりはしない。たぶん。
「ふふ、冗談よ。彼女がまじめに仕事してくれているのは解ってるわ」
麗火さんが何を言いたいのかわからないまま食事の時間が終わる。
「さて、それじゃあお仕事の時間ね。
こちらが今回の依頼の報酬になるわ」
D-Segに目録が送られてくる。
変わらず実験に使う各種魔石や消耗品、機材の優先使用チケットばかりだ。ただ、いつもよりだいぶ量が多く質もいい。
相場は不明だが、拘束時間も長かったし危険もあったから妥当なのだろう。
魔石に良い感じのがあったから、後で雪奈にキューラーなりきり変身グッズを造ってあげよう。きっと驚くはずだ。まぁ、まだ解決していない問題があるのだが。
「それと、今回の件はこちらが想定していた危険度と大きく乖離がありました。
ごめんなさい、完全にこちらのミスだわ」
元々の依頼の危険度はAランク。ただしDAMA基準ではなく、『ダンジョン攻略における』基準……つまり、「命への危険は低いが、重度の怪我を負う可能性あり」だ。
ダンジョン攻略及びモンスター討伐のノウハウが溜まりある程度安定して戦闘できるようになった日本では、人命第一をモットーとして掲げている。
そのためAランクが発行されるのはダンジョン外での強力なモンスターとの戦闘、あるいはダンジョン攻略最前線で実際に命を落とす危険性があるケースだけだ。それにしても最低限命を救うための対策は取られている。普通はAランクの危険度という時点で作戦は却下され、安全な作戦の再提出、あるいは対策用のDA開発が求められるという。
その上となればSランク、「高い確率で命を落とす可能性あり」だろうか。
確かに決戦の戦力は酷いものがあった。なんだよ、竜種って。ソロで戦う相手じゃないだろう。超回復持ちだし。無限湧きする上に能力も高い紫月異相も酷いものだったが。
「公正な審議の結果、今回の依頼の危険度はSSランクに認定されたわ」
「SSランク?」
聞いたことが無い。いや、アニメやゲーム、映画では出てくるが、実際には存在していないはずだ。
「『生きて帰れず。死して進むべし』ね。私も初めて聞いたわ。ちなみにその上が『人の領域に非ず』だそうよ」
「S級までの定義と全然違うんだけど?」
「ダンジョン発生当時のランク分けのままらしいわ。現在の運営上『存在しないランク』だから変える必要が無かったのね。
正技さんのお爺さん――正切さんがタキツヒメ討伐任務に従事した時もこのランクだったそうよ」
「確かにタキツヒメが相手だったけど、流石にランクが高すぎないか?昔なら兎も角今は技術が大分発達してるだろう。危険度も減ってるはずだ」
「危険度に上方修正のかかる空間系の属性、傷自体を無かった事にする超回復、さらにソロ討伐となれば妥当よ。
昇人くんと輪之介くんの戦闘は確認したかしら?彼らは天災級の竜種のレプリカだったから、SSS級扱いね」
二人の戦闘についてはアイズからあらましを聞いたが、ドローンでの撮影についてはまだ目を通していない。
麗火さんの言う通りならまさに人外の戦いなので楽しみだ。でも出来るなら二人の最終フォームの情報については隠して欲しかった。アイズは空気が読めない。
「危険度についてはお偉いさん方も納得済みよ。
けれどその場合、一つ大きな問題があるの」
「問題?」
「ええ。仕方がないとはいえ、第一種初級剣聖免許しか持っていない、しかも学生を戦闘に駆り出したというのは外聞が悪いのよ」
「外聞も何も、全部DAMAトーキョー内だけで閉じた話じゃないのか?」
「あえて言わなかったけれど、DAMAとランダイだけで終わっているわけではないの。良二くんも気が付いているでしょう?」
まぁ、仮にも世界の危機があるというのに、それだけで終わりはしないだろう。少なくても国は認知しているはずだ。
「色々と面倒だし私の方で全部処理して、良二くんには最低限の顛末だけ伝えるつもりだったのだけれど……
表には出ないやり取りだけれど、お金も動くし、報告書と資料も残さないといけないし、認可を受ける必要もあったりで、今のままだと厄介なの」
「ふむ。それで」
「良二くん、昇人くん、輪之介君にはSSランク以上の危険度の任務を受けられる免許を、二週間前に遡って発行していたことになったわ。
特級真剣剣聖免許の取得おめでとう」
「……はい?」
級は聖剣に関する技術力と理解力、運用能力に応じて上がり、機能の制限が解除される。特級ならば制限リストにでも乗っていない限り無制限だ。
第一種、第二種、そしてその上の真剣はどのような状況でDAが使えるかに影響する。バブルスフィア外で戦闘用DAを使うには二種、バブルスフィア外で制限リスト入りのDAを使うには真剣が必要だ。
「深界バブルスフィアはバブルスフィアじゃなくてダンジョン深層扱いになることが正式に決定したわ。怪我をしても治らないのだから当然ね。
ディバイン・ギアについては以前から扱いについて議論されていたけれど、今回映像で確認できるようになってその多様性と威力について認められ、使用する機能に応じて階級を決めることになったわ。今回の場合は色々と問題がある機能を使っていたから、とりあえず特級で申請したんだけれど、そのまま通ったわ。
そう言うわけで、健全に活動してもらうためには、どのみち免許の更新は必要だったのよ。
だから特例で審査を通したわ」
確かに使用するための条件さえ無視するなら、ディバイン・ギアは破格の性能だ。それをダンジョン深層――バブルスフィア外で使うとなればそれなりに資格も必要だろう。けれどあまりにも唐突過ぎる。
「確か審査対象に実績が」
「竜乙種、竜甲種のソロ討伐以上の実績なんてそうそうないわよ?」
「いや、でもそれは免許を得た後の実績だろう?」
「その辺りはどうとでもなるのよ」
いや、しちゃ駄目だろう。
「ペーパーテストとか」
「いいのよ、ちゃんと使えてるから」
だから、良くないだろう!
麗火さんの力技に頭を抱えたくなったが、残念ながら抱えるための腕すらない。
「良二くん、それだけ貴方を評価している人がいるということよ。
だから受け取って」
悩む俺に麗火さんが優しく微笑みかける。
ああ、この笑顔を向けられると拒否などしようがない。
一つため息をつく。
「限りなく偽造に近い本物なのが気になるけど、持ってても邪魔になるものじゃない……というか非常に便利だからな。
限りなく偽造に近いから唐突に没収されないか不安だけど、素直に受け取るよ。
限りなく偽造に近いけど嬉しい、ありがとう」
素直に感謝の気持ちを伝えると、麗火さんの笑顔がぴしりと歪んだ。
「ああ、それと……諸々の事務作業もありがとうな。俺じゃあそう上手く行かない」
俺のお礼に、麗火さんはきょとんとしたが、すぐに笑顔を綻ばせる。
そうだな、どちらかと言えばそちらの笑顔の方が好ましい。
笑顔をじっと見つめる俺の視線に気づいた麗火さんは、こほんと咳をすると表情を戻した。
「事務能力を買ってもらえたのは嬉しいけれど、私はまだまだよ。これを見て」
D-Segに数字がずらりと並ぶ。
どうやら金額のようだ。
一、十、百、千、万、十万……あまり見ない桁の数が並んでいる。
「……これは?」
「今回の依頼は鳳駆さんが窓口だけれど、実際は国からの依頼なの。
国から『特級真剣剣聖免許所有者への危険度SSランク』の依頼になるわね。
一応学生だから規約上報酬として金銭は受け取れないけれど、『手当』は別よ」
「手当」
頭が追い付かずオウム返しする。
「ええ。各種手当と怪我による慰謝料や逸失利益はちゃんと支払われるわ」
「……多くない?三桁か四桁くらい」
「何言ってるの」
麗火さんがため息をつく。
「特級真剣剣聖免許所有者は数えるほどしかいなくて、ダンジョン前線で戦闘を行える人はさらに少ないわ。その年俸は最低でも数億円。スポンサー等々を盛ると数十億にまで行くわ。良二くんはそこに並ぶの」
「そんな大げさな」
「実力の話じゃなくて資格と権利の話よ。立場上良二くんはそれだけの価値があるの。
その良二くんが片腕を失う怪我をしたなら、最低でも一般的な特級の年俸くらいは支払われて当然なのよ。ましてやすでに右腕が無くて、満足に生活も送れないはずだもの」
ここでようやく、麗火さんがなぜ俺に資格を与えたのか気が付いた。
「さらに学生。失われた可能性を考えると、あと一桁は欲しかったわ」
力及ばずごめんなさい、と麗火さんが謝る。
「話は分かったけど、さすがにもう一桁は過剰だろう」
「私にはそれ以上の価値があるわ」
麗火さんがきっぱりと言い切る。
深紅の瞳に見つめられると、何も言い返せない。
そして理解した。
何故麗火さんが金額に拘るのか。
俺の価値を、俺が失った物の価値を目に見える形で示したかったのだ。
「……無理はしてないか?」
「無理をさせたのは私たちよ」
「ならいいさ。ありがたく受け取る」
「それと障害年金も受け取れるわよ。金額は現在交渉中」
麗火さんは俺の価値をいくらまで吊り上げるのか。
流石に苦笑する。
生々しいお金の話は好きではなかったが、麗火さんの頑張りを無碍にするわけにもいかず、色々と金額について質問したり、昇人たちや仁、雪奈についても確認する。
全員それなりの金額が支払われるようだ。特に輪之介は失われた心臓に関する金額がものすごい。
いい影響を及ぼすとも思えないので、しばらくは全員に黙っておくらしい。昇人とか4桁万円の海外製のバイクとか買っちゃいそうだしな……
「生々しいお金の話はこれで終わりか?」
「いえ、もう一件。
どちらかと言えば、こちらは夢のある話かしら」
D-Segに書類と金額が表示される。
金額はそこそこだが、金銭感覚がマヒしていなければ驚く程度はある。
「ランダイからのギア:アイズの変身グッズおよびモチーフに関する著作権と、とりあえずの手付金。あとは深界獣との戦闘記録の提出に対する報酬ね」
「著作権?」
「特撮ヒーローのディバイン・ギア・ソルジャーのシリーズは4年に一度実際のディバイン・ギア・ソルジャーを元にした作品を作るのは知っているわよね?」
「デザインやギミックは元のディバイン・ギア・ソルジャーのものを可能な限り再現する……そこに著作権の問題が発生するわけか」
「ええ。ギア:アイズに関するグッズを展開するとき、良二くんにもある程度お金が入ってくるということね。しばらく先の話になるけれど」
「著作権というなら、実際にデザインしたのはギアさんと仁、雪奈、アイズだろう?ギア:ナイツの追加武装に関しては麗火さんも携わってる」
「ええ。だから所得に関しては分配することになるわね。割合はこちらで決めていいかしら?ちなみにギアさんについては不要だそうよ」
まぁ、ギアさんの制作者は謎だしな。
「そうだなぁ……変にギスギスしたくもないし任せたい。もちろん他の人も良いと言えばだけどな」
「解ったわ。折を見て確認しておく」
「僕の分についてはあくまでサポートの範囲内だからいらないよ。払いたいなら理子様にサーバ利用料を払っといて」
唐突にアイズが割り込んできた。当たり前のように会話を聞いてるな、コイツ。まだ俺の頭の中にも巣食っているのだろうか。
「解ったわ。良しなにしておくわね」
そういうわけで全部麗火さんにぶん投げた。真面目なので俺への配分を多くしたり、相性の悪い仁への配分を減らしたりはしないはずだ。
俺が配分に関わると自分の取り分を減らしてしまうため、それはそれで健全とは言えないだろう。
「そうそう、一つ聞いておきたいことがあったの」
麗火さんがじっとこちらを見つめてくる。
「自分をモチーフに、大好きなディバイン・ギア・ソルジャーが造られる気分はどうかしら?」
「最っ高――」
答える俺を見て、麗火さんはクスリと笑った。
長くなったので分割