第五十七話 紫の月は涙に濡れる(下)
「こんな顔をしていたのね。
ねぇ、黙っていないで、あたしの名前を呼んでくれないかしら」
「……紫月」
なんとか、これを振り絞る。けれど、痛みと火傷で擦れた声は、俺の耳にも正しく伝わらない。
「……ああ、呼んでいてくれていたのね。
上手く聞こえなかったわ。
終わりが近いからかしら」
紫月が俺の頬に手を伸ばす。
「そんな表情していないで、もっと目を開けて。
あたしは色を思い出したの。
紫。そして黒」
「…………」
紫月が俺の目を覗きこむ。
俺の瞳に紫月の瞳が写り込む。
紫月の瞳は白い空にに浮かぶ紫色の月のようだ。
「ああ、これが月なのね。
とても……綺麗」
「―――月じゃないよ。
本当の月は、もっと綺麗だ。
だから、一緒に見に行こう。
待っている人がいるんだろう。思い出した感覚があるんだろう。
これで終わりじゃあないだろう」
紫月は俺の言葉に応えず離れた。
「満足したわ。これで終わりね」
紫月の身体にヒビが入り、彼女は膝から崩れ落ちた。
「紫月っ!」
地面に転がった彼女を抱き上げようと手を伸ばしたが、それを紫月に阻まれる。
「貴方からのお触りは許可していないわ」
思わず手が止まる。触れる寸前だった彼女の腕に、一際大きな亀裂が走る。
「貴方は最後まで乙女心が解らないのね」
……解るさ、それくらい。
ヒトの身体じゃないからだろう。
深界獣は『深界』属性を無くすことでこちらの世界に現れることができる。
それは深界獣の身体を作り替えることとイコールではない。あくまで魔力で構成された身体なのは変わらない。
紫月も同じだ。都合よく人間に戻ったりはしなかった。
答えの出ていない問いがあった。
解決していない問題があった。
紫月には何故時間が残されていないのか?
深界世界と魔力の過剰摂取による回路の異常だろうか。
深界世界の周期のズレにより融合率が低くなっているのだろうか。
合わない世界に無理矢理滞在しているため身体にガタが来ているのだろうか。
負荷の高い物質化を頻繁に行ったせいで体力が付きかけているのだろうか
あるいは、彼女のコアに限界が来ているのだろうか。
こちらに帰すことで、都合よく解決できることを期待したツケが回ってきた。
ディバイン・ギアは都合のいい奇跡を起こしてはくれなかった。
彼女の問題は解決されておらず、その命は間もなく尽きる。
解っていたことだ。だからせめて――
身体が壊れ辛く苦しいだろう紫月は、しかし安らかな顔をしている。
「帰ってきた。
月も見た。
あたしを待っている人にも会えた。
お腹だっていっぱい。
これ以上ないほどに幸せね。
ああ、でももう一つ――」
紫月が俺に笑いかける。昨日の夜の様に。
「ねぇ、笑顔を思い出したの。
自分じゃ見れないから、貴方の笑顔を最後に見せて?」
――ああ、良かった。
彼女はこんなことになっても、それでも救われてくれていた。
なら、精いっぱい強がって応えないと。
彼女の、魂の救いのために俺はこの心を騙してでも―――
でも、それじゃあ俺の心が救われない。
俺はきっと耐えられない。
だから、俺がとるべき行動は笑顔じゃない。
ディバイン・ギア・ソルジャーでは彼女の魂は救えても、彼女の命は救えない。
しかし幸いなことに俺は聖剣剣聖だ。聖剣剣聖にしかできない事ができる。
さて、解っていることを見つめ直そう。
・紫月の身体は魔力で構成されており、その本体は始原回路の刻まれたコアである。
・紫月の身体は崩壊が始まっている。
・紫月の心は回復傾向にあるが、依然壊れたままである。
・紫月の命は尽きかけている。
・紫月の魂については未だ計測できていない。
問:以上の状態にある紫月の命を救え
なお、彼女に時間が残されておらず、原因については調べている時間がない。よって対処療法しかとることは出来ないとする。
今ある手札で彼女の命をつなぎ留められる方法は何か。
こういう場合、まずは命を計測しやすく、扱いやすい形に成型するべきだろう。それはどのような形だろうか?
そう、人間だ。
魔法生命体としては治療法が何もわからないとしても、相手が人間であるならば今まで人類が培ってきた治療法が適応できる。極端な話、心臓すら止まっても脳さえ生きていれば命としては問題ないのだ。
DAMAトーキョー付属病院なら、首から上が生きていれば生命活動を維持させることができるはずだ。病院側で様々な準備が必要となるだろうが、麗火さんは優秀なため、今日の戦闘で誰かが傷つくことを見越して予め手配をしているだろう。
心は平気か?知るか。人間に戻った後美味いもの食べてゆっくりと寝かせれば一年もすれば治るだろう。人間なんてそんなものだ。どのみちカウンセラーの領分だ。俺が気にする必要などない。
魂の同一性?知るか。計測もできないしそんな不確かなもの今はどうでもいい。
倫理?くそくらえ。こんな状況における道徳を語った話があるのなら、今すぐそれを提示して見せろ。
よし、決まった。彼女を人間に戻し、本当の意味で俺たちの世界に帰そう。
そのための方法については、幸いなことに覚えがある。
俺は遠くで俺たちの最後の時間を涙目で見守る少年の方を見る。
ああ、本当に君は素晴らしい。君のおかげで沢山の大切な情報を手に入れることができた。君は真にヒーローだろう。
最後に、俺は首元のギアさんに確認を取る。
俺のSCカードは無くなってしまったが、まだ変身状態は継続されている。変身が解けるまでギアさんは俺のパートナーであり、俺はギアさんのマスターだ。
――ギアさんから条件が提示される。
承諾する。
――ギアさんから確認が行われる。
承諾する。
――ギアさんから否定が通知される。
良いからやれ。やってくれ。
ギアさんは今まで十分俺を守ってくれた。これは俺の我儘だから問題ないんだ。
――ギアさんから肯定が通知される。
ありがとう、ギアさん。
さぁ、楽しい楽しい試験の時間の始まりだ。
「紫月、残念だが笑顔はお預けだ。
代わりに良いモノをプレゼントしよう」
耳を澄ませてくれていたのだろうか、ちゃんと聞こえたらしく、紫月は訝しげに眉を顰める。
「何かしら?つまらないものなら受け取らないわ。
月くらい素晴らしいものかしら?」
俺は苦笑する。
「流石に月ほどじゃないな。
でも、俺がずっと欲しくて、憧れてて、そして大切にしたものだ。
ここしばらくはずっと無茶させてたけどな。
だから、受け取って、大切にしてくれると嬉しい」
「そう……それなら受け取るわ。
ずっと、あたしが消えてしまうまで大切にしてあげる」
よし、言質は取った。紫月には、ずっとずっと大切にしてもらおう。
「じゃあ、俺が良いというまで目をつぶっていてくれ」
紫月は素直に目をつぶる。
俺は辛うじて動く左手で首のディバイン・ギアに触れる。ディバイン・ギアは抵抗感もなく、スルリと抜き取ることができた。
右の義腕はかろうじて維持されている。俺は両手でディバイン・ギアを持つと、麗火さんと雪奈がしてくれたように、想いを込めて優しく、紫月の首にディバイン・ギアを付けた。
ディバイン・ギアは弾かれない。本来なら今の紫月には『深界』属性は含まれていない。しかし、俺と紫月の莫大な全属性の魔力が、未だ彼女の身体に残っている。だから、今の彼女はディバイン・ギアを使うことができる。
「紫月、右手に白いカードを持っているだろう?誰かの事を考えながら、それに思いを込めてくれ」
紫月は何も言わずに白いカードへと変わった俺のSCカードを両手で包み込み、胸元に抱いた。
『シヅキ』
紫色の優しい光がカードから発せられ、絵柄が浮かび上がっていく。
SCカード――ソウルコネクションカードが、彼女の魂を計測した。
いまいち原理がよく解らず、何を計測したのか、正しく計測したのかも信頼できないが、それでも彼女に魂があると認めたのだ。
少しだけ慰められた気分になる。
そしてディバイン・ギアとSCカードがそろった時、ディバイン・ギアは装着者を主と認める。
装着者が変更され、辛うじて維持されていた俺の変身が解除される。右腕の義腕が光に帰っていく。
さようなら、ギアさん。ありがとう。
新しい主の元で、ディバイン・ギアが瞬く。俺に催促しているのだ。
俺は血まみれの左手をディバイン・ギアに伸ばす。
「ねぇ、無理していない?」
紫月が薄っすらと目を開けて訊ねる。
「無理なんかしてないさ。
無理なんかしていない」
俺の顔を見て「そう」とつぶやくと、紫月は目を閉じて全身をリラックスさせる。
そう、無理なんかしていない。
自分が帰るよりも、俺を失いたくないと考えてくれた彼女には、左腕の一本くらいなら捧げる価値がある。
ディバイン・ギアには装着者を癒す機能がある。その回復効果でも治せない場合、ディバイン・ギアは装着者と一体化して損傷した器官を治療する。
これは輪之介の例からも明らかであり、ギアさんも可能だと答えてくれた。ただし、今回の場合は肉体が存在していないため、材料となる肉体を用意しなければならないらしい。ディバイン・ギアでもある程度補ってくれるとは言え、頭部全体ともなればある程度の量が必要だ。
だから、俺はディバイン・ギアに左腕を捧げる。俺の左腕が光となって消えていく。痛みはない。ただただ喪失感だけが俺の心を苛んでいく。
そして光は紫月の喉元のディバイン・ギアへと集まっていく。
ディバイン・ギアは見る見る小さくなり、紫月の喉と一体化していく。
紫月の喉に、顔に血の気が戻る。皮膚がテクスチャから変わり、ちゃんと皮膚として形を成す。触れなくてもわかる。紫月は魔法生物ではなく、生物へと、人間へと変わったのだ。
「目を開けて」
紫月に声をかける。
俺の言葉に紫月がゆっくりと目を開ける。瞳は紫のまま。しかし、白目にはしっかりと血管ば浮かんでいる。
「紫月、見えるか?」
紫月は目を動かし辺りを見ると、最後に俺を見つめてきた。
「暗いのね。でもよく見える。よく見えるわ。
声も聞こえる。だから――」
紫月が顔をくしゃくしゃに歪ませる。
「紫月」
彼女の望む様に、名前を呼ぶ。
「もう一回」
「紫月」
紫月の瞳から涙があふれる。大粒の涙がこぼれ落ちる。深界獣の時とは違って、綺麗な雫ではない。
ああ。結局泣かしてしまったけれど、俺は昨日のような笑顔より、この泣き顔が見たかった。
「見るな」
紫月は上体を起こすと、俺に抱き着いてきた。なるほど、これでは顔が見えない。
何となく、抱き返してみる。人の温もりを感じる。しかし、その感触から察するに、未だに身体の中身は人間に戻っていないようだ。まぁ、ギアさんとDAMAの病院ならきっと何とかしてくれるだろう。
「ようやく触れた」
「……貴方からのお触りは許可していないわ」
「知るかよ。触るにしたって、両腕とも残っていないんだ。別にいいだろう」
右腕は壊れたのでパージした。左腕は光となって消えた。どういう原理なのか今のところ血は止まっているみたいだが、そろそろ危ない気がする。
疲労と痛みと色々なショックで、俺の意識もそろそろ途切れそうだ。
だから最後に、ずっと焼けた喉に詰まっていた言葉を言っておこう。
「おかえり、紫月」
「ただいま、良二」
Okaeri x Tadaima - 了
残りエピローグ四話となります(投稿的には五話)
戦いは終わった
納得の行く救いを得た
自分にできる最善だった
時過ぎればその考えは変わり行く
たった一人の夢の中
両の手に残ったものは何かと問いかける
夢の中に安らぎはない
次回、ディバイン・ギア・ソルジャー ナイツ&アルス
「取るに足らない代償」
レディ!アクティベイト!