第四十二話 紫の月は忘れゆく
見つからない見つからない
大切なものを失くしました
見つからない見つからない
失くしちゃいけないものを失くしました
どこを探しても見つからない
何を探しても見つからない
薄っすら移ろう泡の中、失くしたものはたくさんで、数えた数すら失くしてしまって、残ったものすらわかりません
大事な大事な宝物
たった一つの宝物
あまりにお腹が空いたから、寝ている内に食べたのかしら
あまりにお腹がいっぱいだから、寝ている内に捨てたのかしら
足を使って探してみても、腕を広げて探してみても、宝物は見つかりません
言葉にして探してみても、泣いて叫んで探してみても、宝物は見つかりません
失くしたことすら失くす前に、探して見つけて一つになりたい
あたしは何をしてたのかしら
コンペイトウをポリポリ食べる
悩みは捨ててご飯を食べよう
コンペイトウは美味しいけれど、お腹は全然空いてない
涙の分だけお腹が空けば楽になるのに
今日もご馳走に会いに行こう
お腹は空いていないけど、ご馳走見れば空くはずです
ご馳走に会う前に、いつものように数を数える
大切なものの数を数える
一つ、あたしの名前
二つ、故郷の色
三つ……なんだっけ?
思い出せないなら、大したものではないのでしょう
それにきっとご馳走を食べれば、無くなったものも取り戻します
あたしのご馳走
ただ一人のヒト
早く会いたい
あたしがあたしであるうちに
何処かからカポーンという音が聞こえる。
前に来た時に音の出所が気になって探したが、結局解らずじまいだった。SEを流しているのかもしれない。その効果音に何の意味があるのかは知らないが、時々聞こえるその音は心地よく、ついウトウトとしてしまう。
強制解除の影響なのだろうか、今日はどれだけ寝ても寝足りない。
「どれまで待てばグズグズに煮込まれるのかしら」
ここのところ毎日耳にする声に意識が浮かび上がる。
目の前には紫の瞳をした少女。髪は銀で肌は青。その身を包むレオタードは、お腹周りから局部付近まで大胆に開いたモノキニになっており、非常に大胆だ。ズレるか切れるかすれば大参事になるだろう。
報酬で年間パスポートを受け取ってから、毎日皆で天津乃湯に来ている。皆気に入ったらしく、ついつい長居してしまう。
何故か麗火さんたちも毎日来ている。何故か。
そしてここは何時もの通りの『空色の湯』。今日も今日とて俺と紫月以外の人はいない。もしかしたらお湯の透明度が高すぎるため、恥ずかしくて入りにくいのかもしれない。見た目はアレでも、温度と肌触りは最高なんだがなぁ……
「こんばんは、紫月」
しかしそれが紫月にとって都合が良いのだろうか。ここに来てしばらくすると、いつも彼女は姿を現した。
特別なことをするわけでもない。食べたいと言われたり、一つになりたいと誘われたり、美味しそうなところを食まれたりするくらいだ。
「あら、生きていたの。死んでたら食べてあげられたのに」
「生け造りで食べたいんじゃなかったのか?腹壊すぞ」
「そうね。でも死んだのなら仕方ないじゃない。あたしと一つにはなれないけれど、腐っていないのなら欠片も残さず食べてあげるわ。
あたしは優しいの」
何時ものように挨拶する。
彼女との付き合いもそろそろ長い。物騒な言葉だが悪意がない事はもう理解している。
物欲しそうに隅から隅まで舐めるように見られるのはどうにも慣れないが。
「答えを聞かせえて頂戴。
貴方はどうやって食べられたいの?頭から丸かじり?つま先からちょっとずつ?それとも身体全体をトロトロに溶かして欲しいのかしら」
「食べられる前提にしないで欲しいんだが」
「相変わらず貴方は強情なのね。何故あたしと一つになりたくならないのかしら。
一つになれば心の底から満たされて、きっときっと素敵だわ」
紫月は俺の喉元を見ると、うっとりと頬を染める。
「こっちにもいろいろ事情があるんだよ。
逆に紫月が俺に食べられるのはどうだ?一つになるという結果は同じだぞ」
「あたしを食べる?」
俺の言葉を咀嚼するように、紫月は首を傾げて考える。
「……えっち」
紫月は青い肌を耳まで朱に染め、胸元を隠すように両腕で身体を抱きしめると、俺を睨みつけてきた。
おい、いったい何を想像したんだこのR18は。
「仕方がないわ。このままだと貴方に襲われるから、今日は諦めてあげる」
身体を半身にして正面を見えないようにしながら、彼女はそっぽを向いた。
身体にピッチリと貼りつくレオタードしか身に着けていない彼女は、正面を隠しても非常に艶やかなのだが、幸か不幸かそのことに気がついてはいないようだ。
紫月が引くところは何時も通りの予定調和だが、流石に今日は気まずい。
「えっと……今日は二本用意しておく」
なにを、とは言わない。互いに知らぬ存ぜぬの扱いだ。
「ふーん」
紫月は流し目でこちらをちらりと確認すると、右手だけ身体から離し手のひらを上に向けた。
どこから現れたのだろうか、その上には四色に輝くピンポン玉サイズの金平糖が置かれている。
「それが今日の深界獣か。美味しかったか?」
「手。出して」
彼女は問いに答えない。こういう時は何を言っても回答は期待できないことを知っている。
俺は素直に右手を彼女の方に差し出す。
浴槽の反対側にいる彼女には届かないので近寄ろうとしたが、その前に目で牽制された。動く際に大事なものを見せつけずに済んで良かった。
紫月は身体を隠すようにしたまま、開いた右手を軽く握った。そして1秒ほど後に手を開くと、中にあった金平糖が消えている。
「おぉ」
伸ばした手に重みを感じてみてみれば、そこには直前まで紫月の手に乗っていた金平糖が置かれている。
まるで鮮やかな手品のようだ。
「あげる」
「いいのか?」
彼女は入浴中にちょくちょくこの金平糖を食べていた。
あまり美味しそうではなかったが、それでも彼女に必要なものには違いないだろう。
「あげる」
紫月は同じ言葉を繰り返す。牛乳のお礼のつもりだろうか。
「不味かったのか?」
「お腹いっぱいなの」
彼女は空いた右手で自分のお腹周りを撫でる。
そのお腹はほっそりと美しいラインを描いており、中心には可愛らしくも美しいおへそが見える。お腹がいっぱいには見えない。むしろもう少し食べた方がいいと思う。
「……ありがとう。貰っておく」
それでも返すのは野暮だろう。俺は金平糖をありがたく頂戴する。流石にお腹を壊しそうなので食べないが。
俺が金平糖を受け取ったので満足したのだろうか、紫月は姿勢を戻してリラックスした雰囲気でお湯につかる。
「ねぇ……ちょっと前からあたしは探し物をしてたの。
貴方はそれが何処にあるのか知らないかしら」
しばらくお湯につかっていると、ふと思い出したように紫月が尋ねてきた。
「質問が漠然とし過ぎてるんだが……
何を探していたんだ?」
「さぁ?」
それで俺に何と答えろと。
「知らないならいい。失くしちゃいけない宝物だと思ってたけど、きっと価値のないものだったのね」
自分で話を振っておきながら紫月は特に興味がないようだ。
本当になんなんだ一体。
「そもそも失くすにしても、モノなんて持っていたのか?」
彼女が持っていたものは、深界獣の残骸くらいしか思い出せない。
そもそも実際に何かに触れられるのだろうか。
「あたしは何も持っていないわ」
持ってないのかよ。
「欲しいものとかは?」
「欲しいのは貴方と月かしら」
月が欲しいとはロマンチストだな。
「……今日は月が見えるのかしら」
ふと、紫月が銭湯の天井を見上げながら言った。
「どうだろうな……そろそろ新月だったと思う」
「新月?」
「月が見えなくなるってことだ」
「見えないのね。最後に月を見ながら食事したかったのに」
紫月は俺の方を見ると、寂しそうに微笑んだ。
「最後か」
「最後よ」
それがどういう意味なのか問いかけることはしない。
「寂しくなるなぁ……」
「あたしと一つになれば寂しくないのに」
「……明日のお別れまでに考えておくよ」
最後まで曖昧で、最後まで優柔不断で、最後まで不義理だけれど、最後の最後まで悩みたい。
――本当は決まっているのだ。正義と偽善の狭間で、俺が何を選ぶかなんて。
「やっぱり世界を滅ぼすのか」
「滅びればいいのよ。月も見えない世界なんて。
そうすればきっと帰れるわ。
――もう、帰るしかないじゃない。帰れないなら消えるしかないじゃない。
あたしも、貴方も。一緒に、一つに」
紫月は初めての顔を見せる。
泣きそうな、悲しい顔。
しかしその表情は一瞬で、彼女は直ぐに何時もの妖艶な表情に戻った。
「じゃあね」
ただ一言言って立ち上がる。
その身体には水滴の一つもついていない。腰辺りまで伸びる髪も濡れた様子がなくサラサラと揺れる。
何時ものように彼女は消える。
でもその前に一つ聞いておかないと。
「紫月。
もう良二と呼んでくれないのか?」
二度目に会った時のように。ここ数日のように。美味しいモノを食べるように、彼女はいつも俺の名前を口にした。
しかし今日は一度も俺の名を呼んでいない。
紫月は初めての顔を見せる。
子供のような、満面の笑顔。
「ありがとう。
さようなら、良二。また明日」
宝物を受け取りました
失くした物を受け取りました
今度は失くさないようにずっとぎゅっと抱きしめる
でもあたしには時間がありません
きっと失くしてしまうでしょう
大切なものを数えましょう
失くさないように数えましょう
一つ、あたしの名前
二つ、ご馳走の名前
三つ……なんだっけ?
帰る場所が解りません
故郷の色が解りません
これでは家に帰れません
あたしがあたしじゃなくなって
身体も心も霞になって
すぐに消えてしまうから
また会いましょう
月のように消える前に
そこで共に消えましょう
泡のように儚くはじけて
でも、できるのなら――
何時ものように牛乳を買う。今日は三本。牛乳とイチゴ牛乳とコーヒー牛乳だ。
そしてイチゴ牛乳とコーヒー牛乳にありったけの魔力を注ぎ込む。
「ふぅ」
牛乳瓶を維持できるギリギリを見極められたことに満足しつつ、適当なテーブルに二本の牛乳を置くと、自分の牛乳の蓋を開けて口をつける。
「ぷはぁ!」
水分が減った体に牛乳が染み渡る。
もちろん飲むときは腰に手を当てている。それが作法だ。
「さて、どうするか」
恐らく明日が決戦だ。今日以上の深界獣が姿を現すだろう。
俺と昇人なら、今日の深界獣二体同時でも倒すだけなら出来る。
問題は紫月が何を仕掛けてくるかだが
あたしをかえして
何か聞こえた気がして振り返る。
そこには誰もいない。
そして、テーブルに置かれた牛乳瓶の中にも何もない。
付け加えるなら、飲みかけの牛乳の残り半分も消えている。
「なるほどなるほど」
懸念事項はすべて消えた。
風呂上りとは、やはり清々しいものでなければならない。
「その依頼引き受けた」
Forget x Wish - 了
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