第五十五話 その首を落とす(上)
平賀良二は紫月に恋しているわけではない。
平賀良二は紫月を愛しているわけではない。
なにしろ、特にいい思い出など何もないのだ。彼女との対話は興味深くはあったが、それだけだ。
それでも俺は命を賭けて彼女と対面する。
考える時間はたくさんあった、想像する時間はたくさんあった。妄想する時間はたくさんあった。
開発時間に制限をかけられていたからだ。暇な時間が多くなった。
考えるのは好きだ。想像するのは好きだ。妄想するのは好きだ。
そして俺は考えた。
仮に紫月に魂があり、あの世と、天国と、地獄が存在していたとしよう。
彼女が死んだ場合、彼女の魂は何処に行くのだろう。
恐らく俺たちの世界に存在するあの世にはいかないはずだ。
過去や未来は別々の世界で成り立っていると観測されている。どの世界で死んでも同じあの世に行く場合、あらゆる時間軸の同一人物が同じあの世に行き複数存在してしまうからだ。それは流石にまずいだろう。
そうなると、彼女は深界世界に存在するあの世とやらに行くことになる。
彼女は死んでも家族に会えない。
彼女の親は、彼女が生まれた時にどう思ったのだろう。何を考えどんな思いでどんな願いで彼女に名前を付けたのだろう。きっと彼女の成長を祝福していたはずだ。
彼女が帰らなくなった時何を感じ、どれだけ心配し、そして絶望したのだろう。
今何を考えているのだろうか。あの人の親のようにまだ彼女を探し続けているのだろうか。
いつか自分が死んだとき、あの世でなら会えると思っているのだろうか。
しかし、彼女は死んでもあの世には行けない。死んでも家族に会うことは出来ない。死すらも救いとはなりえない。
想像だ。妄想だ。確かなことなど何一つとしてない。
けれど平賀良二は考える。
心も命も壊れてしまっても、せめてその魂だけは救われるべきだと。辛い終わりのその先には、少しくらいの優しさがあるべきだと。
彼女を救うためならば、少しくらいの危険は厭わない。
俺と同じ立場に立てば、きっと誰だってそうする。俺だってそうする。
ゆえに、平賀良二は単身竜に勝負を挑む。
せめて偽善者であるために。
目の前に竜がいる。
足から頭長まではおおよそ10メートル。尻尾の先までは50メートルほどだろうか。今まで対峙した深界獣と違い、既存のモンスターとの大きな違いは見られず、負の力のようなものも感じられない。それどころか全身を活力がみなぎっていることが一目でわかる。
鱗の色は青白く、首元には龍のように大量の鬣のようなものが生えている。即頭部に二本の角。口から吐かれる息は常に高温で、触れただけで火傷しそうだ。背中の翼は大きく、魔力による補佐無しでも飛翔できそうな力強さを感じる。
その姿はよく知っている。
毎年遊びに行く上野国立聖剣博物館に展示されている、竜一型乙種のタキツヒメである。
過去正技さんの祖父に討伐された竜との違いは一点。周囲を覆っていたとされる酸の雨が見当たらない。おそらく姿が似ているだけで属性は別物なのだろう。
その神々しいまでの存在感に、本能が全力で逃げるようにと警鐘を鳴らしている。
『キル・ザ・クロウ』
最初に読み込んだのは仁のSCカードだった。
『ノットイコール:ゼロ』
直ぐにトリガーを引き機能を起動させる。
ディバイン・ギアが仁の魔眼を可能な限り再現する。そこから得られる情報はかなり劣化することになるが、それでも俺にはそれを受け入れられるだけの脳は無い。
そう言うわけで情報処理はギアさんとD-Segに放り投げる。ギアさんからの抗議を首に感じるが気にしない。
左目に映る画像がサーモグラフィーから変更され、何時もの視界の上に必要な情報だけが表示されるようになる。つまり、コアや魔力分布だ。
視界に映るのは二つのコア。一つは銀色で一つは紫。
良かった、紫月は無事のようだ。直感的に紫が紫月だと理解する。
しかし、D-Segで解析したコア内の魔力量遷移のグラフが、紫月の魔力が急激に低下していることを告げている。
「紫月」
名前を呼ぶ。紫の光が強くなる。
――ああ、そういうことか。彼女は非常に面倒くさい。
口に端に笑みを浮かべる。
「いいか、紫月。俺は今からこの竜を討つ」
紫の光が強くなる。
「Grrraaaaa!!!!」
竜が咆哮する。俺の身体が弾かれる。
音波攻撃……ではない。一瞬壁のようなものが見えた気がした。ギアさんに解析と調整を頼む。
「その後は覚悟しろ、紫月。嫌がっても引きずり出してやる」
紫の光が輝く。
再度竜が咆哮する。先ほどよりも甲高く、大きな声で。
その直後迫りくる白色の壁が目に映る。警戒していた俺は、間一髪のところでそれを避けた。立て続けに3枚の壁が襲い来るが同様に回避する。
危なかった。仁のSCカードを読み込んでいなければ見ることもできず、見えたところで回避できなかった。
「Grrr...」
竜が不満げに喉を鳴らす。わずか一度で攻撃を見切られたからだろう。
「今まで好き勝手しやがって、こちらには紫月に色々と文句があるんだ」
紫の光の輝度が変わる。
なにやら言いたいらしい。知ったことか。
「GGGrrraaaaaaaaaaa!!!!」
自分が無視されていると感じ怒ったのだろうか、竜の咆哮は増々大きくなる。
しかし、今度は壁の攻撃は来なかった。
こちらを睨む竜の眼が細められ、その身体にノイズが走る。
「っ!!」
マフラーの出力を上げ身体全体を包み、同時にスーツに命じて身体を硬化させる。
ギアさんは一瞬も戸惑わず俺の指示に従う。
体中が砕けたかのような衝撃が襲い掛かる。
地面の上を10回ほどバウンドし、芋虫のように転がる。
意識は残っている。しかし何が起こったのか理解したのは、自分が飛ばされたのは逆の方向を確認してようやくだった。
先ほど俺のいた場所のすぐ背後で、竜が右腕を振り切った体勢でこちらを見ている。
なるほど、空間移動か。一瞬で俺の後ろに転移して、そのまま右腕で俺を殴りつけたのだろう。あの巨体の竜の一撃だ。戦車すらおもちゃの様に捻りつぶす。マフラーと防御がなければ俺の上半身が弾けていたかもしれない。
油断していた。今までの全ての戦歴には目を通していたが、空間操作に関する属性は確認できなかったため、想定していなかったのだ。おそらく、紫月自身の属性だろう。今まで何度も目にしていた。考慮するべきだった。
『ストレート・フラッシュ』
『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』
正技さんのSCカードを読み込む。出し惜しみしている余裕はない。もう一度まともに攻撃を受ければ、俺の装甲ははじけ飛ぶだろう。
俺の身体に正技さんの属性が満ち、空間情報を理解しやすくなる。シマンデ・リヒターの制限が緩和され、空間情報が視覚に投影されるようになった。
首は負荷に耐え切れず焼けるように痛むが、首から上が消えるよりは何倍もマシだ。
「Grrra!!」
竜が叫び空間が歪む。
俺は強化された肉体で1メートルほど後方に跳びつつ、元居た場所をマフラーで切り裂いた。
「Gra!?」
遠くで竜のうめき声が聞こえる。見ると、その右腕の手首は、真ん中あたりまで切断されている。深界獣であるため血は流れていないが、それでも重症というのは見て取れる。
今度は体の一部のみを瞬間的に転送したのだろうが、一度見た攻撃の派生でしかない。感じ取れるようになったのなら、聖剣剣聖なら対応できて当たり前だ。
「紫月の文句なら外で聞いてやる。だから」
紫の光が瞬く。
竜の右腕が回復する。流石深界獣、コアが破壊されない限り傷の修復などお手の物だ。
「GraGraGra...」
竜が笑い声の様に喉を鳴らした後、右手が、左手が、尻尾が歪んだ。
俺は高くジャンプしながら、マフラーを振り回し、DAを剣に展開する。
「紫月、この世界から帰ろう。一緒に」
紫の光が煌々と光る。竜の尻尾が中ほどから断たれる。
全くもって素直ではない彼女の光を俺たちの世界に取り戻すために、直撃が死となる危険なもぐら叩きが始まる。
「紫月。紫月。紫月」
何度も名前を呼びながら戦いを続ける。名前を呼ぶたびに攻撃は苛烈になる。
不可視の迷路に閉じ込められる。前からも後ろからも爪が迫る。壁を破壊しその中に身を放り投げると、迫る爪を叩き切る。
「紫月!紫月!紫月!」
上空に影が生まれる。振り下ろされる巨大な右足を、最大まで長く伸ばしたDAで叩ききる。
「紫月!!」
目の前の空間が割れ、音速を超える速度で竜が突撃してくる。マフラーを円錐状に変え、空間切断能力を持たせ前面に展開する。
展開は一瞬だけだったが、すれ違った竜の身体に大きな穴が開く。
「紫月ぃッ!」
竜は何度も何度も切られ削られ穿たれる。しかしすぐに再生し、増々楽しそうに新たな攻撃を行う。
こちらは防戦一方だ。竜は空間を捻じ曲げ一方的にこちらを攻撃できる。対してこちらの攻撃は届かない。
例え近くに行けたとしても、刃の届かないところまで転移してしまうだろう。
属性に違いはあれ、正技さんの祖父藤原正切が斬界縮地を必要とした理由がよくわかる。竜を相手にするとそもそも近くまで寄ることができないのだ。
何度もクリアグリーンの刃が生まれ、何度もクリアグリーンの刃が砕ける。そのたびに魔力が減っていくのを感じる。
何度もマフラーを伸ばし迎撃する。何度もマフラーが千切れ消えていく。そのたびに魔力が減っていくのを感じる。
竜もそれに気が付いたのか、攻撃する手を緩めず、切られても切られても切られても直ぐに再生し追撃する。右腕が、左足が、左腕、尻尾が、左腕が、消えて切られて生えてまた消え俺を襲う。
マズイ。これは耐えられない。これでは耐えられず、すぐに魔力が尽きてしまう。
自身の再生能力と圧倒的な身体能力による単調ともいえる蹂躙。それゆえに圧倒的で
それゆえにそこに付け入る隙がある。
右腕が僅かにブレる。空間が歪む前兆を感じる、その繋げる先は俺の左後方だ。
ここまで何度も攻撃されれば、センスのない俺でもタイミングは完全に理解できる。この状態から0.1秒、この歪んだ空間は竜とつながる。
俺は身を捻りながらその空間の歪みに飛び込んだ。触れずとも身体の一部を持っていきそうな爪をマフラーで裂き、その先の指を足場に跳躍する。
空間を飛び越える。竜の身体がすぐ近くに見える。10メートル先に竜の頭が見える。その顔は驚愕に彩られつつも、それでも不敵に笑っている。
世界を歪めず、竜は飛ぶことを選んだ。空間を転移して逃げようと、この距離なら俺も歪んだ空間に飛び入り追撃してくると考えたのだろう。
10メートルまで近づいた竜の首がまた遠ざかる。竜は一度の羽ばたきで20メートル浮遊する。
これでは刀身を伸ばしても届かない。
故に、俺は再び空間断裂へと挑戦する。
思いつく限り、時間の許す限り準備した。
正技さんと真忠さんに交渉し、八丁長光のデータの使用許可をもらったこともその一つである。もちろんそれだけではない。年度末実技試験で発表した空間断裂の研究に、何か進展がなかったか確認したかったのだ。
本来発表前に成果を聞くことはマナー違反だが、正技さんは快く応えてくれた。その成果は素晴らしいものだった。まだ一月も経っていないのにそこまで解析できるなんて、やはり彼は天才だ。
空間断裂の原理、それは空間切断の拡張である。
空間切断により空間に切れ目が生まれると、そこは少しの力で裂けやすくなるらしい。しかし裂けやすいのは空間修復による空間乖離現象が発生するまでの一瞬の時間だけだ。また、空間を裂くにしても同じ空間系の機能でなければ力を伝えることができないという。
斬界縮地は音速を超える刃で空間切断を行うことで、空間を切ると同時に裂け目に空間系のエネルギーを大量に伝えていたらしい。故に空間が切れると同時に裂け目が広がり、数キロ彼方まで断裂が生まれることになった。
俺の竜切包丁は高速で空間切断の刃を複数回転させていたため、通常時もある程度断裂が発生していたとも教えてくれた。なるほど、動作確認中に稀に変な値が出ていたわけだ。刃の回転速度が速すぎるせいで制御できていないのかと思い、わざわざデチューンしたりしたんだが。
素晴らしい情報だった。楽しい時間だった。有意義な時間だった。
正技さんには感謝してもしきれない。礼として、今度お土産に竜の首を持っていこう。
「紫月っ!」
マフラーを薄く延ばす。長く、広く、竜の首に埋まる銀色のコアを目指すように。
DAに魔力を送る。クリアグリーンの刃が生まれる。
トリガーを引く。
『ホライゾン・クリエーター』
マフラーをなぞる様に、クリアグリーンの刃が走る。空間切断の機能を持ったマフラーを、さらに空間切断の機能を持った剣が通り抜ける。
新型斬界縮地。それは未だ極めに至らず、技すらなく現象だけを模倣する。故にその技の名前-斬界縮地・未極不。
空間が裂ける。裂け目は治る前に新たに切られ広がっていく。そしてそれは竜の首に届く。
竜の首が落ちる。
竜の首が降る。竜と目が合う。竜は獰猛に笑っている。そこで俺はようやく気が付く。
間違えた。俺では速さが足りなかった。あるいは正確さが足りなかった。
この竜は切られる直前に自らの首ごと空間を切り離した。
竜の首が俺の横に落ちる。生きた竜の首だ。竜は大きく口を開くと、全力で剣を振り硬直したままの俺の右腕を噛み砕いた。
武器破壊+強制解除+残存魔力ほぼなし
積みですね!
引きます。