8 ジャイアントキリング
アカシを取り囲む三頭のツルギジカ、同胞に危害を加えた悪しき存在へと成敗を下す為に現れたのは状況から見て確実だ。そして逃がすつもりも一切無いことが伝わってくる。
アカシは高ぶる鼓動を落ち着かせる為に息を整える。
いつ奇襲を仕掛けてくるかわからない三方向のツルギジカたち、何度も視線を向け直し警戒する。
オサツルギジカは変わらない足取りで地面を鳴らしながらアカシの方向へと向かってくる。
一方、一角と白毛の二頭は接近してくる気配はなく、アカシを中心に旋回しているだけだ。
アカシは聞いたことがあった、ツルギジカの雄個体は争いごとを行う時、一対一を重んじる習性があると。
その言い伝えが真実であると状況が物語っている。
アカシは今の状況は最悪の中でもかなりましな状況だと感じた。
可能であれば逃げるのが望ましい選択だが、仮に三頭の包囲網を抜けたとしても速度と体力の観点から逃げ切るのは難しい。
そうなれば戦いに勝利するか、相手の足を奪って逃走するかの二択だ。しかし、どちらにせよ三頭を一度に相手にしなければならず、勝算はゼロに等しかった。
だが、一対一であれば低いながらも勝つ可能性はあるし、オサツルギジカに勝利した場合残りの二頭が勝てないと判断して引く可能性が高い。
勝利への筋道が見えたアカシは思考を切り替える。
『クル、ユキミに使った魔眼の力は使えないか?』
『面白いのはこれからというのにのっけから我の力に頼るとは、面白味の無いやつじゃ……。まあよい答えてやろう、結果から言うと無理無理じゃ、気を許した相手でなければ思考を乱す程度の微々たる影響しかない。我が血肉を直接侵食させた相手であれば話は別じゃがな』
『そうか』
あわよくば魔眼の力を活用できないか期待したが色々と制約があることが判明した。
相手の思考を乱す程度とクルは評したが、アカシは思考を乱すという効果は少なからず戦闘に影響を与えると前向きに捉えた。
『こんな状況でも手を貸すつもりはないんだな?』
『無論じゃ。お主が死ぬと面倒なことになるが、手の打ちようも無くはない。それよりもお主がこの程度の状況で躓く雑魚であり続けることの方が問題じゃ。死ぬか越えるか選べ』
『そうか……なら越えてみせるさ!』
アカシは体勢を警戒の構えから攻勢の構えへと変え、向かい来るオサツルギジカの方へと堂々とした足取りで向かい進む。
これは重要な行為だ。オサツルギジカに勝利し、残り二頭に勝てないと思わせる必要がある。その為に恐れを一切表に出さず、正面から圧倒したと演出しなければならない。
視線を突き合わせる両者の距離が二十メートルを切る。
オサツルギジカはまるで決闘前の挨拶でもするかの様に歩を止めた。
だが、アカシは一切動じず進み続ける。
距離が縮まるに連れ体毛を纏った巨体の迫力が増し、依然オサツルギジカへと目を合わせ続けるアカシは見上げていると言ってもいいほどだ。
緊張感が高まり続け、残り十メートルを切った時。目線を上げていた所為かアカシの右足が木の根に引っ掛かり前のめりに転倒しそうになる。
その瞬間オサツルギジカから見て死角になっているアカシの腹部から、革袋がオサツルギジカ目掛けて高速で飛び出した。
その革袋がオサツルギジカへと命中する直前、脳を揺さぶる高い爆音と共に革袋が炸裂する。高温の白煙が瞬間的に広がり、オサツルギジカの上半身を焼いた。
「KLKLKLKLKLLL!?」
オサツルギジカは唐突に顔面を炙られ悲痛な声を上げる。人の子と完全に侮っていた為、その衝撃は大きかった。
アカシが投擲した革袋は飲み水の入った何の変哲もない物だ。
爆発した原因、それは投擲する寸前に革袋へと投入したキホウ飴だ。
キホウ飴は通常水中で呼吸する為の物で、歯に挟み適切な量の水と反応させることで呼吸の為の酸素等を発生させる。それを水の入った革袋へ入れるとどうなるか、キホウ飴と水とが急激に反応することで反応暴走が起こり、革袋内の温度は水の沸点を優に超え、熱で蒸発した水蒸気の圧力により水蒸気爆発が巻き起こる。
アカシは爆発を直撃させる為に、躓いた演技をしつつ、自然に前屈みになったことで死角になった腹部から払うように革袋を投擲していた。
アカシの目論見は完璧に実現し、オサツルギジカにダメージを与えることに成功した。
だが、これは攻撃の序章に過ぎない。
アカシは前傾姿勢のまま槍を納刀し、躓いたと見せかけた木の根を軋ませながら藁草履で蹴り、奇声轟く高熱の白煙へと正面から突っ込む。
纏う毛皮を深く被り、上体を地面すれすれまで下げることで、なるべく体が白煙に焼かれないようにして突き進む。
――刹那の灼熱を抜けた先で、アカシは白煙から逃れる様に首を上げ後退っているオサツルギジカを捉える。
アカシは相手が反応するよりも早く、オサツルギジカの前足の間を走り抜け、通り抜け様に逆手に持った山刀の斬撃が左前脚の腱へ、右腹を通り抜けながら返す刀で左後足の腱へと入った。
「KLKLKLKLKLLLLLL――!!」
オサツルギジカはアカシの存在を認識すると体を左に折り曲げながら横薙ぎに剣角を振るった。
風を切る轟音と衝撃が空気を揺らす。
咄嗟に地面へと飛び込んだアカシは間一髪で剣尖の射程を逃れた。
だが、今度は地を削る音と共に剣角が迫る。
払い上げる様な軌道の剣角を慌てて地面を転がり回避する。
うつ伏せの状態でアカシは悟った。振り上げられた眼前の剣角が今度は振り下ろされると。
回避不可能、迎撃不可能……。
やけにゆっくりと流れる時間の中でアカシは次なる一手を考えて、考えて、考えて、考えて――――。
剣角の衝撃に地面が爆ぜる。
まるで地雷が起爆したかのように土砂が放射状に巻き上がる。打ち上がる土砂の中に人影、アカシは無傷で宙を舞っていた。
――剣角が振り下ろされる直前、アカシは避けるでも受けるでもなく、逆に地を蹴り襲い来る剣角へと迫った。
アカシが狙ったのは二本の剣角、――その隙間だ。
オサツルギジカは巨体故に二本の剣角の間にぎりぎり人が通れるほどの間隔が存在した。アカシは左目の金紋眼の超人的な視力で振り下ろされる剣角の軌道を完璧に見切り、体を捻じ込んだ。
そして見事に一撃を躱し、宙を舞うアカシは重力に従い地へと落ちる。
「吸血槍『闇穿』、一投ッ!」
アカシの掛け声と共に眼下のオサツルギジカへと落下の勢いまで乗せた槍の一突きが突き刺さる。
放たれた一突きは狙い違わずオサツルギジカの左の眼球を貫いた。
「KLKLKLKLKLLLLLL――!!」
オサツルギジカの悲痛な叫びが森中に響き渡る。
鳥類が木々を揺らしながら一斉に飛び立ち、生き物たちが危険を感じ巣に隠れたり、死体のおこぼれを狙い野次馬の様に集まったり、一帯が祭の様な喧噪に染まる。
アカシは赤水晶の槍、吸血槍『闇穿』をオサツルギジカの頭を踏みつけながら引き抜き、間髪入れず右の眼球へと再び突きを放とうとするが、動き出そうとするオサツルギジカの気配を感じ、頭を両足で蹴り、宙で縦に一回転して数メートルの距離に着地した。
オサツルギジカは頭を踏みつけていたアカシを振り払う様に頭を乱雑に振り回し、剣角を周囲の地面や草木にぶつけて土砂や木片を撒き散らした。
オサツルギジカは当初の余裕など微塵もなく息を荒げ、猛った赤い瞳でアカシを凝視している。
アカシは細かいかすり傷を除けば未だに無傷、対するオサツルギジカは火傷、斬撃、刺突と、アカシに負わされた傷で満身創痍。
睨み合いという小休憩の状況で、優位に立ったアカシは心に微かに生まれた余裕で傍観している二頭のツルギジカに意識を向ける。
「一対一を重んじるって話は本当だったんだな」
ぼろぼろな状態の仲間の姿を見ても、囲っている二頭のツルギジカに手を出す気配は微塵も無い。
と、考えていたその時、今しがた意識を向けていた二頭のツルギジカが騒がしく鳴き始めた。
何事かと二頭のツルギジカへちらと目を向けると、臨戦態勢でアカシとは別の方向へと激しく威嚇していた。
ツルギジカが自分とは異なり露骨に警戒する程の新手か、とアカシが考えに至った直後、オサツルギジカがその巨大な四足で地を踏ん張り首が動き出した。
大振りの予備動作だと悟ったアカシは一度思考を切り上げ、回避の為に地を蹴り数メートル後方へ下がる。
金属同士が衝突する様な強烈な音が体を震わせた。
アカシは見た、先程二頭のツルギジカたちが視線を向けていた方向、そこから鉄黒色の柱の様な物体が複数、眼前のオサツルギジカに向かって飛来した事を――。
アカシは聞いた、オサツルギジカの巨大な剣角と鉄黒色の柱が打ち合う剣戟の打音を――。
オサツルギジカの左から右へ横薙ぎの斬撃、それはアカシを狙ったものではなく、数十メートル先から飛来する攻撃を激撃する為のものだった。
だが、複数飛来した物体をオサツルギジカは全て捌ききれた訳ではない。オサツルギジカの右腹に深く突き刺さる物体。それは長さ一メートル程の諸刃の剣だ。幅十センチ程度の細長い剣は鉄黒色で木材の断面の様な木目状の模様が形成されている。
そしてその鉄黒色の剣の一本は数瞬前にアカシがいた地点にも完璧な精度で通り過ぎていた。
アカシの全身に悪寒が走り、冷たい汗が流れる。オサツルギジカの予備動作に反応して偶然避けたが、それがなければ確実に剣に貫かれていた。
だが、状況は後悔や反省する暇さえ与えない。アカシの勘が警鐘を鳴らしていた。
――第二射が来るッ!
木が遮蔽となる位置へ咄嗟に移動する。
直後、剣の弾丸が再び飛来する。しかし、アカシの方向へは来なかった。
飛来する鉄黒色の剣、その全てがオサツルギジカを襲った。
唯だえさえ満身創痍の体で大振りの攻撃を放った後の隙――、オサツルギジカは大した反応もできぬまま、鉄黒色の剣たちが深々と突き刺さり、その場に崩れ落ちた。
鉄の様に硬い体毛で覆われたオサツルギジカの装甲の一切を無視し貫通して魅せた剣、その切れ味が尋常ではない事をアカシは認識させられる。
そして、今の攻撃でアカシは敵の姿をはっきりと視認した。
三メートル程の体躯、蜥蜴の様な姿態を鉄黒色の刃の鱗が無数に覆っている。
剣の様な鱗を飛ばして攻撃する大型の爬虫類、その生態に一致する生物をアカシは知っている。
「カジウロコトカゲか、最悪だ……」
最も憂慮していた大型の肉食獣との邂逅だった。